Archive for 12月, 2010

Date: 12月 7th, 2010
Cate: 現代スピーカー

現代スピーカー考(その22)

瀬川先生の「本」づくりのために、いま手もとに古いステレオサウンドがある。
その中に、スピーカーシステムの比較試聴を行った号もあって、掲載されている測定データを見れば、
あきらかに物理特性は良くなっていることがわかる。

ステレオサウンドでは44、45、46、54号がスピーカーの特集号だが、
このあたりの物理特性と、その前の28、29、36号の掲載されている結果(周波数特性)と比較すると、
誰の目にも、その差はあきからである。

36号から、スピーカーシステムのリアル・インピーダンスがあらたに測定項目に加わっている。
20Hzから20kHzにわたって、各周波数でのインピーダンス特性をグラフで表わしたもので、
36号(1975年)と54号(1980年)とで比較すると、これもはっきりと改善されていることがわかる。

インピーダンス特性の悪いスピーカーだと、
周波数特性以上にうねっているものが1970年半ばごろまでは目立っていた。
低域での山以外は、ほぼ平坦、とすべてのスピーカーシステムがそういうわけでもないが、
うねっているモノの割合はぐんと減っている。
周波数特性同様に、全体的にフラット傾向に向っていることがわかる。

この項の(その21)でのアメリカのスピーカーのベテラン・エンジニアの発言にある数年前は、
やはり10年前とかではなくて、当時(1980年)からみた4、5年前とみていいだろう。

アンプでは増幅素子が真空管からトランジスター、さらにトランジスターもゲルマニウムからシリコンへ、と、
大きな技術的転換があったため、性能が大きく向上しているのに対して、
スピーカーの動作原理においては、真空管からトランジスターへの変化に匹敵するようなことは起っていない。
けれど、スピーカーシステムとしてのトータルの性能は、数年のあいだに確実に進歩している。

Date: 12月 6th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その36)

私がつくろうとしていた349Aのプッシュプルアンプは、伊藤先生が発表されたもので、
回路はウェストレックスのA10とほぼ同じ。
出力段は349Aを五極管接続で使う。UL接続でもなく、三極管接続でもない。
伊藤先生からは、349Aは、五極管接続で使いなさい、といわれたことがある。
しかもNFBは出力段の手前から初段管に返す。
出力段、出力トランスはNFBのループに含まれない。

つまり出力インピーダンスは、そこそこ高い値になる。
いわゆるダンピングファクターは、この値を気にする人にとっては、まったくの論外といえるアンプである。
だから、どんなスピーカーでも鳴らせるものではない。
出力も8Wだし、ダンピングファクターも低い。

PM510がうまく鳴るのか、は結局試さなかったが、うまく鳴ったと思う。
もちろんボリュウムはあまりあげられない。あくまでもひっそりと鳴らす。

けれどPM510にふくよかなよさがあるし、349Aの音の良さからして、
音量をぐんと絞ったときでも、決して音がやせることなく、つつみこむ良さは発揮された、はずだ。
だが、これではカザルスのベートーヴェンを、そのとき私が望んだようには聴けない、という予感もあった。
たった1枚のレコードによって、スピーカーを変える。
もう少し、あときの部屋が広くて、経済的に余裕があればPM510は手放したくなかった。

Date: 12月 6th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その35)

スレッショルドの800Aからすると、349Aのアンプは、トランジスターと真空管、
規模も大きく違うし、出力も違いすぎる。
349Aのアンプには、800A的「凄さ」はない。
それでも、清楚な音ということでは、このふたつのアンプは、少なくとも私の中では共通しているものがあった。

いつかは800A、という気持は残っていた。
もし800Aを手に入れることができたとしても、この349Aのアンプだったら、そのまま手もとに置いておける。
季節や気分によって、800Aと接ぎかえて聴くのも楽しいだろうな、とも思っていた。

