Archive for 2月, 2015

Date: 2月 15th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その4)

以前書いているが、あるオーディオ店は、
アンプに関してはアキュフェーズとウエスギを客にすすめていた、という話を聞いている。

理由は、アフターサービス(修理)がしっかりしているから、ということだった。
故障しにくい、故障してもきちんと修理されて戻ってくる。
どんなに音が良くても、故障の頻度の高いものや、故障したときに修理がいいかげんだったり、
きちんと修理されたとしても、数ヵ月もかかるという製品は、客にはすすめられない。

これも店主のひとつのポリシーである。
このポリシーのみが正しい、とはいわないものの、
どんなに音の良さこそが最優先される、という人であっても、
実際に故障すると、故障しにくいアンプの有難みがわかるし、
修理体制がしっかりしたところの製品が選択肢ともなってくる。

修理というのは、高い技術が要求される。
新製品の開発は華やかさもあるけれど、修理の技術にはそれはない。
それでも修理は、どの会社にも必要となる。

国内メーカーもそうだし、輸入元もそうだ。
国内メーカーは、製品を開発しているだけに故障への対応もしっかりしていよう。
自分たちでつくったモノを自分たちで修理する。

けれど海外製品となると、そうではない。
輸入元の技術者が修理することになる。
他の人が設計・開発し製造したモノを修理することになる。

修理の大変さ・面倒さは国内メーカーよりもやっかいとなることもある。

マークレビンソンのLNP2、JC2は密閉されたモジュールにしていた。
この理由についてたずねられたときに、
「こうしておけば、もし故障が起こっても、いい加減な修理をされて、これらの本来の特性とかけはなれた、
ともかく音が出ている、というような状態で使われる心配はないからね。」
とマーク・レヴィンソンは答えている(ステレオサウンド 43号掲載のRFエンタープライゼスの広告より)

Date: 2月 15th, 2015
Cate: オリジナル

オリジナルとは(STAR WARSの場合・その1)

2010年の映画に、「ピープルvsジョージ・ルーカス」がある。
スターウォーズの熱狂的なファンとスターウォーズの監督ジョージ・ルーカスの映画であり、
スターウォーズの熱狂的なファンのジョージ・ルーカスに対する愛憎をとらえたドキュメンタリーである。

スターウォーズは1977年に公開された。
映画館で観た世代だから、あのときの昂奮はいまも忘れられない。
この映画に登場するファンは、まさしく熱狂的とつけなくてはならないほどの人たち。

その彼らとジョージ・ルーカス側とでは、オリジナルに対する考えが違うことが、描かれている。

1977年公開のスターウォーズは、のちにEpisode IVと呼ばれるようになった。
旧三部作、新三部作があるためである。

1997年に旧三部作がリマスターされ、劇場公開された。
フィルムの洗浄から始まり、デジタル処理も施されている。

このリマスター版を、ジョージ・ルーカス側はオリジナルと位置づけている。
だが熱狂的なファンは、最初に劇場公開されたものをオリジナルとしている。

制作側は、当時の技術ではできなかったことを、20年後の技術で実現しようとする。
つまり制作側にとってのオリジナルとは、ジョージ・ルーカスの頭の中にあるものを映像化したもの、となる。
熱狂的なファンにとっては、ジョージ・ルーカスがそれをオリジナルといおうと、
あくまでもリマスターであり、オリジナルは当時劇場公開されたもの、
パッケージソフトではレザーディスクで発売されたもの、ということになる。
(この映画の公開後、DVDでも、いわゆるオリジナル版が出ている。)

それはリマスター版を認める認めないに関係なく、熱狂的なファンにとってはそうである。

映画の中でも取り上げられているが、
1980年代にモノクロ映画をカラー化しようという動きがあったときに、
ジョージ・ルーカスは反対の立場に立っている。
そういう彼が、自分の作品に対しては反対の立場をとっている。

何をもって「オリジナル」とするのか、
この映画でもそうだが、立場によって違うということに結局のところなってしまうのか。

Date: 2月 15th, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その15)

