Archive for category 老い

Date: 9月 14th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その1)

1966年に創刊したステレオサウンドは、2016年に創刊50年を迎えた。
今年は2020年。六年後の2026年には創刊60年になる。

そのとき、いまのレギュラー筆者、
いいかたを変えれば、ベストバイ、ステレオサウンド・グランプリの選考委員の人たちは、
いったいいくつになっているのかを、ちょっと想像してみてほしい。

柳沢功力氏は88歳、傅 信幸氏は75歳、黛 健司氏は73歳、
三浦孝仁氏と小野寺弘滋氏が何年生れなのかははっきりと知らないが、
私よりも少しだけ上のはずだから、63歳よりも上になっている。

みな健在であれば、
六年後のベストバイ、ステレオサウンド・グランプリの選考委員をやっているはずだ。

私が最初に手にして読み始めたステレオサウンドは41号だから、
この時、菅野先生、長島先生、山中先生は44歳で、瀬川先生は41歳だった。

私は13歳で、それがいまでは57歳だから、みなそれだけ齢をとるわけだが、
それにしても41号のころのレギュラー筆者の平均年齢と、
いまのレギュラー筆者の平均年齢の差は、やはり大きすぎないだろうか。

だからといって、いまのレギュラー筆者(選考委員)は年寄りばかりで、
ダメだなんていうよりも、
このことを異状と感じてない人たち(つまりはステレオサウンドの読者)がいることこそ、
実のところ異状だといいたいのだ。

趣味の雑誌で、こういう例は他にあるのだろうか。

書き手の平均年齢が年々高くなっていく。
そのことを、記事の内容が円熟している、といいながら喜ぶのか。
それが当然のこと、と受け止めるのか、
それとも異状なこととして危機感を、どこかにもって読むのか。

Date: 9月 7th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(若さとは・その6)

なりたいオーディオマニアになれたのか。

何者か、と問われて、オーディオマニア、と答える私だから、
オーディオマニアになっているわけだが、
そこでの「オーディオマニア」とは、
オーディオに興味をもちはじめたころに、
なんとなくではあってもイメージしていたオーディオマニア像、
そこに近づけたのか、それになれたのか、
という意味での「なりたいオーディオマニアになれたのか」である。

なれたかな、と思うところもあるし、そうでもないかな、とも思うわけで、
選択肢は、つねにいくつかある──、
あの時、別の途を選んでいれば……、とおもう瞬間がまったくない人はいるのだろうか。

それでも、とおもう。
以前書いたことのくり返しになるが、
選べる途もあれば、選択肢として目の前にあっても、
選べない途もある。

それは選ばなかった途とは、当然ながら違う。

Date: 9月 4th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その20)

9月2日のaudio wednesdayでの、
コーネッタで聴いたカラヤンの「パルジファル」は、いくつかのことを考えさせた。

この日と同じシステムで、同じ使いこなしを、
20代のころの私がやったとしよう。

クォリティ的には、この日の音とそう変らない音を出せる自信はある。
それでも20代の私が、「パルジファル」をかけて、
これほど、いい感じで鳴らすことはできなかった、と思う。

20代のころの私は、その前にカラヤンの「パルジファル」をかけなかった、とおもう。
もっと、他にうまくなってくれるディスクを選んだだろう。

7月のaudio wednesdayでは、クナッパーツブッシュの「パルジファル」をかけた。
8月は「パルジファル」はかけなかった。
9月が、カラヤンである。

常連のHさんは、カラヤンの「パルジファル」の感想として、
「静謐の中から立ち上る感じ」と、あとで伝えてくれた。

物理的なS/N比の高さ、ではない。
もちろん、物理的なS/N比も、ある程度は保証されていなければならないのだが、
それだけでは、静謐の中から、とはなってくれない。

なにかが必要なのであった──、というよりも、
何かが求められるようも感じている。

「パルジファル」が鳴る。
齢を実感するとき、である。
けれど、ここにはネガティヴな意味はない。

Date: 8月 19th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(若さとは・その5)

むき出しの才能、
むき出しの情熱、
むき出しの感情、
これらをひとつにしたむき出しの勢いがあってこそ、スピーカーからの音と徹底的に向きあえる。

むき出しをよしとしない人がいる。
それはそれでいいけれど、そういう人はオーディオマニアではない。

音に関心があっても、オーディオマニアとは呼べない人のことだ。

老成ぶるオーディオマニアがいる。
私は、そんな人が嫌いだ。

老成ぶることで、人とは違うのだ、とアピールしたいのか。
老成ぶる人に、むき出しの勢いを感じることはない。

むき出しの才能、
むき出しの情熱、
むき出しの感情、
これらがないわけだ。

むき出しになっていないだけだろうか。
もとから才能も、情熱も感情もないのだろう。

《オーディオでしか伝えられない》ことを持っていない人たちなのだから。
《オーディオでしか伝えられない》ことを持っている人ならば、
なにかがむき出しになっていくものだ。

