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Date: 2月 11th, 2009
Cate: TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その5)

同じスピーカーユニットを使っても、エンクロージュアが違えば、音は大きく変ってくる。
スピーカーユニットの性能、可能性が高いほど、エンクロージュアの役割の重要さは比例して高くなる。

スピーカーユニットとエンクロージュアの関係を語るのは、どれだけ言葉を尽くしても語り尽くせぬほど、
切っても切れぬ強固な関係といえよう。

特にタンノイにおいては、かなり以前から、
エンクロージュアの存在が大事であるとマニアの間で言われつづけてきた。

長島達夫先生は、タンノイのユニットは、エンクロージュアとの関係において、
サウンドボックスのダイアフラムの役割を果たすものと捉えられていた。
一般的なスピーカーとは異るアプローチによるエンクロージュアの考え方から、
タンノイのスピーカーシステムはつくりあげられている、ということだった。

いわばかなりやっかいで、扱い難いユニットといえるだろう。
このタンノイのスピーカーユニットを使って、システムとして成功した数少ない例が、
タンノイと同じイギリスのロックウッド社だ。

ロックウッドの製品には、38cm口径ユニットを2本縦に並べて搭載したMajor Geminiと、
1本だけのMajorという大型スピーカーと、
ブックシェルフサイズのアカデミー・シリーズがあった。

Date: 2月 11th, 2009
Cate: Autograph, TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その4)

タンノイ・オートグラフでジャズなんて無理、というのは、私の思い込みでしかなかったわけだ。

まぁ無理もないと思う。16歳だった。オーディオの経験も、いまの私と較べてもないに等しいし、
まして井上先生と較べるなんて……、くらべようとすること自体無理というもの。
当時は、わずかな経験と、本から得た知識だけで、オートグラフでジャズは無理、とそう思い込んでしまっていた。

タンノイ、オートグラフという固有名詞をはずして考えてみたら、どうだろうか。
38cm口径の同軸型ユニットで、フロントショートホーンとバックロードホーンの複合型エンクロージュア。
イギリス製とか、タンノイとか、そういったことを無視してみると、
決してジャズに不向きの構成ではないことに気がつく。

岩崎先生は、JBLのハークネスをお使いだった。
ステレオサウンドの記事でもバックロードホーンを何度か取りあげられているし、
「オーディオ彷徨」のなかでもバックロードホーンについて熱っぽく語られている。

ジャズとバックロードホーンは、切り離しては語れない時期が、たしかにあった。

JBLのバックロードホーン・エンクロージュアとオートグラフとではホーン長も違うし、構造はまた異る。
だから一緒くたに語れない面もあるにはあるが、ジャズが鳴らない理由は特に見あたらない。

ユニットにしてもそうだ。
タンノイのユニットがクラシック向きだというイメージが浸透し過ぎているが、
ロックウッドのスピーカーシステムを一度でも聴いたことがある人ならば、
タンノイの同軸型ユニットのもつ、別の可能性を感じとられていることだろう。

Date: 2月 10th, 2009
Cate: Autograph, TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その3)

LNP2とMC2300で鳴らされるオートグラフは、
従来のオートグラフのイメージからは想像もつかない、パワフルで引き締った音がした、
と井上先生は語られている。

さらにモニタースピーカー的な音に変り、エネルギー感、
とくに低域の素晴らしくソリッドでダンピングの効いた表現は、4343にまさるとも劣らない、とある。
たしかに、ここで語られるとおりの音が鳴っていたら、まさしくオートグラフのイメージからは想像できない。

この組合せの音について、井上先生に直にきいてみたい、
ステレオサウンドで働くようになってから、そう思っていた。

Date: 2月 10th, 2009
Cate: 伊藤喜多男, 岩崎千明

金声堂

岩崎先生の「オーディオ彷徨」におさめられている「オーディオ歴の根底をなす……」のなかに出てくる、
レコード店の金声堂。
神保町の九段寄りのところにあったとある。

ここに昭和26年から、ウェスターン東洋支社に入社される昭和28年まで働いておられたのが、伊藤先生だ。
「もみくちゃ人生」(ステレオサウンド刊)の「電蓄屋時代」の冒頭に書かれている。
     *
神田神保町二ノ四、当時の都電の停留場名でいえば専修大学前、いまはない銀映座という映画館の隣り角にあったレコード店、そこへ私が転がり込んだのが昭和二十六年の四十歳のときでした。
     *
このレコード店が、金声堂のはず。
当時レコードだけでなく、アルテックのユニットや、ウェスターンの728Bを取り扱っている店が、
そういくつもあるわけがないから、伊藤先生は店の名前を書かれていないが、まず間違いないだろう。

