Archive for 12月, 2021

Date: 12月 14th, 2021
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その17)

清潔な音をめざし、清潔な音を出している──、
そう自負している者は、
清潔であることを損う音は、一切出したくなかった。

つまり聴きたくなかったわけだ。

汚れた音、不清潔な音、雑な音──、
そういった類の音はいっさい出したくない(聴きたくない)。

そのため、そういった類の音を排除するようにつとめる。
けれど、ほんとうに排除できるのか。
本人は、排除できると思っていたであろうし、
排除できていた、と思い込んでいた。

でも、それは清潔な、と本人が思っている音で、覆い隠していただけかもしれない。
いくらは排除できていたとしても、残っていたのが、
澱のようにその奥(底)に、溜っていたようにも感じることがあった。

ほんとうのところは、清潔な音をめざしていた本人も、
その音を幾度となく聴いた私にもわからないのかもしれない。

Date: 12月 14th, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その74)

オーディオの想像力の欠如した者は、過去と直向きになれそうにない。
直向きになれる者の背中にだけ未来がある。

Date: 12月 13th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(番外)

別項「ワイドレンジ考(その83)」で、
登場したばかりのタンノイのKingdom Royalの外観にがっかりしたことを書いている。

オリジナルのKingdomは、いまでも自分の手で鳴らしてみたいスピーカーの最右翼である。
それに外観も気に入っている。

Kingdom Royalの音は聴いていない。
Kingdomよりも、いい音に仕上がっているのかもしれない。
そうであったとしても、私はKingdomの方が断然いい。

タンノイは、なぜ、こんなふうにKingdomを変えてしまったのか。
それがずっと心にひっかかっていた。

ソーシャルメディアを眺めていると、
オーディオ関係の写真が、けっこう登場してくる。

つい先日、ある写真が、そんなふうに目に留った。
Kingdom Royalがあった。
二基のKingdom Royalのあいだには、エソテリックの一連の製品群がある。

この一枚の写真をみて、納得がいった。
お似合いなのだ。

褒め言葉で、「お似合い」を使っているのではない。

Date: 12月 12th, 2021
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その16)

その15)は、もう五年前。

その冒頭に、
グッドマンAXIOM 80からJBLへ。
岩崎先生も瀬川先生も、この途をたどられている、と書いた。

岩崎先生とAXIOM 80が結びつかない──、という人はいてもおかしくない。
でも、岩崎先生はJBLのパラゴンを鳴らされていた同時期に、
QUADのESLも鳴らされていた。

そのことを知っていれば、それほど意外なことではないはずだ。
とにかく瀬川先生もAXIOM 80だった。
そしてJBLへの途である。

岩崎先生も瀬川先生も、
最初のころは、JBLのユニットを使っての自作スピーカーである。

瀬川先生は、JBLの完成品スピーカーシステムとして4341を選択されている。
岩崎先生はパラゴンである。
その前にハークネスがあるが、これはエンクロージュアの購入である。
そしてパラゴンのあとにハーツフィールドも手に入れられている。

ハーツフィールドは、瀬川先生にとって、憧れのスピーカーである。
そしてパラゴンに対しては、ステレオサウンド 59号で、
《まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。》とまで書かれている。

岩崎先生は、(その1)で引用したスイングジャーナルでの4341の試聴記である。
正しくは4341の試聴記ではなく、スタックスのパワーアンプの試聴記なのだが、
その冒頭を読んでいると、4341の試聴記なのかと思ってしまう。

4341の音を、
《いかにもJBLサウンドという音が、さらにもっと昇華しつくされた時に達するに違いない、とでもいえるようなサウンドなのだ》
とまで高く評価されている。

それだけではない、岩崎先生の4341の音の表現は、
瀬川先生の音の表現に通ずるものが、はっきりと感じられる。

Date: 12月 12th, 2021
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その11)

グラハムオーディオのLS5/1の復刻が、
なぜか日本の輸入元のウェブサイトに載っていて、
その価格が3,000,000円なのは高い、と思うけれど、
グラハムオーディオのサイトにLS5/1が載っていないということは、
もしかするとLS5/1の復刻モデルは、日本にある1ペアだけなのかもしれない。

何の確証もないので、他にも存在している可能性もある。
けれど、仮に1ペアだけしか存在してなくて、
その1ペアが日本にある、ということであれば、3,000,000円(税抜き、ペア)も、
希少価値を重視する人にとっては、むしろ安いと感じられるのかもしれない。

