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Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その3)

「オーディオ彷徨」を読んだときは、ステレオサウンドで働いていた。
試聴のあいまに、ときどきではあったが、岩崎先生のことが話題になることもあった。
「オーディオ彷徨」を読んでもわかるが、
とにかく強烈な印象の人であったことが、少しずつではあるが実感できてきた。
それでもジャズをあまり熱心な聴かないことがあってか、
「オーディオ彷徨」の面白さにのめり込むには、もう少し時間を必要とした。
いわば「遅れてきた読者」であった。

だから2000年にaudio sharingをつくったときに、「オーディオ彷徨」を公開した。
じつはこのとき、岩崎先生のご家族と連絡がとれずに、無断公開だった。
でも、しばらくしてご家族の方からメールをいただいた。許諾を得られた。

audio sharingを公開したとき、私の手もとにあった本で、岩崎先生の文章が載っているのは、
ステレオサウンド 41号と「オーディオ彷徨」だけだった。
もっともっと岩崎先生の文章を公開したいと思っていても、すぐにはどうすることもできなかった。

けれどaudio sharingを公開していると、本を提供して下さる方がいらっしゃる。
その方たちのおかげで、岩崎先生の書かれた文章をここ数年まとめて読むことができた。
そして気づくのは、意外にも瀬川先生と共通するところが多い、ということだった。

ジャズを大音量で聴く岩崎先生と、
クラシックを小音量で聴かれていた瀬川先生。
以前ならば、ふたりに共通性をみつけることは、ほとんどできなかった。
というよりも、できる、とは思っていなかった。

共通するところといえば、JBLのスピーカーを愛用されていたこと、であっても、
岩崎先生のJBLといえばD130でありパラゴンである。
瀬川先生は4341、4343、4345といった4ウェイのスタジオ・モニターだし、
レコードの扱いもふたりは対照的だった、ときいていた。

でも、それは、私が岩崎先生の書かれたものをほとんど読んでいなかったから、であった。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その2)

私が初めて手にした(買った)ステレオサウンドは、1976年12月に出た41号と、
ほぼ同時に出ていた「コンポーネントステレオの世界 ’77」だった。
つまり、私が岩崎先生が書かれたものを同時代に読むことができたのは、
ステレオサウンド 41号に掲載されたものだけである。

41号には、JBLのパラゴン、アルテックの620A、クリプシュのK-B-W、SAEのMKIBとMark2400、
アキュフェーズのT100とM60、アムクロンのDC300A、オーディオリサーチのD76A、ダイナコのMKVI、
ダイヤトーンDA-A100、デンオンPOA1001とDH710F、ラックスCL32、マランツの150、
デュアルCS721Sと1249、トーレンスTD125IIAB、マイクロのDDX1000について書かれている。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」には書き原稿はない。

1977年3月のステレオサウンド 42号には岩崎先生の文章は載ってなかった。
そして6月発売のステレオサウンド 43号には、岩崎先生への追悼文が載っていた。

このころはまだ中学生だったから、新しく出るステレオサウンドやその他のオーディオ雑誌、
それにレコードを買うのがせいいっぱいで、ステレオサウンドのバックナンバーを購入する余裕はなかった。
だから、岩崎先生の文章をまとめて読むことになるのは、もうすこし先のことになる。

そうであっても、ステレオサウンド 43号に載っていた「故岩崎千明氏を偲んで」は何度か読み返しては、
井上先生、岡先生、菅野先生、瀬川先生、長島先生、山中先生による追悼文と、
パラゴンの前で椅子の上で胡座を組んで坐っている岩崎先生の写真をみて、なにか強烈なものを感じていた。

岩崎千明という人がどういう人であったのかは、亡くなられたときにはほとんど何も知らなかった。
ジャズを大音量で聴く人、というぐらいでしかなかった。
そのせいか、遺稿集「オーディオ彷徨」が出てもすぐには買わなかったし、買えなかった。
私が「オーディオ彷徨」を手にしたのは、復刊されてからである。

Date: 12月 24th, 2011
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その1)

