Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 2月 18th, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その15)

菅野先生が、ステレオサウンド 70号の特集の座談会でいわれたことを、いまも思い出す。
特集はComponents of the yearで、ダイヤトーンのDS1000が選ばれていて、
このスピーカーについての座談会で発言されている。

《スピーカーというのは、ものすごく未完成ではあるけれど、
ものすごく完結していなくては困るものだと思うんです。》

未完成であるけれど、ゆえに完結していくこることが求められるオーディオ機器が、
スピーカーシステムであることは、
歳を重ね、さまざまなスピーカーシステムを聴き、
スピーカーの進歩というものにふれていると、つよく実感できる。

ロジャースのPM510は未完成なスピーカーシステムだった。
けれど、PM510よりも完成度の高いほかのスピーカーシステムよりも、完結していた。

このことはLS3/5Aについてもいえる。
当時のLS3/5Aは、こまごまとした欠点を抱えているスピーカーではあったが、
ある条件下での完結した音の世界は確実にもっていたスピーカーであった。

そのことがひとりの聴き手のために親密に鳴ってくれる感じを醸し出していたのかもしれない。

昨秋のオーディオショウで聴いたスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は、
その点で疑問を感じている。
広いスペースでの鳴らし方ということもあったし、じっくり聴けたわけでもなかったので、
はっきりしたことはなんともいえないのだが、音色的にはLS3/5Aと感じても、
30年以上前に聴いて、購入したLS3/5Aに感じた良さはかなり薄れてしまっているかのようだった。

スピーカーとしての完成度はスターリング・プロードキャストのLS3/5a V2は高くなっているのかもしれない。
けれど完結しているということに関しては、いまのところなんともいえない。

Date: 2月 13th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その6)

1983年春にステレオサウンド別冊として”THE BRITISH SOUND”が出た。
山中先生がイギリスの各オーディオメーカーを訪問されたのをメインとした本である。

KEFも訪ねられている。
KEFのページに、Model HLMの写真がある。

エンクロージュアの形はアコースティック・リサーチのLSTと同じで、
傾斜している両サイドにModel 105に搭載されているウーファーB300を二発ずつ、計四発、
スコーカー、トゥイーターもModel 105のユニットをそのまま採用している。
スコーカー(B110)は上下に二本、その間にトゥイーター(T52)が配置されている。
3ウェイ7スピーカーの、KEFとしてはかなり大がかりなシステムで、
このようなユニット配置をとったのは、垂直・水平方向の志向特性が対称になるようにである。

BBCの第4スタジオに、Model HLMはおさめられている。
けれど、このスピーカーシステムが製品化されることはなかった。

聴いてみたいとも思っていたけれど、
Model 105と使用ユニットは同じとはいえ、コンセプトは大きく違っているスピーカーシステムだけに、
そして写真でみる限り、いい音がしそうに思えなかったこともあり、
聴きたくないような気持もあった。

BBCの第4スタジオは、ロック・ポップス録音用のスタジオであることも、
Model HLMに、何かModel 105とは違う血筋のようなものを感じていた。

結局、KEF(レイモンド・クック)の1980年代以降の集大成となると、Uni-Qなのだろう。

Date: 2月 13th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その5)

ステレオサウンド 54号。スピーカー特集でとりあげられたKEF Model 105SeriesIIの、
瀬川先生の試聴記。
     *
 数ヵ月前から自宅でリファレンス用として使っているので今回の試聴でも物差しがわりに使った。とくに、音のバランスが実によく練り上げられている。しかしこのスピーカーの特徴を聴くには、指定どおり、いやむしろ指定以上に、中〜高音域ユニットと聴き手の関係を、できるかぎり正確に細かく調整する必要がある。左右のスピーカーの正しい中央に坐り、焦点が合うと、スピーカーの内中央に歌い手が確実にそしてシャープに定位し、たとえば歌手の声(口)の位置と伴奏との、音源の位置──左右、奥行、そして(信じ難いことだが)高さの相違まで、怖いようなシャープさで鳴らし分ける。ただこのスピーカーの音色は、やや抑制の利いた謹厳実直型、あるいは音の分析者型、で、もう少し色っぽさやくつろぎが欲しくなることがある。また、ポップスではJBL的なスカッと晴れ渡った音とくらべると、ちょっと上品にまとまりすぎて物足りない思いをする。それにしても、価格やサイズとのかねあいで考えれば、たいした製品だ。
     *
このスピーカーシステムを指定以上に正確に細かく調整された音を、
しかも左右のスピーカーの中央で聴いた人はそういない、と思う。
聴いていない人は、この試聴記に書かれていることを信じられないかもしれない。

