Archive for 9月, 2008

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

S氏

五味先生の著作の中に登場するS氏は、齋藤十一氏のことである。 

昭和27、29年ごろ、五味先生、瀬川先生、菅野先生は、
齋藤邸のリスニングルームでタンノイの音を、はじめて体験されている。

瀬川先生は、ステレオサウンド刊「世界のオーディオ TANNOY」に、その日のことを書かれている。
     ※
 はじめてタンノイに音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだが、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。
 いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     ※
「編集者 齋藤十一」という単行本が、冬花社から出ている。
愛聴レコードリストも載っている。

Date: 9月 16th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 組合せ

ある組合せ

スペンドールのBCII、ラックスのLX38、ピカリングのXUV/4500Q、 
この組合せは、私にとって、いまでも特別なものである。 

熊本のオーディオ店のイベントに定期的に来られていた瀬川先生。 
ある時、イベントが終了して、まだすこし時間に余裕があったので、
瀬川先生が「今日ここにあるオーディオ機器で、聴いてみたい組合せや機種はありますか」
と言われたので、真っ先に手を上げてお願いしたのが、上記の組合せである。 

このとき、スピーカーは他にJBLの4341があったし、
アンプもマークレビンソンのLNP2やSAEの2500、
カートリッジもピカリングの他に10機種ほど用意されていた。 

BCIIは、別のイベントの時に聴いたことがあった。 
XUV/4500Qは、その日のイベントで聴いたばかり。 
LX38の音は、(たしか)耳にしたことはなかった。
十分にその素性を掴んでいるモノはひとつもなかった。
けれども、これら3つの組合せが、パッと頭にひらめいた。

もっと高価な組合せもお願いできたけれども、
どうしても聴きたかったのは、この組合せで、
BCIIの音に惹かれていただけに、もっともっといい音でBCIIを聴きたい、と思って、である。 

「BCIIにラックスのLX38で、カートリッジはXUV/4500Qでお願いします」と言ったところ、
瀬川先生が「これはひじょうにおもしろい組合せだ。ぼくも聴いてみたい組合せ」と言われ、
わくわくされている感じを受けた。 

そして鳴ってきた音は、いまでも憶えている。 

一曲鳴らし終わった後に、「いやー、これはほんとうにいい音だ。玄人の組合せだ!!」と言われ、
ちょうど最前列の真ん中の席が空いていたので、そこに座られ、
瀬川先生のお好きなレコードを、もう1枚かけられて、
そのときの楽しそうに聴かれていた表情と、「玄人の組合せ」という褒め言葉が、
二重にうれしかった。 

なにせ当時高校2年生(16歳)だった私は、
特に「玄人」という言葉が、うれしくてうれしくて、
ひそかに「才能あるんだな、オレ」と自惚れていた。 

「BCIIとLX38ですこし甘くなりがちになるところを、XUV/4500Qでピリッとさせる。
見事な組合せだ。BCIIとLX38がこんなに合うとは思わなかった」とも言われた。 

その約半年後に、ステレオサウンドの別冊として出たコンポーネントの組合せの本に、
カートリッジは異っていたけど、菅野先生も、BCIIとLX38を組み合わされている。

スペンドール、ラックス、ピカリングは、
私にとって、いわゆる黄金の組合せ、もしくは三位一体の組合せ、である。

Date: 9月 16th, 2008
Cate: 105, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その10)

使用ユニットの前後位置合わせを行なったスピーカー、一般的にリニアフェイズと呼ばれるスピーカーは、
キャバスがはやくからORTF(フランスの国営放送)用モニターで採用していた。 
1976年当時のキャバスのトップモデルのブリガンタン(Brigantin)は、
フロントバッフルを階段状にすることで、各ユニットの音源を垂直線上に揃えている。 

リニアフェイズ(linear phase)を名称を使うことで積極的に、
この構造をアピールしたのはテクニクスのSB-7000である。
このモデルは、ウーファー・エンクロージュアの上に、
スコーカー、トゥイーター用サブエンクロージュアを乗せるという、
KEFの#105のスタイルに近い(前にも述べたように、SB-7000が先に登場している)。 