岩崎先生は、ちょうど、このころ金声堂に行かれている。
     *
神保町の九段よりのたしか金声堂というちっぽけだが、おそろしく高価なレコードをちょびちょびと並べてあった店で、正面レコード・ケースの上にデンと604がのせてあった。学生時代をやっと通り抜けた分際で、恐いもの知らずも手伝って、その値段を聴いたら「10万円」とひとこといってぐっと背の低いその老人ににらまれた。
     *
背の低い老人は、金声堂の主人であり、伊藤先生ではないだろう。

伊藤先生と岩崎先生、もしかしたら金声堂で出会われていたかもしれない。
言葉を交わされていた可能性もあるだろう。

Date: 2月 10th, 2009
Cate: Autograph, TANNOY, 井上卓也

井上卓也氏のこと(その2)

井上卓也の名前を強烈に感じたのは、
1977年にステレオサウンドの別冊として刊行されていた「コンポーネントステレオの世界 ’78」と
1979年刊行の「世界のオーディオ」シリーズのタンノイ号である。

「世界のオーディオ」のタンノイ号で強烈だったのは、タンノイを生かす組合せは何か、という記事だ。
ここで井上先生は、タンノイのバークレイ、アーデン、ウィンザー、バッキンガムの他に、
GRFとAutograph(オートグラフ)の組合せをつくられている。
驚くのは、オートグラフの組合せで、高能率の、
このスピーカーにあえてハイパワーアンプのマッキントッシュのMC2300を組み合わせて鳴らされている。

しかもコントロールアンプは、マッキントッシュと対極にあると、当時思っていたマークレビンソンのLNP2である。

79年といえば、まだ16歳だった私のオーディオの思い込み、常識を、軽く破壊してくれた組合せである。
本文を読んでいただくとわかるが、MC2300のパワーメーターが、ときどき0dBまで振れていた、とある。
つまり300Wのパワーが、オートグラフに送りこまれていたわけだ。

それでジャズだ。
菅野先生録音の「サイド・バイ・サイド」を鳴らされている。
山崎ハコの「綱渡り」も聴かれている。

この人は、何かが違う、この記事を読みながら、そう感じていた。

Date: 2月 9th, 2009
Cate: Autograph, TANNOY, 五味康祐

タンノイ・オートグラフ

五味先生の本「五味オーディオ教室」でオーディオにどっぷりつかってしまった私にとって、
五味先生の書かれたものが、いわば「核」である。

だからタンノイのオートグラフは、JBLの4343とも、他のどんなスピーカーとも、
私の裡では、別格の存在であり、憧れである。
2000年に、タンノイがオートグラフを復刻した時は、真剣に欲しいと思った。
親になんとか借金してでも、と思いもしたが、
オートグラフを迎え入れる部屋が用意できない。
それに、いくらなんでも500万もの借金は、頼めない。

「なぜ、限定なんだろう」と憾んだものだ。

タンノイには、オートグラフと、ほぼ同じ構成のウェストミンスターがある。
いまのウェストミンスター・ロイヤル/SEは何代目だろうか。
息の長いスピーカーで、確実に改良され、堂々とした風格をもつ。

オートグラフでなくてもいいじゃないか、
ウェストミンスターのほうがずっと使いやすいだろう、という声が、裡にある。

オートグラフとウェストミンスター、どちらがいいか、そんなことを人に聞かれたら、
ためらわずウェストミンスター・ロイヤル/SEをすすめる。
だが自分のモノとするとなると、話は違う。

