Archive for 6月, 2014

Date: 6月 15th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その29)

ガリバーが小人の国のオーケストラを聴いている──、
こんなイメージに必要なのは、自分(ガリバー)が小人よりも大きいと意識できるかどうかであり、
実際に小人のオーケストラを聴いたことがあるわけではないが、
それでも想像できるのは目、耳と同じ高さに小人のオーケストラがあるよりも、
やはり下に位置した方が、より自分の大きさ(相手の小ささ)を意識できるのではないのか。

20代のある時期、私もLS3/5Aを鳴らしていたことがある。
あくまでもサブスピーカーとしてだったから、専用スタンドを用意することはなかった。
聴きたくなったら、何かの台にのせて鳴らしていた。
その台は、LS3/5A用として売られていたスピーカースタンドよりも低いもので、
LS3/5Aを斜め上から見下ろす感じで聴いていた。

そのせいか、いまでも小型スピーカーをごくひっそりとした音量で鳴らす時は、
こんなふうにして聴くことが多い。

ここでもう一度瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」の冒頭を読み返してみよう。
こうある。
     *
このゴミゴミした街が、それを全体としてみればどことなくやはりこの街自体のひとつの色に統一されて、いわば不協和音で作られた交響曲のような魅力をさえ感じる。そうした全体を感じながら、再び私の双眼鏡は、目についた何かを拡大し、ディテールを発見しにゆく。
     *
全体を感じながら、目についた何かを拡大し、ディテールを発見しにゆく、とある。
この聴き方こそ、瀬川先生の聴き方ななのかもしれない。

何かを拡大する──、そういう聴き方に向いているといえるのは、JBLだったといえないだろうか。

Date: 6月 15th, 2014
Cate: 新製品

新製品(フィデリティ・リサーチの場合・その3)

ステレオサウンドで働くようになって、まもなくのことだった。
なにかのきっかけでフィデリティ・リサーチが話題になった。

どなたにきいたのかをもう忘れてしまったが、
FR1とFR7の音があれだけ違うのは、発電構造が違うだけではない、と話された。

フィデリティ・リサーチの創立者の池田勇氏のスピーカーが変ったからだ、と教えてくれた。

それまでのスピーカーがボザークだったのは、何かで読んで知っていた。
ボザークのスピーカーは、私がいたころはステレオサウンドの試聴室で鳴らされることは一度もなかった。
ほとんど聴く機会のなかったスピーカーだが、わずかに聴いた印象と、
ボザークに関する記事、それに井上先生のスピーカーだということから、
だいたいのイメージはできあがっていたし、それは大きく外れてはいなかったはずだ。

私のなかでのボザークの音、
これにFR1の音はうまく相補うような気がする。
もしこれから先ボザークのスピーカーを聴く機会が訪れるとしたら、
なんとかしてFR1を探してきて、それで鳴らしてみたい。

ボザークから何に替ったのは、なぜか失念してしまった。
FR1からFR7への音の変りようからすれば、ボザークとは傾向の違うスピーカーであることは確かだ。

もし池田勇氏のスピーカーがボザークのままだったら、
FR7の音も違ってきた可能性はあるのではないか。

Date: 6月 15th, 2014
Cate: 新製品

新製品(フィデリティ・リサーチの場合・その2)

FR7はなぜシェル一体型なのか。
それまでのフィデリティ・リサーチのカートリッジにシェル一体型はなかった。

FR7の構造図をみれば、すぐに理解できる。
シェル一体型でなければ実現できない構造である。

ステレオサウンド 47号の新製品紹介のページにFR7は登場した。
記事は井上先生が書かれている。
その他に井上先生と山中先生が、このカートリッジについて語られている。
このふたつを読めば、FR7がどういうカートリッジなのかは伝わってくる。

そして構造図が掲載されていた。
通常のMC型カートリッジはマグネットはひとつだけである。
FR7はふたつのマグネットを持つ。
そのためどうしてもカートリッジの横幅が通常の、マグネットがひとつのタイプよりも増すことになる。

