Archive for category テーマ

Date: 7月 18th, 2018
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(BTSの場合・その2)

ビクターのスーパースピーカーケーブルが登場したころ、
インピーダンス表記をしていたスピーカーケーブルは他にあっただろうか。

1970年代も終りのころになると、
オーディオニックス、ソニーからも、インピーダンス表記をしたスピーカーケーブルが登場した。

オーディオニックスのケーブルは、
ビクターのスーパースピーカーケーブルに構造的に近い、というか同じといっていい。
0.18mmの6本撚りの十二芯構造で、インピーダンスは9.15Ωと発表されている。

ソニーのスピーカーケーブルは、
リッツ線を芯線とする同軸ケーブルを二連にした構造で、インピーダンスは8.5Ω。

私が知っている範囲ではこれだけだが、他にもあったのだろうか。
カタログにはインピーダンス表記はないが、
メルコのスピーカーケーブルの構造は、
0.18mmの12本撚りの二十四芯なので、ビクター、オーディオニックスと近い値のはず。

これらのスピーカーケーブルのどれも聴いていない。
周りに使っていた人もいない。
実際のところ、音はどうだったのか。

インピーダンスだけでケーブルの音が決定的になるわけではないが、
興味としてはあるし、現在の高価なスピーカーケーブルで、
インピーダンスを発表しているところはあるのだろうか。
これも気になっている。

Date: 7月 17th, 2018
Cate: 世代

とんかつと昭和とオーディオ(その8)

とんかつとご飯。
こんなことを書いているけれど、
もっともとんかつを食べていた20代のころ。

いいかえれは浅草の河金に頻繁に通っていたころ、
いわゆるとんかつ定食的な食べ方はしていなかったことを思い出した。

とんかつと豚汁と白いご飯の組合せ、という意味でのとんかつ定食的である。
河金には、いわゆるとんかつ定食はなかった、と記憶している。

とんかつを単品で頼んで、白いご飯を頼む人もいれば、
20代の私のように、ご飯物(つまりオムライスとかカレーライス)を頼む客もいた。

いま思い返しても、河金で白いご飯を食べた記憶がまったくない。
河金が、とんかつ屋ではなく、洋食屋だったことも関係してのことか。

河金の次によく食べていたのは、銀座の煉瓦亭。
ここでも白いご飯を食べた記憶がない。

とんかつと白いご飯の組合せは、やはりとんかつ屋での食事となる。
20代の、あのころは、とんかつの味ももちろん重要だったけれど、
それ以上に白いご飯よりも、そうでない炭水化物を好んでいた。

いまは、むしろとんかつと白いご飯である。
いまもし河金があったなら(浅草の本店はないが支店にあたる河金はある)、
とんかつと白いご飯かな、と思う。

Date: 7月 17th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その12)

直列型ネットワークについての記述例は、
昔の技術書をめくっていっても、ほとんどみかけない。

一昨日、OさんのところにBeymaの12GA50を聴きに行っていた。
このことについては別項で書こうと思っているが、
Oさんは私よりも若いのに、昔のことをよく調べられている。

1960年代前半のラジオ技術が、彼の書棚にはあったりする。
その中の一冊をめくっていた。

1957年10月に、「30年来のレコード愛好家のために……」という記事がある。
瀬川先生が書かれているものだ。
     *
 本誌のレコード表に毎月健筆をふるっておられる西条卓夫氏から、氏の旧い盤友である松村夫人のために、LP装置を作るようにとのご依頼を受けたのは、また北風の残っている季節でした。お話を聴いて、私は少々ためらいました。夫人は遠く福岡にお住まいですが、その感覚の鋭さ、耳の良さには、〝盤鬼〟をもって自他ともに許す西条氏でさえ、一目おいておられるのだそうで、LPの貧弱な演奏に耐えきれず、未だに戦前のHMVの名盤を、クレデンザーで愛聴しておられるというのです。〝懐古趣味〟と笑ってはきけません。同じレコードを愛する私には、そのお気持が良く判るのでした。
 とにかく、限られた予算と、短かい期日の中で、全力を尽くしてみようと思いました。
     *
この記事のことは、ステレオサウンド 62号、63号掲載の瀬川先生の追悼記事にも出ている。