やはりオートグラフである。

ウェストミンスターは、何度か、ステレオサウンドの試聴室で聴いている。
聴き惚れたこともある。
試聴室で、ひとり鳴らしたブラームスのピアノ協奏曲のロマンティックな甘美さは、
いまも耳に残っている。
これがブラームスだ、そう思って聴いていた。
アバドとブレンデルの演奏だった。

そうなのだ、私にとって、ウェストミンスターはブラームスである。
オートグラフはベートーヴェンである。

この違いは、私にとって、決定的であり、どうやっても埋められない違いである。

言葉足らずで、なんのことか、わかってもらえないだろう。
それでも求めるのは、ベートーヴェンであり、オートグラフである。

Date: 2月 8th, 2009
Cate: 930st, EMT, 五味康祐, 挑発

挑発するディスク(その14)

五味先生は「ステレオ感」(「天の聲」所収)で、EMTの930stのことを、次のように書かれている。
     *
いわゆるレンジののびている意味では、シュアーV一五のニュータイプやエンパイア一〇〇〇の方がはるかに秀逸で、同じEMTのカートリッジをノイマンにつないだ方が、すぐれていた。内蔵イクォライザーの場合は、RIAA、NABともフラットだそうだが、その高音域、低音とも周波数特性は劣下したように感じられ、セパレーションもシュアーに及ばない。そのシュアーで、例えばコーラスのレコードを掛けると三十人の合唱が、EMTでは五十人にきこえるのである。私の家のスピーカー・エンクロージアやアンプのせいもあろうと思うが、とにかくおなじアンプ、同じスピーカーで鳴らして人数が増す。フラットというのは、ディスクの溝に刻まれたどんな音も斉みに再生するのを意味するだろうが、レンジはのびていないのだ。近頃オーディオ批評家の(むしろキカイ屋さんの)揚言する意味でハイ・ファイ的ではないし、ダイナミック・レンジもシュアーのニュータイプに及ばない。したがって最新録音の、オーディオ・マニア向けレコードを掛けたおもしろさはシュアーに劣る。そのかわり、どんな古い録音のレコードもそこに刻まれた音は、驚嘆すべき誠実さで鳴らす、「音楽として」「美しく」である。
     *
EMTもスチューダーも、最新の音を聴かせてくれるわけでもないし、最高性能に満ちた音でもない。
信頼の技術に裏づけられた音だ。
はったりもあざとさもない、それこそ誠実さで音楽を鳴らしてくれる。
だから信頼できる。

井上先生は、「レコードは神様だ、疑うな」と言われた。
そのために必要なのは、私にとっては、驚嘆すべき誠実さで鳴らしてくれる機器なのだ。
だからこそ、音の入口となるアナログプレーヤー、CDプレーヤーに、EMTとスチューダーを選ぶ。

ときに押しつけがましく感じることのある、思い入れのたっぷりの機器は要らない。
ただし、これがアンプの選択となると、なぜだか、そういう機器に魅力を感じてしまうことも多い……。

Date: 2月 8th, 2009
Cate: 川崎和男

川崎和男氏のこと(その18)

2002年の7月4日は、よく晴れた、暑い日だった。

出掛ける前に、すこし迷ったことがある。
どのCDを持っていこうか、出掛ける寸前で、どうしても迷ってしまった。

1月に聴いて「これだ」と決めたCDを手にしながらも、
ほんとうにこれを持ってきて、これを聴いてもらうのは……、と思いはじめると、
いくつかのことがすごく気になってくる。

これも持っていくけど、もう1枚別のCDも持っていこう、とも思ったが、
やはり、1月、このCDを聴いた時の直観を信じよう、と決め、1枚のみ持って出掛けた。

Date: 2月 2nd, 2009
Cate: 瀬川冬樹

1年前に、誓う

1年前は、瀬川先生の墓参に行ってきた日である。

墓前に、手を合わせたとき、ただ立っていただけだった。
こうしていれば、なにか言葉が出てくるだろうと、ただ手を合わせた。
次の瞬間、わき上がってきた言葉は、正直、後になってみれば、自分でも不思議に思っている。

