録音は未来/recoding = studio product(2020年東京オリンピック)
私はアーティストには用はない
彼らは岩山に群がる猿だ。
彼らはなるべく高い地位、高い階層を目指そうとする。
*
グレン・グールドがこういっている。
2020年東京オリンピックのエンブレムに関する騒動。
盗用なのかそうでないのか、他のデザインはどうなのか──、といったことよりも、
佐野研二郎氏を擁護している人たちの発言を目にするたびに、
このグレン・グールドの「アーティストには用はない」を思い浮べてしまう。
先日も、ある人が発表したエンブレムに対しての、この人たちの発言を目にした。
この人たちの多くは、アートディレクターもしくはアーティストと自称しているし、
まわりからもそう呼ばれているようだ。
グレン・グールドがいっている「岩山に群がる猿」、
「高い地位、高い階層を目指そうとする」猿そのもののように、どうしても映ってしまう。
この人たちも、グレン・グールドを聴いていることだろう。
そして、この人たちはグレン・グールドのことをアーティストと呼ぶのだろう。
だがグレン・グールドは「アーティストには用はない」といっているのだから、
自身のことをアーティストだとは思っていなかったはず。
グレン・グールドはピアニストではあった。
けれど指揮も作曲もしていたし、ラジオ番組の制作もやっていた。
ピアニストという枠内に留まっていなかった。
音楽家という枠内にも留まっていなかった。
グレン・グールドが行っていたのは、
スタジオでのレコーディングであり、それはスタジオ・プロダクトであり、
グレン・グールドはスタジオ・プロダクト・デザイナーであった。
グレン・グールドは、アーティストとデザイナーの違いをはっきりとわかっていた。
だから「アーティストには用はない」。