Archive for category 瀬川冬樹氏のこと

Date: 2月 23rd, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その33)

マーク・レヴィンソンは、1982年に、追悼文を書いたと、サプリームの発行日からも、そう思われる。

サプリームの「瀬川冬樹追悼号」を、私はいま読んでいる。そのことを幸運だと思ってもいる。
82年春に読んでいては、レヴィンソンにとって、1981年がどれだけ大変な1年であったのかが、
その時は伝わってこなかった情報によって、わからなかったからだ。

1981年は、瀬川先生の死だけではなく、彼自身の会社(MLAS=Mark Levinson Audio Systems)が、
マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズのマネージメント下におかれることになり、
マーク・グレイジャー、フィリップ・ムジオ、サンフォード・バーリンによって、
すべてのエンジニアリングは管理・指揮されるシステムへと変わっていたのだ。

そして1984年、マーク・レヴィンソンは、MLASを離れる。
社名も、マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズ・インクとなり、
マークレビンソンはブランド名となってしまう。

なぜ、この年だったのか……。
契約上、決ってきたことなのか、それとも他に理由があるのか。

私は思う──、1983年秋に、LNP2の製造が打ち切られている。
この決定によって、レヴィンソンは、自らつくった会社を離れる決心をしたのだ、と。

Date: 2月 22nd, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その32)

レヴィンソンが、瀬川先生と最後にあったのは、ひな祭りのときだとあるから、
1981年3月ごろのことだろう。

レヴィンソンは、この時、MLASの販売部長のリンダ・マリアーノと、
瀬川先生の新築なったばかりの、世田谷に建てられた、瀬川先生のリスニングルームを訪ねている。

「相当の労力が注ぎ込まれたことは明らかであり、設計や建築にあたって、
細心の行きとどいた配慮がなされていること」が一目瞭然の、
その「簡素で優雅なたたずまい」のリスニングルームに、ふたりは感銘を受けている。

さらに「このような品位の高さは、氏自身の資質をそのまま反映したもの」とも言っている。
このリスニングルームで、瀬川先生の音を聴き、いくつかの新旧のオーディオ機器の比較試聴をすることで、
ふたりとも「同じような聴き方をしているように」感じ、
「また録音や機器の評価の観点が、まったく同じであること」に、気づく。

瀬川先生の所見は「正鵠を得たもの」とし、このとき瀬川先生が語られた言葉は
「音楽の再生という仕事──の本質について、
生涯を賭した深い省察と緻密な研究にうらづけられた、真髄を衝いたもの」だったとしている。

Date: 2月 22nd, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その31)

「瀬川さんと私のめぐりあいは、私が1975年、日本を初めて訪問したときのことでありました。」

マーク・レヴィンソンは、瀬川先生への追悼文「出合いと啓示」を、こう書き出している。
レヴィンソンは、1949年、カリフォルニア州オークランドで生まれているから、25、26歳だったわけだ。
すでにLNP2を発表していたし、この年、JC2とLNC2を出している。

この時の出合いでは、レヴィンソン自身が若すぎたためと言葉の壁があり、
瀬川先生の本質を十分に理解できなかった、としている。

それでも瀬川先生のことを「優しさと重厚さが稀有な結びつきを示した、おだやかな人柄」と評している。

その後、レヴィンソンは日本を訪れるたびに、瀬川先生と会い、
レヴィンソンにとって、瀬川先生は、
「もっとも鋭敏な感性と豊かな敬虔を兼ね備えたオーディオ界の巨匠の一人として、
当時、この複雑にして精緻な世界に、ほとんど経験もなく、ただ理想に燃えて足を踏み入れた
若輩の私に多くの啓示を与えてくれた」人であった。

瀬川先生が亡くなられる6年の間、「お互いが同じ言葉が話せたら、もっとたくさんのことを、
オーディオ以外の人の世の様々なことを、語り合うことができるのに」という瀬川先生の想いを、
レヴィンソンは、いつも気づいていた。

残念なのは、瀬川先生とレヴィンソンが、オーディオ以外のことで、
お互いが心を触れ合うようになったのは、最後に訪ねたときだった……。

Date: 2月 20th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その30)

「器も味なり」には、聴き方に作法があるということ、
作法が必要であり、その作法が音の美を生み出すのだということを、
瀬川先生は語られたかったのではないかと思えてしまう。

「器も味なり」は、オーディオ機器におけるデザインのことだけを指しておられるのではない。

Date: 2月 19th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと, 長島達夫

瀬川冬樹氏のこと(その29)

「オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。」

長島先生が、サプリームに書かれている。
ほんとうにそのとおりだ。

Date: 2月 18th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その28)