さらに遡れば、アルテックのA5(A7)は、
ウーファー用エンクロージュアにフロントホーンを採用することで、
ホーン採用の中高域との音源の位置合わせを行なっている。 
#105よりも先に、いわゆるリニアフェイズ方式のスピーカーは存在している。

Date: 9月 16th, 2008
Cate: 105, KEF, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その9)

「われわれのスピーカーは、コヒーレントフェイズ(coherent phase)である」 
当時、類似のスピーカーとの違いを尋ねられて、
KEFのレイモンド・E・クックがインタビューで答えた言葉である。 

#105とは、KEF独自の同軸型ユニットUNI-Qを搭載したトールボーイ型スピーカーのことではなく、
1977年に登場した3ウェイのフロアー型スピーカーのことである。 
#105は、傾斜したフロントバッフルのウーファー専用エンクロージュアの上部に、
スコーカーとトゥイーターをマウントした樹脂製のサブエンクロージュアが乗り、
中高域部単体で、左右に30度、上下に7度、それぞれ角度が変えられるようになっている。
使用ユニットは、105のためにすべて新規開発されたもので、
ウーファーは30cm口径のコーン型、振動板は高分子系。
スコーカーは10cmのコーン型、トゥイーターはドーム型となっている。 

こう書いていくと、B&Wの801と似ていると思う人もいるだろう。
801は2年後の79年に登場している。 
#105の2年前に、テクニクスのSB-7000が登場しているし、
さらに前にはフランス・キャバスからも登場している。同時期にはブリガンタンが存在している。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: 105, 現代スピーカー

現代スピーカー考(余談・その1)

KEFの#105は、ステレオサウンド 45号の表紙になっている。
このころのステレオサウンドの表紙を撮影されていたのは安齋吉三郎氏。 

いまのステレオサウンドの表紙と違い、
この時代は、撮影対象のオーディオ機器を真正面から見据えている感じがしてきて、
印象ぶかいものが多く、好きである。 
41号の4343もそうだし、45号の105もそう。ほかにもいくつもあげられる。 

目の前にあるモノを正面から、ひたすらじーっと見続けなければ、
見えてこないものがあることを、
安齋氏の写真は無言のうちに語っている、と私は思う。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: 104aB, 105, KEF, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その8)

#104と#104aBの違いは(記憶に間違いがなければ)ネットワークだけである。
ユニットはまったく同じ、エンクロージュアも変更されていない。
そのため、KEFでは、旧モデルのユーザーのために、aBタイプへのヴァージョンアップキットを発売していた。 
キットの内容は新型ネットワークのDN22をパッケージしたもので、
スピーカーユニットが同じにも関わらず、スピーカーの耐入力が、50Wから100Wと大きく向上している。 

この成果は、#104の開発に使われた4ビット・マイクロプロセッサーと、
aBタイプへの改良に使われたヒューレット・パッカード社のHP5451の処理能力の違いから生れたものだろう。

インパルスレスポンスの解析法そのものは大きな変化はなくても、
処理する装置の能力次第で、時間は短縮され、
その分、さまざまなことを試せるようになっているし、
結果の表示能力も大きな違いがあるのは容易に想像できる。
そこから読み取れるものも多くなっているはず。 

インパルスレスポンスの解析法の進歩・向上によって(言うまでもないが、進歩しているのは解析法だけではない)、
#105が生れてくることになる。 
私が考える現代スピーカーのはじまりは、この#105である。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: 104aB, KEF, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その7)

KEFの#104aBは、20cm口径のウーファーB200とソフトドーム型トゥイーターT27の2ウェイ構成に、
B139ウーファーをベースにしたドロンコーンを加えたモデルである。 

B200は、クックが中心となって開発された高分子素材のベクストレンを振動板に採用している。
ベクストレンは、その組成が、紙以上にシンプルで均一なため、ロットによるバラツキも少なく、
最終的に音質もコントロールしやすい、との理由で、BBCモニターには1967年から採用されている。 
ただし1.5kHzから2kHzにかけての固有音を抑えるために、ダンプ剤が塗布されている。 