オーディオという再生システムの中心をスピーカーとすれば、
組合せはスピーカーから始まるわけで、鳴らしたいスピーカーがまずあり、
そのためのシステムを組んでいく。

鳴らしたいスピーカーが能率がそれほど高くないモノ、
内蔵ネットワークは使用部品が多く、複雑なモノであれば、
ミニマルなシステムを組もうとしてもパワーアンプは必要となる。

にも関わらず、私はHUGOを主体とした組合せを考えている。
HUGOを主体としたミニマルなシステムを考えているわけで、
スピーカーを主体としたミニマルなシステムを考えているわけではない。

私は(その13)の最後に、
ミニマルという印象はHUGO単体が醸し出しているのではなく、
それをどう使ってみようか、という使い手側に潜んでいるということになるのか、
と書いた。

けれど、こうやって考えていくと、やはりHUGOにミニマルな要素があるということになるのか。
少なくとも私はHUGOにそういった要素を感じているから、
ここでこんなことを書き連ねている、ともいえる。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その6)

どんなことであっても、最初は何もわからない、知らないところから始める。
入門書は、そんな初心者、入門者が知りたいこと、疑問に感じていることについての答を提示する。
それを読み、初心者、入門者は基本となる知識を身につける。

入門書をこう定義すれば、「五味オーディオ教室」は優れた入門書とはいえない。

「五味オーディオ教室」に書かれてあることも、ある種の答とはいえる。
けれど、その「答」は読み手に、問い掛けをうながすものである。
だから、私は「五味オーディオ教室」をひじょうにすぐれた入門書だと思っている。
少なくとも私にとって、これ以上のオーディオの入門書はない、と断言できる。

これはひとつの運の良さともいえる。
どんなに「五味オーディオ教室」がすぐれた入門書であっても、
この本が出たのは1976年、それ以前にオーディオに関心をもった人には遅すぎた、ということになるし、
「五味オーディオ教室」はいつまで売っていたのだろうか。

CDが登場した1982年には手に入ったのだろうか。
1980年代後半にはみかけなくなっていたから、それ以降オーディオに関心をもった人も読めなかった。

いつ読んでも素晴らしい本は素晴らしい。
けれど入門書としての性格をおびた本であれば、
できれば初心者、入門者のうちに読んでおきたい。

「五味オーディオ教室」との出逢いがなかったら、
こうやってブログを書くようなことはしていなかったかもしれないし、
書いていたとしても、ずいぶん違うことを書いていたであろう。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その5)

オーディオがベンチャービジネスであったころのアメリカにおいて、
アンプメーカーは雨後の竹の子のように多くのメーカーが生れていったが、
スピーカーメーカーとなると、そう数は多くない。

ステレオサウンド 46号の新製品紹介のページで、
井上先生と山中先生が、このことについて語られている。
     *
井上 こうした新メーカーが次々とあらわれてくる背景には、一つはアンプ自体が他のジャンルにくらべてシャーシなどの板金加工プラスL(コイル)、C(コンデンサー)、R(抵抗)、半導体と回路技術の知識があればすぐつくれる、つまり個人レベルでの製作が可能でなおかついいものをつくり出せる可能性を多分にもっている点があげられると思います。
山中 本当に、プリント基板を自分で書いて、ハンダゴテをもって組み立てるだけで試作機がすぐにできあがるわけです。試作機という言葉を意識的に使ったのは、アマチュアが偶然非常にセンスのいいアンプをつくったとしても起業として成り立つだけの製品になり得る可能性を他のオーディオ機器にくらべ多分にもっているからです。
 これが、スピーカーやプレーヤー、テープデッキでは、そうした個人の頭の中にできあがったものだけでいい製品ができるかといえば、その可能性は非常に少ないといえます。起業レベル、つまり資本力と設計、製作上のキャリアの蓄積がものをいう世界です。
井上 たとえば、スピーカーユニット一つを例にとっても、コーン紙はどうやってつくればいいか、フレームは、マグネットは、機械加工は……と考えると、やっぱり個人ではつくれませんね。開発費自体も物量を投入するだけに大きなものになります。また、コーン紙その他のパーツができたとしても、それを単純に組み合わせていい音がするかといったらそうはいかない。内部構造がシンプルでメカニカルな部分が多いですから、その点でキャリアが必要であり、データーではおし計ることのてきない試行錯誤のくりかえしから得たノウハウなどの占める割合が大きくなるといえます。
     *
1978年に46号は出ているから、これを読んだとき私は15歳。
なるほど、と素直に読んでいた。