傅さんが貸してくださったサプリームを、今日も読んでいた。

「ナマ以上に美しい音」「器も味なり」、
このふたつの言葉を、「そうだ、そうだった!!」と思い出した。
つよく感化されてきた言葉を、すこし忘れかけていたようだ。

巷でPCオーディオと呼ばれているものについて、傅さんと何度か電話で話している。
しっくりしないものを感じていることもあって、話が長くなる。

サプリームを読んで気がついた。
「器も味なり」、このことが欠けているのだ。

瀬川先生は、なんと仰るだろうか。

Date: 2月 17th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その27)

サプリーム3月号 No.144のタイトルは、「ひとつの時代が消えた 瀬川冬樹追悼号」だ。

目次を書き写しておく。
 池田 圭:瀬川冬樹の早年と晩年「写真の不思議」
 上杉佳郎:瀬川冬樹とオーディオ・アンプ「その影響、その功績」
 岡 俊雄:瀬川冬樹との出合い「”虚構世界の狩人”の論理」
 岡原 勝:瀬川冬樹との論争「音場の、音の皺」
 貝山知弘:瀬川冬樹の批評の精神「その論評は、常に”作品”と呼べるものだった」
 金井 稔:瀬川冬樹とラジオ技術の時代「いくたりものひとはさびしき」
 菅野沖彦:瀬川冬樹とその仕事「モノは人の表われ」
 高橋三郎:瀬川冬樹とオーディオの美「音は人なり」
 長島達夫:瀬川冬樹と音楽「孤独と安らぎ」
 坂東清三:瀬川冬樹と虚構の美「器も味のうち」
 前橋 武:瀬川冬樹と熊本大学第二外科「昭和55年12月16日 午前8−午後5時」
 皆川達夫:瀬川冬樹とわたくし「瀬川冬樹氏のための”ラクリメ”」
 山田定邦:瀬川冬樹とエピソード「三つの印象」
 レイモンド・クック:「惜しみて余りあり」
 マーク・レヴィンソン:「出合いと啓示」

 弔詞:原田 勲/柳沢巧力/中野 雄

Date: 2月 17th, 2009
Cate: 傅信幸, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その26)

サプリームと聞いて、トリオ(現ケンウッド)が、1966年に発表した、
コントロールアンプと6チャンネル分のパワーアンプ、それにチャンネルデバイダーを、
ひとつの筐体に内蔵した、マルチアンプ対応のプリメインアンプ、
Supreme 1を思い出す人のほうが多いかもしれないが、
サプリームは、そのトリオが毎月発行していたオーディオ誌の名前でもある。

サプリームの存在は学生のころから知っていた。
KEFのレイモンド・E・クックとマーク・レヴィンソンが、瀬川先生への追悼文を書いていたことも知っていた。
しかし、当時、書店に並んでいるオーディオ誌はひとつ残らず読んだつもりだったが、
クックとレヴィンソンの追悼文が載っている本は手にしたことがなかった。

サプリームに、どちらも載っていたのである。

「サプリームだったのか……」──、
日曜日の夜、傅さんからの電話で、やっと知ることが出来た。

Date: 2月 17th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その25)

「あの時と同じ気持ちだ」──
今日、届いた本を読んでいたら、そう想えた。

ちょうど27年前、ステレオサウンドで働きはじめたばかりの私に出来た仕事は、
原稿を取りに行ったり、試聴の手伝いをしたり、
そしていまごろ(2月の半ば過ぎ)は、写植の会社から上がってきた版下をコピーにとり、校正作業だった。

ステレオサウンド62号と63号には、瀬川先生の追悼特集が載っている。

版下のコピーで、読む。
校正作業なので、「読んで」いてはいけないのだが、読者となって読んでいた。

その時の気持ちだった。
読み耽っていた。
気がついたら正座して読んでいた。

44ページしかない、薄い、中とじの本は、「サプリーム」3月号 No.144。
瀬川冬樹追悼号だ。

Date: 1月 10th, 2009
Cate: 傅信幸, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その24)

1980年(だったと思う)のFM fanに、傅さんによる菅野先生と瀬川先生の記事が載っていた。

菅野先生のページには瀬川先生の、瀬川先生のページには菅野先生の、それぞれの囲み記事があり、
真に親しい間柄だからこそ出来る、軽い暴露的な話が載っていた。

瀬川先生は、「JBLの375とハチの巣は、菅野さんよりもぼくのほうが早く使いはじめた」と、
菅野先生は「彼は白髪を染めている」と書いてあったのを思い出す。

今日、1月10日は瀬川先生の生日だ。存命ならば74歳。
髪は真っ白になられていただろうか。
どんなふうになられていただろうか……。74歳の瀬川先生の風貌を想像するのはなかなか難しい。

