Archive for category 老い

Date: 7月 24th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その19)

孔子の論語が頭に浮ぶ。

子曰く、
吾れ十有五にして学に志ざす。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳従う。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

「人は歳をとればとるほど自由になる」とは、
「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」でもあるのだろう。

「心の欲する所に従って、矩を踰えず」といえる音を出せた時に、
音楽の聴き手にとっても、バッハが友達となってくるような予感がある。

Date: 7月 24th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その18)

「人は歳をとればとるほど自由になる」
内田光子は、あるインタヴューでそう語っていた。

YouTubeに「Play with Gulda」というタイトルの動画がある。

グルダの二番目の妻、祐子グルダが「今の友達はバッハ」と語っている。
この動画の撮影時、祐子グルダは73歳。

内田光子は、70でバッハを、と以前語っていた。

「人は歳をとればとるほど自由になる」からこそ、バッハが友達となってくるのか。

Date: 7月 23rd, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その17)

「これでいいのだ」と、
10代の私、20代の私、30代の私、40代の私、
そしていま50代の私がそういったとしよう。

「これでいいのだ」は、たったこれだけで完結している、といえる。
だからといって、それぞれの年代の私の「これでいいのだ」が、同じなわけではない。

40代のまでの私は、「これでいいのだ」とはいわなかったし、思わなかったところがある。
それらがあっての、いま考えている「これでいいのだ」である。

いまどきの若い人のなかには、諦観ぶっている人がいないわけではない。
本人は諦観の境地に達している、つもりなのだろうが、
そんな歳で諦観ぶって、どうするの? といいたくなる。
けれど、そんなことを直接言ったりはしない。

それに私と同世代であっても、オーディオを少しばかりかじった程度の人が、
オーディオに対して「これでいいのだ」といったとしても、
その「これでいいのだ」と私の「これでいいのだ」とは、そうとうに意味するところが違う。

心の底から「これでいいのだ」といえる日が来るのかどうかは、なんともいえない。
それでも「これでいいのだ」が芽ばえてきていることだけは否定できない。

Date: 7月 22nd, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その16)

天才バカボンのパパの口ぐせ「これでいいのだ」が、
この一ヵ月、頭のなかで何度もリフレインしている。

「天才バカボン」のアニメは、同時代に見ていた。
もう五十年ほど前のことだ。

主題歌でも「これでいいのだ」がくり返される。
当時、同級生もよく「天才バカボン」の主題歌を口ずさんでいた。

とはいえ、小学生に「これでいいのだ」がもつ意味がわかっていたわけではない。
大人になったころには「これでいいのだ」は忘れていた。

オーディオという趣味の世界は、ある意味「これがいいのだ」といえる。
「これがいいのだ」と「これでいいのだ」の違いを、そのころ考えもしなかった。
「これでいいのだ」が、頭から消えてしまっていたともいえたのだから。

なのに「これでいいのだ」という感覚について、いまになって考えている。

「これがいいのだ」、「これでいいのだ」ならば、
もうひとつ考えればなんだろうか。
「これはいいのだ」か「これもいいのだ」だとしたら、「これもいいのだ」だろう。

「これもいいのだ」
「これがいいのだ」
「これでいいのだ」

「天才バカボン」を見ていたころは、将来こんなことを考えるなんて思いもしなかった。

Date: 4月 12th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・番外)

二十年前のいまごろも、いまと同じだった。
部屋にひきこもっていた。

誰とも会わない日が続いていたし、
誰とも話さない日も続いていた。

なにをやっていたかというと、1999年末に仕事をやめて、
それからずっとaudio sharingにとりかかっていた。

はじめてつくるウェブサイト。
そのためにはじめて使うアプリケーション。

最初はアドビのGoLiveを使っていた。
けれど、こんなふうにしたい、と思うことが、どうやってもできなかった。
ヴァージョンアップされた。期待した。
けれど、やはりダメだった。

