Date: 6月 17th, 2019
Cate: 「オーディオ」考
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「音は人なり」を、いまいちど考える(その12)

別項「変化・進化・純化」で自己模倣と書いた。
古い知人の出していた音を、私は自己模倣と書いた。

自己模倣も「音は人なり」となるのだろう。

さらに「自己模倣という純化の沼」とも書いた。

自己模倣という純化の沼にどっぷり浸っているのが、
いちばん楽なのかもしれない。

しかも周りにはオーディオという泥沼にどっぷりに浸かっていまして……、
そんなことを自虐的に、そして自慢気に話す。

マニアとしてのプライドも保てるのかもしれない。

けれど自己模倣という純化の沼に浸かっていては、
人間的成長からは遠くなっていく。

自己模倣であっても、音は変っていく。
変らないということはない。

けれど、自己模倣はどこまでいっても自己模倣でしかない。
そこでの音の変化も、自己模倣の領域内でのことである。

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