今日(12月9日)は、エリザベート・シュヴァルツコップの誕生日。
エリザベート・シュヴァルツコップを聴いていた。
モーツァルトの“Ch’io mi scordi di te?… Non temer, amato bene, K. 505”を聴いていた。
MQA Studio(96kHz)である。
ここ数日、あらためてシュヴァルツコップ以外の、この曲の歌唱を聴いていた。
よく知られるのは、テレサ・ベルガンサである。
ベルガンサの「どうしてあなたを忘れられましょうか」も、久しぶりに聴いた。
ベルガンサの歌唱をいちばんに推す人が多いのは知っている。
他にも、新しい人の歌唱も聴いた。
それでも私にとってはシュヴァルツコップの歌唱が、
いちばん胸に響く。
それはマリア・カラスの「清らかな女神よ」がそうであるように、
と同じように、シュヴァルツコップの歌唱がそうである。
何度も「清らかな女神よ」は、
マリア・カラスの自画像だ、と書いている。
では「どうしてあなたを忘れられましょうか」は、
シュヴァルツコップの自画像なのか、という自問があった。
黒田先生が「音楽への礼状」で書かれていることを思い出した。
*
あなたは、ノルマであるとか、トスカであるとか、表面的には強くみえる女をうたうことを得意にされました。しかしながら、あなたのうたわれたノルマやトスカがききてをうつのは、あなたが彼女たちの強さをきわだたせているからではなく、きっと、彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしているからです。
ぼくは、あなたのうたわれるさまざまなオペラのヒロインをきいてきて、ただオペラをきく楽しみを深めただけではなく、女のひとの素晴らしさとこわさをも教えられたのかもしれませんでした。
*
ここでの「あなた」は、マリア・カラスのことである。
ここで書かれていることが、
そっくりそのままエリザベート・シュヴァルツコップにもあてはまる、とは思っていない。
けれど、《彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしている》、
ここのところが、シュヴァルツコップの歌う「どうしてあなたを忘れられましょうか」には、
はっきりと感じられる。
シュヴァルツコップのほかの歌唱からは感じとりにくいことが、
「どうしてあなたを忘れられましょうか」にはっきりとある──、
と私の「耳」にはそう聴こえるのだからしょうがない。
だから、私は「どうしてあなたのことが忘れられましょうか」は、
エリザベート・シュヴァルツコップの自画像だ、と思っている(確信している)。