トーキー用スピーカーとは(その6)
どうも日本には、実際の楽器の音よりも大きな音で再生することに対して、
蔑みの目で語りがちなところが昔からあるように感じている。
チェンバロやヴァイオリン・ソロを、大きな音で鳴らす。
そこには知的な要素が完全に欠けているような感じで受けとめられがちである。
それが逆に小音量で、ということになると、印象は違ってくる。
なぜ実際の楽器の音より小さな音は認められていても、大きな音で聴くことは認められていない、
もしくは躊躇いがちになる人がいるのか。
オーディオには音量設定の自由があるのに、それを放棄するようなこと、
それも実際の楽器そのままの音量と同じ再生音量ということにこだわるのならばまだしも、
小さな音量は認めても、大きな音量は認めないのか。
こんなことを書いていくと、
録音物の制作者が、実際の楽器の音より大きな音での再生を望んでいない、と主張する人がいる。
ほんとうにそうだろうか。
録音エンジニアに直接聞くなり、発言している記事を読んでのことなのだろうか。
録音エンジニアも大勢いるから、実際の楽器の音より大きな再生音なんても認められない、という人もいると思う。
再生音量は聴き手にまかせられていることだから、制作者側が口出しすべきことではない、という人もいるだろう。
実際の楽器の音よりも、大きな再生音で自分で録音したものを楽しんで聴いている録音エンジニアもいる。