オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その16)
オーディオのこまごまとしたことに精通していて、耳がよければ、
それでオーディオ評論家としての資格は十分だろうし、
思想なんてものは、むしろないほうがいいと考えている人も、意外と多くいるのかもしれない。
思想なんて、うざったいだけだ、と。
だがオーディオ評論家は、ことばで音を表現する以上、絶対に思想はもっていなければならない。
「ひとは自分自身の思想を求め、形作るとき、自分自身の言葉を求め、形作る」
三木清氏の「軽蔑された飜訳」にでてくることばだ。
いいかえれば思想をもたない者には、その人となりの言葉をもたない、ということにつながっていく。
「自分自身の言葉を求め、形作る」ことができずに、
音を表現することは、どれだけ文章を書き続けていたとしても、とうてい無理なことだと断言しておく。