Date: 7月 6th, 2010
Cate: 理由
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「理由」(その22)

短絡的な誤解をされる方は居られないと思うが、
なにもカラヤンの全否定しろ、とか、カラヤンの演奏にはまったく価値がない、とか、
そんなことを言いたいわけではない。

フルトヴェングラーの演奏が唯一無二のものだ、といいたいわけでもない。

カラヤンの演奏に聴き惚れていてもいい、
フルトヴェングラーの演奏に価値が見いだせない、好きになれないでもいい、
それは人それぞれの問題だから。

だが、五味康祐にとっての「浄化」を語るのであれば……といいたいだけである。

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