Archive for 11月, 2013

Date: 11月 4th, 2013
Cate: audio wednesday

第34回audio sharing例会のお知らせ(瀬川冬樹氏のこと・再々再掲)

今月のaudio sharing例会は今週の水曜日(6日)である。
翌7日は、瀬川先生の命日であり、三十三回忌となる。

だから、前日6日のaudio sharing例会では、
私が所有している瀬川先生の未発表原稿(未完原稿)、
デザインのスケッチ画、かなり若いころに書かれたある記事のプロットといえるメモ、
瀬川先生が考えられていたオーディオ雑誌の、いわば企画書ともいえるメモ、
その他のメモなどを持っていく。

これらはいずれきちんとスキャンして公開していくつもりだが、
原稿、メモ、スケッチそのものを公開するのは、この日(11月6日)だけである。
今後一般公開しない。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 4th, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(その8)

デモンストレーションとは、辞書(大辞林)には、
勢力・技能・性能などをことさらに示すこと。また、そのための行動や実演、とある。

勢力・技能・性能などを示すことがデモンストレーションであるのなら、
音出しをデモンストレーションと呼ぶことに抵抗はないのだが、
「ことさらに」とあるから、デモンストレーションは使いたくないし、抵抗を感じる。

ことさらとは、際立つように意図的に物事を行うさま。故意に、わざと、と辞書にはある。

オーディオフェアのような会場では、「ことさらに」も必要となってきたかもしれないが、
インターナショナルオーディオショウでは「ことさらに」は必要ではない。
だからデモンストレーションではない。

ならば、講演なのか。

講演とは、聴衆の前で、ある題目のもとに話をすること。また、その話であるから、
インターナショナルオーディオショウでオーディオ評論家と呼ばれている人がそれぞれのブースで、
そこで取り扱っているオーディオ機器について話すことは、講演の範疇に、言葉の意味としては入る。

講演と呼ぶことを理解はできても、それでも納得がいかない。
講演と呼んでいいのか、というおもいがどうしても残る。

講演の講の文字が頭につく言葉には、講解、講学、講義、講座、講師、講釈、講読、講評、講明、講論などがある。
講演を含めて、これらから受ける印象が、
どうしてもインターナショナルオーディオショウのブースでやられていることとはあわない。

何もすべての、それぞれのブースでやられていることが講演と呼べないとは私だって思っていない。
講演だ、と思える場合も確かにある。
でも、残念なことにそれはわずかである。

インターナショナルオーディオショウで行われている、いわゆる講演のすべてをきくことはできない。
体はひとつしかないから。
でも、関心があまり持てない人でも、一度は、そのブースに行ってきいてはいる。

Date: 11月 4th, 2013
Cate: アナログディスク再生, ショウ雑感

2013年ショウ雑感(アナログディスク再生・その3)

ステラのブースで鳴っていたスピーカーもアンプも、それにAir Force Oneも、
私にとっては初めて聴くモノばかりであった。
そういうシステムで、しかも比較対象がない状況でどれだけ正確に音を判断できるのか。
そのことに疑問を持たれるかもしれない。

アナログプレーヤーを、聴きなれているモノと比較できれば、
より正確にAir Force Oneの実力・素姓は掴める。

今日の音出しは、何ひとつ変えることなく、二時間Air Force Oneによるアナログディスクの再生だった。
同じディスクのCDが再生されることもなかった。

それでもアナログディスクにはスクラッチノイズが、宿命的につきまとう。
そしてこのスクラッチノイズが、こういうなにもかもが聴くのが初めてのシステムであっても、
確かな基準となってくれる。

別のブースでのことだが、ここでもアナログディスクがかけられていた。
高価なカートリッジ、高価なトーンアーム、高価なターンテーブル、
トータル金額はAir Force Oneには及ばないものの、かなり高価なシステムである。
このシステムも、初めて聴くモノばかりで構成されていた。

このプレーヤーでのスクラッチノイズは出方は、
私が良しとするアナログプレーヤーでので方とは異質の出方だった。
ノイズの量としては多くはないけれど、やけに耳につく。
なぜ、そういうノイズになってしまうのか、
そのアナログプレーヤーを自分の手で調整してみて音を聴いてみないとはっきりとしたことは何も言えないが、
ただ単に調整がおかしいだけとは思えない、そんなノイズの出方・質(たち)であった。