そうPM510のために、スタンドをつくろう、とも計画していた。
KEFのLS5/1Aの鉄製のスタンドを参考にして、響きのよい木を使って、ほぼ同じ形にする。
そしてパワーアンプの置き台も、LS5/1Aのスタンドと同じように途中にもうけて、そこに349Aのアンプを置こう。
そんなことをあれこれ考えて、楽しんでいた時期だ。

これらをすべて実現するにはけっこうな時間がかかっていただろう。
けれど、一枚のレコードと出会ってしまい、スピーカーを変えることになる。

カザルスのベートーヴェンの第7番と出会ってなければ、PM510をずっと使い続けていたかもしれない。
このとき、シーメンスのコアキシャルにした。

Date: 12月 6th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その34)

このとき鳴らしていた私のスピーカーシステムは、ロジャースのPM510。
このスピーカーは、はっきりと女性的な表情をもつ。
まだハタチそこそこたった私にとって、PM510のやわらかい、その表情は年上の女性であった。

そういうスピーカーからの音に、「凄さ」を持たせようとして800Aを組み合わせたかった。
けれど前に書いたように、そこまでの余裕はなかった。
別項で書いたウェスターン・エレクトリックの五極管349Aのプッシュプルアンプをつくろう、としていたのは、
ちょうどこのころの話である。

あるところで、350Bのプッシュプルアンプと349Aのそれを聴いた。
堂々として、音にゆとりがたっぷりとあったのはやはり350Bのアンプで、
349Aは真空管のサイズも小さくなるし、出力も減る(プッシュプルで8Wだった)。

けれど、私の当時の耳には、349Aアンプの音の消え際、
そしてデクレッシェンドしていくときの音のグラデーションが、350Bのアンプだけでなく、
それまで聴いたアンプの中でも出色の美しさであった。
349Aのアンプの後では、デクレッシェンドしていくときの音の減り方に、余分なものがまじって、
素直に減っていかない印象が残る。
なぜそんなふうに聴こえるのか。
音が減衰していくときの階調表現が、なにか書の名人がさーっと書いたものに見事にグラデーションがある、
そんな感じで、けっして鳴ってくる音自体に色数は少ないけれど、その音の美しさは聴くほどに耳に残っていく。

349Aのアンプも、350Bのアンプと比較するまでもなく、はっきりと女性的な、しかもこじんまりした音である。

このアンプとPM510と組み合わせたら、世界は限定される方向に行くけれど、
なにかすごく魅力的な音が、しんみりと聴けそうな予感があった。
だから、349Aのアンプをつくろうと決心した。

Date: 12月 5th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その33)

ちょうどステレオサウンドで働きはじめた頃、スレッショルドは新しいラインナップに入れ換えていた。

STASISシリーズからSシリーズへの変更は、
まず鳴ってきた音が、800Aに感じていた清楚さはまだSTASISシリーズにはほのかに残っていたのが、
Sシリーズからはきれいさっぱりなくなってしまった印象で、
それはフロントパネルがわりとそっけないシルバーパネルになってしまったこととなにか関連しているようで、
私のスレッショルドへの想いは急速に薄れていった……。

そのころにはマークレビンソンもML9、ML10、ML11、ML12とローコストの方向にと進みはじめていたし、
SAEもMark2500(2600)はとっくに製造中止になり、Xシリーズへの移行……。

クレルの登場はあったけれど、全体的に私が興味をもっていたメーカーが、
向っていたのは、私にとっては、なにかさびしさを感じさせる方向だった。

もうGASもSUMOも輸入はされていなかった。

ステレオサウンドにはいって知ったことだが、
GASのアンプの不安定さについて聞かされた。さらにSUMOについても、聞かされた。
「いい音なんだけでねぇ……」という枕詞はつくものの、その不安定さは「故障率200%だよ」といわれた。

故障して修理に出す、戻ってくる。しばらく使っていると、またこわれる。そして修理……らしい。
そんなアンプは、絶対に使わない。話を聞きながら、そう思っていた。

スレッショルドが変り、GAS(SUMO)がなくなり、マークレビンソンも変りつつある。
私の中にあったアンプの位置づけは修正しなくてはならなくなっていた。

そして、このあたりから、男性的、女性的という表現も使われなくなっていたように思う。

Date: 12月 4th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その32)

