羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その15)
別項「wearable audio(その1)」で書いたこと。
あの日、菅野先生のリスニングルームで私の腕の肌が感じていたことを思いだしている。
もしあの時、体を強ばらせる聴き方をしていたら、
きっと腕の肌は、音を感じること、音の波動を感じることはなかったように思う。
あの日、露出していたのは腕だけだった。
それこそ究極的には全裸で聴いていたら……、そんなことを想像もしていた。
仮に、あの日の菅野先生の音を自分の音とできたとして、
自分のリスニングルームで全裸で聴くかといえば、なかなかできないだろう。
独り暮しなのだから、気兼ねすることなく、
外から覗かれなければ全裸で聴いてもかまわないし、特に問題はない。
間違いなく、全裸で聴いた方が、より音楽を体感できる、という確信はある。
それでも……、である。
いくら独りでの行為とはいえ、眼前で音楽が演奏されている以上、
服はきちんと着ていたい、と思う。
ならば、服を着ることで、全裸よりもよりよく体感できるようにすることを考えるべきである。
そこで思い出すのが触覚コンタクトレンズである。