まず、この文章をお読みいただきたい。
     *
 8月のまだ暑さの厳しい、ある日の昼下り、SJ試聴室にふと立寄った時、見なれぬブランドのパワー・アンプが眼に入った。〝Stax〟と小さく、しかし、鮮やかな文字がパイロット・ランプ以外に何もない、そのスッキリとしたパネルにあった。知る人ぞ知る個性派ナンバー・ワンのメーカー、スタックス・ブランドのアンプということで、大いにそそられ、聴きたくなったのも当然だろう。
 SJ試聴室の標準スピーカーJBLスタジオ・モニター4341が接続され、音溝に針を落してボリュームが上がると、響きが空間を満たした。その時のスリリングな興奮は、ちょっと口では言えないし、まして、こうして文字で表わすことなどできない。なんと言ったらよいのだろうか、まず4341が、JBLがこういう音で鳴ったことは今までに聴いたことがない。それは、やわらかな肌触わりの、しなやかな物腰の、品の良いサウンドであった。いわゆるJBLというイメージの、くっきりした鮮明度の高い強烈さといった、いままでの表現とまったく逆のものといえよう。だからといって、JBLらしさがなくなってしまった、というわけでは決してない。そうした、いかにもJBLサウンドという音が、さらにもっと昇華しつくされた時に達するに違いない、とでもいえるようなサウンドなのだ。まったく逆な方向からのアプローチであっても、それが極点に達すれば、反対側からの極点と一致するのではないだろうか。ちょっと地球の極点のように、南へ向っても北へ向っても、ひとまわりすれば極点で一致するのと同じ考え方で理解されようか。
 スタックスのアンプのサウンド・クォリティーを説明するのは、むづかしい。本当は今までになく素晴しい、といい切っても少しも誇張ではないが.それならば、どんなふうにいいのか。少なくとも、音溝のスクラッチ音が極端に静かになる。JBLのシステムで聴くと、レコードのスクラッチはきわめてはっきりと出てくるが、その同じスピーカーでありながら、スタックスのアンプでは、驚くほど耳障りにならなくなってしまう。さらに演奏者の音が、そのまわりの空間もろとも再現されるという感じで鳴ってくれる。ステージでの録音ならばそれは、良い音としての必要条件ともなるが、スタジオでのオンマイク録音においてでさえも、こうした演奏現場の音場空間がスピーカーを通して聴き手の前にリアルに表現される。優れた再生というものの重要なるファクターであるこうした音場再現性が、スタックスのこのパワーアンプDA80でははっきりと感じられる。もし聴きくらべることができる状態ならば、おそらくそうした事実は、誰もが非常にはっきりと感じとることができるのではないだろうか。それは、ちょっときざっぼい、言い方をすれば、再生音楽の限界の壁を越え得たといえる。または、生(なま)へ大きく一歩前進したともいえよう。
 さて、こうした、かってない未知の再生効果の衝撃的体験をしたときから、このアンプDA80は、私に新たなる可能性を提示し拡大してくれたのである。その製品の、オリジナリティーおよびクォリティーの高さは、スタックス・ブランドの最も誇りとするところであり、これはごく高いレベルのマニアの間でこそ常識となっているとはいうものの、「スタックス」というブランドは必らずしもよく知られているわけではない。だからSJ読者の中にも、このページの登場で初めて意識される方も多いことと思われる。スタックスは、国内オーディオ・メーカーの中でも、もっとも永いキャリアーと他に例のないユニークな技術とで知られる、今や世界にもまれになったコンデンサー・カートリッジとコンデンサー・スピーカーからそのスタートを切り、アーム、さらにヘッドフォン、そのためのアダプター・アンプと順次に作ってきて分野を序々に、しかし確実に拡げてきたのち、1年前に、パワー・アンプDA300を発表した。150/150ワットのA級アンプは、ごく一部のマニアの間で、話題になったが商品としては、高価格のため必らずしも大成功とまではいかなかったようだ。今回、このDA300を実用型として登場したのが、このDA80だ。しかし、DA80は、兄貴分たるDA300を、性能的にも再生品位の上でも一歩前進したといって差支えないようだ。AクラスDC構成アンプというその回路的な特長による技術的な優秀性だけが、決してそのすばらしさのすべてではないのだ。おそらくオーディオも商品としてもまた兄貴分DA300は、一歩を譲るに違いあるまい。
     *
今日、もうひとつのブログ、the Review (in the past)で公開した、
岩崎先生が、スイングジャーナルの1976年10月号に書かれた、スタックスのパワーアンプDA80の製品評だ。
最初は、リンクするだけにしておこうと思ったが、確実に読んでほしい、と思ったので、
まるごと、こちらでも公開した。