どうやったら、できるのか。
いろんな本を買っては読んでいたけれど、どうも無理なようだ。

ちょうど3月ごろ、マクロメディアのDreamweaverとFireworksが、
バンドル版として、かなり安価で発売になった。

なれないウェブサイトづくり。
ここで、またアプリケーションを変えて、どうにかなるのか。
よけいに大変になるんじゃないか、と思いつつも、試しに、と買ってみた。

そんなことをやっていた時期だから、こもりっきりだった。
今年の8月で、audio sharingを公開して二十年になる。

audio sharingもハタチか、ということは、
それだけ私も同じだけ歳をとっている。

Date: 4月 12th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その15)

惚れた、でも、惚れ込んだ、でもない。
惚れ抜くことができた──。

自信をもって、そんなふうにいえるだろうか……、
と最近考える。

Date: 3月 14th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(長生きする才能・その2)

朝の来ない夜はない、
春が訪れない冬はない、
そんなことが昔からいわれ続けている。

苦境にいる人を励まそうとしてのことなのだろうし、
自分自身に言い聞かせている人もいることだろう。

確かに、朝の来ない夜はないし、
春が訪れない冬はないのも事実だ。

けれど、ここでの「夜」と「冬」は、
いうまでもなく実際の夜と冬ではない。

人によって、その「夜」と「冬」の長さは違う。

何がいいたいかというと、
「朝」を迎えるには、
「春」を歓迎するには、長生きしなければならない、ということだ。

「朝」が来る前に死んでしまえば、それは明けない「夜」、
「春」が訪れる前にくたばってしまえば、「冬」のままだったことになる。

Date: 1月 4th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(若さとは・その4)

むき出しの才能、
むき出しの情熱、
むき出しの感情、
これらをひとつにしたむき出しの勢いを、
音として、スピーカーからの音として表現しようとしているのかもしれない。

だから、メリディアンの218に何度も手を加えているのか……

Date: 12月 22nd, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その14)

あと一ヵ月ちょっとで、また歳をひとつとる。
57になる。

五味先生の享年(58)に近づいていく。
そのことに驚く。

この驚きは、問いを与えてくれる。
自分自身について何かを知る、ということが最近あったのか、
そして、そのことで驚いたことがあったのか、
である。

Date: 10月 19th, 2019
Cate: アナログディスク再生, 老い

アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その5)

ジンバルサポートのトーンアームは、
回転軸のところに三本のネジがある。
垂直に一つ、水平に二つある。

まれにだが、この三本のネジをかなりきつく締めている人がいるのを知っている。

アナログプレーヤーの各部にガタツキがあれば、
それはてきめん聴感上のS/N比の劣化につながる。

井上先生も、以前ステレオサウンドで、
アナログプレーヤーのセッティングでの注意点として、
ネジをしっかり締めておくこと、といわれている。

基本的にはそうだが、
井上先生はその上で、締め過ぎてはいけないネジがあることも、きちんといわれていた。

それでも、そこまで読んでいないのか、
ただただネジをしっかり締める人がいるようだ。

ある国産のアナログプレーヤーで、ジンバルサポートのトーンアームがついていた。
そのモデルを、ヤフオク!で手に入れた知人がいる。

うまく鳴らない、という連絡があった。
行ってみると、トーンアームの感度が悪い。
ゼロバランスも取りにくいほどに、感度が悪く、
水平方向に動かしてみても、こんなに重い感触である。

知人がいうには、そのプレーヤーを使っていた人は、
けっこうなキャリアを持つ人のようだ、とのこと。

もちろんヤフオク!だから、実際に会って確かめたわけではなく、
商品の説明文を読んで、そう思っただけらしいのだが、
それにしても、こんな状態のトーンアームで、
その人はアナログディスクを再生できていたのか、と疑問である。

原因は回転軸のところにある三本のネジの締め過ぎだ。
一度ゆるめて締め直す。
締め過ぎにはしない。

たったこれだけのことで、トーンアームの感度はまともになった。
きちんとレコードが鳴るよう(トレースできるよう)になった。

あたりまえのことをしただけだ。

それにしても、と思う。
ほんとうに知人の前に使っていた人はキャリアの長い人だとしたら、
こういう状態を動作品とするのならば、
(その1)の最後で書いたように、これもひとつの老い(劣化)なのかもしれない。

