Archive for category 人

Date: 9月 7th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その12)

試聴レコードにない、聴きたいレコードを聴けるわずかな機会に、シャシュのレコードをかけたわけだ。
ノルマの「カスタディーヴァ」を一曲聴く時間は十分にあると思っていたし、
さらに二、三曲聴く余裕は、前日までの感じでは、あるはずだったが、
意外にはやく黒田先生、上杉先生たちが戻ってこられた。
あと20分ぐらいは、戻ってこられないと思っていただけに、いそいでボリュウムを絞り、針を上げようとしたら、
黒田先生が、「そのまま聴かせて」といいながら、椅子に坐られた。
聴き入られていたようすだった。

途中からだったので、もう一度最初からかけ直すことになった。
午後の試聴が、こうしてはじまった。

シャシュのあとに試聴レコードの三枚、そして黒田先生が、「これを鳴らしてほしい」ということで、
アル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリン、パコ・デ・ルシアの「スーパー・ギター・トリオ」を聴くことになった。

Date: 8月 31st, 2009
Cate: 境界線, 瀬川冬樹

境界線(その2)

人の声が中音域だとすれば、その上限は意外と低い値となる。

声楽の音域(基音=ファンダメンタル)は、バスがE〜c1(82.4〜261.6Hz)、
バリトンがG〜f1(97.9〜349.2Hz)、テノールはc〜g1(130.8〜391.9Hz)、
アルトはg〜d2(196.0〜587.3Hz)、メゾ・ソプラノはc’〜g2(261.6〜783.9Hz)、
ソプラノはg’〜c2(329.6〜1046.5Hz)と、約80Hzから1kHzちょっとまでの、ほぼ4オクターブ弱の範囲であり、
2ウェイ構成のスピーカーであれば、ウーファーの領域の音ということになる。

タンノイ、アルテックの同軸型ユニットのクロスオーバー周波数は、1kHzよりすこし上だから、
トゥイーター(ホーン型ユニット)が受け持つのは、人の声に関しては倍音(ハーモニクス)ということになり、
オーディオにおける高音域は、倍音領域ともいえるわけだ。

瀬川先生の区分けだと、人の声は、中低音域と中音域ということになり、
中高音域、高音域、超高音域と、「高」音域は、ほぼ倍音領域である。

瀬川先生の区分けは、音の感じ方を重視して、のものでもある。

Date: 8月 26th, 2009
Cate: ショウ雑感, 境界線, 川崎和男

2008年ショウ雑感(というより境界線について)

アンプの重量バランスの違いによって生じる音の差だけを、純粋に抽出して聴くことはできない。

アンプの音は、いうまでもなく重量バランスだけによって決定されるものではなく、
回路構成、パーツの選択と配置、筐体の構造と強度、熱の問題など、
さまざまな要素が関係しているのは、
福岡伸一氏のことばを借りれば、動的平衡によって、音は成り立つからだろう。

福岡氏は、週刊文春(7月23日号)で、
「心臓は全身をめぐる血管網、神経回路、結合組織などと連携し、連続した機能として存在している」
と書かれている。

これを読み、じつは「境界線」というテーマで書くことにしたわけだ(続きはまだ書いていないけれど)。

動的平衡と境界線について考えていくと、意外に面白そうなことが書けそうな気もしてくる。

オーディオにおける境界線は、はっきりとあるように思えるものが、曖昧だったりするからだ。

そして境界線といえば、川崎先生の人工心臓は、この問題をどう解決されるのか──。

クライン・ボトルから生まれた川崎先生の人工心臓は、どういう手法なのかは全く想像できないけれど、
トポロジー幾何学で、境界線の問題を解決されるはず、と直感している。

そこからオーディオが学べるところは、限りなく大きいとも直感している。

Date: 8月 20th, 2009
Cate: ワイドレンジ, 瀬川冬樹

ワイドレンジ考(その46)

瀬川先生は、ヴァイタヴォックスCN191について、
「二台のスピーカーの置かれる壁面は少なくとも4・5メートル、できれば5メートル以上あって、左右の広がりが十分とれること」と、
「続コンポーネントのステレオのすすめ」のなか、22項で書かれている。

残念ながら、紙面の都合だろうが、その理由については書かれていないが、おそらくコーナーホーン型であること、
壁をホーンの延長として使うこと、そして実際に音を聴かれた経験から、そう書かれただろう。