Date: 12月 11th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その15)

来週月曜日に、ステレオサウンド 221号が出る。
けれどKindle Unlimitedで221号が読めるようになるのは先のことで、
たぶん来年になってからのはず。

なので217号から220号までの四冊をKindle Unlimitedで読み返して、
2021年に登場した新製品で、どれをいちばん聴きたいのかをふり返っていた。

私が聴きたいと思ったのは、JBLの4309である。
220号の新製品紹介で、黛 健司氏が書かれている。

4309の黛 健司氏の文章は、いい。
黛 健司氏の文章すべてがそうだとは言わないけれど、
読んでいると、瀬川先生の文章をよく読んでいる人の文章であり、
ただ読んでいるだけでなく、よく研究している人の文章でもある、と感じることがある。

4309の文章が、まさにそうだった。
ゆえに聴きたい、と思わせてくれた。

Date: 12月 11th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その14)

CR方法については、何度も書いてきている。
2020年いっぱいで終ってしまったaudio wednesdayでは、
CR方法のあるなしの音の変化を、何度か聴いてもらっている。

今年は、CR方法についてのメールを、数人の方からいただいた。
実際に試してみて、効果があった、というメールが数通。

試してみたいけれど、
既製品のスピーカーをいじることには抵抗を感じる、というメールもあった。
そうだろうなぁ、と思うし、同じ人は少なくないとも思う。

友人の一人も、ようやくやってみた、と言っていた。
効果に驚いた、とも言っていた。

とにかく今年はCR方法への反応があった。

Date: 12月 11th, 2021
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その2の補足)

その2)で、ラジオ技術 1957年5月号の「誌上討論会 OTL是非論」に触れた。

いま書店に並んでいるラジオ技術(2022年1月号)の復刻コーナーに、
「誌上討論会 OTL是非論」が載っている。

Date: 12月 10th, 2021
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その22)

心に近い音がある。心に遠い音もある。
耳に近い音がある。耳に遠い音もある。

耳に近く、心に遠い音がある。
耳に遠く、心に近い音がある。

耳に遠く、心に遠い音と耳に近く、心に近い音ならば、
耳に近く、心に近い音を、誰もが選ぶだろう。

まさか耳に遠く、心に遠い音を選ぶ人はいないはずだ。

耳に近く、心に遠い音と耳に遠く、心に近い音。
どちらをとるのかは、人によってわかれるように思う。

この選択が、パッシヴな聴き手とアクティヴな聴き手の別れ道なのかもしれない。

Date: 12月 9th, 2021
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるエリザベート・シュヴァルツコップ(その5)

今日(12月9日)は、エリザベート・シュヴァルツコップの誕生日。

エリザベート・シュヴァルツコップを聴いていた。
モーツァルトの“Ch’io mi scordi di te?… Non temer, amato bene, K. 505”を聴いていた。
MQA Studio(96kHz)である。

ここ数日、あらためてシュヴァルツコップ以外の、この曲の歌唱を聴いていた。
よく知られるのは、テレサ・ベルガンサである。

ベルガンサの「どうしてあなたを忘れられましょうか」も、久しぶりに聴いた。
ベルガンサの歌唱をいちばんに推す人が多いのは知っている。

他にも、新しい人の歌唱も聴いた。
それでも私にとってはシュヴァルツコップの歌唱が、
いちばん胸に響く。

それはマリア・カラスの「清らかな女神よ」がそうであるように、
と同じように、シュヴァルツコップの歌唱がそうである。

何度も「清らかな女神よ」は、
マリア・カラスの自画像だ、と書いている。

では「どうしてあなたを忘れられましょうか」は、
シュヴァルツコップの自画像なのか、という自問があった。

黒田先生が「音楽への礼状」で書かれていることを思い出した。
     *
 あなたは、ノルマであるとか、トスカであるとか、表面的には強くみえる女をうたうことを得意にされました。しかしながら、あなたのうたわれたノルマやトスカがききてをうつのは、あなたが彼女たちの強さをきわだたせているからではなく、きっと、彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしているからです。
 ぼくは、あなたのうたわれるさまざまなオペラのヒロインをきいてきて、ただオペラをきく楽しみを深めただけではなく、女のひとの素晴らしさとこわさをも教えられたのかもしれませんでした。
     *
ここでの「あなた」は、マリア・カラスのことである。
ここで書かれていることが、
そっくりそのままエリザベート・シュヴァルツコップにもあてはまる、とは思っていない。