Date: 8月 16th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・続番外)

20年前の、いまごろの時間にaudio sharingを公開した。

20年経ったという実感があるのか、といえば、
あるといえるし、そうでもない、と曖昧な感じだ。

5月には公開できるようになっていた。
けれど、お金が文字通り尽きてしまって、8月になってしまった。

1999年暮に仕事をやめて、audio sharingづくりにとりかかった。
ずっとひきこもって作業をやっていた。
傍から見れば、バカなことをしている──、だったろう。

なんとかなるさ、という甘えは考えは持たない方がいい、とそれだけはいえる。

その10年後に、瀬川先生の電子書籍をつくりたくて、
また仕事をやめて数ヵ月ひきこもっていた。

この時も、なんとかなるさ、とちょっと思っていた。
現実は、なんともならないだけである。

それからまた10年。
なんともならないのは、はっきりとわかっているけど……。

Date: 7月 24th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その19)

孔子の論語が頭に浮ぶ。

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

「人は歳をとればとるほど自由になる」とは、
「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」でもあるのだろう。

「心の欲する所に従って、矩を踰えず」といえる音を出せた時に、
音楽の聴き手にとっても、バッハが友達となってくるような予感がある。

Date: 7月 24th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その18)

「人は歳をとればとるほど自由になる」
内田光子は、あるインタヴューでそう語っていた。

YouTubeに「Play with Gulda」というタイトルの動画がある。

グルダの二番目の妻、祐子グルダが「今の友達はバッハ」と語っている。
この動画の撮影時、祐子グルダは73歳。

内田光子は、70でバッハを、と以前語っていた。

「人は歳をとればとるほど自由になる」からこそ、バッハが友達となってくるのか。

Date: 7月 23rd, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その17)

「これでいいのだ」と、
10代の私、20代の私、30代の私、40代の私、
そしていま50代の私がそういったとしよう。

「これでいいのだ」は、たったこれだけで完結している、といえる。
だからといって、それぞれの年代の私の「これでいいのだ」が、同じなわけではない。

40代のまでの私は、「これでいいのだ」とはいわなかったし、思わなかったところがある。
それらがあっての、いま考えている「これでいいのだ」である。

いまどきの若い人のなかには、諦観ぶっている人がいないわけではない。
本人は諦観の境地に達している、つもりなのだろうが、
そんな歳で諦観ぶって、どうするの? といいたくなる。
けれど、そんなことを直接言ったりはしない。

それに私と同世代であっても、オーディオを少しばかりかじった程度の人が、
オーディオに対して「これでいいのだ」といったとしても、
その「これでいいのだ」と私の「これでいいのだ」とは、そうとうに意味するところが違う。

心の底から「これでいいのだ」といえる日が来るのかどうかは、なんともいえない。
それでも「これでいいのだ」が芽ばえてきていることだけは否定できない。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その16)

天才バカボンのパパの口ぐせ「これでいいのだ」が、
この一ヵ月、頭のなかで何度もリフレインしている。

「天才バカボン」のアニメは、同時代に見ていた。
もう五十年ほど前のことだ。

主題歌でも「これでいいのだ」がくり返される。
当時、同級生もよく「天才バカボン」の主題歌を口ずさんでいた。

とはいえ、小学生に「これでいいのだ」がもつ意味がわかっていたわけではない。
大人になったころには「これでいいのだ」は忘れていた。

オーディオという趣味の世界は、ある意味「これがいいのだ」といえる。
「これがいいのだ」と「これでいいのだ」の違いを、そのころ考えもしなかった。
「これでいいのだ」が、頭から消えてしまっていたともいえたのだから。

なのに「これでいいのだ」という感覚について、いまになって考えている。

「これがいいのだ」、「これでいいのだ」ならば、
もうひとつ考えればなんだろうか。
「これはいいのだ」か「これもいいのだ」だとしたら、「これもいいのだ」だろう。

「これもいいのだ」
「これがいいのだ」
「これでいいのだ」

「天才バカボン」を見ていたころは、将来こんなことを考えるなんて思いもしなかった。

Date: 4月 12th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・番外)

