Archive for 5月, 2018

Date: 5月 3rd, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その1)

3月のaudio wednesdayのテーマであった「ネットワークの試み」。
3月はアルテックのドライバーのダイアフラムの交換、
4月はアンプのトラブルで二回連続で先延ばしになってしまった。

5月2日のaudio wednesdayでやっとの「ネットワークの試み」。
フルレンジのスピーカー以外、
どんなスピーカーであれ、マルチウェイならばディヴァイディングネットワークが必要となる。

スピーカー側にあるLC型ネットワークもあれば、
マルチアンプでのネットワークもある。

スピーカー自作のおもしろさは、ネットワークにある、といっても過言ではない。
もちろんユニットの選定、エンクロージュアの製作などもそうだけれども、
ある程度ユニットが決り、エンクロージュアが完成したあと、
時間をじっくりとかけて調整していくのはネットワークである。

クロスオーバー周波数をどのあたりに設定するのか、
スロープ特性はどうするのか、
ネットワークの方式は、
パーツの選択、その配置と取付方法……等々、
ちょっとした変更で、そうとうに音が変化することだってある。

そのネットワークだが、たいていの場合、並列型といわれる方式が使われる。
メーカー製のスピーカーシステムでも、直列型ネットワークを採用しているのはわずかだし、
スピーカーの自作記事、スピーカーの教科書的書籍でも、
直列型に関しては、取り上げられていないか、簡単な紹介程度であったりする。

並列型と直列型の回路図を見ると、並列型の方がよさそうに思える。
直列型は、その名のとおり、ユニットを直列に接続する。

高校のときに、直列型ネットワークがあるのを知った。
けれどユニットを直列接続している図を見て、
いい音がしそうには思えなかった。

Date: 5月 3rd, 2018
Cate: audio wednesday

第89回audio wednesdayのお知らせ

6月のaudio wednesdayは、6日。
4月についで、今年二度目のぞろ目の日。

別項でこれから書く予定でいるが、
昨晩の会(テーマは「ネットワークの試み」)で、
直列型ネットワークの、これまで試していなかった結線方法で音を出した。

好結果と好感触が得られた。
なので次回からは、この直列型ネットワークと結線方法で、やっていく。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 5月 3rd, 2018
Cate: オーディオの「美」

音の悪食(その2)

昨晩のaudio wednesdayに二人組の方が来られた。
一時間ほどで帰られたから、昨晩の音にあまりいい印象をもたれたわけではない。

音量が大きすぎ、
左右が逆じゃないか、
モノーラル的、
ひどい音、といった感想をもたれたようである。

左右は逆ではないし、ステレオで鳴っている。
音量は大きい。

喫茶茶会記がジャズ喫茶だから、ということも音の大きさに関係してくるけれど、
すべてのディスクで音が大きいわけではない。

ただ最初の一時間ほどは、意図的に大きな音で鳴らすようにはしている。
audio wednesdayは、毎月第一水曜日だから、月一回だけ、
だいたい23時ごろまでやっているから、音を出している時間は四〜五時間ほど。

一ヵ月のあいだ、これだけの時間しか鳴らしていないわけだ。
もちろん、通常は喫茶茶会記のスピーカーとして音を鳴らしているわけだが、
それは店主・福地さんの音(鳴らし方)であり、私の鳴らし方ではない。

毎月第一水曜日の夕方に喫茶茶会記に着いて、
スピーカー、アンプ、CDプレーヤーをセッティングしていく。
最初の音が出るのは、たいてい18時すぎであり、
ほぼ毎回、一ヵ月という時間を感じてもいる。

福地さんの鳴らし方を否定するわけではないが、
やはり私の鳴らし方とは違う、と、最初の音を聴いて感じるわけだ。

一ヵ月ぶりだね、私の鳴らし方に慣れてくれよ、
もっと早く戻ってこいよ、という気持がある。

しかも今回は、前回(4月の会)がアンプのトラブルで音を出せなかったから、
丸二ヵ月の、私にとっての空白がある。

Date: 5月 2nd, 2018
Cate: 境界線

境界線(その13)

毎月第一水曜日に四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記で、
audio wednesdayをやっている。

昨年、スピーカーのネットワークを改造した。
喫茶茶会記で使われているネットワークは、
コイズミ無線の製品で、800Hzのクロスオーバー周波数という仕様。

改造前まではスピーカーエンクロージュアのすぐ後に置かれていた。
改造後は、アンプ(マッキントッシュのMA7900)の真後ろに置いている。

配置場所の変更理由は、改造によって、アースの共通インピーダンスを極力排除したためで、
ネットワークからアンプへのアース線の数が通常の配線よりも増えている。

この部分を長くしてしまうと、
まずスピーカーケーブルの引き回しがそうとうにめんどうになる。
しかもスピーカーケーブルにかかる費用も増えてしまう。
それに複数になったアース線は、無意味に長くしたくない。