けれど時代は変る。
それにつれてスピーカーの開発も変っていく。
新興スピーカーメーカーがいくつも登場してくるようになった。
それらのメーカーすべてがスピーカーユニットを自社開発・製造していたわけではなくなっていった。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その4)

こういう人のことを、ひそかにマーク・レヴィンソン症候群と呼んでいる。

アメリカではマーク・レヴィンソンの成功に刺戟され、
第二、第三のマーク・レヴィンソンを目指すエンジニアがいた。
あのころ、オーディオはベンチャービジネスであった。

アメリカだけではない、日本にもそういう人たちはいた。
会社を興し成功した人もいれば失敗した人もいる。
いまも続いている会社があれば、あっという間に消えてしまった会社もいくつもある。

私は会社を興した経験はないけれど、あまり慎重になりすぎても起業することは無理であろう。
いくばくかの無謀ともいえる勢いがなければ起業はできないのかもしれない。

とはいえ、知人のようにスピーカーを自作する。
それが彼の好む音で鳴ってくれた。
そこには開発費も生じていない。
そのことで、彼自身が自分のことをすごいと思い込む。
それが勢いとなり、スピーカーメーカーを興せるのじゃないか、となる。

だが多くの人は、ここで周囲の人に聴いてもらうのではないだろうか。
少なくとも信頼できる人に聴いてもらい、その評価を受けとめる。
それでも評判がよければ、本気でオーディオメーカーを興そうとなるかもしれない。

そうやって誕生したメーカーは少なくない。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その3)

なんでも原価計算をしてしまう人が少なからずいる。
オーディオだけでなく、いろんなジャンルにそんな人がいる。

彼の多くに共通するのは、計算した結果を提示して、これらの製品は高すぎる、という。
中にはぼったくりだろう、といいたくなる価格の製品もないわけではないが、
多くの製品の場合、まずそんなことはない。

原価だけでモノがつくれるわけではないことは、多くの人が知っていることであり、
知っているから、あえて、そんな指摘は多くの人がやらない。

ほかのメーカーが開発したモノをそっくりコピーした製品をつくるにしても、
原価だけでは成り立たない。

原価計算がとにかく好きな人は、
なぜ原価のことしか考慮しないのだろうか。
この原価計算が好きな人と同じことを、(その2)で書いた知人は口にしていた、といえる。

塗装もしていない、ただつくりっぱなしの箱のスピーカーである。
スピーカーシステムとはとうていいえないレベルでとまっている。

内蔵ネットワークもないのだから、すべての調整はユーザーにまかせることになる。
そんなものと、メーカーがきちんと調整して仕上げも行って送り出す製品とを、
同列に並べて比較していることの愚かさになぜ気づかないのかと不思議になる。

知人がすごいのは、スピーカーメーカーを興せると思い込んでしまっていたところにある。
安くていい音のスピーカーを送り出せる自信に満ちていた。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その14)

CHORDのHUGO単体では荷が重いと思われるスピーカーはいくつもある。
そういうスピーカーのほうが、いまは多い。

そういうスピーカーを鳴らそうとしたら、なんらかのアンプが必要になる。
パワーアンプを一台用意すれば、レベルコントロールはHUGOでできるから、それで事足りる。

この場合のパワーアンプは、いわば必要なモノであるから、
HUGO、パワーアンプ、スピーカーというシステムは、最小である。
つまりはミニマルなシステムということになる。

それは頭ではわかっていることであっても、
心情的には(あくまでも私ひとりの心情として)、
パワーアンプを用意しなければ鳴らないスピーカーをもってくる時点で、もうミニマルとは感じない。

低能率の小型スピーカーを鳴らすために、
このスピーカーの何倍も大きく、重く、出力も数100W以上あるようなパワーアンプをもってきたら、
それは過剰すぎるという意味で、ミニマルなシステムとはいえなくなる。