二十年前のいまごろも、いまと同じだった。
部屋にひきこもっていた。

誰とも会わない日が続いていたし、
誰とも話さない日も続いていた。

なにをやっていたかというと、1999年末に仕事をやめて、
それからずっとaudio sharingにとりかかっていた。

はじめてつくるウェブサイト。
そのためにはじめて使うアプリケーション。

最初はアドビのGoLiveを使っていた。
けれど、こんなふうにしたい、と思うことが、どうやってもできなかった。
ヴァージョンアップされた。期待した。
けれど、やはりダメだった。

どうやったら、できるのか。
いろんな本を買っては読んでいたけれど、どうも無理なようだ。

ちょうど3月ごろ、マクロメディアのDreamweaverとFireworksが、
バンドル版として、かなり安価で発売になった。

なれないウェブサイトづくり。
ここで、またアプリケーションを変えて、どうにかなるのか。
よけいに大変になるんじゃないか、と思いつつも、試しに、と買ってみた。

そんなことをやっていた時期だから、こもりっきりだった。
今年の8月で、audio sharingを公開して二十年になる。

audio sharingもハタチか、ということは、
それだけ私も同じだけ歳をとっている。

Date: 4月 12th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その15)

惚れた、でも、惚れ込んだ、でもない。
惚れ抜くことができた──。

自信をもって、そんなふうにいえるだろうか……、
と最近考える。

Date: 3月 14th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(長生きする才能・その2)

朝の来ない夜はない、
春が訪れない冬はない、
そんなことが昔からいわれ続けている。

苦境にいる人を励まそうとしてのことなのだろうし、
自分自身に言い聞かせている人もいることだろう。

確かに、朝の来ない夜はないし、
春が訪れない冬はないのも事実だ。

けれど、ここでの「夜」と「冬」は、
いうまでもなく実際の夜と冬ではない。

人によって、その「夜」と「冬」の長さは違う。

何がいいたいかというと、
「朝」を迎えるには、
「春」を歓迎するには、長生きしなければならない、ということだ。

「朝」が来る前に死んでしまえば、それは明けない「夜」、
「春」が訪れる前にくたばってしまえば、「冬」のままだったことになる。

Date: 1月 4th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(若さとは・その4)

むき出しの才能、
むき出しの情熱、
むき出しの感情、
これらをひとつにしたむき出しの勢いを、
音として、スピーカーからの音として表現しようとしているのかもしれない。

だから、メリディアンの218に何度も手を加えているのか……

Date: 12月 22nd, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その14)

あと一ヵ月ちょっとで、また歳をひとつとる。
57になる。

五味先生の享年(58)に近づいていく。
そのことに驚く。

この驚きは、問いを与えてくれる。
自分自身について何かを知る、ということが最近あったのか、
そして、そのことで驚いたことがあったのか、
である。

Date: 10月 19th, 2019
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その5)

ジンバルサポートのトーンアームは、
回転軸のところに三本のネジがある。
垂直に一つ、水平に二つある。

まれにだが、この三本のネジをかなりきつく締めている人がいるのを知っている。

アナログプレーヤーの各部にガタツキがあれば、
それはてきめん聴感上のS/N比の劣化につながる。

井上先生も、以前ステレオサウンドで、
アナログプレーヤーのセッティングでの注意点として、
ネジをしっかり締めておくこと、といわれている。

基本的にはそうだが、
井上先生はその上で、締め過ぎてはいけないネジがあることも、きちんといわれていた。

それでも、そこまで読んでいないのか、
ただただネジをしっかり締める人がいるようだ。

ある国産のアナログプレーヤーで、ジンバルサポートのトーンアームがついていた。
そのモデルを、ヤフオク!で手に入れた知人がいる。

うまく鳴らない、という連絡があった。
行ってみると、トーンアームの感度が悪い。
ゼロバランスも取りにくいほどに、感度が悪く、
水平方向に動かしてみても、こんなに重い感触である。

知人がいうには、そのプレーヤーを使っていた人は、
けっこうなキャリアを持つ人のようだ、とのこと。

もちろんヤフオク!だから、実際に会って確かめたわけではなく、
商品の説明文を読んで、そう思っただけらしいのだが、
それにしても、こんな状態のトーンアームで、
その人はアナログディスクを再生できていたのか、と疑問である。

原因は回転軸のところにある三本のネジの締め過ぎだ。
一度ゆるめて締め直す。
締め過ぎにはしない。

たったこれだけのことで、トーンアームの感度はまともになった。
きちんとレコードが鳴るよう(トレースできるよう)になった。

あたりまえのことをしただけだ。

それにしても、と思う。
ほんとうに知人の前に使っていた人はキャリアの長い人だとしたら、
こういう状態を動作品とするのならば、
(その1)の最後で書いたように、これもひとつの老い(劣化)なのかもしれない。