Archive for category ブランド/オーディオ機器

Mark Levinsonというブランドの特異性(その37)

(レヴィンソン自身だけでなくブランドも含めて)Mark Levinsonにとって、
1977年は、パワーアンプのML2LによりHQDシステムを完成させただけでなく、
前述したようにレコード制作にも、いままで以上に積極的に取り組むなど、ひとつのピークを言えるだろう。

MLAのレコードが日本に正式に輸入されるようになったのは77年からだが、その約2年前に、
ピアノ・ソロのMLA2は録音され、レコードになっていたらしい。

このレコードにつかわれているピアノは、マーク・アレン・コンサートグランドという、はじめて聞くものだ。
70年代半ばごろに、アメリカでつくられはじめたカスタムメイドのピアノということで、
ベヒシュタインのメカニズムの流れを汲んでいるとか。

話を戻そう。
ステレオサウンド45号のインタビューによると、77年までに1ダース以上のHQDシステムを組み上げたとある。
最低でもML2Lを6台必要とし、コントロールアンプもLNP2LかML1L、それにLNC2も必要となる。
当時ML2Lの日本での価格は、1台80万円だった。これが6台……。
計算すると、1000万円では、まったく足りない。

ウーファーのハートレーをML2Lのブリッジ接続で駆動して、
QUADのESL1台に1台のML2Lをあてがっていくと、10台のML2Lが必要となる。
ここまでやって人がいるのかわからないが、HQDシステムにはそういう余地も残されている。

HQDシステムが、どういう音で鳴るのか──、
レヴィンソンは「HQDシステムが適切にセットアップされると実に面白い事が起こるのです。
誰もがオーディオについてもう語るのを止め、音楽にじっと耳を傾け出すのです」とインタヒューで答えている。

ステレオサウンドには、瀬川先生が書かれている。
ホテルの広間を借りて、レヴィンソン自身の調整によるHQDシステムに音について書かれている。
手もとに、その号がないため正確に引用できないが、これだけのシステムとなると、
聴き手の調整次第でどうにでも変化する。
そうことわられたうえで、その時鳴っていたHQDシステムの音には、
自分だったら、こうするのに、といったことを書かれていたように記憶している。

Date: 3月 3rd, 2009
Cate: Autograph, TANNOY

井上卓也氏のこと(その18)

井上先生には、ずっとききたいことがあった。
そう、タンノイのオートグラフの組合せのことだ。

オートグラフで、山崎ハコの「綱渡り」や菅野先生録音の「サイド・バイ・サイド」でのベースが、
「世界のオーディオ」タンノイ号に書かれているとおりに鳴ったのか、きいてみたことがある。

「こまかいことを言うと、そりゃ、ベースの音は、バックロードホーンだから、
(最初の「ウ」のところにアクセントを置きながら)ウッ、ウーンと鳴る。
でも腰の強い低域で、表情のコントラストも豊かだし、聴いて気持いいから、いいんだよ」
(「ウーン」は、バックロードホーンを通って出てくる、遅れをともなう音を表されている)

楽しそうに話してくださった。
「あれは、ほんとうにいい音だった」とも言われたことも、思い出す。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その36)

MLAのレコードは、ビクターが開発したUHQR(Ultra High-Quality Record)となる。

MLAのレコードに限らず、キングのスーパーアナログディスクなどの高音質を謳ったものは、
重量盤が大半で、厚みも通常のレコードの平均値と比して、けっこうな厚みである。
そのことに価値を見いだす人が多いからなのだろうが、個人的には重量盤、
正確に言えば厚みのあるレコードは、それほど好きとは言えない。

理由は、レコードの厚みが変われば、
カートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルが変わってしまうからだ。

アナログプレーヤーの調整の基本として、レコード盤面にカートリッジの針を降ろした状態で、
トーンアームのパイプが水平にするようになっている。
実際に音を聴きながらトーンアームの高さを調整していくと、水平状態よりも、
ほんの気持分、トーンアームの支点(軸受け)側のほうが持ち上がっているほうが、
トレースも安定するようだし、音を聴いても納得できる。
長島先生も、すこし高めにしたほうがいい、としきりに言われていた。

完全な水平がいいのか、すこし高めにしたほうがいいのか、
どちらがいいのかは措いとくとしても、トーンアームの高さ調整が、
トレース能力、音に関係していることを否定される方はいないはず。