《焦点が合うと、スピーカーの内中央に歌い手が確実にそしてシャープに定位し、
たとえば歌手の声(口)の位置と伴奏との、音源の位置──左右、奥行、
そして(信じ難いことだが)高さの相違まで、怖いようなシャープさで鳴らし分ける。》
こう書いてある。

でも、これは決して誇張でもなんでもない。
私が熊本のオーディオ店で、瀬川先生が調整されたModel 105で聴いたバルバラのレコードは、
まさにここに書かれているとおりの音だった。

KEFのmodel 105を、
瀬川先生は《敬愛してやまないレイモンド・クックのスピーカー設計理論の集大成。》とされている。
(ステレオサウンド 47号より)

Model 105はレイモンド・クックの集大成といえるスピーカーシステムである。
1970年代までのクックの集大成である。

では1980年代以降の集大成は……、となる。

Date: 2月 12th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その4)

1999年、36歳だった私も、今年は52歳。
それだけ歳をとれば同じモノをみても捉え方に変化を生じもする。
誰もそうであるように、変ったところもあれば、変らないところもある。

ワディアのPower DACについて書くためにステレオサウンド 133号をひっぱり出したついでに、
特集のComponents of the year賞のページを読みなおした。
“The Maidstone”は賞に選ばれている。

井上先生と菅野先生が次のように語られている。
     *
井上 オーディオ心をくすぐる快感があります。ナチュラルとはいわないけど。
菅野 そう。だけどとても印象に残る音なんだよ。肉付きもいいし。
井上 オープンな鳴り方でスケールが大きい。ここはかつてのKEFとはまったく違うところですね。それから、マルチウェイなのに、まとまりがいいですね。同軸一本が鳴っているような感じすらある。
     *
改めて読むと、”The Maidstone”を無性を聴きたくなった。
Model 105では、こういう音はしなかった。
どんなにアンプの選択を注意深くやろうとも、
オープンな鳴り方で肉付きのいい音は、Model 105からは出せなかった、と思う。

133号を読んで、こういうKEFもいいじゃないか。
こういう音はModel 105のようなエンクロージュア形態からは出しにくいのでは、とも思った。
幅広のバッフルがミッドバスと同軸型ユニットのところにあるからこその、”The Maidstone”の音だと思えば、
これはこれでいいな、と思えるようになっている。

もしレイモンド・クックが長生きして”The Maidstone”の開発に携わっていたら、
同じになっていたかもしれない、とも思うようになっている。

Date: 2月 12th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その3)

レイモンド・クックも老いたな、と思えたのが気にくわなかった。
昔のクックなら、同じユニット構成でも、違うエンクロージュア構成としたはず、という確信があった。
そして、もしかして……、と思った。

調べたらレイモンド・クックは1995年に亡くなっている。
“The Maidstone”の形に納得できた。
クックが携わっていたのではなかった。

これで”The Maidstone”への興味はしぼんでいった。
聴きたい、という気持もなくなっていた。
あれば、どこかへ出掛けてでも聴いていた。

“The Maidstone”が気にくわなかったのには、もうひとつ理由がある。
なんとなくJBLの4343を模倣したようなところが感じられるからである。

4343を、JBLのスタッフがS9500のスタイルでつくりなおしたとしたら、
“The Maidstone”のような形になるのではないか。
そんなふうにも捉えていた。

4343も”The Maidstone”も、ウーファーは15インチ、ミッドバスは10インチ。
4343も”The Maidstone”も基本的にはインライン配置。
バスレフポートの位置と数も4343と”The Maidstone”は同じである。

4343はウーファーとミッドバスのあいだにスリットがある。
このスリットは4343のデザインになくてはならないものである。

“The Maidstone”もエンクロージュアが独立構造としたため、自然とスリットが生じる。
外形寸法も4343の横幅は63.5cm、”The Maidstone”は60cmと近い。

1999年の私は、レイモンド・クックが携わっていなかったというだけで、
“The Maidstone”から積極的に良さを見つけようとはしなかった。

Date: 2月 11th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その2)

“The Maidstone”はエンクロージュアが独立している。
15インチ口径のウーファーをおさめたエンクロージュアの上に、10インチ口径のミッドバスのエンクロージュア、
さらにその上に6.5インチ口径と1インチ口径のドーム型の同軸型ユニットのエンクロージュアが乗っている。
親亀、子亀、孫亀といったところで、孫亀の上にはスーパートゥイーターがちょこんと乗っている。