私は、この岩崎先生の文章を読んで、やっぱりそうだったんだ、という感を深くした。
そして、ひとりで、うんうん、と首肯いていた。

Date: 12月 20th, 2011
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと

五味康祐(1921年12月20日 – 1980年4月1日)

Date: 12月 2nd, 2011
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと

岩﨑千明(1928年12月2日 – 1977年3月24日)

Date: 11月 26th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続々続・五味康祐氏のこと)

「いろんな人と旅をしたけれど、あんたと旅をしたのが一番楽しかった」

『五味一刀斎「不倶戴天の」仇となった「金と女」とのめぐり合いを』を読み終わって、
この五味先生の言葉にもどってくると、
五味先生にとって、千鶴子夫人という存在とタンノイ・オートグラフの存在が重なってくるようなところを感じた。

五味先生は「いろんな人と旅」をしてこられた。
いろんなスピーカーを使ってこられた。

なにを使ってこられたのかは、もうここでは書かない。
五味先生のオーディオ巡礼、西方の音、天の聲をお読みになればわかることだ。
そうやってタンノイのオートグラフというスピーカーシステムとめぐり合われた。

このオートグラフとの出合いも、ここで詳しく書く事もないだろう。

オーディオ機器は決して安いモノではない。
けっこうな値段のモノばかりだし、
いまではおそろしく高価になり過ぎてしまったモノは珍しくなくなっている。
だから、オーディオ機器を購入する時は、しっかりと情報を収集して、
音も、もちろん事前に聴く。それもできれば自宅で試聴して、という方もおられよう。
そういう慎重な購入が、いまでは当り前のようになってきている。

そういう買い方をされる方には、五味先生のオートグラフの購入は信じられないことでしかないだろう。
音を聴かれていないばかりか、実物すら見ずに、
イギリスのHi-Fi YearBookの1963年版に掲載されていた写真とスペックと、
それに価格だけで購入を決意されている。

五味先生が買われたころのオートグラフも、またひじょうに高価なモノだった。
「怏怏たる思いをタンノイなら救ってくれるかもしれぬと思うと、取り寄せずにはいられなかった」五味先生。

このオートグラフが、五味先生にとって終のスピーカーシステムとなる。

なぜHi-Fi YearBookを見た時に、そう感じられ思われたのか──。
五味先生の書かれたものを読んでも、オートグラフ以前にタンノイのスピーカーをご自身で鳴らされているけれど、
決してそれは、素晴らしい音とまではいえない音だったことはわかる。
「かんぺきなタンノイの音を日本で誰も聴いた者はいない」、そんな時代に決意されたのは、
ある種の予知能力なのではなかったのか、と週刊新潮の記事を読んで、そう思った。

Date: 11月 26th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続々・五味康祐氏のこと)

5年前だったか、週刊新潮が創刊50周年を記念して創刊号を復刊したことがあった。
創刊号をそのまま復刊しただけでなく、
それまでの週刊新潮にたずさわってきた人たちによる興味深い文章もよせられていた。
巻頭には齋藤十一氏についての文章があった。
それから齋藤夫人のインタビュー記事も載っていた。
そのどちらにも五味先生の名前が登場していた、と記憶している。

五味先生の筆の遅いのはよく知られていたことで、
週刊新潮では印刷所の一角に小さな和室をつくり、
そこに〆切間際というよりも〆切をすぎたときに五味先生をカンヅメにして原稿を執筆してもらっていた、とある。
けれどちょっと目を離すと、銀座のママに電話して原稿をほったらかしていなくなってしまうらしい。
『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』にも同じようなエピソードがある。

