background…(ポール・モーリアとDitton 66・その2)
岡先生のDitton 66の評価は、かなり厳しいものと読めなくもない。
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このモデルも37号のテストに登場している。そのときもハイエンドが目立つというような書いたのだが、今回もそういう印象は、オーケストラ曲における弦楽器の目立つこと、声にかなり一種のつややかさがあること、とかくバックにある高音楽器をうまくひきだしてくれる一種のおもしろ味をもっているという店では、印象はあまりかわらなかった。倍音の出方がなかなかおもしろいのである。16Hzまでの再現性があるのかどうかはちょっとわからないが、低域の量感もかなりある。しかし、その低音の量感のわりに抑えが利かないところが出てくる。ABRの反応がおそくそのダンピングがあまいせいではないかと思われた。前回のテストでヴォーカルがよいというようなことを書いたが、このジャンルの音楽のききやすさというようなものはたしかにあるのだけれど、いまひとつ切れがあまくなるようで、一体にどの音にも余韻みたいなものがつきまとう。イギリスのスピーカーのなかでは、ほかにあまりきかれない一種の華やかさといったものもあるようだ。定位感がぴしっと出てこないところがあるが、ごく上等なイージーリスニング・システムといった感じである。
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瀬川先生が「テストの結果から私の推すスピーカー」の筆頭にDitton 66を挙げられているのと対照的に、
岡先生、黒田先生はDitton 66については、そこではまったくふれられていない。
瀬川先生と岡先生の評価がここまで違うのは、
どちらかの耳が信用できないから、ということではまったくない。
短絡的な読み手は、ここで「だからオーディオ評論家なんて信用できない」と口にしてしまうだろう。
けれど、ここでの例はそんな低いレベルのことではない。
ふたりの聴き方の違いが、そのまま試聴記に顕れているだけである。
Ditton 66は瀬川先生が書かれているように「永く聴いていても少しも人を疲れさせない」。
けれど、その性質が、
岡先生にとっては「ごく上等なイージーリスニング・システムといった感じ」になってしまうのだろう。
岡先生にとってはイージーリスニング・システムであるDitton 66が、
瀬川先生にとっては「本ものの音楽のエッセンスをたっぷりと響かせる」スピーカーである。