Date: 11月 4th, 2013
Cate: アナログディスク再生, ショウ雑感

2013年ショウ雑感(アナログディスク再生・その2)

朝からの用事が予想以上にはやく片づいたので、今日もインターナショナルオーディオショウに行ってきた。
会場に着いたのが13時ごろ。

まずアークのブースに行き、VOXATIVが鳴らされる時間をチェックして、
それまでの間リンのブースに行っていた。
それからアークのブースに15時までいて、
ふと前を通りかかったステラのブースに入ったら、
ちょうど柳沢功力氏によるテクダスのAir Force Oneの音出しが始まるところだった。

一昨年展示してあったAir Force One、
この時は音は聴けなかった。
去年はインターナショナルオーディオショウに行けなかった。
なのでやっと今年、その音を聴くことができた。

最初にかけられたディスクは、柳沢氏ということから、すぐに、あれか、と思われる方も少なくないと思う、
ローズマリー・クルーニーだった。
このローズマリー・クルーニーのディスクは所有していないけれど、
何度か聴いたことのあるディスクである。

ローズマリー・クルーニーのディスクの上にカートリッジの針先が降ろされ、
音が鳴り出すまでのわずかの間、ここから、おっと思わせる。
音が鳴る。
見事だ、と素直に思える音が鳴ってきた。

アナログディスク再生に関しては、これまでいくつかの印象に強く残る出合いがある。
トーレンスのReferenceを初めて聴いたときのこと、
EMT・927Dstを聴いた時、
トーレンス101 Limitedを手に入れての、はじめての音出し。
その101 LimitedにノイマンのDStとDST62を取り付けて鳴らした音、
マイクロのSX8000IIをステレオサウンドの試聴室で初めて聴いた時、
そしてそのSX8000IIにSMEのSeries Vを取り付けて聴いた時、などである。

テクダスのAir Force Oneの音も、そうなる。
特にSeries Vを聴いた時、アナログディスクでもここまで鳴るのか、と、
アナログディスクの仕組み上のあきらめなければならないと思っていたことを、
Series Vは見事に克服していた。

そのSeries Vに感じた、同じことをAir Force Oneにも感じていた。

Date: 11月 3rd, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(その7)

オーディオフェア・オーディオショウで音を出さないブースはない。
来場者は音を聴きに来ているわけだから、音を出さないわけにはいかない。

この音を出す行為は、なんと呼ぶのがいいのだろうか。

晴海でのオーディオフェアでの音出しは、会場がああいうものだったこともあり、
デモンストレーション(demonstration)がぴったりきていた。

インターナショナルオーディオショウのように各ブースが音響的に隔離されているわけではなかった。
晴海の見本市会場に仕切を立てて各社はブースをつくっていく。
来場者の数も多い。
会場内のS/N比は、インターナショナルオーディオショウとは比較にならぬほど悪かった。
そういう環境での音出しだからこそ、デモンストレーションだった。

いまはそうではない。
インターナショナルオーディオショウの会場となる国際フォーラムの扉は重く分厚い。
会議室としてつくられているだけに、扉を閉めてしまえば遮音は完璧とはいかないものの、悪くはない。
こうなってくると、ここでの音出しは、もうデモンストレーションとは呼びにくいし、そう呼ぶことに抵抗もある。

ではなんと呼べばしっくり来るのか。

すべてのブースではないが、半数以上のブースではオーディオ評論家と呼ばれている人たちによる音出しをやる。
これをインターナショナルオーディオショウでは講演と呼んでいる。
これも、まったくしっくりこない呼び方だ。

Date: 11月 3rd, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その8)

フランケンシュタインは理想の人間をつくろうとする。
そのために墓を暴き死体を掘り起し、それらの死体をパーツとしてつなぎ合わせて「理想の人間」をつくる。

だが「理想の人間」は容貌が醜かった。
醜かったから「理想の人間」ではなく怪物と呼ばれるようになった。

フランケンシュタインがやろうとしたこと、やったことは、
いまわれわれがオーディオでやっていることと同じではないのか。

フランケンシュタインのように墓を暴くという犯罪行為こそしないものの、
理想の音を求めて、それを実現するため、少しでも近づこうとするために、
あらゆるパーツを組み合わせて、ひとつのシステムをつくり上げる。

カートリッジはA社のこれ、トーンアームはB社のこれ、ターンテーブルはC社……、
こんなふうにケーブルにいたるまで、いくつものパーツを試して(試聴して)、組み合わせていく。
フランケンシュタインがやっていたこととまったく同じではないか。