Uni-Qを搭載したModel 105とでもいおうか。
ただModel 105はスコーカー、トゥイーターをおさめているエンクロージュアは横幅を狭めていた。
だから階段状になっていた。

“The Maidstone”でも同じことはできたにもかかわらず、
それぞれのエンクロージュアの横幅は同じである。
だから堂々とした体躯のスピーカーに仕上っている。
Model 105とは、ここが違う。

けれどModel 105には思い出がある。
熊本のオーディオ店に瀬川先生が来られた時に(それまでの定期的に来られていたのはまた違う企画だった)、
このModel 105を聴いた。
この時瀬川先生が、ちょっと待ってて、行って席をたち、
Model 105の調整をされた。おもにスピーカーの振りの調整だった。
女性ヴォーカルのレコードをかけて、スピーカーの向きをまずあわせ、
それからスコーカー・トゥイーターの振りと仰角の調整。
手際よくやらていた。
時間にすれば10分くらいだった。

そしてここに坐ってごらん、といい、その席を譲ってくれた。
ここまで見事に音像は定位するものだ、と体験できた。

このことがあるからことさらModel 105への思い入れは強い。
だから、なぜ”The Maidstone”は、ミッドバス、同軸型のエンクロージュアの横幅を狭めなかったのか。
それが気になっていた。そして気にくわなかった。

Date: 2月 11th, 2015
Cate: KEF

KEF Model 109 “The Maidstone”(その1)

別項でワディアのPower DACについて書いていたので、ステレオサウンド 133号をすぐに近くに置いている。
表紙はKEFの”The Maidstone”である。

私にとってKEFはずっと気になっていたスピーカーメーカーだった。
瀬川先生が最後まで所有されていたBBCモニターのLS5/1A、
このLS5/1Aをベースにマルチアンプ化したModel 5/1AC、
パッシヴラジエーターをもつmodel 104、
鉄板製のフロントバッフルのModel 103、
階段状の形状をもちリニアフェイズをめざしたModel 105、
樹脂製エンクロージュアを採用し、ローコストをはかりながらも魅力的な存在だったModel 303、
これらはそれぞれに思い入れがいまもある。

KEFといえば、創設者のレイモンド・クックのイメージがつねに重なってくる。
実際の人柄はどうだったのかは知らないが、写真で見るクックは、堅物そうな印象があった。

そのKEFから1980年代のおわりにUni-Qという同軸型ユニットが登場した。
いまさら同軸型ユニットと思われるそうな時代に、あえて同軸型ユニットを開発する。
しかも、タンノイ、アルテックの同軸型とは異る構造をもつ。
KEFらしい(クックらしい)同軸型ユニットだと、当時は思った。

でも、その後製品として登場したUni-Q搭載のKEFのスピーカーシステムの音には惹かれなかった。
1990年代を締括るかのように、つまりUni-Q登場10年を締括るかのように、
1999年に”The Maidstone”が登場した。

第一印象はあまりよくなかった。
KEFへの興味も薄れていたところに、なんだかずんぐりした感じのスピーカーシステムが出て来た、
これが正直な感想だった。

Date: 1月 27th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その8)

熱心なオーディオマニアでもあるデザイナーの川崎先生は、
デザインとデコレーションの違いについて、ずっと書かれてきている。

マークレビンソンのLNP2に、デコレーション(装飾)の要素はない、といえる。
ならばLNP2はデザインされたモノなのか、というと、私にはそうは思えない。

なぜLNP2のデザインに私は魅力を感じないのか。
私が出した答は、デザイン(Design)とレイアウト(layout)の違いである。

LNP2はきっちりとレイアウトされたフロントパネルをもつコントロールアンプである。
少なくとも私にとって、それ以上ではない。

Date: 1月 23rd, 2015
Cate: EXAKT, LINN

LINN EXAKTの登場の意味するところ(余談)

昨年、LINNのEXAKTについてきかれたことがある。

振動がアンプの音に影響を与える、といわれている。
なのにLINNはEXAKTでは、スピーカーのエンクロージュア内という、
もっとも振動の影響を受けやすいであろう場所にアンプを置いている。

このことについて、どう思うか、ときかれた。
そのとき、以下のようなことを話した。

井上先生は、アンプはエレクトロニクスの産物ではなく、
メカトロニクスの産物といわれていた。
電子工学だけでは、いい音のアンプは生れない。
そういう意味を含めての、メカトロニクスである。

