妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その12)
何回目に聴いたときだったのかは、もう憶えていない。
クナッパーツブッシュのバイロイト盤でだけ「パルジファル」を聴いていた時期、
マーラーの第二交響曲の第二楽章の美しい旋律に、ある日ふと胸打たれたように、
「パルジファル」に美しい旋律がある、ということよりも、
「パルジファル」そのものが美しい、ということに気づいた。
気づいた、というよりも、そう感じるようになった。
それまでは宗教的な気配に意識がどうしても行きがちだった。
だからこそクナッパーツブッシュのバイロイト盤は、
シーメンスのオイロダインで聴きたい、と強くおもってしまう。
クナッパーツブッシュのバイロイト盤でのみ聴いていたから、
「パルジファル」そのものが美しい、ということに気づくのに時間がかかったのか、
それともクナッパーツブッシュのバイロイト盤でのみ聴きつづけてきたから、そう感じられるようになったのか、
正直どちらでもいい。
とにかく気づくことができた。
「パルジファル」はワーグナーの作品中、もっとも美しいのかもしれない。
そうおもうよになって、カラヤンの「パルジファル」を聴きたい、と思った。
聴かなければならない、と思うようになっていった。