取材に旅行に出かけるというので、担当編集者が駅まで送りに行ったときのことだ。
五味先生は「それじゃ」といって列車に乗り込む。いい忘れたことがあった編集者はその列車にとってかえすも、
五味先生はいない。なんととなりのホームで、水商売風の女性と別の列車に乗り込もうとされていたとか。
また温泉宿にカンヅメになったときも……。

五味先生は、たしかに「いろんな人と旅」をされていた、と週刊新潮の記事にはある。
さらに「とっかえひっかえ、実にコマメに、様々な女性を連れて歩いた人」ともある。

記事の最後の方には、そして、こう書いてある。
五味先生と特に親しかった知人の話として、
「無名のころから、めぐり合いたしと追いまわしたのはカネと女。ただし、結果としていえば、カネは一文も残らず、女もロクな女には出会わなかった」。

五味先生が剣豪作家として流行作家になられる前の窮乏した生活については、
オーディオ巡礼や西方の音のなかでもふれられている。
剣豪小説が流行になり、そんな状態は脱しながらも、入ってきたものを右から左へと使いまくる人だったそうだ。

だから、亡くなった後の預金通帳には、日本国民の平均貯蓄にははるかに及ばぬ金額が記入されていた……。

『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』は、
ロクな女と出会わなかったけれど、
ここでいう「女」の中で、千鶴子夫人だけは例外であったことは、
先にあげた故人の「いろんな人と旅をしたけれど……」という言葉が証明している、といえよう、と結んでいる。

週刊新潮1980年4月17日号の記事は、
タイトルは、当時の週刊新潮の編集方針であった俗物主義的ではあるけれど、内容は違う。
読めば、そのことはわかる。

この記事を読み終り思っていたことは、五味先生とスピーカーのめぐり合い、である。

Date: 11月 24th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続・五味康祐氏のこと)

『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』は、旅のことから始まる。

ちょうど二年前、という書出しで始まるから、
1978年に、3月から4月にかけて五味先生は千鶴子夫人を連れてヨーロッパ旅行に出かけられている。
この旅行のことは、「想い出の作家たち」(文藝春秋)におさめられている五味千鶴子氏の文章にもある。

この旅が終りに近づいたころ、
「いろんな人と旅をしたけれど、あんたと旅をしたのが一番楽しかった」
と口にされた、とある。

この旅行の3年前に、芸術新潮に連載されていた「西方の音」でマタイ受難曲について書かれた文章の書出しが、
「多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」である。

五味先生はオーディオの本のほかに、観相・手相の本も出されている人だ。
自分の掌を見つめて、「ガンの相が出ている」といわれていた、そうだ。
また「ガンは予知できるのだ」ともいわれていた、と記事にはある。

予知は自身の死についてだけではなく、昭和28年の「喪神」での芥川賞受賞も、また予知されている。
このところを、また週刊新潮の記事から引用しておく。
     *
昭和二十八年、『喪神』で芥川賞を受賞した時も、選考発表の日に、奥さんに向って「今度の芥川賞はオレが選ばれるよ。ただし二つに割れるな」といった。
なにしろ当時は、この一作しか発表されていなかったのだから、これを聞いた千鶴子夫人は、「何を、バカな……」と思った。が、その日の深夜、練馬の都営アパートの五味家に届いた電報は、授賞の知らせだった。しかも、松本清張氏との二人受賞だった。
むろん、批評家や編集者から事前に何か情報を聞かされていたわけではないという。
     *
この年の芥川賞の選考については、週刊文春の、ずっとあとの別の記事で読んだことがある。
ほとんどの選考委員は松本清張氏を推していて、
五味先生を強力に推していたのは坂口安吾氏だった、ということだ。

五味先生の、この不思議な予知能力を日常生活のなかでも折にふれて発揮していたそうで、
「お父さんはエスパーみたい」といわれていたそうだ。

Date: 11月 24th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(五味康祐氏のこと)