アンプの脚とラックの天板(棚板)とのあいだに、フェルトを一枚挟む。
しっかりと調整されているシステムであれば、
たったこれだけ、と思うことになのに、音ははっきりと変化する。
さらに脚部を金属製のスパイクに交換すれば、
音が良くなるとは必ずしもいえないが、音の変化量はもっと大きくなる。

アンプは振動の影響を受けないと思っている人は、そう思いつづけていればいい。
現実にアンプに限らず、電子機器は振動の影響を受けてしまう。逃れることは、いまのところ不可能である。

そういうアンプ、しかも性能の優れたアンプほど影響は確実に音として出すのに、
LINNはEXAKTで、スピーカーの中にアンプをおいているのだから、
独立した状態よりも、大きな影響を受けているはずだし、そのことによる音質的デメリットを、
LINNはどう考えているのか──、ときかれた。

私はLINNの広報マンでもないし、EXAKTの技術資料を読んでもいない。
そのことについて書いてあるのかどうか知らない。

そんな私がいえるは、スピーカーのエンクロージュア内というのは、
開発者であるLINNにとっては、すべてとまではいわなくとも、かなりのところまで把握できている環境であること。

スピーカーとアンプを別筐体とすれば、一見音質上望ましい形態のように思える。
必ずしもそうだとはいえない。

製品はユーザーの手にわたると、どういう使い方をされるのか、正直メーカーにはわらかない。
メーカーが望む使い方をしてくれる人ばかりではない。
メーカーがまったく予想もしていない使い方をするユーザーもいる。

それがいい場合であれば特に問題とすることはないが、
何もこんな状態で使わなくとも……、という使い方をするユーザーだっている。

そうなるとLINNがEXAKTで目指したことは、うまくいかなくなることだって充分考えられる。
LINN・がEXAKTで目指したところを考えると、スピーカーとアンプの一体化は同然の帰結である。

EXAKTのエンクロージュア内の環境は、LINNにとってはわかっている環境である。
いわば限定された空間であるからこそ、LINNはそこにアンプを置いている。

つまりユーザーがEXAKTをしっかりと設置さえしてくれれば、
自動的にアンプの設置もLINNの想定した範囲内に常にある、ということになる。

Date: 1月 20th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その8)

「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」には、
これを口にする人によって、違う意味をもつことになる。

黒田先生はステレオサウンド 38号の特集で八人のオーディオ評論家のリスニングルームを訪問され、
八人のオーディオ評論家それぞれに手紙を書かれている。
上杉先生への手紙は「今日は、まことに、痛快でした。」で始まっている。

黒田先生が感じた痛快さは、馬鹿げたことをする真剣さ、一途さゆえのものと書かれている。
自分にはできないことをさらりとやってくれる人に感じる痛快さがあり、
その痛快さを表現することばとして「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」がある。

その一方で、部屋の大きさに見合ったサイズのスピーカーシステムこそが理に適ったことであり、
しかも大口径の振動板に対してのアレルギーをもつ人は、
おそらく軽蔑をこめて「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」と口走る。

「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」と思わず口走るのであれば、
痛快さをそこに感じてでありたい。

黒田先生の上杉先生への手紙には、こんなことを書いてある。
     *
 神戸っ子は、相手をせいいっぱいもてなす、つまりサーヴィス精神にとんでいると、よくいわれます。いかにも神戸っ子らしく、上杉さんは、あなたがたがせっかく東京からくるというもので、それに間にあわせようと思って、これをつくったんだと、巨大な、まさに巨大なスピーカーシステムを指さされておっしゃいました。当然、うかがった人間としても、その上杉さんの気持がわからぬではなく、食いしん坊が皿に山もりにつまれた饅頭を出されたようなもので、たらふくごちそうになりました。
     *
ステレオサウンドの取材班が東京から神戸に来るから、ということで、
これだけの規模のスピーカーを間に合わせた、とある。
もともと計画されていたことだったのだろうが、それでもすごい、と思う。

ちなみにこのスピーカーシステムの重量は、両チャンネルあわせて約780kg。

Date: 1月 19th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その7)

上杉先生の自作スピーカーの概要はこうだ。
シーメンスのオイロダインを中心として、トゥイーターとウーファーを追加されている。

オイロダインはシアター用スピーカーで、
38cm口径のウーファーと大型ホーンを鉄製のバッフルに取り付け、エンクロージュアはもたない。
ネットワークは内蔵しているので、これを平面バッフルにとりつけるよう指定されている。
スピーカーシステムとは呼びにくいモノである。