なぜ、あの言葉が出てきたのだろうか……。

「瀬川先生、あなたの跡を受け継ぎます」と、あの時、誓っていた。

「バカなことを言っている」「身の程を知れ」という声もあるだろうが、
あの時、私は、そう誓っていた。

誓ったからには、何かを始めなければならない、やり続けなければならない。
だから、このブログを始めた。

気が向いた時に書きたいことだけを書くのが、長く続けるコツだ、などというヌルいことは、だから言わない。

瀬川先生の墓前で誓ったのだから、半端は許されないと、ひとりでそう思っている。

Date: 1月 31st, 2009
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その1)

井上先生にはじめてお会いしたのは、ステレオサウンド 64号の新製品の試聴である。

たいてい試聴は午後1時からのスタートなので、午前中に試聴器材をセットし、
新製品の電源を入れウォームアップして、あとは井上先生の到着を待つばかりにしておく。

当時の新製品の担当者のSさんが「井上さんが来られるのは、夜だよ」と言う。
それでもいつ来られるかははっきりしないので、試聴室で、待っていた。
夕方ぐらいかなと思っていたら、あっという間に7時になり、お見えになったのは9時か10時くらいだったか。
これがステレオサウンド編集部で働きはじめて、1ヵ月ぐらいの出来事だった。

すでに何人かの方の新製品の試聴に立会っていたので、このくらいの新製品の数だと、
試聴の時間は、このくらいかな、とある程度予想していた。

予想は見事に、多くハズレた。

このとき、JBLの4411が含まれていた。
横置きのブックシェルフ型で、当時は、スピーカースタンドも、ほとんど市販されているものはなく、
このタイプは、意外に設置に一工夫いる。
4411のセッティングだけでも、どのくらいの時間をかけられただろうか。
長かった。まだ長時間の試聴ははじめてだっただけに、疲れもあったけど、
出てくる音の変化に耳をすましていると、楽しい。

ステレオサウンドに書かれたものだけを読んでいてはわからなかった、
井上先生の魅力、それに凄さを感じはじめた日になった。

Date: 1月 31st, 2009
Cate: サイズ, 井上卓也

サイズ考(その32)

30cmウーファーを4発使ったスピーカーシステムといえば、
インフィニティが1988年に発表したIRSベータがそうだ。
グラファイトで強化したポリプロピレン採用のコーン型ウーファーを4発、縦一列に搭載したウーファータワーと、
中低域以上はインフィニティ独自のEMI型なので、タワーというよりも、プレーンバッフル形状で、
指向性は前後に音を放射するバイポーラ型。

4発搭載されているウーファーのうちの1基は、MFB方式(サーボコントロール)が採用され、
専用のチャンネルデバイダーに、ウーファーからの信号がフィードバックされている。
このサーボコントロールをオンにした状態で、ウーファーのコーン紙を軽く押してみると、
瞬時に押し戻される感触があり、この機能を実感できる。

サーボコントロールのおかげだろうか、ウーファータワーのサイズは、奥行きがそんなにないのと、
フロントバッフルもウーファーのサイズぎりぎりまで狭められていて、実は意外にコンパクトである。

このIRSベータを、井上先生が、ステレオサウンドの試聴室で鳴らされた音を聴いた。
風圧を伴っていると感じるくらいの低音の凄さを聴くと、大半のスピーカーの低音の再生に物足りなさを覚えてしまう。

IRSベータの試聴がおわったあと、井上先生が、試聴室横の倉庫をのぞかれて、
「おい、あれ、持って来いよ」と言われた。
BOSEの301だった。

何を指示されるのかと思っていたら、301とIRSベータのウーファータワーの組合せだった。
おそらく、こんな組合せの音を聴いたのは、その時試聴室にいた者だけだろう。

井上先生の凄さは、こういう組合せでも、パッパッとレベルをいじり、それぞれの位置も的確に決められ、
ほとんど迷うことなく、ごく短時間で調整されるところにある。

この音も驚きであった。低音再生の深みに嵌っていくだろう。

Date: 1月 30th, 2009
Cate: アナログディスク再生, 五味康祐

五味康祐氏のこと(その7)