これらの理由で、スピーカー側からアンプ側に移動したわけだが、
そうなってくる、これまで書いてきた、それぞれの領域という面ではどうなるのか。

スピーカー側にネットワークがある場合は、
スピーカーの入力端子まで、つまりスピーカーケーブルを含めてが、
パワーアンプの領域だと定義した。

だが、ネットワークがアンプの真後ろにあって、アースの共通インピーダンスをなくすようにすれば、
どう捉えるのか。
これまで通り、スピーカーまでと考えれば、
アンプの真後ろにあるネットワークへの配線(10数cmほど)までが、
パワーアンプの領域であって、ネットワークの基板以降、
つまりネットワークからスピーカーユニットまでのケーブル(数mになる)は、
スピーカー側の領域となるのか、といえば、
ここではネットワークを含めて、ネットワークからユニットまでのケーブルまでが、
パワーアンプの領域と考える。

Date: 5月 1st, 2018
Cate: アナログディスク再生

シュアーの撤退

シュアーが、今夏、カートリッジから撤退する、というニュースは、
SNSでも拡散されているから、もう目にされていることだろう。

ひとつの時代が終った、
困る……、
これからどうすればいいのか……、
そんな感想も、ニュースの拡散とともに目に入ってくる。

個人的には、撤退は自然な流れだと感じた。
シュアーのイヤフォン部門への力のいれようと比較すると、
カートリッジに関しては、ただ継続しているだけ──、そんなふうに感じていたからだ。

イヤフォンではコンデンサー型の意欲的なモデルも開発している。
実は、もしかするとカートリッジでコンデンサー型モデルを出してくるかも……、
とほんの少しだけ期待していたけれど、可能性は完全にゼロになってしまった。

私はシュアーのカートリッジには夢中になれるモノがひとつもなかった。
V15シリーズにしても、TypeIIIもTypeIVも、
それから上級機のUitra500も、じっくり聴く機会があったけれど、欲しいとはまったく思わなかった。

イヤフォンはSE535が出たばかりのころ、知り合いが「これ聴いてみて」といって聴かせてくれた。
シュアーのイヤフォンということで、実のところ期待はしていなかった。
けれど、シュアーの製品で、初めて欲しい、と思うほどだった。

イヤフォンでこれだけのモノがつくれるのだから、
カートリッジもイヤフォンと同じくらいに本気で取り組んでくれれば、
シュアーのカートリッジで、欲しいと思えるモノが登場したかもしれない。

シュアーは冷静に市場を捉えていたのだろう。

SHURE、昔はシュアと表記されていた。
私がオーディオに興味をもったころはシュアーだった。
いまはシュアである。

Date: 5月 1st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その5)

情報量の多い音というのは、いわば鮮明な音である。
不鮮明な音を、情報量が多い音ということはない。

鮮明であって、細部まで聴きとれるからこそ、情報量が多いわけだ。
物理的なS/N比が優れているだけでなく、
聴感上のS/N比の優れた音は、ここでいう鮮明な音であり、
情報量の多い音である。

けれど、昔からいわれているのは、不鮮明な音ほど、
聴き手の想像力は、鮮明な音を聴いているよりも働かせている、ということだ。

鮮明な音は、音を待って聴きがちになる、とは黒田先生がよくいわれていたことだ。
耳をそばだてることなく、容易に細部まで聴こえてくるのだから、
スピーカー(音)に対しての意識を、一歩前に向わせる必要はない、ともいえる。

けれど一方で、情報量が多いからこその想像力がある、という意見もある。
不鮮明な音、情報量の少ない音での想像力は、
聴こえない音を補おうとしての想像力であり、
情報量が多い音での想像力は、そこから先の想像力である、と。

そうかもしれないが、
それはあくまでも不鮮明な音に対しても、鮮明な音に対しても、
積極的な聴き手であるからこそだ。

音楽(音)の聴き手として、つねにそうありたいと思っていても、
つねにそうである、といえるだろうか。

情報量は増す傾向にある。
情報量が増えれば増えるほど、
聴き手は、増えた情報量の対処でいっぱいいっぱいになることだって考えられる。

人によって処理できる情報量には違いがある。
同じ聴き手であっても、つねに同じとはいえない。