Archive for category 瀬川冬樹

Date: 12月 1st, 2021
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その13)

JBLの4343がステレオサウンドに登場したのは41号である。
41号の表紙に、そして新製品紹介の記事と特集でとりあげられている。

41号は1976年12月に発売されている。

このころのカラヤンの演奏は精妙主義だった。
録音に関しても、そういっていいだろう。

そのカラヤンも1980年代中ごろから変っていく。
ベートーヴェン全集の録音のころから、はっきりと変っていった、と感じている。

私の場合、五味先生の影響が強すぎて、
アンチ・カラヤンとまではいかないものの、熱心なカラヤンの聴き手とはいえない。
ベートーヴェンの全集にしても、すべての録音を比較しながら聴いているわけでもない。

これは聴いてみたい、とそう感じたカラヤンの録音だけを聴いてきているにすぎない。
つまり体系的に聴いている聴き手ではない。

いいわけがましいことを書いているのはわかっている。
1980年代のベートーヴェンよりも前に、
カラヤンは精妙主義から脱していた演奏があったのかもしれないが、
私が聴いて、カラヤンが精妙主義から吹っ切れたところで演奏していると感じたのは、
ベートーヴェンだった。

その後のブラームスにもそう感じた。

カラヤンの精妙主義の最後の録音といえるのが、ワーグナーのパルジファルだと思うし、
このパルジファルが、精妙主義からふっきれた演奏のスタートのようにも感じる。

何がいいたいのかというと、
精妙主義を吹っ切ったところのカラヤンの演奏を、
五味先生、瀬川先生は聴かれていないということと、
カラヤンの精妙主義全盛時代に4343は登場しているということ、
そしてマークレビンソンの登場について、である。

Date: 11月 19th, 2021
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その8)

ロマン・ロランがベートーヴェンをモデルとしたといわれている「ジャン・クリストフ」、
《人は幸せになるために生まれてきたのではない。自らの運命を成就するために生まれてきたのだ》は、
そこに登場する。

「瀬川冬樹というリアル」を書いていると、
《自らの運命を成就するために生れてきた》ということを考えてしまう。

Date: 11月 19th, 2021
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その7)

(その6)で引用した文章のあとに、瀬川先生はこう続けられている。
《わたくしはこれですべてを語っているつもりですが》と。

そうだとおもう。
この短い文章にすべてが語られているわけで、
この文章をどう解釈するのかは、その人のオーディオの想像力である。

Date: 11月 18th, 2021
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その6)

ステレオサウンド 9号(1968年冬号)の第二特集は、
「オーディオの難問に答えて」である。

「〝原音再生〟の壁を破るには何を狙ったらよいでしょうか?」と問いがある。
上杉先生、菅野先生、瀬川先生がそれぞれ答えられている。

瀬川先生の答の冒頭に、こうある。
     *
 生と再生音の関係は、ただひと言で言う事ができます。それは──
〈あなた自身〉と〈写真に映されたあなた〉の関係です。
 写真とひと口にいっても、モノクロームありカラーあり、印画もスライド投影もある。ステレオ写真という「のぞき絵」もあれば、映画もある。わたくしのいう「写真」とは、広い意味での映像文化全体の将来までを含んで指しているのですが、かりに映像の技術がどこまでも進んでも、そうして写しとられたあなたがどこまであなた自身に似せられたとしても、それは決して〈あなた自身〉にはなりえず、しかも写っているのはまぎれもなく〈あなた〉に外ならない……。
     *
「瀬川冬樹のリアル」とは、こういうことでもある。

Date: 11月 6th, 2021
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(45真空管アンプ・その1)

AXIOM 80と45。
瀬川先生の文章を読んできた人に説明はいらない。

AXIOM 80を持っているわけではない。
欲しい! とは思い続けている。
復刻版の出来がよければ買おう、とも考えていた。

いつの日か、手に入れて鳴らす日がやってくるかもしれない。
そのために45のシングルアンプを作っておく。

そんなことを考えてもいるわけだが、
現実に目の前にあるスピーカーはタンノイのコーネッタであって、
45のシングルアンプの出力では、どんなに小音量用として考えても、小さすぎる。