スピーカーシステムも自作である。
3ウェイのスピーカーシステムのネットワークが直列型なのである。
スロープは6dB/oct.。

この記事は、かなり以前に読んでいる。
その時は直列型ネットワークにさほど興味がなかったこともあって、
ネットワークの回路図も見ていたにも関らず、そのことを見落していた。

瀬川先生も本文には、直列型であることに触れられていない。
おそらく並列型も試されたうえでの直列型の選択なのだろう、と思っている。

松村夫人の装置のネットワークは直列型。

Date: 7月 17th, 2018
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(BTSの場合・その1)

BTS(放送技術規格)にもスピーカーケーブルの項目はある。
一芯あたり0.18mm径の30本撚りの、二芯平行ケーブルとなっている。

つまり赤黒の一般的なケーブルが、これにあたる。
このケーブルの場合、インピーダンスは110Ωくらいになる。

スピーカーシステムのインピーダンスは、4Ωから16Ωくらいである。
その意味ではインピータンスマッチングはとれていない。
それにもともと駆動源であるパワーアンプの出力インピーダンスは、
トランジスターアンプであれば、0.1Ωを切るほどに低い。

ここにインピーダンスマッチングの考えは、ないともいえるのだが、
スピーカーケーブルのインピーダンスがスピーカーのインピーダンスよりもかなり高いということは、
ケーブルでの減衰が発生することになる。

1970年代にビクターが発売していたスーパースピーカーコード(JC1100シリーズ)というのがある。
0.18mm径の7本撚りを十六芯平行ケーブルにしたもので、
このスピーカーケーブルのインピーダンスは13Ω程度とかなり低くなっていた。

ではこのスーパースピーカーコードは、理想に近いといえたのか。
少なくとも一般的なケーブルよりもインピーダンス的にはそういえなくもないが、
ビクターのこのケーブルだと、アンプが発振する場合もある、と聞いている。

プロ用機器のラインレベルでは、インピーダンスマッチングについて、
昔の機器であれば重要であったことは確かだ。

MC型カートリッジの昇圧トランスにおいても、
場合によってはインピーダンスマッチングがかなり有効なこともある。

ならばスピーカーにおいても──、
とつい考えたくなるが、ここにおいてはまだ答を出せずにいる。

Date: 7月 16th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その6)

マッキントッシュの最初のステレオパワーアンプは、1960年登場のMC240である。
いうまでもなくMC275と同じスタイルを、この時からすでに採用している。

MC240以前のパワーアンプはモノーラル機のMC30、MC60があった。
それ以前にはA116、50W2などがあるが、
黒塗装のシャーシーの前面に大きく”McIntosh”が入り、
両端を少し折り曲げたクロームメッキの天板が、その上に嵌め込まれているスタイルは、
MC30から始まっている。