つまり、それだけの時間が経っていること。
今年は、それをいつもよりも実感している。

あと20日もしないうちに、私も46歳になる。
瀬川先生と同じ歳になるからだ。

Date: 1月 5th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その23)

中音域から低音にかけて、ふっくらと豊かで、これほど低音の量感というものを確かに聴かせてくれた音は、
今回これを除いてほかに一機種もなかった。していえばその低音はいくぶんしまり不足。
その上で豊かに鳴るのだから、乱暴に聴けば中〜高音域がめり込んでしまったように聴こえかねないが、
しかし明らかにそうでないことが、聴き続けるうちにはっきりしてくる。
     ※
ステレオサウンド 55号のプレーヤーの比較試聴記事で、
瀬川先生のEMT 930stについて、上のように書かれている。

SAEのパワーアンプMark 2500についても、低音の豊かさの良さを指摘されていた。

瀬川先生がお好きだった女性ヴォーカルの、アン・バートンとバルバラ。
ふたりとも細身で透明で、ちょっと神経質だけど、どこかしっとりと語りかけるような歌い方をする。
体形の話をすれば、ふたりともグラマラスではなく、ほっそりと柳腰という印象。

ほっそりのアン・バートンとバルバラ、低音の量感豊かな930stとMark 2500。

どちらも、瀬川先生は好まれていた。
EMTについては、たびたび「惚れ込んでいる」と書かれていた。

瀬川先生の出されていた音、求められていた音を考える上で、見逃せないことのように思う。

Date: 1月 2nd, 2009
Cate: 4345, JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その22)

瀬川先生が愛用されていたJBLの4341を譲り受けられたMさん曰く
「新品のスピーカーだと、最初の音出しをスタート点として、多少良くなったり悪くなったりするけど、
全体的に見れば手間暇かけて愛情込めて鳴らしていけば、音がよくなってくる。
けれど瀬川先生の4341は、譲り受けて鳴らした最初の日の音がいちばん良くて、
徐々に音が悪くなる、というか、ふつうの音に鳴っていく」。

そんなバカなことがあるものか、気のせいだろうと思われる方もいて不思議ではない。

でも、瀬川先生の遺品となったJBLの4345も、そうなのだ。
瀬川先生が亡くなられて1年弱経ったころ、サンスイのNさんが編集部に来られたときに話された。
「瀬川さんの4345を引き取られたIさん(女性)から、すこし前に連絡があってね。
ある日、4345の音が急に悪くなった、と言うんだ。故障とかじゃなくて、
どこも悪くないようなんだけど、いままで鳴っていた音が、もう出なくなったらしい」。

これも、やはり瀬川先生が亡くなられて半年後のことだったらしい。

半年で、瀬川先生が愛用されていたスピーカーに込められていた神通力、
それがなくなったかのように、どちらもふつうの4341、4345に戻ってしまったようだ。

西新宿にあったサンスイのショールームで行なわれていた瀬川先生の試聴会、
それもJBLの4350を鳴らされたときに行った人の話を聞いたことがある。
「がさつなJBLのスピーカーが、瀬川さんが鳴らすと、なんともセンシティヴに鳴るんだよね」。

「音は人なり」と言われはじめて、ずいぶん、長い月日が経っている。
けれど、何がどう作用しているのかは、誰もほんとうのところはよくわからない。

真に愛して鳴らしたモノには、少なくとも何かが宿っているのかもしれない。

Date: 12月 27th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その21)

昨年11月7日の瀬川先生の27回忌に集まってくださった方みんなが知りたかったこと、
けれども誰ひとり知らなかったこと──、瀬川先生のお墓のことだった。

それから1カ月半、12月も終ろうとしていたある日、わかった。
なんとか年内のうちに墓参に行きたかったが、暮ということもあり、
どうしても都合がつかない人のほうが多く、年明けに行くことになった。

みなさんの都合から、今年の2月2日になった。
瀬川先生の妹・櫻井さんも来てくださった。

櫻井さんは、瀬川先生の著書「オーディオABC(共同通信社刊)」のイラストを描かれている方だ。

ステレオサウンドの原田勲会長も来られた。私も含めて7人。
寒い日だったが、晴天だった。東京は、翌日、朝から雪が降りはじめ、積もっていった。

ひとりひとり墓前で手を合わせ、心のなかで瀬川先生に語りかけられている。
みなさんのうしろ姿を見ていた。

私は、他の方たちとは違い、瀬川先生と仕事をしたわけでもないし、長いつきあいがあるわけでもなし、
熊本のオーディオ店で、何度かお会いしただけ(顔は憶えてくださっていた)だから、
語りかけることがあろうはずがない。

だから、瀬川先生の墓前で、私はあることをひとつ誓ってきた。

Date: 12月 25th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その20)

