スピーカーとのつきあい(その2)
(その1)で、スピーカーを友と書いた。
別項で「スピーカーシステムという組合せ」を書いている。
このことと、スピーカーを友とするのは関係している。
少なくとも私のなかでは。
オーディオというシステムは、
単体のオーディオ機器だけでは音を出せない。
これまでくり返し書いているように、
それにオーディオ雑誌にも昔から書かれているように、
プレーヤー(アナログもしくはデジタル)、
アンプ、スピーカーシステム、
最低でもこれだけのモノが揃わなければ、音は出せない。
どんなに優れた性能のアンプであっても、
それ一台だけでは、音は聴けない。
スピーカーを接ぎ、
入力になんらかの信号が加わらなければ、スピーカーから音は鳴ってこない。
つまりオーディオはコンポーネント(組合せ)の世界である。
このことが、私に、オーディオは道具でなく、意識である、と考えさせている。
オーディオ機器を道具として捉えるよりも、
意識として捉えている。
このことは、以前「続・ちいさな結論(その1)」、「使いこなしのこと(その33)」でも書いている。
オーディオ機器は確かに道具である側面をもつ。
けれど、それだけにとどまらず、組合せにおいて、
というよりも組合せそのものが、鳴らし手の意識である、と認識をもつようになった。