でもそうでなくて、サイズ的にも出力としても必要な分だけの規模のパワーアンプであれば、
やはりそれはミニマルなシステムとなる。
でもくり返すが、それをミニマルとは心情的に納得し難い。

私に同意される人もいると思うし、パワーアンプを用意してもミニマルだろう、という人もいる。

私と同じようにミニマルを捉えてしまうと、
スピーカーの選択がかなり制約を受けてしまうことになる。

過剰すぎないパワーアンプを用意することまではミニマルと捉えれば、
スピーカーの選択に特に制約は生じなくなる。

Date: 2月 14th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その3)

昨日、ある海外メーカーのオーディオ機器の修理のことが、facebookで話題になっていた。
このメーカーの製品を使っているユーザーのブログがリンクされていて、
コメントには、他のユーザーの方も実例があった。

この海外メーカーの製品はかなり高価なモノである。
このメーカーの輸入元は、かなり大きな規模の会社であり、
輸入だけでなく、オーディオ機器の開発も行っている。

そういうところだから、むしろ修理体制はしっかりしているように思われるけれど、
実際はどうもそうではないようである。

facebookに書かれていたことを疑うわけではないが、私自身の体験ではないから固有名詞は出さないが、
誰もが知っている会社である。

ある人は、ここが取り扱っているアンプが故障したため修理に出したら、
パーツが違うパーツに変っていた、とのこと。
そのことで輸入元に問い合せると、音は変りません、といわれたとある。

この輸入元は、使者が開発している製品のカタログでは、パーツのことにふれている。
もちろんパーツによって音が変ることを認めている。

にも関わらず輸入している製品となると、まったく反対のことを平気でユーザーにいう。
驚きよりも呆れる。
こうなると輸入元としての信用だけでなく、国内メーカーとしての信用もなくしてしまうことに、
このメーカーに勤務している人たちは気づかないのであろうか。

部署が違う──。
それが理由なのかもしれないが、そんなことはユーザーからすれば理由にはならない。
このメーカーの製品の購入を検討している人にも、理由にはならない。

同じ会社として見られているのだから。

Date: 2月 13th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その6)

1983年春にステレオサウンド別冊として”THE BRITISH SOUND”が出た。
山中先生がイギリスの各オーディオメーカーを訪問されたのをメインとした本である。

KEFも訪ねられている。
KEFのページに、Model HLMの写真がある。

エンクロージュアの形はアコースティック・リサーチのLSTと同じで、
傾斜している両サイドにModel 105に搭載されているウーファーB300を二発ずつ、計四発、
スコーカー、トゥイーターもModel 105のユニットをそのまま採用している。
スコーカー(B110)は上下に二本、その間にトゥイーター(T52)が配置されている。
3ウェイ7スピーカーの、KEFとしてはかなり大がかりなシステムで、
このようなユニット配置をとったのは、垂直・水平方向の志向特性が対称になるようにである。

BBCの第4スタジオに、Model HLMはおさめられている。
けれど、このスピーカーシステムが製品化されることはなかった。

聴いてみたいとも思っていたけれど、
Model 105と使用ユニットは同じとはいえ、コンセプトは大きく違っているスピーカーシステムだけに、
そして写真でみる限り、いい音がしそうに思えなかったこともあり、
聴きたくないような気持もあった。

BBCの第4スタジオは、ロック・ポップス録音用のスタジオであることも、
Model HLMに、何かModel 105とは違う血筋のようなものを感じていた。

結局、KEF(レイモンド・クック)の1980年代以降の集大成となると、Uni-Qなのだろう。

Date: 2月 13th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その5)