「想い出の作家たち」のなかで、五味千鶴子氏が語られている。
     *
亡くなる前にベッドに寝ていても、毛布をシュッとかけなおして、「折り目正しくなってるか」とたずねるのです。
「ええ、きちんとなってますよ」と言うと安心しました。何かお見舞いの品をいただいても「真心こもってるか」と言います。「とても真心のこもったものをいただきましたよ」と言うと、「そうか、人間は折り目正しく、真心こめていかなきゃいけないよ」と言っていたのをよく覚えております。
     *
「折り目正しく、真心こめて」が、
五味先生がオーディオ愛好家の五条件のひとつにあげられている、
「ヒゲのこわさを知ること」につながっているのは明らかだろう。

漫然とレコードをあてがうことで、センタースピンドルの先端をレコードの穴の周辺で行ったり来たりさせて、
その跡が細く残る。光にあてると、すぐにわかるスジがヒゲだ。

「折り目正しく、真心こめて」レコードを扱うのであれば、
こんなヒゲがつくことはない。
レコードの扱いは、ひいては音楽の扱いである。
それでも、ヒゲがあっても、肝心の盤面にキズがなければ音には無関係とわりきっている人もいるだろう。

あえて言うが、必ずしも無関係とは言えない。
レコードのセンター穴も、アナログプレーヤーのセンタースピンドルも、その寸法に許容範囲がある。
規格によって定められている寸法ぴったりだと、すっという感じで、レコードをターンテーブルの上に乗せられない。
ごくまれにレコードのセンター穴がぎりぎりの寸法のためなのだろう、
レーベル面をぐいっと力を込めて押す必要があったレコードに出合ったこともあるが、
ほとんど全てのレコードがすっとおさまる。

つまりセンタースピンドルとセンター穴の間には、わずかだけど、すき間が生じている。
そのためレコードがかならずしもセンターにきている保証はどこにもない。
ほぼ確実にどの方向かにオフセットしているわけだ。

以前、ナカミチから、このレコードの偏心をプレーヤー側で自動調整する製品TX1000が出ていた。
TX1000で調整前と後の音を聴き較べると、レコードの偏心による
──偏心といっても、ほんのわずかなブレなのに──音の影響の大きさに驚かれる方も少なくないだろう。

TX1000のように自動調整機構がついてないプレーヤーでも、偏心の影響はすぐにでも確かめられる。
同じレコードをセットして音を聴く。そしていったんレコードを取り外して、またセットして音を聴く。
けっこう音の違いがあるのに気づかれるはずだ。
端的にわかるのが、カートリッジを盤面に降ろした時の音である。
通常、ボリュームを絞ってカートリッジを降ろし、ボリュームをあげるが、
レコードの偏心を確かめたい時は、あえてボリュームには触れず、いつも聴く位置にしておく。

偏心が少なく、ほぼ中心にレコードがセットされている時の、カートリッジが盤面に降りた時の音は、
スパッとしていて、尾をひかず気持ちのいいものだ。
偏心が多いと、「あれっ?」と思うほど、この時の音が違う。

使い手の手に馴染んだプレーヤーで、「折り目正しく、真心込めて」レコードをセットしていると、
たいていは、いい感じの位置にレコードが収まってくれる。

これは、私の体験から断言できる。
ステレオサウンドの試聴室で、それこそ多い日は、何度も何度もレコードを取りかえ、ターンテーブルに乗せている。
その回数は、半端ではない。

だから言える。
ヒゲをつけるようなレコードのセットでは、偏心も大きかろう、音も冴えないだろう、と。

Date: 1月 30th, 2009
Cate: 五味康祐, 伊藤喜多男

五味康祐氏のこと(その6)

ステレオサウンドの姉妹誌HiViに伊藤先生が、五味先生のことを書かれたことが、一度だけある。

五味康祐大人、と、そこには書かれていた。

五味先生は大正10年、伊藤先生は明治45年の生まれ。
だから、「五味康祐大人」の言葉のもつ重み、意味合いを想うにつれ、目頭が熱くなった。

伊藤先生も五味先生も、それぞれのモノに、心酔し惚れ抜いた人である、男である。
伊藤先生はシーメンスのスピーカーに、真空管(とくにウェスターン・エレクトリックの300Bに)。
五味先生はタンノイのオートグラフに。