井上先生は、FR7の発電方式をプッシュプルと紹介されていた。

FR7の音が、それまでのフィデリティ・リサーチのカートリッジとはずいぶん違ってきていることは、
47号の特集ベストバイでの評価を読んでもわかった。

それにしても、どうしてこうも変ったのだろうか、ともそのとき思っていた。

Date: 6月 14th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

試聴ディスク考(その3)

東京に住んでいればオーディオ店も当時は数多くあった。
ちなみにダイナミックオーディオは、当時、秋は原と新宿以外に六本木、新橋、渋谷、丸の内にも店舗があった。

そういう環境であれば、そういう場に赴けば、あれこれ試聴できるだろう。
お金を持っていない中学生、高校生でも、他に購入しそうな客がいて、
その人が試聴をしていれば、音を聴くことはできたと思う。

それが私が住んでいた田舎ではそうはいかない。
熊本市内にオーディオ店はあった。
けれど東京のオーディオ店と比較できるところは、当時は一店舗だけだった。
そこに行くにも時間と交通費が、小遣いと新聞配達のバイト代だけの高校生にとってはけっこう負担だった。

とにかく、このころの私は渇望していた。
オーディオのこと、音楽のことを、とにかく知りたかった(聴きたかった)。
それはステレオサウンドの誌面の世界を少しでも実体験(追体験)してみたかった、ともいえる。

ステレオサウンドで高い評価を得ていたオーディオ機器を聴きたい。
でも、そうそう聴けるわけではない。
聴けたとしても、そう長い時間で聴けるわけでもないし、くり返し聴けるわけでもない。

それでもレコードは、当時もいまと変らぬ価格だったから、決して安くはなかった。
けれどオーディオ機器に比べれば、ずっとずっと買いやすい。

レコードならば、すべとはいかないまでも何枚かは買える。
自分のモノであれば、いつでも聴きたい時にくり返し聴ける。

これが当時の私にとっては、ステレオサウンド誌面の実体験(追体験)であった。

Date: 6月 14th, 2014
Cate: 新製品

新製品(フィデリティ・リサーチの場合・その1)

私のフィデリティ・リサーチについてのイメージは、
ステレオサウンド 43号の瀬川先生の文章で、でき上がった。
     *
この独特の音質をなんと形容したらいいのだろうか。たとえばシンフォニーのトゥッティでも、2g以上の針圧をかけるかぎり、粗野な音や荒々しい歪っぽい音を全くといっていいほど出さないで、あくまでもやさしく繊細に鳴らす。油絵よりも淡彩のさらりとした味わいだが、この音は一度耳にしたら好き嫌いを別として忘れられない。出力がきわめて低いので、良質なトランスかヘッドアンプを組み合わせることが必要条件。
     *
オルトフォンのSPU、EMTのTSD15、それにデンオンのDL103といったMC型カートリッジが、
発電コイルの巻き枠に磁性体を使用したタイプに対し、
フィデリティ・リサーチのFR1は空芯コイルのMC型だった。

鉄芯と空芯。
このふたつの言葉がイメージする音が、そのままフィデリティ・リサーチのFR1と重なっていた。
といってもFR1の音を、このとき聴いたことがあったわけではない。

フィデリティ・リサーチはおもしろい会社で、
FR1のあとに、FR1E、FR1MK2、FR1MK3と出しているけれど、
1978年ごろはすべて現行機種てあった。

型番末尾にMK2、MK3とついているわけだから、改良型であることに違いない。
ふつう改良型が出るときに以前のモデルは製造中止になるのに、フィデリティ・リサーチは違っていた。

オーディオに興味をもちはじめたばかりのころは、これが不思議でならなかった。
そのフィデリティ・リサーチが、1978年に新製品を出した。
FR1MK4ではなく、FR7という、シェル一体型の、
それまでのフィデリティ・リサーチの製品とは趣の異るカートリッジだった。