だから真剣にアナログディスク再生に取り組むのであれば、トーンアームの高さ調整は、
調整が進めば進むほど、ほんのわずかな差でもはっきりと聴き取れる差となってくる。
そうやって位置決めをしても、厚みのあるレコードをかけるならば、
その度にレコードの厚みによって調整をしなければならない。
そして、また平均的な厚みのレコードのときには、元に戻さなければならない。

正直、これはめんどうな作業でしかない。
いい音で鳴らすための調整ならば、いいポジションが決まるまで根気よく音を聴き、調整し、
という行為を飽きることなくくり返せるが、すくなくとも一度決めてしまったものを、
レコードをかけ替えるたびに、またいじるのは、ごめん蒙りたい。

トーンアームの高さ、つまりカートリッジのヴァーティカルトラッキングアングルに無頓着で、
「このレコード、重量盤だから音がいいんだよ」という言葉に、説得力はない。

同じことはターンテーブルシートにもいえる。
ターンテーブルシートの聴き比べを行なうのなら、トーンアームの高さを、
シートの厚みに合わせて一枚一枚調整していくのが基本である。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その35)

マーク・レヴィンソンは、アンプづくりだけでなく、レコードづくりのほうにも積極的に関わっていく。
MLAシリーズのレコードの発売後、MLA(Mark Levinson Acoustic Recording)社として、
録音部門を独立させている。

ステレオサウンドの45号のインタビューでは、スチューダーのA80のトランスポートを20台入手すると語っている。
これに自社製のエレクトロニクスをのせ、20台のマスターレコーダーをつくり、
録音時に同時に使い、いちどに20本のマスターテープを作るというものだ。

もちろん、20本のマスターテープは、特別価格で販売される(実際に発売されたのかはわからない)。
もし売り出していたとしたら、1本いくらしたのだろうか。

レコード制作に関しても、ハーフスピード・カッティングに優れた面を見いだしていたようで、
そのための器材の開発も行なっている、と語っている。
ただしインタビュー時点では、まだハーフスピード・カッティングは行なっていない。

レヴィンソンがハーフスピード・カッティングに目をつけた理由は、
カッティングヘッドそのもののスルーレートにあり、
これがカッティングに関して根本的な制約になっている考えからである。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その34)

1977年、当時のマークレビンソンの輸入元であった
R.F.エンタープライゼスが輸入していたMLAシリーズのレコードは,次のとおり。

MAL1 :バッハ/6つのシュブラー・コラールほか
    マートル・リジョー(オルガン)

MAL2 :ラヴェル/高雅にして感傷的な円舞曲
    ハイドン/ピアノ・ソナタ第49番
    ロイス・シャピロ(ピアノ)

MAL3 :ヴィヴァルディ=バッハ、ウェーリング、ヒンデミット、ドビュッシー、アイヴスほか
    ニュー・ヘヴン金管五重奏団(2枚組)

MAL5 :バッハ/フーガの技法(4枚組、45回転盤)
    チャールズ・クリグハイム(オルガン)

価格は1枚7000円、4枚組のフーガの技法は28000円だった。

レコーダーにはスチューダーA80とのこと。
おそらくA80のトランスポートのみ使用し、エレクトロニクス部をつくり換えた、後のML5だと思われる。
マイクロフォンは、マークレビンソン・ブランドの製品のほかに、
一時期、ショップスのマイクロフォン用ヘッドアンプをつくっていたこともあるので、
ショップスか、B&Kの測定用のものだろう。
おそらくワンポイント録音だと思われる。
ノイズリダクション、リミッター、イコライザーの類はいっさい使っていない。

凝り性のレヴィンソンは、当時のアメリカの整盤技術に不満を持っていたため、
フィリップスやグラモフォンのレコードのプレスを行なっていたフランスのCD-S社に依頼している。
しかもそのためにフランスまで、録音したA80そのものをマスターテープとともに運んで、
カッティングとプレスを行なっている。

CD-SにもA80はあったと思われる。それでもA80をわざわざ運んでいるということは、
やはりエレクトロニクスを自社製のものに置き換えたA80なのだろう。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その33)