都立多摩図書館に行ってきた。
歩いて行こうと思えば歩いて行ける距離にあるし、
国会図書館に較べたら雑誌の所蔵数は少ないというものの、
閲覧・コピーも国会図書館よりもずっと簡単なだけに、月に2回ほど出向いている。

いま都立多摩図書館ではイベントをやっている。
といってもそんなに大げさな催しではなく、図書館の一角の展示スペースを利用しての、そういう程度のものである。
11月11日から12月5日まで「雑誌を彩る表紙画家」という催しをやっている。

行けば、なにかやっているので前もって何をやっているかは調べずに行く。
今日もそうだった。
行ってみると、週刊新潮がずらりと並べてある。
1970年代から80年にかけての週刊新潮が、すべてではないにしても表紙を全面見えるように展示してある。
そうやって並んでいる週刊新潮を眺めていたら、あっ、そうだ、と思い、
1980年4月の号を手にした。

4月17日号を手にとっていた。
目次を開く。そこには『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女の」とのめぐり合い』という、
なんとも週刊新潮らしいタイトルのついた記事が、やはりあった。

4ページの記事。誰が書かれたのかはわからない。
週刊新潮の編集者、というよりも、
そこに書かれていることはそうとうに五味先生と親しかった方ではないか、と思われる。
となると新潮社のS氏、つまり齋藤十一氏が書かれたものではなかろうか、そう思えてくる。

タイトルは、すこし俗っぽい内容を思わせるけれど、
読めば、そういうものでないことはすぐにわかる。

大見出しのところを引用しよう。
     *
「多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」──こう書いたのが五年前のことだった。そして、その通り五十八歳で亡くなった。この異才の作家が、観相の術をよくしたことはつとに知られている。家人が病名を隠して入院させた時も、自分の掌を見つめて、「ガンだな」といった。もっともそうはいいつつ、「医者はガンだっていっているんじゃないか」と不安そうに夫人に聞いたりもした。奔放多情の伝説を残した剣豪作家と、実はきわめつきの愛妻家と、二人の一刀斎がそこにいた……ということかもしれない。

Date: 11月 9th, 2011
Cate: 瀬川冬樹

確信していること(その20)

瀬川先生のオーディオ評論家としての活動の柱となっているものは4つある。
これは本のタイトルでいったほうがわかりやすい。

「コンポーネントステレオのすすめ」(ステレオサウンド)
「虚構世界の狩人」(共同通信社)
「オーディオABC」(共同通信社)
「オーディオの系譜」(酣燈社)

それぞれのタイトルが本の内容をそのまま表わしている。

「コンポーネントステレオのすすめ」は、
オーディオがプレーヤー、アンプ、スピーカーをそれぞれ自由に選んで組み合わせることが当り前のことになって、
その世界の広さ、深さ、面白さを伝えてくれる。

「虚構世界の狩人」には説明は要らないだろう。

「オーディオABC」はタイトルからいえばオーディオの入門書ということになるが、
瀬川先生の平易な言葉で書かれた文章は、決して表面的な入門書にはとどまらず、
確か岡先生が書評に書かれていたように「オーディオXYZ」的な内容でもある。
オーディオを構成しているものについて学んでいくには最適の本のひとつである。

「オーディオの系譜」は、オーディオの歴史を実際の製品にそって語られている。

もちろんこの4つ以外に、オーディオ雑誌での製品評価、新製品紹介もあるのだが、
これはオーディオ評論家として誰もがやっている柱であるから、あえて加えなかった。

と書くと、組合せに関しても、他のオーディオ評論家もやっているのでは? といわれそうだが、
組合せに関して、瀬川先生ほど積極的に取り組まれていた人はいなかった、と私は感じている。
それに瀬川先生の組合せは、興味深いものが多かった。
それは単に読み物として興味深いだけでなく、
実際に自分で自分にとっての組合せを考えていく上でのヒントにつながっていくものがちりばめられていた。

瀬川先生の組合せのセンスは、他の方々とはあきらかに違う。

だから、この項では、もう少し瀬川先生のつくられた組合せ例をみていくことにする。

Date: 11月 7th, 2011
Cate: 瀬川冬樹
1 msg

「古人の求めたる所」

私がaudio sharingをつくろうと決意したときにも、
「いまさら瀬川冬樹なんて」という人がいた。
私が、このブログを始めたときにも、「いまさら瀬川冬樹なんて」という人がいた。

