「音による自画像」(その3)
五味先生は、毎年ワーグナーを、
バイロイト音楽祭を録音されていた。
放送された、
いちど録音されたものを録音する。
それはどんなにいい器材を用意して注意を払ったところで、
ダビング行為でしかない、ともいえる。
やっている本人がいちばんわかっていることだ。
それでも毎年録音されていた。
オーディオ愛好家たる私の自画像がテープに録音されている、と。
五味先生は、毎年ワーグナーを、
バイロイト音楽祭を録音されていた。
放送された、
いちど録音されたものを録音する。
それはどんなにいい器材を用意して注意を払ったところで、
ダビング行為でしかない、ともいえる。
やっている本人がいちばんわかっていることだ。
それでも毎年録音されていた。
オーディオ愛好家たる私の自画像がテープに録音されている、と。
答は、目の前にある。
見えているわけではない。
あるという気配を感じている。
その気配を濃くしたいからこそ、
毎日問い続ける(書き続ける)。
オーディオにおいては、答は目の前にある、
そんな直感があるからこそ、
問い続ける。
五味先生がいわれた「音による自画像」には、そういう意味が含まれてのことだ、
この齢になっておもえてきた。
別項 「40年目の4343(その4)」でも、
五味先生がハンマーでコンクリートホーンを敲き毀されたくだりを引用している。
10年ほど前のステレオサウンドの記事「名作4343を現代に甦らせる」。
この記事のひどさは、ステレオサウンドの50年の中でも、ダントツといっていい。
この記事のほんとうのひどさは、連載最後の、とあるオーディオ評論家の試聴にある。
そのことは(その3)で触れた。
ここにオーディオ少年から商売屋になってしまった人が、はっきりといる。
あえて誰なのかは書かない。
このオーディオ評論家(商売屋)には、怒りはなかったのだろう。
怒りがないのか、それとも怒りを、もう持てなくなってしまったのか。
このオーディオ評論家(商売屋)は、
ハンマーで、無惨にも変り果てた4343もどきを敲き壊すことはしなかった。
おそらく、そんなこと考えもしなかったはずだ。
このオーディオ評論家(商売屋)が、オーディオへの愛を書いていたとしたら、
それは上っ面だけの真っ赤な嘘だと思っていい。
私はそう思って読んでいる。
怒りもなければ、愛もない。
「音楽に在る死」は二万字をこえている。
ブラームスについてのところだけでも長い。
ブラームスについてのところだけでも引用したいと思っても、長い。
*
こうした、一八九二年以降の相尋ぐ女性たちの死は、むろん作品一一五の『クラリネット五重奏曲』が作られた後のことだ。私の聴き方が正しいなら、自ら遺書をしたためてから、当然、生き残ってくれるはずのかけがえない友人たちを、遺書を書いた本人が生きて次々見送らねばならなかった。文を草した遺書なら破り棄てれば済む。作品一一五はすでに発表されているのである。残酷な話である。クララやエリーザベトやシュピースの死んでゆくのを見送るブラームスを想いながら此の『クラリネット五重奏曲』を聴いてみ給え。遺書として聴き給え。作品が、時に如何に無惨なしっぺ返しを作者にしてゆくか、ものを創る人間ならつまりは己れの才能に復讐されるこの痛みが、分るだろう。前にふれた太宰治の死も、同じことだ。三島由紀夫だって結局は、同じところで死んでいる。『クラリネット五重奏曲』がそう私に告げてくる。聴いてくれ、太宰治と太宰を嫌悪した三島由紀夫と、どちらも本当はどんなに誠実な作家だったかを、この曲の第二楽章アダージョから聴き給え。二人の肉声がきこえるだろう? くるしい、生きるのは苦しかったなあ苦しかったなあ、そう言っているのが、きこえるだろう?……ブラームスは私にそう囁いている。涙がこぼれる。
死のつらさを書かぬ作者は、要するに贋者だ。
*
五味先生の文章は、このあとシューマンについて語られている。
いまの世の中、クリエーターを自称する人は大勢いる。
けれど、
《作品が、時に如何に無惨なしっぺ返しを作者にしてゆくか、ものを創る人間ならつまりは己れの才能に復讐されるこの痛みが、分るだろう》