Date: 9月 22nd, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(美味しさと味の良さ・その2)

「五味オーディオ教室」に書いてあったことも思い出している。
     *
 ヨーロッパの(英国をふくめて)音響技術者は、こんなベテランの板前だろうと思う。腕のいい本当の板前は、料亭の宴会に出す料理と同じ材料を使っても、味を変える。家庭で一家団欒して食べる味に作るのである。それがプロだ。ぼくらが家でレコードを聴くのは、いわば家庭料理を味わうのである。アンプはマルチでなければならぬ、スピーカーは何ウェイで、コンクリート・ホーンに……なぞとしきりにおっしゃる某先生は、言うなら宴会料理を家庭で食えと言われるわけか。
 見事な宴席料理をこしらえる板前ほど、重ねて言うが、小人数の家庭では味をどう加減すべきかを知っている。プロ用高級機をやたらに家庭に持ち込む音キチは、私も含めて、宴会料理だけがうまいと思いたがる、しょせんは田舎者であると、ヨーロッパを旅行して、しみじみさとったことがあった。
     *
昨晩、Aさんと一緒に行った中華料理店、
そして三十数年前に行ったことのある、やはりこれも中華料理店、
この二つの店の料理の味の良さみたいなものは、
五味先生が書かれているようなことなのかもしれない。

もちろん、どちらの中華料理店で出てきた料理は、
完全な意味での家庭料理ではないのはわかっていても、
私たち以外の客層を眺めていても、そういうことなのかなぁ、と思ってしまう。

ステレオサウンド 56号で、瀬川先生は、
KEFのModel 303、サンスイのAU-D607、デンオンのDL103Dの組合せについて、
本筋の音と表現されていたことも、昨晩の料理の味に関係してくることとして思い出す。

本筋の音について、56号ではそれ以上の説明はされていない。

五味先生は
《腕のいい本当の板前は、料亭の宴会に出す料理と同じ材料を使っても、味を変える。家庭で一家団欒して食べる味に作るのである》
とされている。

これこそが本筋の音なのだろう。
「五味オーディオ教室」を読んで四十年以上が経つ。
その四十年間は、結局のところ、
「五味オーディオ教室」にある答に向ってのプロセスだったのだろう。

Date: 9月 21st, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(美味しさと味の良さ・その1)

三十数年前、ある中華料理店に行った。
池波正太郎氏が贔屓にしている、という店だった。

東京には、そういう店がいくつもあったし、
いまもGoogleで「池波正太郎 グルメ 東京」とかで検索すれば、
それらの飲食店がヒットする。

三十数年前は、20代前半だった。
美味しいといえば美味しいけれど……、と感じていた。

もう一度来よう、とは思わなかったから、
その店の前を通ることは幾度となくあったけれど、それきり行っていない。

その店も昨年末に、一旦閉店している。
再開するのかは知らない。

ここまで書けば、その店がどこなのかわかるだろうから、
店の名前は出さない。

今日、さきほどまで、友人のAさんと食事をしていた。
中華料理店であり、ここも池波正太郎氏のお気に入りの一つだ、と昔からいわれている。

食べていて、そしてAさんと味について話していて、ふと気づいた。
この歳になって、この店の美味しさ、というより、味の良さがわかるようになったのか、と。

三十数年前に一度だけ行ったきりの中華料理店にいま行けば、
きっと、美味しさうんぬんより、その良さに気づいたかもしれない。

どちらの中華料理店も、際立った美味しさはない。
けれど、なんといおうか、どちらにも、美味しさを含めての共通した良さがあるように感じた。

Aさんと帰り際に、今度は、これを食べましょう、と話したぐらいである。

Date: 8月 28th, 2019
Cate: 老い

DISCOVER AMERICA; Summer Of 1965

写真家・野上眞宏さんの写真展、
「DISCOVER AMERICA; Summer Of 1965」が9月11日から28日まで、
西武新宿線・新井薬師前駅に近くのスタジオ35分で開催される。