といってプッシュプルにして出力を増すぐらいならば、
ほかの真空管でシングルアンプを組みたい──、
そんなことをぼんやりと思っていたわけだが、
今年になって、SAEのMark 2500を手に入れて、少し考えが変った。

Mark 2500と組み合わせるコントロールアンプについて、別項で書いている。
最終的にどのコントロールアンプとの組合せになるのかは、本人にもよくわかっていない。
縁があるコントロールアンプと組み合わせることになるはずだ。

でも、ふと思ったのは、45を使ったラインアンプの製作である。
これには先例がある。

ラジオ技術に新 忠篤氏が発表された、
ウェスターン・エレクトリックの直熱三極管101シリーズを使った単段アンプである。
出力にはトランスがあり、101シリーズの増幅率からすると、
アンプ全体のゲインはほとんどない。いわば真空管バッファー的なアンプである。

このアンプ記事は面白かった。
自分で作ろう、と考えたこともある。
そのころは、まだウェスターン・エレクトリックの101Dも101Fも、まだ安価といえた。
いまはけっこうな値段がついている。

いま私が考えているのは、101Dを45に置き換えたラインアンプである。

これも検索してみると、実際にやっている人がいる。
しかもヤフオク!に出品されている。

それを買うつもりはないけれど、45使用のラインアンプ、
ひとつのバッファーとしてコントロールアンプとパワーアンプのあいだに挿入する。

意外な結果がえられるかもしれない。

Date: 10月 28th, 2021
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その5)

あと十日で11月7日がやってくる。
今年の11月7日で四十年である。

四十年経っても、というよりも、
四十年経ったからこその「瀬川冬樹というリアル」を感じている。

Date: 10月 6th, 2021
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その12)

別項「アレクシス・ワイセンベルク」を書いていて、
この項を思い出し、そういえば4343でワイセンベルクを聴いたことはないことに気づいた。

JBLの4343を、マークレビンソンのLNP2とSAEのMark 2500のペアで鳴らす。
あの時代、この組合せそのまま、もくしはこれに近い組合せで、
ワイセンベルクを聴いていた人は少なからずいるはずだ。

どんなだったのだろうか。

Date: 1月 24th, 2021
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その11)

その10)から半年。
タンノイのコーネッタは喫茶茶会記で六回鳴らしている。
なのに、コーネッタでブルックナーをかけてはいない。

コーネッタは、ブルックナーをどう鳴らすのか。
興味がないわけではない。
それでも、ブルックナーの交響曲よりもコーネッタでとにかく聴きたい曲があった。
それらを優先して聴いた(鳴らした)ので、ブルックナーはまだである。

その9)で、五味先生は、山中先生の鳴らすアルテックを聴いて、
《さすがはアルテック》と感心されている。
ブルックナーの音楽にまじっている水を、見事に酒にしてしまう響き、だからだ。

さすがはアルテックなのだが、
アルテックということはもちろん無視できないが、
山中先生が鳴らされているアルテックだから、ということも大きい。

山中先生の音は何度か聴いている。
けれどブルックナーは聴いたことがない。
アルテックも聴いたことがない。

JBLはどうなのか。
4343はどうなのか。

4343は、ブルックナーの音楽にまじっている水を、どう鳴らすのか。
アルテックのように見事に酒にしてしまうのか、
それともタンノイのように水は水っ気のまま出してくるのか。

ふりかえってみると、4343でブルックナーを聴いたことがない。
4343の後継機、4344では数回聴いているが、印象は薄い。

4344で聴いたブルックナーは、やっぱり長いと感じていた。
ということは、ブルックナーの音楽にまじっている水を、
4344は酒にはしなかったのだろう。

ここで聴いてみたい、と思うのは、ヴァイタヴォックスである。
ヴァイタヴォックスは、ブルックナーの音楽にまじっている水をどう鳴らすのか。
すんなりと見事に酒にしてしまうのではないだろうか。

Date: 1月 13th, 2021
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと(バッハ 無伴奏チェロ組曲・その6)