そういう人はどれだけいるだろうか。
死馬。
五味先生は、クリエーターを自称する人のこと、
己れの才能に復讐されたことのない人のことを、
死馬──死のつらさを書かぬ作者は、要するに贋者だ。そいつは初めから死馬である──であると。
私の中にあるシューマン像は、「音楽に在る死」ででき上がったところがある。
だから、それはあまりいいものとはいえない。
いまもシューマンはあまり聴くことがない。
五味氏の文章を読みすぎた弊害だろう──、
そういわれるのはわかっていても、もうそれでいい、と思っている。
いまから三十年以上前に、あるオーディオマニアと知りあった。
彼を、シューマン的と私は見ている。
2008年9月から、このブログを書き始めた。
書き始めのころ「たおやか」というタイトルで書いている。
そこから約九年、
七千本ちょっと書いてきて、やはり「たおやか」だとおもっている。
私がイメージする瀬川先生の音を、簡潔な言葉でいいあらわすとなると、
いまも「たおやか」である。
我にかえる、という。
瀬川先生にとって、AXIOM 80をもう一度は、我にかえる行為だったのか。
この場合の「我にかえる」は、
不明瞭だった意識がはっきりした状態になることではなく、
一時的な自失状態から回復することであるのは、いうまでもない。
オーディオマニアの場合、一時的な自失状態の「一時的」とは、
意外にも長いこともある。
大型のマルチウェイスピーカーを、マルチアンプでドライヴしてきた人が、
あるとき、フルレンジの音を聴いて、我にかえる、ということがある。
やはり大がかりなシステムで聴いていた人が、
B&Oのシステム、ピーター・ウォーカーが健在だったころのQUADのシステム、
そういったシステムに触れて、我にかえることだってある。
ある種極端な情熱をオーディオに注いできた人たちに、
ふっと我にかえる瞬間をもたらすオーディオ(音)がある。
我にかえる、は、我に返る、と書く。
かえるは、返るの他に、帰る、還るがあり、孵るも「我にかえる」である。
瀬川先生は、もう一度AXIOM 80を鳴らされそうとされていた、ときいている。
45のシングルアンプを、もう一度組み立てられるつもりだったのか。
そんな気はする。
コントロールアンプはどうされるつもりだったのか。
これが気になっている。
音質だけでなく、機能、デザインにおいても満足するコントロールアンプを自作するとなると、
瀬川先生の場合だけにかぎらず、そうとうに時間も手間もかかることになる。
おそらくパワーアンプだけは自作で、
コントロールアンプは既製品を使われた、とおもう。
何を使われたのだろうか。
以前、AXIOM 80をステレオで鳴らされたときは、たしかQUADの22だった。
1980年代にQUADの22を、瀬川先生が使われるとは考えにくい。
かといってマランツのModel 7でもないような気がする。
結局、マークレビンソンをもってこられたのではないだろうか。
シルバーパネルのML6という選択もじゅうぶんある、
と思いながらも、ML6のボリュウム操作性の悪さから、やっぱりLNP2に落ちつかれるのではないか。
LNP2よりも音の良さを誇るコントロールアンプは、
その後、いくつか登場している。
それでもLNP2を選ばれる、としかおもえないのだ。
五味先生のリスニングルームに壁にあった「浄」の書。
同じ「浄」を手に入れたい、と思ったことがある。
そう思いながらも、同じ「浄」を自分のリスニングルームの壁に……、
という情景がうまく想像できないまま、齢をとった。
「浄」の書を、書家に依頼した人を知っている。
気持はわからないではないが、その「浄」と五味先生のリスニングルームにあった「浄」は、
それぞれの持主をあらわしている、とも感じた。
書としているが、五味先生のところにあった「浄」は、
中国の石碑からの拓本、ということだ。
石碑に刻まれた「浄」と、紙に書かれた「浄」。
石碑に墨を塗り、紙にうつしとる。
このままでは反転しているから、もういちど紙にうつしとることで「浄」となる。