「残念乍ら」は、1980年、81年の瀬川先生の文章に、なんども登場する。
与えられた枚数が、瀬川先生が書きたいと思われているもに対して少なすぎて、
十分な説明がかけないままのとき、「残念乍ら」を使われている。

当時、この「残念乍ら」の部分を、いつか読めるものだと思って、
毎号ステレオサウンドの発売日を楽しみに待っていた。

けれど、「残念乍ら」の部分を書かれることなく、亡くなられた。

どれだけの「残念乍ら」があったのだろうか。
もし、あの時代にインターネットが、いまの時代のように存在していたら、
ページ数という物理的な制約のせいで書けなかったことを、
ブログやウェブサイトで公開されていたかもしれない、そう思うのだが……。

Date: 8月 9th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その21)

ステレオサウンドの60号の1年半前にも、スピーカーの試聴テストを行なっている。
54号(1980年3月発行)の特集は「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」で、
菅野沖彦、黒田恭一、瀬川冬樹の3氏が試聴、長島先生が測定を担当されている。
この記事の冒頭で、試聴テスター3氏による「スピーカーテストを振り返って」と題した座談会が行なわれている。

ここで、瀬川先生は、インターナショナルサウンドにつながる発言をされている。
     ※
海外のスピーカーはある時期までは、特性をとってもあまりよくない、ただ、音の聴き方のベテランが体験で仕上げた音の魅力で、海外のスピーカーをとる理由があるとされてきました。しかし現状は決してそうとばかかりは言えないでしょう。
私はこの正月にアメリカを回ってきまして、あるスピーカー設計のベテランから「アメリカでも数年前までは、スピーカーづくりは錬金術と同じだと言われていた。しかし今日では、アメリカにおいてもスピーカーはサイエンティフィックに、非常に細かな分析と計算と設計で、ある水準以上のスピーカーがつくれるようになってきた」と、彼ははっきり断言していました。
これはそのスピーカー設計者の発言にとどまらず、アメリカやヨーロッパの本当に力のあるメーカーは、ここ数年来、音はもちろんのこと物理特性も充分にコントロールする技術を本当の意味で身につけてきたという背景があると思う。そういう点からすると、いまや物理特性においてすらも、日本のスピーカーを上まわる海外製品が少なからず出てきているのではないかと思います。
かつては物理特性と聴感とはあまり関連がないと言われてきましたが、最近の新しい解析の方法によれば、かなりの部分まで物理特性で聴感のよしあしをコントロールできるところまできていると思うのです。
     ※
アメリカのベテランエンジニアがいうところの「数年前」とは、
どの程度、前のことなのかはっきりとはわからないが、10年前ということはまずないだろう、
長くて見積もって5年前、せいぜい2、3年前のことなのかもしれない。

Date: 8月 3rd, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その20)

ステレオサウンド創刊15周年記念の60号の特集は、アメリカン・サウンドだった。
この号の取材の途中で瀬川先生は倒れられ、ふたたび入院された。
この号も手もとにないので、記憶に頼るしかないが、JBLの4345を評して、
「インターナショナルサウンド」という言葉を使われた。

残念なのは、この言葉の定義づけをする時間が瀬川先生には残されていなかったため、
このインターナショナルサウンドが、その後、使われたことはなかった(はずだ)。

インターナショナルサウンドという言葉は、すこし誤解をまねいたようで、
菅野先生も、瀬川先生の意図とは、すこし違うように受けとめられていたようで、
それに対して、病室でのインタビューで、瀬川先生は補足されていた。

「主観的要素がはいらず、物理特性の優秀なスピーカーシステムの、すぐれた音」──、
たしか、こう定義されていたと記憶している。

インターナショナルサウンド・イコール・現代スピーカー、と定義したい。

Date: 8月 1st, 2009
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

オーディオにおけるジャーナリズム(その21)

先週発売になったMACPOWERに掲載されている川崎先生の「ラディカリズム 喜怒哀楽」のなかに、
『「予知」と「勘」』という言葉が、ある。

川崎和男の「予知」と「勘」とは、
エリック・ホッファーの「未来を予測する唯一の方法は、未来をつくる力を持つことである」──、
この言葉そのものであり、川崎先生には、その力があるからこそ、と思っている。

「未来をつくる力」こそ、本来、ジャーナリズムの核なのではなかろうか。

エリック・ホッファーは、こうも言っている。
「真の預言者とは未来を見通す人ではなく、現在を読み解き、その本性を明らかにする人である」と。

Date: 7月 17th, 2009
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(その21)