同じコンセプトのモノはダイヤトーンにもあった。
2U208という製品で、
20cmコーン型ウーファー(PW201)と5cmコーン型トゥイーター(TW501)をバッフルに装着したモノ。
ウーファーとトゥイーターの型番が気づかれる人もいるだろう、
ダイヤトーンのスピーカーシステム2S208からエンクロージュアを取り去ったモノである。

KEFにもあった。KK3という型番で、Concertoのエンクロージュアを取り去ったモノである。

シーメンスのオイロダインも同じカテゴリーのスピーカーユニットといえよう。
このオイロダインのクロスオーバー周波数は500Hz、
これに上杉先生は8kHz以上をテクニクスのホーン型トゥイーターEAS25HH22NAに受け持たせ、
150Hz以下はエレクトロボイスの30Wで受け持たせられている。

30インチ(76cm)口径の30Wを、上杉先生は片チャンネルあたり二本、つまり両チャンネルで四本使われている。
30Wが二発横に並んでいる上にオイロダインのウーファーがあるわけだが、
38cm口径が20cm口径ぐらいに感じられる。

このシステムを目の当りにされて、
黒田先生は「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」と口走られている。
     *
 三十インチ・ウーファーが横に四本並んだところは、壮観でした。それを目のあたりにしてびっくりしたはずみに、ぼくは思わず、口ばしってしまいました、なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか。そのぼくの失礼な質問に対しての上杉さんのこたえがまた、なかなか痛快で、ぼくをひどくよろこばせました。上杉さんは、こうおっしゃいましたね──オーディオというのは趣味のものだから、こういう馬鹿げたことをする人間がひとりぐらいいてもいいと思ったんだ。
 おっしゃることに、ぼくも、まったく同感で、わが意をえたりと思ったりしました。オーディオについて、とってつけたようにもっともらしく、ことさらしかつめらしく、そして妙に精神主義的に考えることに、ぼくは,反撥を感じる方ですから、上杉さんが敢て「馬鹿げたこと」とおっしゃったことが、よくわかりました。そう敢ておっしゃりながら、しかし上杉さんが、いい音、つまり上杉さんの求める音を出すことに、大変に真剣であり、誰にもまけないぐらい真面目だということが、あきらかでした。いわずもがなのことをいうことになるかもしれませんが、上杉さんは、そういう「馬鹿げたこと」をするほど真剣だということになるでしょう。
     *
私も「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」と口走ると思う。
多くの人が目の当りにすれば、同様のことを口にされるだろう。

Date: 1月 19th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その6)

ミッドバスに15インチ口径のフルレンジをもってくることはバカげていることと思う人もいるだろう。
そんなことをすればシステムが非常に大がかりになる。

いつのころからか、スピーカーシステムの大きさは部屋の大きさに見合ったほうがいい、と考える人、
主張する人が多くなってきた。

でも小さな部屋で、そのエアーボリュウムに見合う小さなスピーカーシステム。
1970年代ごろの、そういった小型スピーカーシステムと違い、
現在の小型スピーカーシステムはパワーもはいるし、音圧もとれる。
だから同列に考えることには多少の無理があるのはわかっているけれど、
小型スピーカーはエアーボリュウムがあり響きの豊かな部屋の方がうまく鳴ってくれることがある。

小さな部屋こそ、私はできるかぎり大きなスピーカーシステムを置きたい、と考える。
そんなのは古すぎる考え方だといわれようが、音量を絞っても音の豊かさを失わないのは、
やはり大型スピーカーシステムであることが多い。

だから私はD130をミッドバスという、バカげたことを真剣に考える。
でも、これは本当にバカげたことなのだろうか、と思う。

たとえばBBCモニターのLS5/1は、
中域の特性を重視して、12インチ口径ではなく15インチ口径を選択している。
低域の特性の間違いではない。

それから……、と書き始めて思い出したのが、ステレオサウンド 38号である。
「オーディオ評論家 そのサウンドとサウンドロジィ」が特集の号だった。
そこに上杉先生のリスニングルームの訪問記がある。

1976年、上杉先生が鳴らされていたスピーカーシステムはタンノイのオートグラフ、
それに自作のモノだった。

Date: 1月 18th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その5)

JBLの4350のミッドバスは2202である。
コーン型の30cm口径ウーファーである。

このユニットは2220の30cm版といえるし、
2220は130Aのプロ用版であり、130AはD130のウーファー版といえる。

4350では2202をミッドバスに、
2231を二発ウーファーとして搭載している。
これにならえばD130をミッドバスとするのであれば、
ウーファーは18インチ(46cm)口径のモノを二発使うということになる。