元の石碑は、カッティングされたラッカー盤だ、と思ったことがある。
そこからうつしとったのがいわゆるスタンパーにあたり、
もういちどうつしとることで、アナログディスクができるあがるのと同じところにも、
あの「浄」がリスニングルームにあった、ということと無縁ではない、とおもう。
そして何をみていたのか(何をみていないのか)がわかる。
オーディオのスタートが「五味オーディオ教室」との出逢いから、という私は、
コンクリートホーンに憧れたり、夢見たりすることはなかった。
もし「五味オーディオ教室」と出逢っていなければ……、
東京に出て来ずに実家暮らしをしていたら……、
コンクリートホーンに挑戦していたかもしれない。
1970年代後半は、まだコンクリートホーンの挑戦記といえる記事を、
何度か読むことがあった。
ホーン型スピーカーといえば、通常はコンプレッションドライバーを使う。
それでも低音ホーンに関しては、コーン型ウーファーが大半であった。
それでもYL音響から低音ホーン用のコンプレッションドライバーD1250の存在は気になっていた。
重量26kg、直径21.5cm、
ダイアフラムはチタン製で、ボイスコイル径は12.8cmだから5インチ、
再生周波数帯域は16〜500Hzと発表されていた。
1974年当時は180,000円だった、
1983年ごろは330,000円になっていた。
コンクリートホーンに無関心を装っていても、
このD1250だけは、どんな音がするのか、聴いてみたい、と思っていた。
正直、いまもD1250による低音ホーンは聴いてみたい。
そうだからこそ、環境がほんの少し違っていたら……、とおもう。
もうひとつのオーディオ人生があって、コンクリートホーンで聴いていたら……、
五味先生のように
《ついに腹が立ってハンマーで我が家のコンクリート・ホーンを敲き毀し》ただろうか。
これはステレオサウンド 55号「スーパーマニア」を読んでからの自問である。
ステレオサウンド 8号の編集後記。
椋元さんという方が書かれている。
*
実は今号の追い込み時期に、原稿締め切り日を大幅に遅れたS氏宅へ悲壮な決心で乗り込みました。S氏と向い合っている時までは確実に緊張していた自分を自覚していたのですが、壁に並んだJBL、タンノイ、アルテックのスピーカー、JBLのSG520、SE400S、その他のアンプ、それに販売店よりも数多く並んだカートリッジ、これらに目が向いた時には、すでにこの失敗はスタート。音が鳴りはじめた時には何んの目的で自分がここに居るのかということなどすっかり忘れ、気がついた時は訪問後八時間も過ぎたという次第。そればかりか、もう社へ電話する機会も失ない、言い訳けすら考えるゆとりのない私は、S氏の思いやりのある親切なお言葉をお受けし、真夜中の二時に帰宅する結果を招いてしまいました。帰宅後しばらくして、事の重大さに気がつく始末。
*
8号は1968年秋号。
S氏とはいうまでもなく瀬川先生のこと。
椋元さん、という編集者は、他の号の編集後記を読むと、
オーディオマニアではないよう気がする。
でも、そういう人が原稿取りに行ったにも関わらず、
しかも締切日を大幅に過ぎているにも関わらず、
瀬川先生の音を八時間聴いていた、ということ。
3月30日で、今年度のKK適塾は終った。
昨年度のKK塾の最後には、来年度はKK適塾をやる、という告知があった。
今回ははっきりとした告知はなかった。
たぶん、あると思っているし、
ぜひやってほしい。
今回のKK適塾は、一回目以外はすべてふたりの講師を招いて、だった。
次がどうやって行われるかはわからないから、
こんなことをやってくれたら……、と勝手におもっていることがある。
川崎先生の趣味の分野の専門家を講師に招いてほしい。
万年筆、文房具の専門家、
車の専門家、書の専門家……、
もちろんオーディオの専門家もだ。
KK適塾五回目の講師は、濱口秀司氏と石黒浩氏。
濱口氏は昨年度のKK塾一回目、石黒氏は三回目の講師をやられている。
このふたりが揃い、川崎先生が加わっての今回のKK適塾だった。
