ピュアオーディオという表現(「3月のライオン」を読んでいて・その4)
「瀬川先生の音を彷彿させる音が出せた」と私にいってきた知人も、
私にしてみれば、「頂点まで最短距離で登っていった」という人と同類だ。
オーディオの頂点からすれば、瀬川先生の音というゴールは、
身近にあるように思えるのかもしれない。
知人は、別項でも書いているように瀬川先生の音を聴いたこともない、
瀬川先生と会ったことすらない。
仮に会っていて、瀬川先生の音を聴いていたとしても、
知人と「頂点まで最短距離で登っていった」といった人とは、やはり同類だ。
知人には、瀬川先生の音というドアはひとつしか見えてなかったようだ。
知人は、そのドアに気づいていたのか。
気づいていたとして、そのドアを開けようとしたのか、と思う。
ドアにたどり着くことが目的ではないはずだ。
そのドアを開け、さらに一歩進んだところから、
瀬川先生の音の世界は拡がっているのではないのか。
しかも知人は、間違ったドアを目指していた。