ステレオサウンド 54号。スピーカー特集でとりあげられたKEF Model 105SeriesIIの、
瀬川先生の試聴記。
     *
 数ヵ月前から自宅でリファレンス用として使っているので今回の試聴でも物差しがわりに使った。とくに、音のバランスが実によく練り上げられている。しかしこのスピーカーの特徴を聴くには、指定どおり、いやむしろ指定以上に、中〜高音域ユニットと聴き手の関係を、できるかぎり正確に細かく調整する必要がある。左右のスピーカーの正しい中央に坐り、焦点が合うと、スピーカーの内中央に歌い手が確実にそしてシャープに定位し、たとえば歌手の声(口)の位置と伴奏との、音源の位置──左右、奥行、そして(信じ難いことだが)高さの相違まで、怖いようなシャープさで鳴らし分ける。ただこのスピーカーの音色は、やや抑制の利いた謹厳実直型、あるいは音の分析者型、で、もう少し色っぽさやくつろぎが欲しくなることがある。また、ポップスではJBL的なスカッと晴れ渡った音とくらべると、ちょっと上品にまとまりすぎて物足りない思いをする。それにしても、価格やサイズとのかねあいで考えれば、たいした製品だ。
     *
このスピーカーシステムを指定以上に正確に細かく調整された音を、
しかも左右のスピーカーの中央で聴いた人はそういない、と思う。
聴いていない人は、この試聴記に書かれていることを信じられないかもしれない。

《焦点が合うと、スピーカーの内中央に歌い手が確実にそしてシャープに定位し、
たとえば歌手の声(口)の位置と伴奏との、音源の位置──左右、奥行、
そして(信じ難いことだが)高さの相違まで、怖いようなシャープさで鳴らし分ける。》
こう書いてある。

でも、これは決して誇張でもなんでもない。
私が熊本のオーディオ店で、瀬川先生が調整されたModel 105で聴いたバルバラのレコードは、
まさにここに書かれているとおりの音だった。

KEFのmodel 105を、
瀬川先生は《敬愛してやまないレイモンド・クックのスピーカー設計理論の集大成。》とされている。
(ステレオサウンド 47号より)

Model 105はレイモンド・クックの集大成といえるスピーカーシステムである。
1970年代までのクックの集大成である。

では1980年代以降の集大成は……、となる。

Date: 2月 13th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その2)

マークレビンソンのLNP2、JC2が話題になっている時代、
アメリカでは多くの小規模のアンプメーカーが誕生した。
その中にDBシステムズがあった。

プアマンズ・マークレビンソンとも呼ばれていたDBシステムズのアンプは、
徹底的にコストを削減するつくりだった。
お世辞にもおしゃれなアンプとはいえなかった。

コントロールアンプのDB1と電源のDB2の組合せで、当時20万円をすこしこえていた。
それほど考かなアンプではなかったけれど、
マークレビンソンのアンプに匹敵する切れ込みの鋭い音を特徴としていた。

当時の輸入元はRFエンタープライゼスだった。
その後、輸入元がナスカになった。

この輸入元はDBシステムズのアンプに惚れ込んだH氏が、
勤めていた会社(たしかシュリロ貿易だったはず)を辞めて、
DBシステムズの輸入のために興した会社だった。

こういう輸入元は会社の規模は小さくとも信頼できた。
修理に関してもきちんとしていた。
小さな輸入元だったから、大きな輸入元からすれば売行きは少ないだろうが、
DBシステムズに対する日本のユーザーの信頼は増していったように思う。

海外のオーディオ機器を輸入して売るだけならば、輸入代理店、輸入代理業としか呼べない。
会社の規模が大きかろうと、修理体制がいいかげんなところは、そう呼ぶしかない。

残念なことに、輸入代理店、輸入代理業としか呼べないところ、
しかも会社の規模の大きいところがそうである、ということを耳にすることが何度かある。

Date: 2月 12th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その4)

1999年、36歳だった私も、今年は52歳。
それだけ歳をとれば同じモノをみても捉え方に変化を生じもする。
誰もそうであるように、変ったところもあれば、変らないところもある。

ワディアのPower DACについて書くためにステレオサウンド 133号をひっぱり出したついでに、
特集のComponents of the year賞のページを読みなおした。
“The Maidstone”は賞に選ばれている。

井上先生と菅野先生が次のように語られている。
     *
井上 オーディオ心をくすぐる快感があります。ナチュラルとはいわないけど。
菅野 そう。だけどとても印象に残る音なんだよ。肉付きもいいし。
井上 オープンな鳴り方でスケールが大きい。ここはかつてのKEFとはまったく違うところですね。それから、マルチウェイなのに、まとまりがいいですね。同軸一本が鳴っているような感じすらある。
     *
改めて読むと、”The Maidstone”を無性を聴きたくなった。
Model 105では、こういう音はしなかった。
どんなにアンプの選択を注意深くやろうとも、
オープンな鳴り方で肉付きのいい音は、Model 105からは出せなかった、と思う。