つまらなくなるわけがない。
司会の方がいわれていたように、負けず嫌いの三人である。
濱口氏が刺客といわれた。
教育、特に大学での教育について語られていた時だった。
自ら刺客をつくりだして、その刺客に負けないようにする、と。
きいていて思っていたのは、五味先生の「喪神」である。
何をおもっていたのかまでは書かないが、
もう一度「喪神」を読み返そう、と思っていた。
アンプ(amplifier)は増幅器。
入力された信号を増幅して出力する電子機器である。
ふだん何気なく増幅という言葉を使っているけれど、
増幅とは、幅を増す、と書く。
何の幅なのか、といえば周波数レンジ、ダイナミックレンジ、
このふたつの幅ということになろう。
けれどどんな高性能なアンプであっても、
入力された信号の周波数レンジを拡大するようなことはしない。
ダイナミックレンジに関しても同じだ。
ダイナミックレンジが60dBの信号が入力されたとして、
出力には70dB、もしくは80dBのダイナミックレンジの信号が現れるわけではない。
60dBのダイナミックレンジの信号は、そのままダイナミックレンジ60dBのまま、
電圧、もしくは電力が増えて出力される。
その意味で考えれば、増幅という言葉は、
正確にアンプの動作を言い表しているとはいえないところがある。
だがこれは理屈であって、アンプの中には、
特にパワーアンプにおいては、明らかにダイナミックレンジが増したように、
スピーカーを鳴らしてくれるモノがある。
これも正確にいえば、
他の多くのアンプがダイナミックレンジを狭めたようにスピーカーを鳴らすから、
対比として、いくつかのアンプはダイナミックレンジがそのまま再現されているであろうに、
ダイナミックレンジが増したように、
つまり幅が増した(増す)、という意味での増幅器がある。
なにもダイナミックレンジだけではない。
周波数レンジをも狭めたように聴かせるアンプがある。
そういうアンプからすれば、そのままの周波数レンジで鳴らすアンプは、
周波数レンジも幅を増したかのように思えないわけではない。
私がジェームズ・ボンジョルノのアンプに惚れている理由のひとつである。
その昔、東日本にある米軍基地では60Hzで動かす必要のある機器のために、
モーターで発電機をまわしていた、という話をきいたことがある。
同じ理屈の電源を、1980年代後半に製品化したメーカーもあった。
商用電源でモーターをまわす。
そのモーターが60Hzの発電機をまわす。
ACをいったん回転エネルギーに変換したうえで発電する、というものだ。
パワーアンプにまで使えるようにするために、
かなり大型で重量も100kg前後あった。
パワーアンプまで、と考えなければ、もっと小容量でいいわけで、
小型・軽量にできる。
そう考えて発電機を、当時探してみたければ、インターネットもなかった時代、
ちょうどいい発電機とモーターを探すことはできなかった。
いまは、というと、なかなかぴったりくる発電機を見つけられずにいる。
探し方がまずいのだろうか。
ACをいったん別のエネルギーに変換して、
AC電源の悪さを排除するという考えは、
たとえばデンセンのフォノイコライザーアンプにもみることができる。
輸入元の今井商事のサイトをみると、取り扱い中止になっているDP4 Driveがそうである。
MCカートリッジ用ヘッドアンプの電源が、
青色LEDと太陽電池との組合せで、ACをいったん光エネルギーに変換して発電するという考え。
おもしろいアイディアである。
こんなことを、この項で書いているのは、ついさっきペロブスカイト太陽電池のことを知ったからだ。
ペロブスカイトとは、チタン酸カルシウムのこと。
これまでのシリコンを使用した太陽電池の製造方法とは異り、
印刷技術によって製造が可能であり、発電効率も2016年には20%を超えている、とのこと。
デンセンのDP4 Driveのような、
青色LEDとペロブスカイト太陽電池を組み合わせた電源がDNPから登場してきても不思議ではない。
青色LEDのところも、別の発光体に置き換えられるであろう。