ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その33)
ちょうどステレオサウンドで働きはじめた頃、スレッショルドは新しいラインナップに入れ換えていた。
STASISシリーズからSシリーズへの変更は、
まず鳴ってきた音が、800Aに感じていた清楚さはまだSTASISシリーズにはほのかに残っていたのが、
Sシリーズからはきれいさっぱりなくなってしまった印象で、
それはフロントパネルがわりとそっけないシルバーパネルになってしまったこととなにか関連しているようで、
私のスレッショルドへの想いは急速に薄れていった……。
そのころにはマークレビンソンもML9、ML10、ML11、ML12とローコストの方向にと進みはじめていたし、
SAEもMark2500(2600)はとっくに製造中止になり、Xシリーズへの移行……。
クレルの登場はあったけれど、全体的に私が興味をもっていたメーカーが、
向っていたのは、私にとっては、なにかさびしさを感じさせる方向だった。
もうGASもSUMOも輸入はされていなかった。
ステレオサウンドにはいって知ったことだが、
GASのアンプの不安定さについて聞かされた。さらにSUMOについても、聞かされた。
「いい音なんだけでねぇ……」という枕詞はつくものの、その不安定さは「故障率200%だよ」といわれた。
故障して修理に出す、戻ってくる。しばらく使っていると、またこわれる。そして修理……らしい。
そんなアンプは、絶対に使わない。話を聞きながら、そう思っていた。
スレッショルドが変り、GAS(SUMO)がなくなり、マークレビンソンも変りつつある。
私の中にあったアンプの位置づけは修正しなくてはならなくなっていた。
そして、このあたりから、男性的、女性的という表現も使われなくなっていたように思う。