老いとオーディオ(五味康祐氏の文章を思い出している)
しつこいぐらいに書いているように、私のオーディオは「五味オーディオ教室」から始まった。
こう書いてあった。
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むろん誰にだって、未来はある。私にもあった。私はその未来に希望を見出して働いて来た。五十の齢を過ぎて今、私の家で鳴っている音にある不満を見出すとき、五十年の生涯をかけ私はこれだけの音しか自分のものにできなかったかと、天を仰いで哭くことになる。この淋しさは、多分、人にはわからぬだろうし、筆舌に尽し難いものだ。
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13の時に「五味オーディオ教室」と出逢い、読んだ。
「五十の齢」は、当時の私にはずっとずっと先のこと、
ぼんやりとも想像することはできずにいた。
いま「五十の齢」を過ぎている。