いまもそういう人はいる。
このあいだも、私に直接「瀬川さんも岩崎さんも、たいしたことない」と言った人がいる。
私よりも年配の人だ。
その人がそんなことを口にする理由はおおよそ想像できるが、
それよりもこの人は「古人の跡」しか見ることのできない人なのだと思う。

松尾芭蕉の「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」は、
その人にはまったく関係のないことなんだろう。

結局「古人の跡」を求めることすらせず(できず)、ただ見ているだけにすぎない。
瀬川先生は今日(11月7日)で没後30年が経つ。
岩崎先生は1977年に亡くなられているから34年が経っている。

30年前に瀬川先生、岩崎先生がやってこられたオーディオと、
いま自分がやっているオーディオとを比較しての「いまさら……」だったり、
「たいしたことない」という言葉のように思えてならない。

「古人の求めたる所を求めよ」を肝に銘じていれば、
「いまさらも……」も「たいしたこと」も、口にできない。
だから、こんなことを平気で口にする人のことなんて、もうどうでもいい。

30年前、瀬川先生は、岩崎先生がオーディオに求められていたこととは、何だったのか。
それを、あなたも求めなさい、とは言わない。
だが、それを見つけ見つめることは、大切なことだといいたい。

Date: 10月 21st, 2011
Cate: 欲する, 黒田恭一

何を欲しているのか(その19)

ステレオサウンド 85号の、「ぼくのディスク日記」のなかで、
黒田先生はグルダの3組のディスクについて書かれている、そのなかにこうある。
     *
グルダのディスクをきく喜びは、きいていて、非常にしばしば、ああ、グルダ! と思える瞬間があることである。演奏がうまいとか、そういうたぐいのことではない。自作をひいた場合のみならず、大作曲家のすでにさまざまなピアニストの演奏できいている作品をひいた場合でも、ぼくはグルダの素顔というか、独白というか、つまりグルダそのものにふれたように感じ、どきりとすることがある。そのような思いをさせてくれる音楽家は、すくなくともぼくにとっては、グルダだけである。
     *
黒田先生がこの文章を書かれた1987年の私は、黒田先生のようにはグルダを聴くことができなかった。
グルダによって演奏された音楽を聴いて、「ああ、グルダ!」と思えたことはあった。
でも、それは、たとえばグールドによって演奏された音楽を聴いて、「あ、グールド!」と思えたのと、
そう変らなかった。

黒田先生の「ああ、グルダ!」と私の「ああ、グルダ!」とのあいだには、開きがあった。
いまも、黒田先生の「ああ、グルダ!」と同じに聴けている、という確証はどこにもない。
それでも30代後半あたりから、「ああ、グルダ!」と思える瞬間がはっきりと増えてきた。
いま40代後半になって、「ああ、グルダ!」と思えたとき、口元がほころぶときもある。
黒田先生が「そのような思いをさせてくれる音楽家は、すくなくともぼくにとっては、グルダだけである。」、
そう書かれた心境がわかるようになってきた、ということか。

あれだけ多くの音楽を聴いてこられた黒田先生が、「グルダだけである」と書かれたことに、
「ほんとうにそうですね!」と返したい気持が、
いまの私にはあるし、これから先もっと強くなっていくようにも思う。

黒田先生はマガジンハウスから出された「音楽への礼状」では、こうも書かれている。
     *
音楽は、徹底的に抽象的ですから、非常にしばしば、未消化の四角いことばに凌辱されがちです。この日本でも例外ではありません。音楽をきくというおこないに求められる謙虚さを忘れたあげく、ことばを玩ぶだけにとどまった音楽談義がさかんです。
     *
これは、フリードリヒ・グルダへの礼状として書かれたものだ。

Date: 9月 29th, 2011
Cate: 4343, JBL, 瀬川冬樹

4343とB310(もうひとつの4ウェイ構想・その14)