マッキントッシュのモノーラルアンプで、いいな、と思うのは、
このMC30とMC60である。
MC40、MC75とはシャーシーの形が違う。

「世界のオーディオ」のマッキントッシュ号で、岩崎先生が書かれている。
     *
 昭和三十年頃の僕は、毎日毎日、余暇をみつけては、ハンダごてを握らない日はなかった。この頃の六、七年間、数多くのアンプを作った。作っては壊し、作っては壊ししたそれらは当時のラジオ雑誌にほとんど紹介してきたものだが、もともと、そうした記事のために、目新しい回路をもととして、いままでとは、どこか違った、新しいアイディアを必ず盛り込んだものだった。もうはとんど手元にはなく、ただ昔の、古く色あせた雑誌の写真に姿をとどめているだけだ。つまり、製作記事のための試作アンプにすぎない、はかない存在だ。しかし、中には壊すのが惜しくて、そのまま実用に供し、そばに置いて使おうという気を起こさせたものもある。いまでも、そうしたアンブ、そのほとんどがモノーラルの高出力アンプだが、20数台もあろうか、物置の片隅を占領してしる。その多くが30Wないし50Wのパワーを擁する管球式で、外観は、共通し当時のマッキントッシュの主力アンプMC30に酷似する。
 なぜ、マッキントッシュに似たか。理由は唯ひとつ、僕の中にそれを強くあこがれる意識が熱かったからだろう。
(中略)
 これは、作ったものでないと判らないし、一度作れば、これ以上によい方法は、ちょっと思い浮かびあがらないほど、完璧だ。
 だから、今、手元にある20数台のアンプは、出力トランスと出力真空管と、むろんそれらの大きさと、最大出力の違いのため、そのシャーシーの大きさが、てんでんばらばらだが、構造的には、マッキントッシュのMC30によく似ているのである。もうひとつの共通点は、MC30よりも、出力が大きく、当時の水準からすれば、「大出力アンプ」といい得るものだ。念のために申し添えると昭和30年前後のその頃の技術雑誌の製作記事で、MC30をはっきりと意識したアンプは、たったひとつの例外を除いて、僕の作ったもの以外にはないと20年経った今でも自負している。
 そのたったひとつの例外というのは、某誌の表紙にまでカラー写真でのったY氏製作の30Wのアンブだ。
 これは、金のない僕の作るものとは違って、シャーシーまで本物のMC30のように、メッキされていたように記憶している。
 その時、「ははあ、彼氏もマッキントッシュの良さを知っているな」と秘かに同好の志のいるのを喜ぶとともに手強いライバルを意識した。しかし、Y氏は、それきり、アンプの記事は書かなかったように記憶する。最高を極めたからか。
 Y氏、実は山中敬三氏である。
     *
もしもMC30が、MC40のスタイルで登場していたら、
岩崎先生は、山中先生はMC30をはっきりと意識したアンプを自作されただろうか。

Date: 7月 16th, 2018
Cate: 基本
1 msg

BTS

BTS(Broadcasters Technical Standard)。
日本語でいえば、放送技術規格である。

いまではほとんど耳にすることもなくなっている。
それでも私が20代のころは、真空管アンプを自作しようとすれば、
少なくともトランスのケースに関しては、BTS準拠のケースがひとつのスタンダードでもあった。

それからダイヤトーンの2S305。
これもBTS準拠のスピーカーシステムである。
ダイヤトーンのロクハンP610も、もちろんそうである。

あのころはまだBTSという言葉がまだ使われていた。
それでもBTSという規格がどういうものなのか、そのすべてを知っていたわけではないし、
むしろ知っていたのは、ごくごく狭い範囲のことだけである。

BTSという言葉は使っていながらも、
その実体(どこまで広く、そして細かいのか)は、周りの人もほとんど知らなかった。

BTSはNHKが制定したものだから、NHKに行けば規格書があるんだろうな……、
そのぐらいの認識しか持ってなかった。

けれど、都立図書館に行けば、読めるということを昨日初めて知った。
教えてくれたOさんは、仲間数人といっしょにほぼすべてをコピーされている。

BTS規格は、存在意義がなくなったため、2001年7月にすべての規格が廃止されている。
そんな古い規格なんて、資料価値もない、のかもしれないが、
コピーされた、そうとうなページをめくっていると、ネジ一本まで、
BTSでは定められていることがわかる。

BTSについてまったく知らなくとも、
オーディオを鳴らす上で何の支障はない。

趣味でもあるわけだから、知っておくのも一興だろう。
いまとなっては何かの役に立つわけではないけれども。

Date: 7月 16th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その5)