Date: 11月 3rd, 2013
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その7)

いまのQUAD、いまのマッキントッシュの、
それもアンプのデザインは決していいとはいえない。

好き嫌いは別として、以前のマッキントッシュのアンプのデザインには説得力のようなものがあった。
明るいところで電源が入っていない状態でしか見たことのない人もいるだろう。
マッキントッシュのアンプは、一度でいいからどこかのリスニングルームに置かれ、
少し暗くした状態で電源を入れた時に映える。

いまのマッキントッシュのアンプ、
特にコントロールアンプは安っぽくなった、という印象を拭えない。
アンプそのものが軽く感じられてしまう。

QUADに関しても創業者のピーター・ウォーカーがいなくなってからは、
デザインの統一感に関しては魅力的でなくなってきている。

マッキントッシュも、ゴードン・ガウがいなくなって久しい。
これは仕方のないことなのかもしれない。

オーディオというシステムにおけるデザインについて考えていると、
フランケンシュタインのことが浮んでくる。

フランケンシュタインについては説明は不要なような気もするが、
日本では人の体をつなぎ合せてつくられた怪物の名前がフランケンシュタインだと勘違いされることもある。
いうまでもなくフランケンシュタインは怪物の名前ではなく、
この怪物をつくりあげたスイス人の青年の名前が、フランケンシュタインであり、
怪物には名前はない。

Date: 11月 3rd, 2013
Cate: Bösendorfer/Brodmann Acoustics, ショウ雑感

Bösendorfer VC7というスピーカー(2013年ショウ雑感)

Bösendorfer VC7というスピーカー」という項を立てて、(その28)まで書いている。
まだ書いて行く。

Bösendorfer(ベーゼンドルファー)からBrodmann Acousticsに変ってから、
日本へは輸入されていない。
現行製品ではあるけれど、日本ではいまのところ買えない。

だからこそ書いていこう、と思っているし、その反面、輸入が再開される可能性も低いだろう、と思っていた。

今年のインターナショナルオーディオショウでの、予想していなかった嬉しい驚きは、
Bösendorfer(Brodmann Acoustics)のスピーカーシステムが、
フューレンコーディネイトのブースの片隅に展示されていたことだった。

目立たないように、という配慮なのだろうか。
うっかりすると見落してしまいそうな感じの展示である。

今日の時点ではフューレンコーディネイトのサイトには何の情報もない。

Brodmann Acousticsのスピーカーシステムの日本での不在の期間(三年ほどか)がひどく永く感じられた。
このスピーカーシステムは、だからといって日本でそれほど売れるとは思えない。
思えないからこそ、このスピーカーシステムの輸入を再開してくれるフューレンコーディネイトには、
感謝に近い気持を持っている。

スピーカーのあり方は、決してひとつの方向だけではない。
そんなことはわかっている、といわれそうだが、
実際に耳にすることのできるスピーカーシステムの多くがひとつの方向に集中しがちであれば、
この当り前のことすら忘れられていくのではないだろうか。

その意味でも、Brodmann Acousticsが聴けるということは、
大事にしていかなければならないことでもある。
フューレンコーディネイトが、その機会をふたたび与えてくれる。

Date: 11月 2nd, 2013
Cate: VOXATIV

VOXATIV Ampeggio Signatureのこと(その2)

ジャーマン・フィジックスのUnicornの音は、帰宅したあとも思い出していた。
一晩寝て目が覚めたら、また聴きたくなった。
Unicornを聴くまでは、一日行けば充分だろうと思っていたのに、また行くことにした。

VOXATIVのAmpeggio Signatureの音を今日聴いてきて思い出していたのは、
2002年に聴いたUnicornのことだった。

UnicornとAmpeggio Signatureの音がまったく同じなわけではない。
かなり違うともいえる音ではあるのだが、
共通する音の良さを持っているとも感じるし、
それにスピーカーシステムとしての形態にも似ているところがある。

まずどちらもフルレンジ型ユニットを搭載している。
トゥイーターもウーファーもついていない。
エンクロージュアはスピーカーユニット背面の音を利用していることでは共通している。

もっともその利用方法は同じとはいえないところもあるし、
ジャーマン・フィジックスのユニットの場合、背面の音ではなく、内側の音ということにもなる。

それからどちらもドイツである。
(ADAMのColumn Mk3もドイツだ。)