T27の振動板はメリネックス製。T27の最大の特長は振動板ではなく、構造にある。
磁気回路のトッププレートの径を大きくし、そのままフレームにしている。
従来のドーム型トゥイーターの、トッププレートの上にマウントフレームが設けるのに対して、
構造をシンプル化し、音質の向上を図っている。しかもコストがその分けずれる。
のちにこの構造は、ダイヤトーンのドーム型ユニットにも採用される。 

このT27の構造は、いかにもイギリス人の発想だとも思う。
たとえばQUADの管球式パワーアンプのIIでは、QUADのネームプレートを留めているネジで、
シャーシ内部のコンデンサーも共締めしているし、
タンノイの同軸型ユニットは、
アルテックがウーファーとトゥイーターのマグネットを独立させているのと対照的に、
ひとつのマグネットで兼用している。
しかも中高域のホーンの延長として、ウーファーのカーブドコーンを利用している。

こういう、イギリス独特の節約精神から生れたものかもしれない。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: 104aB, KEF, 瀬川冬樹, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その6)

インパルスレスポンスの解析法は、従来のスピーカーの測定が、
周波数特性、指向特性、インピーダンスカーブ、歪率といった具合に、
正弦波を使った、いわゆる静特性の項目ばかりであるのに対して、
実際の動作状態に近い形でつかむことを目的としたものである。 

立ち上がりの鋭いパルスをスピーカーに入力、その音をコンデンサーマイクで拾い、
4ビットのマイクロプロセッサーで、結果を三次元表示するものである。
これによりスピーカーにある波形が加えられ、音が鳴りはじめから消えるまでの短い時間で、
スピーカーが、どのように動作しているのかを解析可能にしている。いわば動特性の測定である。 

この測定方法は、その後、スピーカーだけでなく、カートリッジやアンプの測定法にも応用されていく。 

インパルスレスポンスの解析法で測定・開発され、最初に製品化されたのは#104である。 
瀬川先生は「KEF #104は、ブックシェルフ型スピーカーの記念碑的、
あるいは、里程標的(マイルストーン)な作品とさえいってよいように思う。」とひじょうに高く評価されている。 
インパルスレスポンスの解析法は、コンピューターの進歩とともに改良され、
1975年には、4ビット・マイクロプロセッサーのかわりに、
ヒューレット・パッカード社のHP5451(フーリエアナライザー)を使用するようになる。
新しいインパルスレスポンスの解析法により、
#104のネットワークに改良が加えられ(バタワースフィルターをベースにしたもの)、
#104aBにモデルチェンジしている。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: 黒田恭一

ホセ・カレーラスの歌

ホセ・カレーラスがいったい何枚のディスクを出しているのか、知らない。 
ネットで調べれば、すぐにわかることだろうが、数にはあまり興味がないため、
だから、すべて聴いているわけではない。

そういう聴き手である私にとって、
ホセ・カレーラスの数あるディスクの中で、 大切なのは、二枚だ。 
一枚はラミレスの「ミサ・クリオージャ」。 
はじめて、このディスク(というかこの曲)を聴いた時、 
ヨーロッパのクラシックとは違う、こういう美しさもあったのかと驚き、柄にもなく敬虔な気持ちになったものだ。
いまも、ときおり聴く。 

もう一枚は「AROUND THE WORLD」。
タイトルどおり、各国の代表的な歌をカレーラスが、その国の言葉で歌っている。 
国内盤のタスキで、黒田先生の文章が読める。
これが、また素晴らしくいい。 
     ※
汗まみれの、力まかせの熱唱なら、未熟な歌い手にだってできる。 
しかし、声をふりしぼっての熱唱では、ききての胸にしみじみとしみる歌はきかせられない。
充分に経験をつんだ歌い手が表現の贅肉をそぎおとして、静かに、淡々とうたったときにはじめて、
耳をすますききての心の深いところで共鳴する歌がある。
このアルバムで、ホセ・カレーラスのきかせてくれているのが、そういう、味わい深い歌である。
今のカレーラスだけに咲かせられた、いろどり深く、香り幽き秋の花にでもたとえるべきか。 
     ※
この黒田先生のすてきな文章を読みたくて、 
輸入盤のほかに国内盤も買ったほどである(国内盤は友人にプレゼント)。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: KEF, LS5/1A, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その5)