ステレオサウンドが以前出していた「世界のオーディオ」シリーズの一冊、
マッキントッシュ号で、各オーディオ評論家の「私のマッキントッシュ観」がある。

瀬川先生が書かれている。
     *
 昭和41年の終りごろ、季刊『ステレオサウンド』誌が発刊になり、本誌編集長とのつきあいが始まった。そしてその第三号、《内外アンプ65機種—総試聴》の特集号のヒアリング・テスターのひとりとして、恥ずかしながら、はじめてマッキントッシュ(C—22、MC—275)の音を聴いたのだった。
 テストは私の家で行った。六畳と四畳半をつないだ小さなリスニングルームで、岡俊雄、山中敬三の両氏と私の三人が、おもなテストを担当した。65機種のアンプの置き場所が無く、庭に新聞紙をいっぱいに敷いて、編集部の若い人たちが交替で部屋に運び込み、接続替えをした。テストの数日間、雨が降らなかったのが本当に不思議な幸運だったと、今でも私たちの間で懐かしい語り草になっている。
 すでにマランツ(モデル7)とJBL(SA600、SG520、SE400S)の音は知っていた。しかしテストの最終日、原田編集長がMC—275を、どこから借り出したのか抱きかかえるようにして庭先に入ってきたあのときの顔つきを、私は今でも忘れない。おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた。彼はマッキントッシュに惚れていたのだった。マッキントッシュのすばらしさを少しも知らない我々テスターどもを、今日こそ思い知らせることができる、と思ったのだろう。そして、当時までマッキントッシュを買えなかった彼が、今日こそ心ゆくまでマッキンの音を聴いてやろう、と期待に満ちていたのだろう。そうした彼の全身からにじみ出るマッキンへの愛情は、もう音を聴く前から私に伝染してしまっていた。音がどうだったのかは第三号に書いた通り。テスター三人は揃って兜を脱いだ。
     *
このシーンをイメージしていただきたい。
《おそろしく重いそのパワーアンプを、落すまいと大切そうに、そして身体に力が入っているにもかかわらずその顔つきときたら、まるで恋人を抱いてスイートホームに運び込む新郎のように、満身に満足感がみなぎっていた》、
ここをイメージしてほしいのだ。

これはMC275だからこそ、このシーンが映える。
もしMC75だったら……。

音はMC275よりも良くなった可能性がある。
けれど、MC75を二台抱えてくることは先ず無理。
一台ずつであっても、
MC275は30.4kg、MC75は19.8kgで、
両者のアンプとしての見た目の量感は、実際の重量差以上に感じる。

MC275だから、原田編集長のその姿が様になっているわけだし、
実際に鳴った音と相俟って、瀬川先生のこころに強く焼きついたのだろう。

MC75では、そうはいかなかった(と私は思っている)。

Date: 7月 15th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その45)

ステレオサウンドの編集長である染谷一氏は、どちらなのだろうか。

無駄なことなどひとつもない、と考える人なのか、
それとも、その逆なのか。

つまり自分の失敗、間違いに対して目をつむってしまって、なかったことにしてしまう人なのか。

2009年3月8日の練馬区役所主催の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」、
この時に染谷一氏を初めてみた。
まだ編集長ではなかったころである。

この日の「五味康祐氏遺愛のオーディオとレコード試聴会」のナビゲーターが染谷一氏だった。

ステレオサウンドを手にとっても、どの記事がどの編集者担当なのかはわからない。
染谷一氏が、どの記事を担当していたのか、
私が知っているのは一本だけであり、それ以外は知らない。