マーク・レヴィンソンは、次のように語っている。
     ※
私がいつも思うのは、いわゆるサウンドシステムというものはオーディオの全体の半分にしかすぎぬものということです。他の半分とは、われわれがそのシステムによって再生しようとするソース・マテリアルです。
今日において、われわれの有するステレオ・コンポーネントの数々は、その再生能力において普通手に入るソース・マテリアルの持つフィデリティーをはるかに凌駕するものがあると思います。実際に、私達の製品の持っている本当の能力を正しく評価するためには、音の差について判断を下すことを可能にするような、特製のレコードやテープを用いることなしには不可能です。
私の目標とするところは、音楽のイベントを再現することで、これは終始変わりません。ステレオ・コンポーネントの性能をどんどん高めてゆくと、非常に多くのレコードが音楽のイベントを正確に捉えていないという事実の認識に至らざるを得ません。そういった今までの多くのレコードをよい音で鳴らそうとすれば、再生機側に歪みや色付けを付け加えなければならないことすらあるのです。
     ※
1977年春に、マーク・レヴィンソンは8枚のレコード、
MLA (Mark Levinson Acoustic Recording Series) を世に出している。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その32)

ステレオサウンドの44号、45号は、「フロアー型中心の最新スピーカーシステム」と題し、
61機種のスピーカーシステムをとりあげている。
その中にKEFの105が含まれている(45号に掲載)。

瀬川先生の試聴記を書き写しておく。
     ※
一年以上まえから試作品を耳にしてきたが、さすがに長い時間をかけて練り上げられた製品だけのことはある。どんなプログラムソースに対しても、実に破綻のない、ほとんど完璧といいたいみごとなバランスを保っていて、全音域に亘って出しゃばったり引っこんだりというような気になる部分はほとんど皆無といっていい。いわゆるリニアフェイズ型なので、設置および聴取位置についてはかなり慎重に調整する必要がある。まずできるかぎり左右に大きくひろげる方がいい。少なくとも3メートル以上。スピーカーエンクロージュアは正面を向けたままでも、中音と高音のユニットをリスナーの耳の方に向けることができるユニークな作り方だが、やはりウーファーごとリスナーの方に向ける方がいいと思う。中〜高域ユニットの垂直方向の角度も慎重に調整したい。調整がうまくゆけば、本当のリスニングポジションは、ピンポイントの一点に決まる。するとたとえば、バルバラのレコードで、バルバラがまさにスピーカーの中央に、そこに手を伸ばせば触れることができるのではないかと錯覚させるほど確かに定位する。かなり真面目な作り方なので、組合せの方で例えばEMTとかマークレビンソン等のように艶や味つけをしてやらないと、おもしろみに欠ける傾向がある。ラフな使い方では真価の聴きとりにくいスピーカーだ。
     ※
そして45号には、マーク・レヴィンソンのインタビュー記事が載っている。

Date: 2月 23rd, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その33)

マーク・レヴィンソンは、1982年に、追悼文を書いたと、サプリームの発行日からも、そう思われる。

サプリームの「瀬川冬樹追悼号」を、私はいま読んでいる。そのことを幸運だと思ってもいる。
82年春に読んでいては、レヴィンソンにとって、1981年がどれだけ大変な1年であったのかが、
その時は伝わってこなかった情報によって、わからなかったからだ。

1981年は、瀬川先生の死だけではなく、彼自身の会社(MLAS=Mark Levinson Audio Systems)が、
マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズのマネージメント下におかれることになり、
マーク・グレイジャー、フィリップ・ムジオ、サンフォード・バーリンによって、
すべてのエンジニアリングは管理・指揮されるシステムへと変わっていたのだ。

そして1984年、マーク・レヴィンソンは、MLASを離れる。
社名も、マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズ・インクとなり、
マークレビンソンはブランド名となってしまう。

なぜ、この年だったのか……。
契約上、決ってきたことなのか、それとも他に理由があるのか。

私は思う──、1983年秋に、LNP2の製造が打ち切られている。
この決定によって、レヴィンソンは、自らつくった会社を離れる決心をしたのだ、と。

Date: 2月 22nd, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その32)

レヴィンソンが、瀬川先生と最後にあったのは、ひな祭りのときだとあるから、
1981年3月ごろのことだろう。

レヴィンソンは、この時、MLASの販売部長のリンダ・マリアーノと、
瀬川先生の新築なったばかりの、世田谷に建てられた、瀬川先生のリスニングルームを訪ねている。

「相当の労力が注ぎ込まれたことは明らかであり、設計や建築にあたって、
細心の行きとどいた配慮がなされていること」が一目瞭然の、
その「簡素で優雅なたたずまい」のリスニングルームに、ふたりは感銘を受けている。

さらに「このような品位の高さは、氏自身の資質をそのまま反映したもの」とも言っている。
このリスニングルームで、瀬川先生の音を聴き、いくつかの新旧のオーディオ機器の比較試聴をすることで、
ふたりとも「同じような聴き方をしているように」感じ、
「また録音や機器の評価の観点が、まったく同じであること」に、気づく。