LS5/1Aは、スタンダードサンプルに対して規定の範囲内に特性がおさまるように、
1本ずつ測定・キャリブレートが要求される。 
クックにとって、均質の工業製品をつくる上で、このことは当り前のこととして受けとめていただろう。 

1961年、KEFはプラスチックフィルム、メリネックスを振動板に採用したドーム型トゥイーターT15を、
1962年にはウーファーのB139を発表している。
ワーフェデール時代にやれなかった、
理論に裏打ちされた新しい技術を積極的に採りいれたスピーカーの開発を特色として打ち出している。 

1968年、KEFにローリー・フィンチャムが技術スタッフとして加わる。
彼を中心としたチームは、ブラッドフォード大学と協力して、
スピーカーの新しい測定方法を開発し、1973年のAESで発表している。
インパルスレスポンスの解析法である。 

この測定方法の元になったのは、
D.E.L.ショーターが1946年にBBCが発行しているクオータリーに発表した
「スピーカーの過渡特性の測定とその視覚的提示方法」という論文である。
第二次世界大戦の終わった翌年の1月のことである。驚いてしまう。 
この論文が実用化されるにはコンピューターの進化・普及が必須で、27年かかっている。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: 「オーディオ」考

オーディオの「原点」

オーディオについて語るのは楽しい、 
掲示板で活発な議論がなされているのを読むのも楽しい。

でも、最近つよく思うのは、 
オーディオの「原点」とはなにかを、 
いちど徹底的に考えてみることである。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(その1)

ラックスのリニアイコライザー、QUADのティルトコントロール、 
名称は異るがどちらもほぼ同じ機能で、ある周波数を中心に、周波数特性をシーソーのように上昇下降させる。 
世の中に登場したのは、リニアイコライザーのほうが先。
QUADがマネをしたのか、リニアイコライザーに刺激をうけてのものなのかはわからないが、
リニアイコライザーの考え方そのものが、なんとなく東洋的な思想によるもののような気もする。 

高域側を2dB上げたら低域側を2dB下げる。低域を上昇させたら、同じレベルだけ高域を下げる。
その中心周波数はつねに同じ(ラックスとQUADでは、たしか中心周波数が異っていたはず)。

つまり、エネルギーの総和はつねに同じになる。 

どこかをあげたら、同じ変化量だけどこかをさげる。 
このことはイコライザーをいじる上で、大事なことではなかろうか。 
もちろん中心周波数をきちんと決めた上で、である。 

リニアイコライザーにしてもティルトコントロールにしても、こまかいイコライジングは無理である。 
ならばもうすこし多ポイントで、リニアイコライザーと同じ思想のものは、どうだろうか。 
たとえば中心周波数を640Hzとする。 
1オクターブ下の320Hzを上昇させたら、 1オクターブ上の1.28kHzを、同じ量だけ下降させる。 
というよりも、この場合、320Hzと1.28kHzのツマミはひとつで、 
センターよりも時計方向に回したら1.28kHzが上昇し320Hzは下降する。 
反時計回りだと、320Hzが上昇し1.28kHzは下降するという具合だ。 

20Hzから20kHzまでは10オクターブ、 
2オクターブ上は2オクターブ下と、3オクターブ上は3オクターブ下と……、
こんなふうにして、ツマミは5つ。 

ユニークなイコライザーの出来上がり、かな。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: KEF, LS5/1A, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その4)

レイモンド・E・クックは、ワーフェデールに在籍していた1950年代、
外部スタッフとしてBBCモニターの開発に協力している。
当時のBBC技術研究所の主任研究員D・E・L・ショーターを中心としたチームで、
ショーターのキャリアは不明だが、イギリスにおいてスピーカー研究の第一人者であったことは事実で、
ワーフェデールのブリッグスも,自著「Loudspeakers」に、
ショーターをしばしば訪ねて、指導を仰いだことがある、と記している。 

ショーターの元での、スピーカーの基本性能を解析、理論的に設計していく開発スタイルと、
当時のスピーカーメーカーの多くが勘と経験に頼った、いわゆる職人的な設計・開発スタイルを、
同時期に経験しているクック。 