どんな記事をつくってきたかがわかるだけでも、その人の印象は違ってこよう。
私が知っている一本がどれなのかは書かないが、
そのことで決していい印象は持っていない。

私の中にある染谷一氏のイメージとは、そのことが基になったうえでのものだ。
こういう人なんだ……、と思っていた。

そういう染谷一氏が2011年から編集長になっている。

染谷一氏が編集長になってからの二冊目のステレオサウンドで、
オーディスト」が誌面に、大きく登場した。

編集長をつとめる雑誌の読者を、
audist(オーディスト、聴覚障害者差別主義者)呼ばわりしたことになる。

audistをGoogleで検索していれば未然に防げたことだが、
おそらくそんな簡単なこともやらなかったのだろう。

知らぬこと(調べなかったこと)とはいえ、オーディスト呼ばわりしたことになる。
その後の染谷一氏の態度はどうだったか。

何もしてなかった。
染谷一氏は、読者をオーディストと呼んでおいて、そのことに何も感じなかったのか。
少なくとも、その後のステレオサウンドの誌面を見る限りは、そうである。
2009年のころとは違って、染谷一氏は編集長である。

誌面から判断できること(われわれ読者は誌面からしか判断できない)は、
染谷一氏は、
自分の失敗、間違いに対して目をつむってしまって、なかったことにしてしまう人のように映る。

これに反論する人は、
avcat氏にはすばやく謝罪しているだろう、違うのではないか、というはず。

このところが、この項で取り上げていることにつながっている、と考えている。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その4)

MC275に限らないのだが、
マッキントッシュの真空管アンプのステレオ仕様では、
三つのトランスの配置は、
手前から左チャンネルの出力トランス、右チャンネルの出力トランス、電源トランス、
である。

右チャンネルの出力トランスは、左チャンネルの出力トランスと電源トランスにはさまれている。
もうこれだけでも、左右チャンネルの条件は違ってくる。

トランス同士の磁気的、振動的、熱的などの干渉が、
左チャンネルと右チャンネルとでは、かなり違ってくる。

さらに出力管との配線の条件も、これほどではないにしても違ってくる。
ここでも左チャンネルが、右チャンネルよりも重視した配線となる。

これらの違いに加えて、先に述べた初段管と次段管との配線の違いがあるわけだ。
MC275は、左右チャンネルをできるだけ等しくするという観点からみれば、
時代遅れのアンプとみられても仕方ない点が、このようにいくつもある。

左右チャンネルをできるだけ等しくという点だけでも、
ステレオ仕様のMC275(MC240)よりも、モノーラル仕様のMC75(MC40)が、
圧倒的に、誰の目にも有利である。

MC275(MC240)の左右チャンネルのそういう違いが気になる人は、
モノーラル仕様のMC75(MC40)を買いましょう、といっているようにも思える。

実際にはMC275(MC240)はモノーラル使いもできる。
その場合には、出力は二倍になる。
より大出力を必要とする人のためのステレオ仕様であったのかもしれない。

そのへんははっきりとしないが、
少なくともMC275を、左チャンネルと右チャンネルの音を厳密に比較すると、
人によっては無視できないほどの違いは生じている。

くり返すが、それが気になる人は、モノーラル仕様を買えばいいのだ。

この点を井上先生は、ある意味理に適っているんだよ、といわれた。
クラシックのオーケストラの配置は、左にヴァイオリン群、右に低音弦群なのだから、と。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: 名器

名器、その解釈(マッキントッシュ MC75の復刻・その3)

マッキントッシュの真空管パワーアンプで、
ステレオ仕様なのはMC225、MC240、MC275であり、
MC240とMC275にはモノーラル仕様のMC40、MC75がある。

音だけで比較するなら、モノーラル仕様のMC40、MC75が、
MC240、MC275よりもいいであろう。

それでも、私の場合、欲しいと思うのは、
ステレオ仕様のMC275である。
MC75を特に欲しい、と思ったことはない。

それは多分に五味先生の影響が大きいのだが、
そのことを念頭において両機を眺めても、MC75のスタイルに魅力を感じないわけで、
やっぱりMC275なのだと、あらためて思うわけだ。

MC275とMC75は、回路はほぼ同じである。
ただ電源部の整流回路が、MC275とMC75では違う点があるくらい。

けれど一つのシャーシーにまとめなければならないステレオ仕様では、
トランスの向きも90度違うし、外観だけでなく内部にも違うはある。

これはMC275の回路図をみれば記載してあるので気づいている人は多いことなのだが、
初段の12AX7から次段の12AU7への配線は、
左チャンネルは通常の配線材なのに、右チャンネルはシールド線が使われている。