瀬川先生が、1981年夏に出たステレオサウンド別冊のセパレートアンプの巻頭原稿のなかで、
マランツ、マッキントッシュ、JBLのそれぞれのアンプを、
「JBLとマッキントッシュを、互いに対立する両方の極とすれば、その中間に位置するのがマランツ」
と位置づけられている。

私の中で、スレッショルドとGASが、ちょうどJBLとマッキントッシュに近い印象で、
女性的・男性的という意味で互いに対立する両方の極だった。
その中間に位置していたのがマークレビンソン(それもML7以降は特につよく感じていた)。

スレッショルドとGASは、音もそうだけれども、アンプのデザインについても、対立する両方の極といえた。

スレッショルドのアンプのデザインとボンジョルノのつくるアンプのデザインを比較する。
STASISシリーズとSUMOのパワーアンプは、スピーカーでいえばJBLとアルテックの仕上げの関係に近いと思う。
JBLの、スタジオモニターであろうと、そのまま家庭に持ち込んでも異和感のない洗練された仕上げに対して、
アルテックの612やA7といった一連のスピーカーの仕上げは武骨である。けっして丁寧とはいえない。

STASIS1が、他社のアンプにはない独特の色気をもち、細部の仕上げもきちんとなされているのに、
SUMOのThe Power、The GoldはアルテックのA7のように、粗いところがある。
こんなところも、ボンジョルノのアンプに対する反撥になっていったし、
スレッショルド、というよりも800Aに惚れ込んでいた私は、
GASのアンプ、ボンジョルノのつくるアンプとは縁はないだろうな、となんとなく思っていた。

なのにスレッショルドのアンプは一度も買うことはなく、いきなりThe Goldを買うことになるから不思議だ。

Date: 12月 3rd, 2010
Cate: D44000 Paragon, JBL, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(その34)

Exclusive M4で鳴らすパラゴンの音を聴いてみたい、と思うし、
いちどは自分で、この組合せを鳴らす機会が、たとえ1日でもいいからあれば、どんなに楽しいだろうか、と思う。
でも、現実にパラゴンを自分のスピーカーとして手に入れたときに、
M4で試しに鳴らすことはあっても、とり組むことはないだろう。

妄想組合せ(机上プラン)であっても、
なにもかもいまは新品で入手できないもので組合せを考えようとは思っていない。
やはり、いまパラゴンを鳴らすことを、あくまでも考えているわけだから、
アンプ、CDプレーヤー、アナログプレーヤーは、いまのオーディオ機器を選ぶ。

とにかく最初に選びたいのは、やはりパワーアンプだ。
ここが決れば、あとはわりとすんなり決ってくれるだろう。

実は、最初に頭に浮んだのは、オラクルのSi3000だった。
プリメインアンプだ。
といっても、このSi3000は、入力セレクター、ボリュウムつきパワーアンプというふうにもみれる。
実際にパラゴンと組み合わせた音は聴いたことはないけれど、うまくいきそうな予感は強い。
それに見た目も、わりとパラゴンと合いそうな気もする。

だが、残念なことにSi3000は製造中止になっている。後継機ももう出ないのだろう。

いまのオーディオ機器を選ぶ、といっておきながら、舌の根も乾かないうちに製造中止のアンプを選んでいる。
でも、そんなに古いアンプでもないし、やはりSi3000での組合せは、私のなかでは考える楽しみに満ちている。

Si3000にすれば、CDしか聴かないのであれば、あとCDプレーヤーを選ぶだけでいいのだが、
そうであってもSi3000はパワーアンプとしてあくまでもとらえて、コントロールアンプをなにか選びたい。

Date: 12月 2nd, 2010
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その18)

昭和30年代なかばころまでと,いまとではオーディオの状況は様変わりしているところもある。
なにも、すべてのオーディオマニアに、自作を強要するつもりはない。
それでも、オーディオをより深く研究していきたい心がわずかでもあるのなら、
自作してみることを、おすすめする、というわけだ。