もうひとつの案としては、より大口径のウーファーを使うこと。
例をあげればエレクトロボイスの30W(76cm)、ハートレイの224HS(60cm)だ。

どちらにしてもそうとうに大がかりなシステムになる。
規模のことはまったく考慮しないということであれば、どちらも案でもかまわない。
どちらも同程度になるからだ。

ならば上の帯域を受け持つユニットがすべてJBLだから、
JBLの18インチ口径ウーファーのダブル使用に心情的に傾く。

JBLの過去のラインナップをふくめて該当するウーファーとなると、K151、2240H、2245Hがある。
2245Hは4345に採用されたウーファー、K151は楽器用ウーファーである。
K151のダブルとなると、「コンポーネントステレオの世界 ’78」での井上先生の組合せを思い出す。

そこでの井上先生の組合せはK151をダブルで使い、2440にラジアルホーン2355の組合せ、
トゥイーターは2402の複数使用という、驚くほどのシステムだった。
キズだらけの大型のエンクロージュアにおさめられたK151が15インチくらいに見えていた。

こういうウーファーを最低域にもってくるのも面白いのだけれども、
私の志向する音からはかなりはずれてしまう。
となるとウーファーは2245Hか2240Hということになるのだろうか。

Date: 1月 17th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その4)

ミッドバスとミッドハイが決ることで、
自然とミッドバスとウーファーのクロスオーバー、ミッドハイとトゥイーターのクロスオーバー周波数が決る。

80Hz、630Hz、5kHzとなる。
JBLの4343クロスオーバー周波数は300Hz、1.25kHz、9.5kHz、
4350では250Hz、1.1kHz、9kHzであり、
瀬川先生のフルレンジからスタートする4ウェイ・システムもJBLの4ウェイとほぼ同じである。

D130をミッドバスとする4ウェイ・システムは、クロスオーバーの設定はかなり違うものになり、
ミッドバス・ミッドハイの受持帯域が約6オクターヴ、
JBLのミッドバス・ミッドハイは約5オクターヴであり、
D130ミッドバイのほうは2オクターヴほど下に移行する。

ミッドバスとミッドハイは決っている。
トゥイーターをどうするのか。
JBLの4343、4350では2405が使われている。
このトゥイーターは5kHzから使うには、ちょっとしんどい。
となると075ということになるのか。

では何をもってくるのか。

いま私のところにあるHarknessには175DLHがついている。
これでいいのではないか、と思っている。
これならば5kHzからでも問題なく鳴らせる。
もちろん最高域の再生となると2405には及ばない、075にも及ばない。

けれどD130をミッドバスにもってくるという発想からして、
現代的なワイドレンジを求めているのは違っているのだから、175DLHがもっともふさわしいように思える。

しかもこれら三つのユニットはすでに揃っている。
問題はウーファーをどうするかだ。

Date: 1月 14th, 2015
Cate: LNP2, Mark Levinson, デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(LNP2のこと・その7)

マークレビンソンのML6のデザインも、素晴らしいとはいわない。
けれどML6をステレオサウンドに載った写真でみたとき、
LNP2、JC2(ML1)には感じないものを感じていた。

ML6はウッドケースにおさめられた写真が多かった。
中に、ウッドケースから取り出し、上下に重ねた写真もあった。

ML6はウッドケースにいれないほうが断然いい。
少なくとも私がML6に感じていた魅力は、ウッドケースなしのほうが映える。

ML6の基本はJC2のデザインである。
JC2のフロントパネルからツマミやスイッチを取り外して、
レベルコントロールとインプットセレクターだけにしたのがML6である。
これ以上省けないところまで機能を削っている。

音のために、その潔さに魅力を感じていたのか、と思いもしたが、どうもそうではない。
ML6を、LNP2、JC2の写真を何度も見較べた。
実物をみる機会はなかったから、ステレオサウンドに載った写真を見較べるしかない。

ML6には、色気のようなものがあるのに気づいた。
色気のようなもの、であって、色気とは書かない。

ほとんどのっぺらぼうに近いフロントパネルのML6にあって、
メーターもついていて、ツマミの数も多いLNP2に感じられないもの。

それは肉感的な要素であり、官能的な要素である。
とはいえML6にそういった要素があるとはいえないのだけれど、
LNP2にはそういった要素を拒否している。