回路図にも右チャンネルの、この部分にはシールド線のマークがついている。
これはMC275だけでなく、MC225、MC240でも同じになっている。

初段の12AX7は、どのモデルも入力端子のすぐそばにある。
この隣に左チャンネルの12AU7、12BH7、12AZ7と並び、
12AZ7の隣に、右チャンネルの12AU7が来て、12BH7、12AZ7となっている。

つまり初段の12AZ7は、内部の2ユニットを左右チャンネルに振り分けていて、
そこから左チャンネルの次段(12AU7)までは最短距離で結線されているのに対し、
右チャンネルは間に三本の真空管の分だけ配線距離が長い。

それゆえに右チャンネルはシールド線を使っているわけだ。

Date: 7月 14th, 2018
Cate: デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その4)

黒田先生がフルトヴェングラーについて書かれている。
     *
 今ではもう誰も、「英雄」交響曲の冒頭の変ホ長調の主和音を、あなたのように堂々と威厳をもってひびかせるようなことはしなくなりました。クラシック音楽は、あなたがご存命の頃と較べると、よくもわるくも、スマートになりました。だからといって、あなたの演奏が、押し入れの奥からでてきた祖父の背広のような古さを感じさせるか、というと、そうではありません。あなたの残された演奏をきくひとはすべて、単に過ぎた時代をふりかえるだけではなく、時代の忘れ物に気づき、同時に、この頃ではあまり目にすることも耳にすることもなくなった、尊厳とか、あるいは志とかいったことを考えます。
(「音楽への礼状」より)
     *
クラシックの演奏だけでなく、多くのものが、
よくもわるくも,スマートになっていっているように感じる。

フルトヴェングラーの演奏によって、
《きくひとはすべて、単に過ぎた時代をふりかえるだけではなく、時代の忘れ物に気づき》
とある。
だからこそ、若い人であっても、あらゆる世代の人がフルトヴェングラーの演奏を、
いま聴く。

時代の忘れ物に気づかさせてくれる演奏──、
だけではないはずだ。
だけであったら、寂しすぎる。

時代の忘れ物に気づかさせてくれる音(オーディオ)、
時代の忘れ物に気づかさせてくれるデザインがある、と信じている。

それは古いモノに限らない。

Date: 7月 13th, 2018
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるグラシェラ・スサーナ

ハイレゾリューションの方式のひとつであるMQA
まだ聴く機会はないが、すでに聴いている友人の話では、そうとうに期待がもてそうである。

ユニバーサルミュージックからMQAを採用したハイレゾCD名盤シリーズが出ている。
9月19日から邦楽30タイトルが新たに発売になる。

ラインナップを見ていた。
そこに期待していなかった名前があった。
グラシェラ・スサーナの「アドロ・サバの女王」が30タイトルの中に入っている。

おぉっ、と声が出そうになった。
まったく期待していなかっただけに、よけいに嬉しい。

すぐに聴ける環境はないし、すぐに整えられるわけでもないが、
ディスクだけは購入しておきたい。

それにしても、私にとっては微妙な時期に出してくれるな、というところ。
なぜ微妙な時期なのかは、いまのところまだ書けない。
一ヵ月後くらいには、はっきりしてくるし、書けるようになるはずだ。

二週間ほど、グラシェラ・スサーナの一枚だけでも発売を早めてほしいところ。

Date: 7月 13th, 2018
Cate: 終のスピーカー

無人島に流されることに……(その7)