黒田先生が、岩崎先生のリスニングルームを、ステレオサウンド 38号の取材で訪ねられたときに、
最初に鳴ったのは、リー・ワイリーの「バック・ホーム・アゲイン」だったと書いてある。

黒田先生がやや不審げな表情をされたぐらい、かなり小さな音量だったともある。

2曲目は、デイヴ・マッケンナ・クワルテットのレコードで、これは、そうとうな大音量で鳴らされたとある。
音楽の内容によって、ボリュウム設定は、かなり大きく変えられているということだ。

「演奏ができるだけ眼前にあるような感じがほしい」のと「小さい音もよく聴きたいという意識」から、
音量があがってきてしまうと発言されているが、それでもヴォーカルのレコードは、
大音量で聴くとおかしなことになるという理由で、むしろ一般的な音量よりも小さめで聴くことが多い、とある。

ヴォーカルのレコードに含まれている「小さな音」も十分に聴きとりたいと思われていたであろう。
それでも、控えめな音量で聴かれている。

Date: 7月 16th, 2009
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(その20)

ステレオサウンド 43号に、「とてもセンシティブで心優しい感じだった」と、
岩崎先生のことを、岡先生は書かれている。

岩崎先生は、 QUADのESLを所有されていた。いつからなのかははっきりしないが、
ステレオサウンド 38号で、「かなりライヴな部屋で、しかも固い壁を背にして置くというイメージが強い」ESLを、
「6畳の和室で鳴らしてみる。そういう実験というか冒険をやってみたい」と語られているから、
1976年以前に購入されたのだろう。

QUADのESLと岩崎千明が、なかなか結びつかない人もいるだろう。
岩崎先生の愛用された、数多くのオーディオ機器のなかで、ESLは、
どちらかといえば、ちょっと浮いた存在として映るかもしれないが、
岩崎先生が大音量で聴かれる理由のひとつは、ローレベルのリニアリティに対して、
きびしく追い求められていたことを思い起こせば、納得のいく選択である。

岩崎千明=大音量再生というイメージが語られすぎているようにも思う。
たしかに大音量で、よく聴かれていた、ときいている。

だが、いつでも、どんな曲でも、大音量で聴かれていたわけでは、決してない。

Date: 7月 15th, 2009
Cate: ワイドレンジ, 井上卓也

ワイドレンジ考(その38)

古き佳き時代のスピーカーに対する、井上先生の「ラッパ」という言葉の響きのうらには、
心情的にノスタルジックな意味が、あきらかに含まれている。

「いずれ鳴らすつもり」で、井上先生は、「欲しい」と思ったオーディオ機器やパーツ類を、
理屈抜きに集めておられた。
ステレオサウンドのうしろのほうに掲載されている交換欄、
ユーズド・コンポーネント・マーケットのページも、丹念にみておられたようだ。

私がいちど、ある製品を掲載したところ、すぐに「あれ、手ばなしたのか」と言われたことがある。
また、あるときは、井上先生から電話があって、
「ジェンセンのG610Bを、山中さんが手放すから、
買おうと思っているけど、中古相場はどのくらいするのか」と聞かれたこともあった。
つづけて、「G610Bのトゥイーターは気にくわないところがあるから、
以前の開口部が丸の、PR302に交換するつもりなんだけど、どこかにないかなぁ」と言われたので、
いくつかのオーディオ店に電話をかけまくり、探し出したこともあった。

ウェスターン・エレクトリックのユニットもお持ちだったと聞いているし、
マランツのModel 7にいたっては、何台所有されていたのだろうか。
オリジナルはもちろん、日本マランツが発売したキット版、
それから復刻版のModel 7SEまで所有されていたはずだ。

そういう井上先生が、「世界のオーディオ」で、こんなふうにタンノイについて書かれている。
     ※
つねづね、何らかのかたちで、タンノイのユニットやシステムと私は、かかわりあいをもってはいるのだが、不思議なことにメインスピーカーの座にタンノイを措いたことはない。タンノイのアコースティック蓄音器を想わせる音は幼い頃の郷愁をくすぐり、しっとりと艶やかに鳴る弦の息づかいに魅せられはするのだが、もう少し枯れた年代になってからの楽しみに残して置きたい心情である。

Date: 7月 14th, 2009
Cate: TANNOY, ワイドレンジ, 井上卓也

ワイドレンジ考(その37)