ラックスのアームレスプレーヤーのPD121をデザインされたのは瀬川先生だと、
一時期(4、5年ぐらい)、そう勘違いしていたことがある。

なにかの時に、「PD121は瀬川先生のデザインだ」という話が出て、それを信じていた。
瀬川先生のデザインと言われて、何の疑いも持たなかった。素直にそう思えた。
いまでも、そう信じてられる方もおられるが、
PD121のデザイナーは、47研究所の主宰者の木村準二さんである。

木村さんは、瀬川先生といっしょにユニクリエイツというデザイン事務所を興されている。
このときおふたりのもとで働いておられたのが、瀬川先生のデザインのお弟子さんのKさんだ。

木村さんから直接、Kさんからも、PD121は木村さんのデザインだと聞いている。

PD121のモーターは、テクニクスのSP10(最初のモデルの方)と同等品である。
同じモーターを使いながら、SP10の素っ気無く、暖かみを欠いている外観と較べると、
PD121の簡潔で大胆なデザインは、手もとに置いておきたくなる、愛着のわく雰囲気と仕上がりだ。

ステレオサウンド 38号を見ると、EMIの930stの他に、
瀬川先生は、PD121とオーディオクラフトのAC-300の組合せを使われていたのがわかる。
写真には、EMTのXSD15がついているのが写っている。

930stには、当然、TSD15がついてる。
なにも同じカートリッジを使われることはないのに、と思うとともに、
EMTに、そこまで惚れ込んでおられたのか、とEMTに惚れ込んだ一人として嬉しくなる。

エクスクルーシヴのP3とオーディオクラフトのAC-3000MCにつけられていたカートリッジは、
オルトフォンのMC30だったのかもしれないし、MC20MKIIだったのだろうか。
それとも、やはりEMTだったのか。

Date: 12月 24th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その19)

瀬川先生が、終の住み処となった中目黒のマンションで使われていたアナログプレーヤーは、
パイオニア/エクスクルーシヴのP3だ。

ステレオサウンド 55号のアナログプレーヤーの試聴記事において、P3について、
ひとつひとつの音にほどよい肉づきが感じられる、と書かれていたのを思い出す。
同時に試聴されたマイクロの糸ドライブ(RX5000 + RY5500)とEMTの930stと同じくらい高い評価をされていた。

だから瀬川先生にとっての最後のアナログプレーヤーがP3であることは、自然と納得できる。
ひとつ知りたいのは、トーンアームについてだ。

P3オリジナルのダイナミックバランス型で、オイルダンプ方式を採用している。
アームパイプは、ストレートとS字の2種類が付属している。
パイプの根元で締め付け固定するようになっている。
同様の機構をもったトーンアーム(針圧印加はスタティック型の違いはある)が、
オーディオクラフトのAC-4000MCだ。アームパイプは5種類用意されていた。

4端子のヘッドシェルが使えるS字型パイプの他に、
ストレートパイプのMC-S、テーパードストレートパイプのMC-S/T、
オルトフォンのSPU-Aシリーズ専用のS字パイプのMC-A、EMTのTSD15専用のS字パイプのMC-Eだ。
アームパイプはいずれも真鍮製だ。

この他にも、あらゆるカートリッジにきめ細かく対応するために、軽量カートリッジ用のウェイトAW-6、
リンやトーレンスのフローティングプレーヤーだと、
標準のロックナットスタビライザーではフローティングベースが傾くため、軽量のAL-6も用意されていた。

出力ケーブルも、標準はMCカートリッジ用に低抵抗のARR-T/Gで、
MM/MI型カートリッジ用に低容量のARC-T/Gがあった。

AC-3000MC専用というわけではないが、
SPUシリーズをストレートアームや通常のヘッドシェルにとりつけるための真鍮製スペーサーOF-1、
やはりオルトフォンのカートリッジMC20、30のプラスチックボディの弱さを補強するための
真鍮製の鉢巻きOF-2などもあり、実に心憎いラインナップだった。

AC-4000MC(AC-3000MC)の前身AC-300Cについて、
「調整が正しく行なわれれば、レコードの音溝に針先が吸いつくようなトレーシングで、
スクラッチノイズさえ減少し、共振のよくおさえられた滑らかな音質を楽しめる(中略)
私自身が最も信頼し愛用している主力アームの一本である」と、
ステレオサウンド 43号に、瀬川先生は書かれている。

AC-3000MC(AC-4000MC)になり、完成度はぐっと高まり、見た目も洗練された。
レコード愛好家のためのトーンアームといえる仕上がりだ。

お気づきだろう、AC-3000MC(AC-4000MC)のデサインは、瀬川先生が手がけられている。

オーディオクラフトからは、P3にAC-4000MCを取りつけるためのベースが出ていた。
おそらく瀬川先生はP3にAC-4000MCを組み合わされていたのだろう。