無人島に流されることになったら、何をもっていくのか。
ここではレコード(録音物)について書いている。

そのレコードがLPであれ、CDであれ、他のメディアであれ、
それを再生するためのシステムが絶対に必要になる。

そのシステムをどうするのか。
ここから始めなければ、答は出るようで出ない、ところもある。

それに、その無人島にどのくらいの期間いるのか。
死ぬまでなのか、それとも期限付きなのか。

その期限は一年、二年、もっと長くて五年、十年なのか。
その長さによっても、答は微妙に変ってこよう。

それにその無人島の環境はどうなのか。
暖かいのか、それとも寒い地域にある無人島なのか。

つねにどんよりした雲が覆っている日ばかりが続くのか。
それともからっとさわやかな風が吹き、青空の下で音楽を聴くような環境なのか。

そんなことをひとつひとつ考えていったら、きりがない。
「無人島に……」と聞いて、真っ先に浮ぶレコード。
上記したこまかなことなどは関係なく真っ先に浮ぶレコードはなんなのか。

まず浮んだのは、グレン・グールドのレコード(録音物)である。
バッハでもない、モーツァルトでもない、ブラームスでもない、
ハイドンである。

Date: 7月 13th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その15)

(その14)へのfacebookでのコメントに、
オリジナルでなければ、それほど後ろ髪をひかれることもないのでは……、とあった。

オリジナルでないから、グッドマンのAXIOM 301や401を見つけてこようとは、
さほど強く思わなかった。

いまになって後悔しているのは、
現行製品の30cmダブルコーンのフルレンジをあれこれ試していくのに、
なかなか都合のいいエンクロージュアだったかも……、と思っているからである。

SICAのダブルコーンもいいし、
友人のOさんが購入したBeymaのそれもいい。

特にBeymaのスペックを見ると、
いまどき、よくこんな性格のユニットを製造しているな、と感心するくらいのモノ。
インピーダンスカーヴだけでも、そのことはわかる。
かといって、古いまま造っているわけでもない。

コイズミ無線で購入できるモノには、ドイツ製のユニットもある。
コイズミ無線が取り扱っていないメーカーのなかにも、
30cmダブルコーンのフルレンジは、そんなに多くはないだろうが、あるような気がする。

中古にまで目を向ければ、使いたい(鳴らしてみたい)ユニットは、いくつかある。
それらのユニットを、どれか手に入れたとして、
じゃ、箱はどうするのか? となる。

平面バッフルもいいけれど、箱もいい。

いま同じ箱(シャーウッド型のエンクロージュア)で、
同程度のしっかりとした造りのモノを、当時と同じ価格で手に入れられるとはあまり思えない。

それに現実問題として、いまの部屋では、スペース的にちょっと無理がある。
そんなことがわかっていての、少々の後悔なのである。

Date: 7月 12th, 2018
Cate: フルレンジユニット

大口径フルレンジユニットの音(その14)

十年以上前になるが、グッドマンのシャーウッド型と呼ばれるエンクロージュアを手に入れた。
立方体に近い形状で、リアバッフルにグッドマンならではのARUがついていて、
フロントバッフルは傾斜しているエンクロージュアである。

オリジナルではなかった。
国産箱だったけれど、そうとうにしっかりと作られたモノだった。

ユニットは30cm口径が取り付けられるようになっていた。
古いモノだから、くたびれていると感じるところもあったが、
そのころ、こんなエンクロージュアをほしがる人もいないようで、格安だった。
とりあえず買っておこうかな、そんな気持だった。

30cm口径のウーファーを入れて、マルチウェイにしようか、とも考えたし、
30cm口径のフルレンジを入れてのシステムもいいなぁ、と考えていた。

グッドマンのユニットが、中古で出たらそれにしようか、とか、
現行製品の30cm口径のフルレンジを取り付けようか、とか、
そんなことを考えるのが楽しいことは、オーディオマニアならば分ってくれよう。

引っ越しのときも捨てずにいた。
けれど、スピーカーが増えて、どうにもならなくなり、粗大ごみとして処分した。
そのときはそれほどもったいない、とは感じなかった。
もちろんまだ持っていたかったけれども。

いまごろになって急に、やっぱり捨てなければよかった、と後悔している。