惚れた、でも、惚れ込んだ、でもない。惚れ抜くことができた。

実現せずに終ってしまった、残念なことがあった、ときいている。
五味先生のお宅に、
伊藤先生製作のアンプ(コントロールアンプのRA1501と300Bシングルアンプの組合せ)を持ち込み、
聴いていただこうというものであった。
実現していれば、ステレオサウンドに載っていたであろう。
どういうふうに載っていただろうか。

もしかすると、オーディオ巡礼のなかで実現していたのかもしれない。
それまでのとは逆に、伊藤先生が五味先生のリスニングルームを訪ねられる、
という形でのオーディオ巡礼だったのではないか、と思ってしまう。

五味先生がなんと語られたのか、
伊藤先生と五味先生の語らい、それを五味先生は、どう言葉にされたのか……。

実現には、時間が足りなかった。

Date: 1月 29th, 2009
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと(その5)

五味先生の書かれたものを、いくつか読み進めていくうちに感じていたのは、その洞察力の凄さだった。

もちろん文章のうまさ、潔癖さは見事だし、多くのひとがそう感じておられることだろうし、
そのことで隠れがちなのだろうが、歳を重ねて、何度も読み返すごとに、
その凄さは犇々と感じられるようになってきた。

「天の聲」に収められている「三島由紀夫の死」を、ぜひお読みいただきたい。
わかっていただけると思っている。

マネなどできようもない、この洞察力の鋭さが、オーディオに関しても、
こういう書き方、こういう切り口があったのか、という驚きと同時に、
オーディオについて多少なりとも、なにがしか書いている者に、
絶望に近い気持ちすら抱かせるくらいの内容の深さに結びついている。

Date: 1月 28th, 2009
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと(その4)

ステレオサウンドが以前出していたHiFi Stereo Guide、途中からAudio Guide Year Bookに変わった、
この本の編集を担当されていたのは、私がステレオサウンドにいたころはTさん、ひとりだった。

締め切り間際になると、別の部署の女の子が手伝っていたけれど、
ほとんどの作業をひとりで黙々とこなされていた。

Tさんは、五味先生の「西方の音」所収の「タンノイについて」で、
「私の友人でレーダーの製作にたずさわる技術者──かつはHi・Fi仲間である」と語られている、その人である。

以前はアンプの自作も手がけられていたときいたことがあるが、
それらはいっさいやめて、その時はQUADのシステムで
──スピーカーはESLの、それもブラック仕様の方、アンプは44と405のペアで、
アナログプレーヤーはリンのLP12(トーンアームはSMEだったか)を、
昔の電蓄を思わせる特注のラックに収められていた。

Tさんに訊いたことがある。五味先生の補聴器のことについて、確認したかったからだ。

音楽を聴かれる時は、補聴器は使われていなかった、と書かれたものを読んで、そう思っていた。
けれども一部では、補聴器をつけたままレコードを聴かれていた、という者がいた。
どう見ても、五味先生とつき合いのあった人とは思えない者が、そういうことを言う。

だからTさんに確認したかった。
ただ確認だけをしたかったのだ。

そのときTさんが、五味先生とレストランで食事をされていた時のエピソードを話してくれた。

補聴器は、こういうところでは用をなさないことが多い。
ナイフやフォークの振れ合う音、椅子を動かす音といった、周囲の雑音が取捨選択なしに耳に飛び込んでくるからだ。

だから耳元で、「五味さぁーん」とそこそこ大きな声で話す必要があったにもかかわらず、
バックグラウンドミュージックでベートーヴェンの曲が鳴っていると、
同席した誰もが気がつかないのに、五味先生だけが「ベートーヴェンの作品○○だ」と口にされたそうだ。
言われて耳をすますと、確かに鳴っているのに気がつく。
そういう音量だったのに、五味先生ひとりだけベートーヴェンに耳をすまされていた。

「不思議だったなぁ、五味さんのそういうところは」と懐かしそうに話してくださった。