Date: 6月 14th, 2014
Cate: JBL

JBLのユニットのこと(続2397の匂い)

おそらく20年以上前のテレビ番組だったと記憶している。
ストラディヴァリウスの音色の秘密を探る、といった番組だった。

同じテーマの番組は、これまでもいくつかつくられているようで、
ストラディヴァリウスの番組をみた、という人と話しても、必ずしも同じ番組とは限らなかったりする。

私がみたのは、ストラディヴァリウスの音色の秘密を探っている各国の人たちが登場していた。
それぞれに独自の理論(のような)があった。

その中のひとりは、ストラディヴァリウスの音の秘密はニスだといわれているけれど、
実はボディに使われている木にあって、あるものが含浸されている、ということだった。
現在、同じものを含浸するとすれば、こうするのがいい、ということで彼が実際にやってみせていたのは、
木を防虫剤で煮込む、というものだった。

そうやってつくられたヴァイオリンが、どれだけストラディヴァリウスに近いのかははっきりとしないけれど、
音は防虫剤を含浸されるのとさせないとでははっきりと違う、とのこと。

ということはJBLのエンクロージュアや木製ホーンに使用されている防虫剤は、
どの程度使われているのか、それにどういう防虫剤なのかもはっきりとはしないけれど、
音に少なからぬ影響を与えている可能性は考えられる。

ストラディヴァリウスの再現を目指している彼か使っている防虫剤と、
JBLが使っていた防虫剤、
成分はどの程度似通っていて違っているのか。

そんなことを考えていた日があったことを思い出した。

Date: 6月 13th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その28)

音楽之友社が毎年出していた「ステレオのすべて」。
瀬川先生は、山中先生のリスニングルームに行きエレクトロボイスのパトリシアンを見るたびに、
横に倒したくなる──、そんなことを発言されている。

何もパトリシアンを横置きにしたほうが音が良くなる、という理由ではなく、
瀬川先生はとにかく背の高いスピーカーをダメだった。嫌われていた。
ただそれだけの理由でパトリシアンを横にしたくなる、ということだった。

その点、パラゴンは問題ない。

それは音に関してではなく、あくまで見たイメージの問題としてなのだが、
なぜ瀬川先生は背の高いスピーカーがダメだったのか。

いまとなっては、その理由はわからない。
ただ、瀬川先生が比較的小音量で聴かれることも、無関係ではないように思う。

ガリバーが小人の国のオーケストラを聴く。
このときオーケストラはガリバーの耳と同じ高さにあるのではなく、
下に位置するイメージを、私は描く。

瀬川先生が、小人の国のオーケストラ……、という発言をされたとき、
小人の国のオーケストラと聴き手の高さ方面の位置関係は、どう描かれていたのか。

瀬川先生が背の高いスピーカーを嫌われていることが、自然と結びついてくる。
小人の国のオーケストラを、斜め上から聴いている──、
私には、瀬川先生もそうだったのではないか、と思えてならない。

「いま、いい音のアンプがほしい」の書き出し。
目黒のマンションの十階からの眺め。
ここを読んでいるからなおさらである。

Date: 6月 13th, 2014
Cate: 4343, JBL

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・2440ではなく2420の理由)

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その3)で、
なぜ2440ではなく2420なのか、と書いた。

いくつか考えられる理由はある。
最大の理由は音のはずだが、ハークネスの上に2441+2397をのせていて気づくことがある。
見た目のおさまりに関することだ。

2440(2441)は直径17.8cmある。
これに2397を取りつける。そしてエンクロージュアの天板のうえに置いてみる。

そのままではホーン側が下を向く。
ホーンが水平になるようにホーンに下に何かをかます。

2397の外形寸法をみると高さは9.5cmとなっている。
これはスロートアダプターを取りつける部分の高さであり、
2397のホーン開口部の高さは約7cmである。

ということは2441の外径17.8cnから2397のホーン開口部の高さを引いて2分割した値が、
2397とエンクロージュア天板との間にできるスキマということになる。