133号を読んで、こういうKEFもいいじゃないか。
こういう音はModel 105のようなエンクロージュア形態からは出しにくいのでは、とも思った。
幅広のバッフルがミッドバスと同軸型ユニットのところにあるからこその、”The Maidstone”の音だと思えば、
これはこれでいいな、と思えるようになっている。

もしレイモンド・クックが長生きして”The Maidstone”の開発に携わっていたら、
同じになっていたかもしれない、とも思うようになっている。

Date: 2月 12th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その3)

レイモンド・クックも老いたな、と思えたのが気にくわなかった。
昔のクックなら、同じユニット構成でも、違うエンクロージュア構成としたはず、という確信があった。
そして、もしかして……、と思った。

調べたらレイモンド・クックは1995年に亡くなっている。
“The Maidstone”の形に納得できた。
クックが携わっていたのではなかった。

これで”The Maidstone”への興味はしぼんでいった。
聴きたい、という気持もなくなっていた。
あれば、どこかへ出掛けてでも聴いていた。

“The Maidstone”が気にくわなかったのには、もうひとつ理由がある。
なんとなくJBLの4343を模倣したようなところが感じられるからである。

4343を、JBLのスタッフがS9500のスタイルでつくりなおしたとしたら、
“The Maidstone”のような形になるのではないか。
そんなふうにも捉えていた。

4343も”The Maidstone”も、ウーファーは15インチ、ミッドバスは10インチ。
4343も”The Maidstone”も基本的にはインライン配置。
バスレフポートの位置と数も4343と”The Maidstone”は同じである。

4343はウーファーとミッドバスのあいだにスリットがある。
このスリットは4343のデザインになくてはならないものである。

“The Maidstone”もエンクロージュアが独立構造としたため、自然とスリットが生じる。
外形寸法も4343の横幅は63.5cm、”The Maidstone”は60cmと近い。

1999年の私は、レイモンド・クックが携わっていなかったというだけで、
“The Maidstone”から積極的に良さを見つけようとはしなかった。

Date: 2月 11th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その2)

“The Maidstone”はエンクロージュアが独立している。
15インチ口径のウーファーをおさめたエンクロージュアの上に、10インチ口径のミッドバスのエンクロージュア、
さらにその上に6.5インチ口径と1インチ口径のドーム型の同軸型ユニットのエンクロージュアが乗っている。
親亀、子亀、孫亀といったところで、孫亀の上にはスーパートゥイーターがちょこんと乗っている。

Uni-Qを搭載したModel 105とでもいおうか。
ただModel 105はスコーカー、トゥイーターをおさめているエンクロージュアは横幅を狭めていた。
だから階段状になっていた。

“The Maidstone”でも同じことはできたにもかかわらず、
それぞれのエンクロージュアの横幅は同じである。
だから堂々とした体躯のスピーカーに仕上っている。
Model 105とは、ここが違う。

けれどModel 105には思い出がある。
熊本のオーディオ店に瀬川先生が来られた時に(それまでの定期的に来られていたのはまた違う企画だった)、
このModel 105を聴いた。
この時瀬川先生が、ちょっと待ってて、行って席をたち、
Model 105の調整をされた。おもにスピーカーの振りの調整だった。
女性ヴォーカルのレコードをかけて、スピーカーの向きをまずあわせ、
それからスコーカー・トゥイーターの振りと仰角の調整。
手際よくやらていた。
時間にすれば10分くらいだった。

そしてここに坐ってごらん、といい、その席を譲ってくれた。
ここまで見事に音像は定位するものだ、と体験できた。

このことがあるからことさらModel 105への思い入れは強い。
だから、なぜ”The Maidstone”は、ミッドバス、同軸型のエンクロージュアの横幅を狭めなかったのか。
それが気になっていた。そして気にくわなかった。