瀬川先生の所見は「正鵠を得たもの」とし、このとき瀬川先生が語られた言葉は
「音楽の再生という仕事──の本質について、
生涯を賭した深い省察と緻密な研究にうらづけられた、真髄を衝いたもの」だったとしている。

Date: 2月 22nd, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その31)

「瀬川さんと私のめぐりあいは、私が1975年、日本を初めて訪問したときのことでありました。」

マーク・レヴィンソンは、瀬川先生への追悼文「出合いと啓示」を、こう書き出している。
レヴィンソンは、1949年、カリフォルニア州オークランドで生まれているから、25、26歳だったわけだ。
すでにLNP2を発表していたし、この年、JC2とLNC2を出している。

この時の出合いでは、レヴィンソン自身が若すぎたためと言葉の壁があり、
瀬川先生の本質を十分に理解できなかった、としている。

それでも瀬川先生のことを「優しさと重厚さが稀有な結びつきを示した、おだやかな人柄」と評している。

その後、レヴィンソンは日本を訪れるたびに、瀬川先生と会い、
レヴィンソンにとって、瀬川先生は、
「もっとも鋭敏な感性と豊かな敬虔を兼ね備えたオーディオ界の巨匠の一人として、
当時、この複雑にして精緻な世界に、ほとんど経験もなく、ただ理想に燃えて足を踏み入れた
若輩の私に多くの啓示を与えてくれた」人であった。

瀬川先生が亡くなられる6年の間、「お互いが同じ言葉が話せたら、もっとたくさんのことを、
オーディオ以外の人の世の様々なことを、語り合うことができるのに」という瀬川先生の想いを、
レヴィンソンは、いつも気づいていた。

残念なのは、瀬川先生とレヴィンソンが、オーディオ以外のことで、
お互いが心を触れ合うようになったのは、最後に訪ねたときだった……。

Date: 2月 21st, 2009
Cate: Mark Levinson, 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その28)

ご存じの方も多いだろうが、
ジョン・カールのローノイズ化の手法は、増幅素子(トランジスターなりFET)を、
複数並列にして使用するものである。

ひとつひとつの増幅素子から発生するノイズは、時間的にランダムな周波数特性とレベルなため、
2個の増幅素子の並列接続では、それぞれの僧服素子から発生するノイズ同士が打ち消し合い、
1個使用時に比べて約3dB、ノイズレベルが低下する。
さらに3個、4個と並列する数を増やしていけば、少しずつノイズレベルは低下していく。

この方式を最初に採用したヘッドアンプが、マークレビンソンのJC1だと言われている。
瀬川先生は、JC1と同時期のオルトフォンのヘッドアンプMCA76、
このふたつの優秀なヘッドアンプの登場が、
1970年代後半からのMC型カートリッジのブームを支えていた、と言われたことがあった。

これらのヘッドアンプと出現のタイミングがぴったりのオルトフォンのMC20は、
いっそう得をした、とも言われていた。
MCA76は、おそらく測定器メーカーB&Kの協力もあっただろうと推測できる。

低歪化、ローノイズ化していくアンプの高性能化を確実に測定していくためには、
測定器はアンプよりも低歪、ローノイズでなければ、
アンプの歪を測っているのか測定器自身の歪を測っているのか、ということにもなりかねない。
世界一の測定器メーカーとして知られていたB&Kだけに、そのあたりの技術力、ノウハウは確かなものであったはずで、
その協力・バックアップがあったからこそ、
他のアンプメーカーに先駆けて優秀なヘッドアンプの開発に成功したのだろう。

Date: 2月 16th, 2009
Cate: Autograph, TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その10)

ロックウッドのMajor Geminiが存在していなかったら、
井上先生のオートグラフの組合せも、もしかしたら違う方向でまとめられたかもしれないと思ってしまう。

井上先生は、オートグラフの組合せの試聴の、約2年ほど前にMajor Geminiを、
ステレオサウンドの新製品の試聴で聴かれている。
このときの音、それだけではなく過去に聴かれてきた音が、井上先生のなかでデータベースを構築していき、
直感ではなく直感を裏打ちしていく。

何も井上先生だけに限らない。オーディオマニアならば、皆、それまで聴いてきた、いくつもの音は、
いま鳴らしている音と無縁なはずはないだろう。

ただ音の判断において、なにがしかの先入観が働く。
HPD385Aを搭載していようと、国産エンクロージュアであろうと、
オートグラフは、やはり「オートグラフ」である。