だが、オーディオ評論家として仕事をしている人たちに対しては、違ってくる。
ここでも、自作をした経験のないオーディオ評論家は信用できない、とはいわない。

だが、ステレオサウンド創刊当時から書いてこられた人たちと、
真剣な自作の経験なくしてステレオサウンドほかオーディオ雑誌に書くようになってきたひとたちのあいだには、
大きな違いが存在している、といいたいだけである。
どちらがいいとか悪いとか、そんなことではなく、ただ大きな違いがある、ということだ。

この、大きな違いは私だけが感じていることかもしれないし、他のかたも感じておられるのかどうかはわからない。
それでも、この、大きな違いこそが、
オーディオ批評とオーディオ評論の違いに深く関係しているのではないだろうか。

Date: 12月 1st, 2010
Cate: オーディオ評論, 瀬川冬樹

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その17)

「いわば偏執狂的なステレオ・コンポーネント論」のなかで、
「少なくとも昭和三十年代の半ば頃までは、アンプは自作するのが常識だった」と書かれている。

なにもアンプだけでなく、スピーカーにおいてもそうだったし、
さらにはトーンアームやカートリッジまで自作されている方がおられたことは、
ラジオ技術の古い号を見ると、わかる。

昭和三十年代の半ば、つまり1960年ごろ、海外にはすでに優れたオーディオ機器が誕生していた。
ただ、日本でそれらを購入できる人はごく限られた人であり、
国産メーカーも存在していても、腕の立つアマチュアの手によるモノのような水準が高かったようだ。

そういう時代を、ステレオサウンドの創刊当時の筆者の方々はみな経験されている。
岡俊雄、岩崎千明、井上卓也、上杉佳郎、菅野沖彦、瀬川冬樹、長島達夫、山中敬三。みなさんそうだ。
アンプは自作するもの、という時代(ステレオサウンドが創刊される前)にすでに活躍されていた。
みなさん、オーディオを研究されていた。

瀬川先生は自作について、「いわば偏執狂的なステレオ・コンポーネント論」で書かれている。
     *
なまじの自作よりもよほど優秀な性能のオーディオ・パーツを、当時からみたらよほど安い価格で自由に選択できるのだから、その意味からは自作する理由が稀薄になっている。しかし、オーディオの楽しみの中で、この、自作するという行為は、非常に豊かな実り多いものだと、わたくしはあえて申し上げたい。
     *
なにも カートリッジからアンプ、スピーカーに至るまですべてのモノを自作できるようになれとか、
メーカー製のモノと同等か、さらにはそれよりも優れたモノが作れるようになれとか、
そんなことをいいたいわけではなくて、なんでもいい、アンプでも、スピーカーでも、
なにかひとつ自作して、時間をかけてじっくりと改良していく過程を、
やはりいちどは体験してもらいたい、と思っているだけだ。

アンプだって、パワーアンプだけでもいいし、コントロールアンプ、それもラインアンプだけでもいい。
ラインアンプだけなら、とっかかりとしてはいいかもしれない。

別項で真空管のヒーターの点火について書いている。
真空管単段のラインアンプをつくったとする。
部品点数はそう多くない。少ないといってもいい。

アンプ本体はまったくいじらず、ヒーター回路だけをあれこれ試してみるのもいいだろう。
電源だけをいじってみるのもいいだろう。
回路はまったく手をつけずに、部品を交換するのもいい。
アースポイントだけを変えてみるだけでもいい。
筐体構造まで含めてやっていくと、やれることにかぎりはない。
とにかく真空管単段のラインアンプでも、楽しもうと思えば、とことん楽しめる。

回路が単純だから単段アンプを例にしたまでで、
もちろん他の回路でもいい。真空管でなくてもいい。

いろいろ試したからといって、どんなに時間をかけたからといって、
メーカー製をこえるモノができあがるという保証はない。
あるのは、研究するという姿勢が必要だということを学べるということだ。