それでは瀬川先生の音のバランスの特長は、どこにあるのかといえば、
それは、基音(ファンダメンタル)と倍音(ハーモニクス)とのバランスにある、と推断する。

これを理解できずに、瀬川先生の出されていた「音」を、周波数スペクトラム的な観点から、や、
使用されていたオーディオ機器への観点から追い求めても、まったく似ても似つかぬ(ただの)音になってしまう。

残念なのは、基音と倍音のバランスの観点(感覚)から、
実際に瀬川先生の「音」を聴かれた人の、瀬川先生の「音」について語られているのが、ない、ということだ。

Date: 9月 25th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 長島達夫

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その25)

誤解のないようにもう一度書いておくが、
瀬川先生はQUADのESLを購入されている。シングルで鳴らすときのESLの音の世界に惚れ込まれていたことは、
それまで書かれてきたことからも、はっきりとわかる。
ただそれがダブルスタックになると、「きつい」と感じられる、ということだ。

おそらくESLは、ごく小音量で鳴らされていたのだろう。
そういう鳴らし方をしたときに、真価を発揮するESLが、ダブルスタックにすると一変する、というのは、
ダブルスタックの音に対して肯定的に受けとめられる人たちだ。

山中先生もそのひとりで、長島先生もそうだ。
長島先生はスイングジャーナルで、ダブルスタックの上をいくトリプルスタックを実現されている。

ESLのダブルスタックは香港のマニアの間ではじまった、といわれている。
その香港のマニアの人たちも、トリプルスタックをやった人はいないかもしれない。

しかも長島先生のトリプルスタックは、ただ単に3段重ねにしたわけではなく、
もともとの発想は平面波のESLから疑似的であっても球面波をつくり出したい、ということ。
そのため真横からみると3枚のESLは凹レンズ上に配置されている。

下部のESLは、ESLの通常のセッティングよりもぐっと傾斜をつけて斜め上を向き、
中央のESLはやや前屈みになり、下側のESLとで「く」の字を形成していて、
上部のESLは下部のESLよりさらに倒しこんで斜め下を向くように特註のスタンドは工夫されている。

聴取位置に対して、それぞれのESLの中心が等距離になるように、という意図もそこにはあったと考えられるが、
長島先生の意図は、疑似的球面波をつくり出すことによって、
平面波特有の音に対する長島先生が不満を感じていたところをなんとかしたい、という考えからであって、
このESLのトリプルスタックを実際に試された長島先生だからこそ、ESL63への評価がある、といえる。

Date: 9月 23rd, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その24)

直径が大きく異る円をふたつ描いてみる。
たとえば10倍くらいの差がある円を描いて、その円周を同じ長さだけきりとる。
たとえば2cmだけ切り取ったとする。

そのふたつの円周を比較すると、直径の小さな円から切り取った円周は同じ2cmでも弧を描いている。
直径が10倍大きい円から切り取った円周は、もちろん弧を描いてはいるものの、
小さな円の円周よりもずっと直線に近くなっていく。

ある音源から球面波が放射された。
楽器もしくは音源から近いところで球面波であったものが、
距離が離れるにしたがって、平面波に近くなってくる。

だから平面波の音は距離感の遠い音だ、という人もいるくらいだ。

平面波が仮にそういうものだと仮定した場合、
目の前にあるスピーカーシステムから平面波の音がかなりの音圧で鳴ってくることは、
それはオーディオの世界だから成立する音の独特の世界だといえなくもない。

しかもアクースティックな楽器がピストニックモーションで音を出すものがないにも関わらず、
ほほすべてのスピーカー(ベンディングウェーヴ以外のスピーカー)はピストニックモーションで音を出し、
より正確なピストニックモーションを追求している。

そういう世界のなかのひとつとして、大きな振動板面積をもつ平面振動板の音がある、ということ。
それを好む人もいれば、そうでない人もいる、ということだ。

瀬川先生の時代には、アポジーは存在しなかった。
もし瀬川先生がアポジーのオール・リボン型の音を聴かれていたら、どう評価されただろうか。
大型のディーヴァよりも、小型のカリパーのほうを評価されたかもしれない。
そんな気がする……。