プレジションフィデリティのC4、マークレビンソンのML2Lとの組合せでも、
オートグラフからは、音量のことさえ、それほど多くを求めなければ、ひじょうに満足の行く音が鳴っていた。
それでも、井上先生は、先に進まれた。

それはMajor Geminiの音を聴かれた経験から、タンノイのユニットの可能性、変貌ぶりを、
感じとられていたことによる裏打ちがあってのことだと思う。

Date: 2月 14th, 2009
Cate: Autograph, TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その9)

井上先生は、こうも語られている。
     *
従来のオートグラフのイメージからは想像もつかない、パワフルでエネルギッシュな見事な音がしました。オートグラフの音が、モニタースピーカー的に変わり、エネルギー感、とくに、低域の素晴らしくソリッドでダンピングの効いた表現は、JBLのプロフェッショナルモニター4343に優るとも劣らないものがあります。
     *
この部分だけを読んでいると、
ステレオサウンド 42号に載っているロックウッドのMajor Gemini のイメージそのものと思えてくる。

ステレオサウンドの新製品紹介のページが現在のようなかたちになったのは、56号からで、
それ以前は、山中先生と井上先生による対談形式だった。

井上先生は、ここで、
「異常なほどの音圧感にびっくりするのではないかと思う。ある種の空気的な圧迫感、迫力がある」
さらに「低域がよくなったせいか、中域から高域にかけてホーンユニットの受けもっている帯域が、
かちっと引きしまっているような印象」と語られ、
山中先生は、タンノイのオリジナルなシステムにくらべてエネルギッシュな音になって」
タンノイ・アーデンと比較して「ソフトな音というイメージとは大きく違って、
音が引きしまっていて、業務用のシステムだという感じ」だとされている。

くり返すが、Major Geminiも、搭載ユニットは、井上先生が組合せに使われ、
最終的に出てきた音に驚かれたたオートグラフと同じHPD385Aだ。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その31)

冗長性について、すこしだけ触れたことがある。

使い手が関与できない所でつけ加わるもの、
聴き手が、己の音を求める過程で、意図してか無意識かによってつけ足される音、
アンプなりスピーカーを開発する者によって、やはり意図してか無意識かでつけ足される音、
これらを冗長性と捉えていいのではないかと、最近考えるようになった。

これらの冗長性が、組合せや使いこなしによって相乗的に作用することもあれば、
互いにそっぽを向いてしまうこともあるだろう。

そして、ひとそれぞれ、どの程度冗長性を必要とするのか、
そしてどのような冗長性を求めているのかは違っていよう。

技術が不完全なままで、そこに人が介在する以上、なにかしらの冗長性は必ず発生しよう。

LNP2L、JC2、ML2Lに共通する、過剰、過激、過敏は冗長性ではないだろうか。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その30)

マスターテープにも、そしてわれわれリスナーの手に渡るレコードにも、
演奏者が発した音があます所なくすべて含まれていることは、ない。

まずマイクロフォンがすべての音を拾える位置に置かれるわけではない(そういう位置が存在するのかも疑問だが)。
さらにマイクロフォンがすべて空気振動を捉えて電気信号に変換できているわけでもないし、
マイクロフォンからミキサーまでの伝送経路でも音のロスは若干とは言え生じているし……、
こんなふうにひとつひとつを見ていくと、われわれの手もとにあるレコードになるまで、
いったいどれだけの音が失われ、また色づけや雑音と呼ばれる附加される音もある。

世の中に十全なレコードは存在しない。
しかし、その不完全な記録にも関わらず、そこにおさめられている音楽に感応し、
ワクワクドキドキすることもあれば、感動で涙することもある。

録音のプロセスで失われる音、つけ加えられる音があるということは、そのまま再生のプロセスにもあてはまる。
なにかがなくなり、なにかがつけ足される。

しかも録音の空間と再生の空間は、まったくの別空間であり、時間差もある。
最新録音でも数ヵ月から1年ほどだろうか、古い録音となると、生まれる前の時代の音を聴いている。

それでも、そこで奏でられている音楽を身近に感じたことは、
だれしも、オーディオを真剣にやっていれば、必ずあるはずだ。

同じ場で同じ音を聴いて、ある人は身近に感じ、別のひとは遠くに感じる。
なぜ、そんなことが起きるのか。