1月10日に、ヤフオク!にスチューダーのA68が出ているのを見つけた。

A68については何度か書いている。
それでも もう一度書きたい。

A68は、私がステレオサウンドで働き始めたころ、
1982年1月に、試聴室隣の倉庫に置かれていた。

瀬川先生の遺品だった。
他にマークレビンソンのLNP2とKEFのLS5/1Aがあった。

すべて自分のモノにしたい、と思ったけれど、
そんなお金はどうやっても工面できなかった。
この時ほど、お金が欲しい、と思ったことはない。

しばらくして、それらのオーディオ機器は去ってしまった。

LNP2は、その後も聴く機会はあった。
LS5/1Aは、LS5/1を自分のモノとして鳴らしたこともある。

A68だけが、その後、何の接点もない。
それもあってか、いまではA68がいちばん欲しい、と思うようになった。

そのA68が、久々にヤフオク!に出ている。
私が見逃していただけで、出品されていたのかもしれないが、
私の目に留まったのは、ほんとうにひさしぶりである。

程度は良さそうである。
天板に小さなキズがあるものの、四十年以上前のアンプであるわけだから、
その程度のことは気にならない。

欲しい! とあらためて思った。

しかも、今回は瀬川先生の誕生日にA68が、ヤフオク!に表示された。
何かの縁なのかもしれないが、
その縁をたぐり寄せることはできない。

一年前だったら、即購入していた(できていた)。
けれど、今年は厳しいだけに、数少ない機会をまた見逃すことになる。

コーネッタをA68で鳴らして、
バッハの無伴奏チェロ組曲を聴ける日が訪れるのだろうか。

Date: 1月 7th, 2021
Cate: 瀬川冬樹

虚構を継ぐ者(その4)

後継者とは、なんだろうか。

松尾芭蕉のことばをかりれば、
《古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ》であり、
ゲーテのことばをかりれば、
《古人が既に持っていた不充分な真理を探し出して、
それをより以上に進めることは、学問において、極めて功多いものである》と考えている。

先人・先達たちが積み重ねてきた実績の上に、
さらに積み重ねることができる人が後継者であり、
模倣するだけの人は後継者とはなりえない。

「青は藍より出でて藍より青し」であってこそ、後継者ともいえよう。

私がステレオサウンド 214号掲載の五月女 実氏の文章を読んで感じたことは、
こういうことであり、五月女 実氏を五味先生の後継者とはまったく感じられなかったし、
五月女 実氏は、五味康祐たらんとされているように感じたところでもある。

Date: 12月 12th, 2020
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その31)

ステレオサウンドの冬号(ベストバイの号)が書店に並んでいるのをみかけると、
59号のことを思い出してしまう。

昔は夏号がベストバイの号だった。
59号は、ベストバイに瀬川先生が登場された最後の号である。
     *
 ステレオレコードの市販された1958年以来だから、もう23年も前の製品で、たいていなら多少古めかしくなるはずだが、パラゴンに限っては、外観も音も、決して古くない。さすがはJBLの力作で、少しオーディオ道楽した人が、一度は我家に入れてみたいと考える。目の前に置いて眺めているだけで、惚れ惚れと、しかも豊かな気分になれるという、そのことだけでも素晴らしい。まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。
     *
59号で、パラゴンについて書かれたものだ。
もう何度も引用している。

この文章を思い出すのだ。
特に「まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。」を何度も何度も思い出しては、
反芻してしまっている。

59号の時点で、23年も前の製品だったパラゴンは、
いまでは60年以上前の製品である。

瀬川先生の「欲しいなぁ」は、つぶやきである。
そのつぶやきが、いまも私の心をしっかりととらえている。

Date: 11月 25th, 2020
Cate: 瀬川冬樹

ベルナール・ブュフェ回顧展 私が生きた時代

Bunkamuraミュージアムで、「ベルナール・ブュフェ回顧展 私が生きた時代」が開催されている。
2021年1月24日まで、である。

私がベルナール・ブュフェの作品を強く意識したのは、
瀬川先生のリスニングルームの壁にかかっていた写真をみた時からだった。

世田谷・砧に建てられたリスニングルームの漆喰の壁にかかっていた。
瀬川先生にとって、あのリスニングルームが、どういう存在だったのかを考えれば、
そこに、誰でもいいから、なにか絵(版画)をかけておこう、ということにはならないはず。