けれど、《彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしている》、
ここのところが、シュヴァルツコップの歌う「どうしてあなたを忘れられましょうか」には、
はっきりと感じられる。

シュヴァルツコップのほかの歌唱からは感じとりにくいことが、
「どうしてあなたを忘れられましょうか」にはっきりとある──、
と私の「耳」にはそう聴こえるのだからしょうがない。

だから、私は「どうしてあなたのことが忘れられましょうか」は、
エリザベート・シュヴァルツコップの自画像だ、と思っている(確信している)。

Date: 12月 9th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その13)

別項「オーディオの想像力の欠如が生むもの(その72)」で、
ゲスの勘ぐり、と書いた。

「バカの壁」は、養老孟司氏、
「アホの壁」は、筒井康隆氏。

そろそろ、誰か「ゲスの壁」を書いてくれてもよさそうなのに……、
そんなことを何度か感じた一年でもあった。

Date: 12月 8th, 2021
Cate: アンチテーゼ, 平面バッフル

アンチテーゼとしての「音」(平面バッフル・その7)

十年ほど前に、QRDの拡散型を前後逆にして、
平面バッフルにしたら──、ということを書いている。

QRD(当時はRPG)が登場したころから、そんなことを考えているのだから、
もう四十年くらい経つわけだが、試したわけではない。

友人が、平面バッフルに鳴らしている人に、このアイディアを話した、とのこと。
興味を持ってくれたようで、実行するようだ、という連絡が昨晩あった。

2m×2mのバッフルをQRDの拡散型で構成する、らしい。
すごい、と思う。

完成した暁には、ぜひ聴かせてほしい、と友人には伝えた。
それがうまくいったら、私もやっと重い腰をあげることになるのだろうか。

Date: 12月 8th, 2021
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その21)

アクティヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択、
アクティヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がアクティヴなスピーカーを選択、
パッシヴな聴き手がパッシヴなスピーカーを選択。

この四つのマトリクスがある、と考える。
どの選択が幸せなのかは、なんともいえない。

アクティヴ同士がいい、とは思っていない。
アクティヴな聴き手なら、パッシヴなスピーカーを選ぶことが多いのではないだろうか。

パッシヴな聴き手は、パッシヴなスピーカーではなく、
アクティヴなスピーカーを選ぶ傾向があるようにも感じる。

Date: 12月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その5)

「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」のLPを買ったのは、
サウンドコニサーの取材から一年後くらいだった。

衝撃をうけたにも関らず、すぐには買わなかったのに、特に大きな理由はなかったはずだ。
自分でも、いまふり返ってすると、なぜ? と思うけれど、
とにかくしばらしくしてから買った。

自分で買って、1980年12月5日が“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”であることを知って、
そうか、冬のライヴ録音だったのか、と思ったことだけは、はっきりと憶えている。

黒田先生は、サウンドコニサーで、こう発言されている。
     *
このレコードの聴こえ方というのも凄かった。演奏途中であれほど拍手や会場ノイズが絡んでいたとは思いませんでしたからね。拍手は演奏が終って最後に聴こえてくるだけかと思っていたのですが、レコードに針を降ろしたとたんに、会場のざわめく響きがパッと眼の前一杯に広がって、がやがやした感じの中から、ギターの音が弾丸のごとく左右のスピーカー間を飛び交う。このスペクタキュラスなライヴの感じというのは、うちの4343からは聴きとりにくいですね。
     *
まさにそのとおりだった。
この会場のざわめき、そして伝わってくる熱気から、私は勝手に夏のライヴだと勘違いしていたわけだ。

《スペクタキュラスなライヴの感じ》を、
アクースタットのスピーカーから、はっきりと聴きとれた。

JBLの4343で、「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」を初めて聴いたとしても、
その演奏に驚いたはずだ。
でも、《スペクタキュラスなライヴの感じ》は、聴きとりにくかっただろう。
もちろん4343で聴けば、
4343の良さで「スーパー・ギター・トリオ・ライヴ」の魅力を伝えてくれただろうが、
アクースタットほどの衝撃は得られなかったかもしれない。

レコード(録音物)との出逢いは、ときに再生システムに影響を受ける。
まったく影響を受けない、ということはありえない。
少なからずとも影響を受けるものだ。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の最初はアクースタットだった。
“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の最初は、コーネッタか。

Date: 12月 7th, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その73)

オーディオの想像力の欠如した者は、「遠い」という感覚をもてないのだろう。