これが意外に気になる。
空きすぎているからだ。

このスキマができることは最初からわかっていたけれど、実際に置いてみると、
予想以上に空いている。

これが2420ならば14.6cmだから、スキマも少し狭まる。
実際に2420にしてみたわけではないからなんともいかないけど、
ここでの数cmの違いは、大きく違ってくるはずだ。

もしかすると瀬川先生も、この点が気になっていたんではないだろうか。
そんなことを思うほど、私はこのスキマが気になっている。

Date: 6月 13th, 2014
Cate: 新製品

新製品(その7)

改良型としての新製品でもっとも気になるのは、
いま自分が使っているモデルの改良型が新製品として登場してくることである。

最初はベタボレして買ったオーディオ機器でも、何年か使っていると、
いいところもそうでないところもはっきりとしてくる。
そのオーディオ機器を使っている何年かの間に、自分の部屋以外では音を聴かないということはまずない。
オーディオショウ、オーディオ販売店にでかけたり、
オーディオ仲間のリスニングルームを訪問をしたりして、いくつもの音を聴いていく。

そうやって聴いた音の中には、自分のシステムが不得手とするところをうまく鳴らしていることもある。
そういう音を一度でも耳にすれば、よけいに自分のシステムの不得手なところがはっきりとしてくる。

そんなときに、タイミングよく、いま使っているスピーカーもしくはアンプの改良型の新製品が出た。
これは気になる。
気に入っているところはそのまま残していて、
気になっているところがなくなってくれれば、それがいちばんありがたい。

改良型の新製品が、いまは懐の事情で買えないとしても、
改良型の新製品が、元のモデルとどこがどう違っているのか。
細部をよく観察していくことで、得られるものはきっとある。

Date: 6月 12th, 2014
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(その11)

隔離された場所での音楽ということで思い出すのは、映画「ショーシャンクの空に」だ。
主人公(アンディ・デュフレーン)が、無実の罪で投獄される。

20年前の映画だ。
いまでも評価の高い映画だから観ている人も少なくないだろう。
あらすじは省く。

映画の中盤、アンディ・デュフレーンが投獄されているショーシャンク刑務所に本とレコードが寄贈される。
その中にモーツァルトの「フィガロの結婚」のレコードを見つける。
卓上型のレコードプレーヤーで聴きはじめたアンディ・デュフレーンは、
ひとりで聴くのではなく、管内の放送設備を使い、刑務所中に響きわたらせる。

そのシーンを思い出す。

「第九」の話も、「ショーシャンクの空に」も隔離された場所での、
そこに似つかわしくない、といえる音楽が鳴る。

実際の話と映画(フィクション)をいっしょくたにしているわけだが、
こういう世間と隔離された場所で、
おそらく「第九」も「フィガロの結婚」もはじめて耳にする人たちが大勢いる、ということでは共通している。

どちらの聴き手にも、音楽の聴き手としての積極性はない。
自ら、この曲(第九にしてもフィガロの結婚にしても)を選んで聴いているわけではない。
いわば不意打ちのようにして聴こえてきた音楽である。

Date: 6月 12th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その22)

どういう人ならば、アナログプレーヤーを使いこなしているのか。

キャリアが長い人なのか、
名器といわれるアナログプレーヤーを使っている人なのか、
これまで多くのアナログプレーヤーを使ってきた人なのか、
いくつものカートリッジを持っている人なのか──。

どれもあてにはならない。

キャリアの長い人でも実にいい加減な使い方をしている人はいる。
キャリアが短くともきちんと使っている人もいる。

音がいいといわれているプレーヤーを使っていても、
世評の高いカートリッジをいくつも持っていても、使いこなしのできていない人はいる。
それほど高価なプレーヤーでなくとも、きちんと使いこなしている人だっている。