Date: 11月 2nd, 2013
Cate: VOXATIV

VOXATIV Ampeggio Signatureのこと(その1)

2002年のインターナショナルオーディオショウにおいてタイムロードのブースで、
ジャーマン・フィジックスのUnicornを聴いた。

ウォルシュドライバーを搭載したスピーカーシステムが出ていたことは知っていた。
ウォルシュドライバーを搭載したスピーカーシステムは、昔からあって、
ステレオサウンドにいたころ、オームのそれを聴いている。
たしか伊藤忠商事が輸入元だったはずだ。

実を言うと、それほど記憶に残っていない。
聴いたことは確かに憶えているし、当時のステレオサウンドの新製品紹介のページにも登場している。

2002年のインターナショナルオーディオショウは、ひさしぶりにでかけたオーディオショウだった。
もうどのくらいオーディオショウに足を運ばなくなってたつだろうか。
そくらい久しぶりだった。

四階のフロアーにつき、とにかく端から順番に各ブースの音を聴いていこう、ということで、
エレベーターを降りて左にまがり、当時は端っこにあったタイムロードのブースが入った。

入ってすぐに、ジャーマン・フィジックスのUnicornの音に驚いた。
こうも違うのか、とも思っていた。
とにかくオームのスピーカーシステムとはずいぶん違う。
違うだけでなく、いままで聴いたことのない類の、いい音だった。

そのまま椅子から立ち上らずにずっと聴いていたかった。
でも、とにかく他のブースをも、ということで、すべてのブースを廻ってきたあと、
もう一度タイムロードのブースに戻ってきていた。

Date: 11月 2nd, 2013
Cate: ショウ雑感

2013年ショウ雑感(ADAM Column Mk3)

2011年のこの項で、太陽インターナショナルのブースで、
ドイツのADAMのColumn Mk3を聴いた印象について書いた。

今年も、このColumn Mk3を楽しみにしていた。
太陽インターナショナルのブースにはいったとき、
かかっていたのはカンターテ・ドミノだった。

ステレオサウンドの試聴室で、いったいどれだけの回数聴いたか、
数え切れないほど聴いているし、自分のシステムでもかなりの回数聴いている。
SACDになったときも、いまさらかな、と思いつつもやっぱり手が伸びて、
しばらくは頻繁に聴いていた。

そのカンターテ・ドミノが鳴っていた。

太陽インターナショナルのブースでは、Column Mk3の斜め後にアヴァロンのISISが置いてあった。
どちらが鳴っているのかは、ブースに入った瞬間にわかった。

Column Mk3は、いい感じでカンターテ・ドミノを鳴らしていた。
去年のインターナショナルオーディオショウには行けなかったから、二年ぶりのColumn Mk3の音になるわけだが、
聴いてすぐにColumn Mk3が鳴っていると感じさせるのは、
このスピーカーがただ単に優秀なスピーカーシステムというだけにとどまらずに、
音楽を聴く上で大切なことを、少なくとも表現しているからのようにも感じる。

もっともそれはあくまでも私にとって、ということになってしまうのかもしれない。
でもスピーカー選びとは、非常に個人的なことである。
どこまでいっても個人的なことであるから、それはそれでいい。

私にとってADAMのColumn Mk3は、どこか心に残る音を鳴らしてくれるスピーカーなのかもしれない。

Date: 11月 2nd, 2013
Cate: audio wednesday

audio sharing例会のこと

11月6日のaudio sharing例会は、
すでに書いているように瀬川先生の未発表原稿(未完)、メモ、スケッチなどを持っていき公開する。

いままで、この例会に関心のなかった人も今回は関心を持ってくれているようで、
参加方法について記述がないけれど、というメールをいただいた。

これまでは特に書いておく必要もないと思っていたけれど、
いわれてみれば必要最低限のことしか書いてきていない。
そのため、少し躊躇されていた人がいないわけでもないかも……、とそう思っている。

このaudio sharing例会は、四谷三丁目にあるジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースを借りて行っている。
喫茶茶会記は午後三時から営業している。
丸ノ内線・四谷三丁目の駅から徒歩数分のところにある。
とはいえ大通りに面しているわけでなく、いわゆる路地裏にあるジャズ喫茶なので、
住所、地図は喫茶茶会記のサイトにて確認していただきたい。