井上先生は、タンノイのウェストミンスターを呼ぶとき、
スピーカーではなく、「ラッパ」という言葉を使われていた。
なにも、そのときの気分でスピーカーだったり、ラッパと呼ばれたりするわけではない。
さりげなくではなるが、きちんと使いわけされていた、と私は思っている。

井上先生のタンノイのイメージは、「世界のオーディオ」に書かれている「私のタンノイ観」が参考になる。
     ※
タンノイの音としてイメージアップされた独特のサウンドは、やはり、デュアル・コンセントリック方式というユニット構造から由来しているのだろう。高域のドライバーユニットの磁気回路は、ウーファーの磁気回路の背面を利用して共用し、いわゆるイコライザー部分は、JBLやアルテックが同心円状の構造を採用していることに比べ、多孔型ともいえる、数多くの穴を集合させた構造とし、ウーファーコーンの形状がエクスポネンシャルで高域ホーンとしても動作する設計である。
したがって、38cm型ユニットでは、クロスオーバー周波数をホーンが長いために1kHzと異例に低くとれる長所があるが、反面において、独特なウーファーコーンの形状からくる強度の不足から強力な磁気回路をもつ割合に、低域が柔らかく分解能が不足しがちで、いわゆるブーミーな低域になりやすいといった短所をもつことになるわけだ。
しかし、聴感上での周波数帯域的バランスは、豊かだが軟調の低域と、多孔型イコライザーとダイアフラムの組み合わせからくる独特な硬質の中高域が巧みにバランスして、他のシステムでは得られないアコースティックな大型蓄音器の音をイメージアップさせるディスクならではの魅力の弦楽器音を聴かせることになる。
     ※
井上先生にとって、幼いときに聴かれていた、1-90に始まりクレデンザに至る、
蓄音器の音をイメージさせる音をもつ佳き時代のスピーカーを、「ラッパ」と呼ばれていた。
私は、そう受けとっている。

Date: 7月 13th, 2009
Cate: TANNOY, ワイドレンジ, 井上卓也

ワイドレンジ考(その36)

井上先生は、記事の中で、エンクロージュアの剛性の高さが、リジッドさが、音に、
特に低音に関しては、強く出ていると発言されている。

アメリカ・東海岸のスピーカーメーカー、ボザークやマッキントッシュの特徴でもある、
重厚で緻密な低域が、ごく低い周波数だけにとどまることなく、ウーファーのかなり上の帯域まで、
同じ音色で統一されている、とのことだ。

低域に関しては、アメリカ・東海岸のスピーカーに共通するものをもちながらも、
中高域になると、従来からタンノイトーンと呼ばれる、中高域の独特の輝きを、
他のタンノイのスピーカーよりも、目立たないようにバランスしている点が、
イギリスの伝統的なスピーカーにしか出せない独特の魅力へとつながっている、と指摘されている。

井上先生は、バッキンガムを鳴らすための組合せとして、
コントロールアンプに、バッキンガムのやや控えめな性格をカバーする意味合い、
音像を立体的にする目的から、コンラッド・ジョンソンのデビュー作のPreamplifier(管球式)を、
パワーアンプは、音に積極性を持たせるためにSAEのMark 2600を選ばれている。

これらのことは、バッキンガムが、どちらかといえば控えめであり、おっとりしたところを、
うまく補うためでもある。

Date: 7月 8th, 2009
Cate: 黒田恭一

サライ(黒田恭一氏のこと)

サライ、7月16日号に、「黒田恭一さんからのメッセージ」が載っている。
葬儀の際、参列者の方々に手渡しされた、14行ほどの手書きのメッセージが、そのまま写真で掲載されている。

Date: 7月 4th, 2009
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(その19)

岩崎先生といえば、「大音量」という言葉が、つねにいっしょに語られるが、
むしろ大事なのは、重要なのは「対決」のほうである。

Date: 7月 1st, 2009
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(その18)

ハーツフィールドをどう鳴らされていたのか、ほんとうのところはもうはっきりとしないことだろう。
それにしても、なんと岩崎先生のエネルギッシュなことだろう。

カートリッジの試聴テスト(ステレオサウンド 39号)は、1976年。
ハーツフィールドやパトリシアンIVを購入された年でもある。

この情熱と行動力は、そのまま見倣いたい、と思っているが、とおく及ばない

井上先生が、岩崎先生への追悼文に、「プロ意識そのもの」と表現されている。
まさしくその通りなのだが、なぜ、ここまでも、とも思う。

このことは、大音量で聴かれていたことと、なんとなくではあるが、結びついているのではないか、
そう思えるようになってきた。