クックの写真を見ると、学者肌の人のように思う。
彼の気質(といっても写真からの勝手な推測だが)からいっても、
後者のスタイルはがまんならなかっただろうし、職人的開発スタイルのため、
新しい理論(アコースティックサスペンション方式)による小型スピーカーに公開試聴で負けたことは、
その場にいたかどうかは不明だが、ブリッグス以上に屈辱的だったに違いないと思っている。 

ショーターやクックのチームが開発したスピーカーは、LS5/1であり、
改良モデルのLS5/1Aの製造権を手に入れたのは、クックが創立したKEFであり、BBCへの納入も独占している。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: KEF, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その3)

クックがいた頃のワーフェデールのスピーカーユニットは、
ウーファーもスコーカーもトゥイーターもすべてコーン型で、振動板は、もちろん紙を採用している。
そのラインナップの中で異色なのは、W12RS/PSTである。

紙コーンのW12RSとは異り、型番の末尾が示すとおり発泡プラスチックを振動板に採用している。 
このW12RS/PSTを開発したのは、技術部長だったクックである。
さらにクックは、高分子材料を振動板に使うことを考え開発したにも関わらず、ブリッグスが採用を拒否している。
このウーファーがのちにKEFのB139として登場する。 

クックは、スピーカーの振動板としての紙に対して、
自然素材ゆえに安定性が乏しく均一のものを大量に作る工業製品の素材としては必ずしも適当ではないと考えており、
均質なものを大量に作り出すことが容易な化学製品に、はやくから注目し取り組んでいる。 

クックの先進性と、それを拒否したブリッグスが、
ワーフェデールという、老舗の器の中で居つづけることは無理があったと考えてもいいだろう。

もしB139がワーフェデールから登場していたら、クックの独立はなかったか、
すこし先に延びていたかもしれないだろう。

Date: 9月 15th, 2008
Cate: KEF, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その2)

昔も今もそうだが、KEFをケフと呼ぶ人が少なからずいるが、正しくはケー・イー・エフである。 

KEFは、1961年にレイモンド・E・クックによって創立されている。
クックは、ワーフェデール(輸入元が変わるたびに日本語表記も変っていて、ワーフデールだったりもするが、
個人的にはワーフェデールが好きなので)に直前まで在籍している。 

ワーフェデールは、イギリス人で当時のスピーカー界の大御所のひとりだった
G・A・ブリッグスによる老舗のスピーカーメーカー(創立1932年)で、
ブリッグスはいくつものオーディオ関係の著書を残している。
1961年に「Audio Biographies」を出している。 

イギリスとアメリカのオーディオ関係者の回想録に、ブリッグスがコメントをつけたもので、
そこに1954年の、ある話が載っており、岡俊雄氏が、ステレオサウンド 10号に要約されている。 

手元にその号はないので、記憶による要約だが──
1954年、ニューヨークのホテルで催されていたオーディオフェアに、ワーフェデールも出展していた。
そのワーフェデールのブースにある日、若い男が、
一辺四〇センチにも満たない、小さなスピーカーを携えて現われた。
エドガー・M・ヴィルチュアであり、G・A・ブリッグスに面会を求めた。 
ヴィルチュアはスピーカー会社をつくり、その第1号機を持ってきた。
これと、ブリッグス(つまりワーフェデール)のスピーカーと、公開試聴をしたいという申し出である。 
ワーフェデールの大型スピーカーは約250リットル強、
ヴィルチュアのスピーカーは一辺40cmにも満たない立方体の小型スピーカー。

当時の常識では、勝負は鳴らす前から決っていると多くの人が思っていたにも関わらず、
パイプオルガンのレコードを、十分な量感で自然な音で聴かせたのは、
ヴィルチュアの小型スピーカーだったのを、会場の多くの人ばかりでなく、ブリッグスも認めている。 

E・M・ヴィルチュアは、翌年、自身の会社アコースティック・リサーチ(AR)創立し、
正式にAR-1と名付けたスピーカーを市販している(試作機とは多少寸法は異なる)。 

勝手な推測だが、この事件が、クックがワーフェデールをはなれ、
KEFを創立するのにつながっていると思っている。