ジャズ喫茶とはいえ、老舗のガンコ親父がやっているそれではなく、
気軽によれる雰囲気の店、それも路地裏にあり隠れ家的な雰囲気もないわけではない。

11月6日、行きたいけれど……、と思っている方は、
その前にいちど喫茶茶会記に入ってみれば、audio sharing例会への参加方法など、
そんな面倒な、気にかける要素は何ひとつないことに気づかれるはずだ。

例会は毎月第一水曜日、夜7時から行っている。
例会は奥にあるスペースで行うので、時間前に来られたら手前のスペース、
ここが喫茶茶会記のメインスペースでなにか飲みながら、
店主の福地さんとの会話を楽しめる。

たいてい私は30分前には喫茶茶会記に着くようにしている。
参加方法とか参加資格とか、そんな面倒なことはなにもない。
とにかく四谷三丁目の喫茶茶会記に来てくだされば参加できる。
時間厳守というわけではない。

7時から始めているけれど途中参加不可というわけではない。

Date: 11月 2nd, 2013
Cate: アナログディスク再生, ショウ雑感

2013年ショウ雑感(アナログディスク再生・その1)

インターナショナルオーディオショウに行ってきた。
今年もアナログディスクをかけることがいくつかあった。

あるブースでもかけられていた。
一枚目は旧い録音で、私は聴くのが初めてのディスクだった。
それでも曲の途中でトレースがおかしくなっているところにすぐ気がついたし、
それが録音に問題があるのではなく、カートリッジを含めてトーンアームの調整に不備があるということは、
すぐに判断できる、そのような不備だった。
しかも、このときの音の不備はふたつあった。
トレース不良と出力レベルの不安定さ、である。

それでもこのブースで音出し(装置の操作)を担当している人は気がつかなかったのか、
二枚目のアナログディスクをそのままかけた。
こちらのディスクは何度も聴いたことのあるディスク。

何曲目を鳴らすのかは事前にはアナウンスはなかったけれど、
鳴り始めたら、すぐに何曲目かはわかるし、
この曲ならば、ここにきたら一枚目よりももっとはっきりと不備が出てくるであろうことは予測できた。

そのとおりに、調整の不備が音が出てしまった。
そしてやっと調整に不備があって、すいませんでした、と担当者がいう。

調整に不備があってはならないこととはいえ、
ああいう会場では何かがおきてもふしぎではないから、
もうすこししっかりしてほしい、とは思いつつも、これを強く非難しようとは思わない。

ただ問題にしたいのは、一枚目のアナログディスクでも軽微とはいえ、
調整の不備による音のおかしさはあらわれていた。
なぜ、ここで担当者、そのブースのにいたほかのスタッフは気がつかなかったのか、ということ、
これについては書いておく。

つまり装置を操作していた担当者は、一枚目のアナログディスクの音をほとんど聴いていなかった、
そうとしか思えない。
きちんと聴いていればすぐになんらかのアクシデントが起っていることはわかるのだから。

にも関わらず二枚目のディスクで、もっとはっきりとあからさまに出て初めて気がつくということは、
聴きに来ている人たちに対して、不誠実だといえなくもない。

Date: 11月 1st, 2013
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(真空管アンプのレイアウト・その3)

1990年ごろだったと記憶している。
サンスイの、西新宿にあったショールームがトントンクラブと改称していたころの話だ。
伊藤先生、その他にふたりのゲストによるシンク値浮かんアンプについての鼎談が行われた。

この鼎談は無線と実験で記事になっているので、くわしく知りたい方はそさちを参照しされたし。

このとき伊藤先生がいわれたことが、いまもはっきりと思い出せる。

いま、世の中にあるメーカー製、自作を含めて、まともな真空管アンプはひとつもありません。
私のつくるアンプを除いては。

こんなことを、実にさらりと発言された。
ほかのどの人であろうと、
この鼎談に出席していない人であろうと、
この伊藤先生の発言に反論できる人がどれだけいるだろうか。

自作だけではない、メーカーのアンプも含めて、
完成度ということで、伊藤アンプと肩を並べる真空管アンプはなかった。

音だけということで見れば、
伊藤先生のアンプよりもいいものは存在する、といってもいい。
音が良ければ、それでいい。
そう思える人には、伊藤先生の発言は、
またく納得できないことであろうが、
私は納得した側の人間である。

伊藤先生は「まとなも」という表現を使われた。
自分のつくるアンプよりも音のいいアンプがひとつもない、と言われたわけではない。