Date: 7月 18th, 2010
Cate: オーディオ評論
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オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その16)

オーディオのこまごまとしたことに精通していて、耳がよければ、
それでオーディオ評論家としての資格は十分だろうし、
思想なんてものは、むしろないほうがいいと考えている人も、意外と多くいるのかもしれない。

思想なんて、うざったいだけだ、と。
だがオーディオ評論家は、ことばで音を表現する以上、絶対に思想はもっていなければならない。

「ひとは自分自身の思想を求め、形作るとき、自分自身の言葉を求め、形作る」

三木清氏の「軽蔑された飜訳」にでてくることばだ。

いいかえれば思想をもたない者には、その人となりの言葉をもたない、ということにつながっていく。
「自分自身の言葉を求め、形作る」ことができずに、
音を表現することは、どれだけ文章を書き続けていたとしても、とうてい無理なことだと断言しておく。

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