ベルナール・ブュフェのリトグラフを気に入ってことだったのだろう、
といまもおもっているが、はっきりしたことはわからない。

誰かからの贈り物だったのかもしれないし、
瀬川先生が購入されたものなのかも、よくは知らない。

でも気に入らない作品を、音楽を聴く空間に、
視界に入るところにかけられはしないはずだ。

ベルナール・ブュフェの作品と瀬川先生の音との共通するところ。
そういうものがあるのかはなんともいえないのだが、
それでも線による描写というところに、共通するところを感じてもいる。

ステレオサウンド別冊「HIGH-TECHNIC SERIES-3」の巻頭鼎談で、
井上先生、黒田先生とともに、JBLの4343のトゥイーターを交換しての試聴について語られている。

JBLの2405、ピラミッドのT1。
この二つのトゥイーターの評価で、瀬川先生の音の好みがはっきりと語られている。
そこのところを読むと、ベルナール・ブュフェとのつながりを、なんとなく感じられる。

Date: 11月 21st, 2020
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その18)

別項「原音に……(コメントを読んで・その5)」で、
スピーカーのあがり的存在について、ちょっとだけ触れている。

瀬川先生にとってのスピーカーのあがりがあったとすれば、
それはAXIOM 80だったのかもしれない。

それが「我にかえる」ということにつながっていくのではないだろうか。
そういう気がしてきた。

スピーカーのあがり。
といっても、YGアコースティクスでスピーカーはあがり、
マジコでスピーカーはあがり、といっている人たちと、
瀬川先生のあがりは、決して同じなわけではない。

Date: 11月 7th, 2020
Cate: 瀬川冬樹

11月7日 土曜日

今日は、11月7日。
1981年の11月7日は、土曜日だった。
今日も、土曜日だ。

曜日は一日ずつズレていくし、うるう年であれば二日ズレるのだから、
ほぼ順番に、曜日は変っていく。

それでも、11月7日が土曜日だと、土曜日の11月7日か……、とおもってしまう。

そういえば、と思い出す。
2009年の11月7日のことだ。
2009年も、土曜日だった。

その日、六本木の国際文化会館で行なわれた「新渡戸塾 公開シンポジウム」に行っていた。
ここで、私のとなりに座っていた女性の方の名前が、瀬川さんだった。

「瀬川冬樹」はペンネームだから、瀬川先生とはまったく縁のない人とはわかっていても、
不思議な偶然があるものだ、と思ったことがあった。

そのことをおもい出していた。

Date: 10月 24th, 2020
Cate: 瀬川冬樹

虚構を継ぐ者(その3)

後継者たらん、とこころがけている人がいる。
本人がそう思っているのか、そうでないのかは、
本心のところでは他者にはわからないことだろうし、
本人すら、曖昧なところを残しているのかもしれない。

それでも、第三者の目に、
あの人は、○○さんの後継者たらん、としているとうつることがある。

たとえばステレオサウンド 214号に、
「五味康祐先生 没後40年に寄せて」という記事が載った。
五月女 実氏の文章である。

五月女 実氏は、ずっと以前にも五味先生について書かれた文章が、
ステレオサウンドに載っている。

その時にも感じたことだし、214号の文章ではさらに強く感じたことが、
五月女 実氏は、五味先生の後継者たらん、としている、ということだ。

本人は、そんなことはない、といわれるかもしれないし、
そうだ、といわれるかもしれない。
面識はないので、どちらなのかはわからないが、そんなことはどうでもいいわけで、
五月女 実氏の文章を読んでいると、こちらはそう感じた、ということだ。

けれど、しばらくしておもったのは、後継者たらん、ではなく、
五味康祐たらん、ではないのか、だった。

五月女 実氏の本心がどうなのかは、私にはまったくわからない。
でも、五味先生の後継者たらんと五味康祐たらん、とでは、
同じようではあっても、違う。