人さまざまであり、こういう人ならば、アナログプレーヤーを使いこなしているということは、
確実なことは何も言えない。

数年前のインターナショナルオーディオショウでも、
あるオーディオ評論家の人(私よりもひとまわりくらい上)が、あるブースでLPをかけていた。
アナログプレーヤーの操作はそのブースのスタッフにまかせずにやられていたのだが、
そのおぼつかないことといったら──、自覚がないのだろうか。

私は瀬川先生がレコードをかけかえられるところを何度も何度も見詰めてきた。
レコードはこうかけるもの、ということをそこで学んできた。

いま、こういう人がほとんどいないように見受けられる。

Date: 6月 12th, 2014
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(その10)

思い出したことがある。
なにかきっかけがあって思い出した、ともいえない感じで、あっそうだった、という感じで思い出した。

いつだったのかは正確にもう憶えていないくらい、以前のことだ。
おそらく1970年代終りから1980年ごろにかけてだった。

朝日新聞の天声人語(だったと思う、これも記憶違いかもしれない)に、
ベートーヴェンの「第九」に関することが書かれていたことがあった。

とある刑務所で、
受刑者に年末ということでベートーヴェンの「第九」を聴かせた、という話だった。
受刑者のひとりが「第九」を聴いて、号泣した、と。

「第九」を聴いていたら、罪を犯しはしなかっただろう……、と。

日本では年末に「第九」がいたるところで演奏される。
いつごろからそうなったのかは知らない。
私が「第九」を意識するようになったころには、すでにそうだった。

「第九」に涙した受刑者が、どれだけそこにいるのかはわからないし、いくつなのかも知らない。
彼がそこに入る前から「第九」は年末に演奏されていたようにも思える。

断片は耳にしたことはあったのだろう。
でも、それはベートーヴェンの交響曲第九番の断片としてではなく、
彼の耳に入っていたのかもしれない。音楽として意識されることなく消え去ったのかもしれない。

すくなくとも世間から隔離された場所で、彼ははじめて「第九」を聴いた。
街をあるけば、いたるところでBGMとして「第九」は流れているのに、だ。

Date: 6月 11th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その21)

ゴードン・ガウの言葉を借りるまでもなく、
音の入口にあたるアナログプレーヤーがきちんと設置・調整されていなければ、
システムの調整をやってもうまくいかないことは明白である。

井上先生も何度も、このことは強調されていた。
音をつめていく作業は、音の入口から順にやっていくこと。
つまりアナログプレーヤーをきちんと調整する。
それからアンプ、そしてスピーカーという順にやっていく。

うまく調整がいけば、調整前よりも細かな音の違いがより明瞭に聴こえるようになる。
だからまた音の入口のアナログプレーヤーの調整を、さらにつめていく。
そしてアンプ、スピーカーへの順で行う。

これを何度も何度もくり返しシステムをつめていくのが基本。
気が向いたところから手をつけていっても、音の入口であるアナログプレーヤーがいいかげんな状態であれば、
アナログプレーヤーで発生している不具合を、
アンプやスピーカーのところでなんとかしようと悪戦苦闘しても、実際はなんともならない。

アナログプレーヤーの不具合は、アナログプレーヤーの設置・調整をきちんとやる以外にやりようはない。

そのアナログプレーヤーの調整をきちんと行うためには、
アナログプレーヤーをきちんと設置する必要がある。
設置がいいかげんなままでは、それこそ何を調整しているのかわからなくなる。

アナログプレーヤーの調整に限らず、オーディオで大事なことは、
いま自分がやっていることは、何をどうしているか、ということをはっきりとさせることである。

そんなことわかっているよ、というだろう。
自分はカートリッジの調整をやっている、と。

だがプレーヤーの置き台(ラック)がガタついて、水平も出ていない状態。
プレーヤーの水平もあやしい状態で、何を調整しているといえるのか。

そして意外にもトーンアームのゼロバランスがきちんととれていない例も少なくない。

Date: 6月 11th, 2014
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その20)