そのポストカードに、こうある。
     *
まだ17歳だった1965年の夏、立教高校でアメリカ旅行に行った。
その時の12本のエクタクローム・スライド・フィルムで撮った写真が、
私のその後の人生に大きな影響を与えた。
それがなければ、はっぴいえんどの写真もニューヨークの写真も
撮らなかったであろう。
つまり、これらの写真が私の原点である。
     *
読んでいて、羨ましく思った。

いま別項で、KEFのModel 303を中心とした組合せについて書いている。
そこに書いているように、ステレオサウンド 56号に載っていた瀬川先生の組合せだ。

56号は1980年9月に出ている。
私にとっての17歳の夏だった。

偶然にも、そのころ鳴らしたかった、聴きたかった組合せを、
いまごろになってようやく実現できるようになっている。

けれど、写真と音は違う。
303にしても、AU-D607にしても、もう40年以上前の製品である。
程度のよいモノであっても、新品とはいえない。

そんなことはわかっている。
仮にタイムスリップして、当時のオーディオ機器を、新品のまま、現在に持ってこれた、としよう。

それでも、17歳の私が、これらの組合せを手に入れたとして、どういう音を鳴らせた。

いまの私が鳴らす音は、ずいぶん違っているであろう。
セッティング、チューニングの技術は、40年のあいだに、そうとう身につけた。

なので第三者が聴いて、いい音だ、と判断する音は、確実に鳴らせる。
けれど、それは17歳の私が鳴らしたであろう音とは違う。

野上さんは、17歳の時に撮ったフィルムをスキャンして、
画像処理してプリントしたものを展示される。

その意味では、1965年当時の写真そのままではないわけだが、
1965年の野上さん、17歳の野上さんでしか撮ることのできなかった写真が再現されている。

そこには17歳の野上さんがいる、
少なくとも17歳の野上さんの感性が記録され、よみがえっているわけだ。

音は、そういうわけにはいかない。
17歳の私の音を、いまの私が再現できるわけではない。

そこを羨ましくおもう。

Date: 7月 24th, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(余談・その9)

グラシェラ・スサーナの歌う「抱きしめて」のオリジナルは、
フリオ・イグレシアスの“ABRAZAME”である。

フリオ・イグレシアスは作詞も手がけている。
確か西城秀樹も日本語で「抱きしめて」を歌っていた。

グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」は、なかにし礼作詞で、
西城秀樹の「抱きしめて」は、誰なのかは忘れてしまったが、なかにし礼ではない。

なので日本語の歌詞は、微妙なニュアンスのところで少なからぬ違いがある。
グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」の歌詞は、次のとおり。
     *
抱きしめて
何も云わずに 抱きしめて
初めて抱いた時のように この私を
抱きしめて
昨日のように 私を
今日も愛してほしいの 心こめて
     *
西城秀樹の「抱きしめて」は、
歌い出しの「抱きしめて」は同じでも、
続く歌詞はもう違っている。

グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」は、
もう最初の「抱きしめて」にすべての情感が込められている、と感じる。
そうでなければ、続く歌詞の意味すら失せてしまう。

グラシェラ・スサーナの「抱きしめて」は、完全に女性の歌手が歌う歌詞である。
西城秀樹が、この歌詞で「抱きしめて」を歌ったら……、
あまり想像したくない。

フリオ・イグレシアスのスペイン語の歌詞の意味は知らない。
おそらく西城秀樹の「抱きしめて」のほうが、オリジナルの歌詞に近いのかもしれない。
だから、なかにし礼訳詩ではなく、なかにし礼作詞とあるのだろう。

私が聴きたいのは、なかにし礼作詞の、
そしてグラシェラ・スサーナが歌う「抱きしめて」である。

そういう歌だから、「抱きしめて」は、独りで聴きたい。

Date: 6月 9th, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(brandead)

brand + ing = branding
brand + ed = branded
brand + dead = brandead