花村圭晟氏がいわれる「単純な取り扱い上のミス」は、日本のオーディオマニアに限ったことではない。
アメリカのオーディオマニアもそうだ、ということが、ステレオサウンド 64号掲載の記事を読めばわかる。

Spirit of Audio-scienceとつけられた記事は、
マッキントッシュのゴードン・ガウのインタヴューをまとめたもの。
副題は「私は音の仕立屋(サウンドテイラー)になりたい ヴォイシング(音場補正)をめぐるインタビュー」。

「オーディオ製品は、ディズニーのミッキーマウスのようなキャラクター商品ではないのです」
ゴードン・ガウのこの言葉のあとに、アナログプレーヤーに関する発言が続く。
     *
実は、ヴォイシングにうかがうと、まず最初にカートリッジが正しくプレーヤーに取りつけられているかどうかチェックすることから始めるのです(笑)。ディーラーと協力して調査した結果、実に6割のユーザーが、オーバーハング、トラッキングアングル、インサイドフォース・キャンセラー、針圧の調整の不備によって、正しくカートリッジを使いこなしてません。超楕円針がこれほど普及してきた今日、レコードの音溝に対して5度傾いていても、多量のIM歪の発生につながります。XRT20は、とりわけIM歪を減らすことを重要な課題として設計されていますから、カートリッジ出力からIM歪だらけの信号を再生していたのでは、お話になりません。
いくら、ヴォイシングで調整しても左右の拡がりのバランスがとれないと思って調べてみると、シェルに正しくカートリッジが取りつけられていなかったりする。音溝の左右に均等に針圧がかかっていないケースが非常に多いのです。
いくら高価な装置を買いそろえても、音の入口がその状態では、ヴォイシングの意味はなくなってしまいます。
     *
ステレオサウンド 64号は1982年9月発売だから、まだCDは登場していない。
この時代のアメリカでも、マッキントッシュのアンプ、スピーカーを購入する人たちでも、
六割の人がカートリッジを正しく使いこなしていない、という事実。

いまはどうなっているのだろうか。

Date: 6月 10th, 2014
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その27)

ビッグバンド系のレコードではそれほど大きな音量にしない、と発言されている岩崎先生も、
以前は、かなりの大音量でビッグバンドのレコードも聴いていた、とある。

油井正一氏がこんなことを発言されている。
     *
大きな音量で聴くカウント・ベイシーがまた、なんともいえずよかった。それでぼくは、実際に聴いたらどんなに大きなボリュームでやるんだろうと思って出かけたら、意外にも想像してた音量の三分の一ぐらい。そのときぼくは2階のうしろのほうの席で聴いていたんだけど、これはいけないと思って1階におりて前のほうに行ったら、だいたい自分の部屋で聴いているくらいのボリュームになったんです。これにはびっくりしましたね。
     *
1960年代はじめのころの話である。
これを受けて岩崎先生はデューク・エリントン楽団で感じた、と言われている。
     *
実際のコンサートで聴いてみると、きわめてさわやかで、スカッとしていて、音量感なんてないんですね。一生懸命にやっていても、とても静かなんですよ。それでぼくは、同じジャズといっても、バンド・サウンドというものは、全体の音としては決してそんなに大きくないんだということを知ったわけです。
だからジャズというものは、ある程度音を大きくして聴く必要があるとは思いますが、楽団や演奏スタイルの性格によって、そこに時国漢の差があるということですね。
     *
この発言の数ヵ月後にパラゴンを手に入れられているわけだから、
ピアノ・ソロ、ピアノ・トリオといった小編成はかなりの音量で聴かれていたのだろうが、
ビッグバンドとなると、意外にも大きな音量ではなかったようにも考えられる。

岩崎先生もパラゴンの反射板をスクリーンとして捉えられていたのだろうか。