Archive for category 五味康祐

Date: 5月 17th, 2016
Cate: 五味康祐

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》(その3)

奇妙な夢、無気味な夢、不思議な夢……、
どんな夢でもいい、夢をみて、それを憶えておきたいがために、
長い昼寝をとり浅い眠りにつくことをあえてすることがある。

先日もそんなふうにして、ある夢を見ていた。
なぜか、私のところにさまざまなスピーカーシステムが届く、そんな夢だった。
しかも、どのスピーカーも大型のモノばかりで、JBLの4550をベースにしたシステム。
4550は15インチ・ウーファーを二発おさめるフロントロードホーン・エンクロージュア。

夢に出てきたのは、15インチ・ウーファーを四発おさめるもので、
その上に2350ホーンが三段スタックで置かれていた。
ドライバーは2440(2441)だった。

このスピーカーの他にもヴァイタヴォックスの劇場用であるBASS BIN、
アルテックの劇場用のA2、こういう大型のモノを筆頭に、
20組くらいのスピーカーシステムが届く。

これらのスピーカーを置くだけのスペースでも、どれだけの広さがいるのか。
そんな、絶対にありえなそうな夢だった。

そのひとつにタンノイのKingdomがあった。
現在のKingdom Royalではなく、以前の堂々としていたKingdomである。

最初のKingdom(18インチ・ウーファー搭載)があった。
その下の15インチ・ウーファーのKingdomもあった。12インチ・ウーファーのもあった。

まさに選り取り見取りである。
その中で、私はKingdomの前に立っていた。

他のスピーカーは、またどこかに行ってしまおうとも、
Kingdomだけは絶対に確保しておきたい、と思って、その前に立ったわけだ。

目覚めているときに、欲しい、と思ったことのあるスピーカーのいくつかは、
その夢の中にも登場していた。
なのに、夢の中の私は、Kingdomを選んでいた。

不思議な夢だった、と思いながら、
     *
今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
     *
この五味先生の文章を思い出していた。

タンノイのスピーカーは、そこそこの数聴いてきている。
けれど、自分のモノとしてきたことはない。

オートグラフが2000年にミレニアム・モデルとして復刻されたときは、欲しい、と思った。
けれど、手が出せなかった。

タンノイへの憧憬(これは私の場合、オートグラフへの憧憬である)を持ちながら、
タンノイを鳴らしてこなかったわけだ。

私はまだ《タンノイのほんとうの音を聴き出す》までに到っていないことを、
夢で再確認していたのかもしれない。

Date: 5月 12th, 2016
Cate: 五味康祐

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》(その2)

「世界のオーディオ」タンノイ号巻頭「わがタンノイ・オートグラフ」のあとには、
瀬川先生の「私とタンノイ」が続いている。

その冒頭に書かれている。
     *
 レコードを聴きはじめたのは、酒を飲みはじめたのよりもはるかに古い。だが、味にしても音色にしても、それがほんとうに「わかる」というのは、年季の長さではなく、結局のところ、若さを失った故に酒の味がわかってくると同じような、ある年齢に達することが必要なのではないのだろうか。いまになってそんな気がしてくる。つまり、酒の味が何となくわかるような気がしてきたと同じその頃以前に、果して、本当の意味で自分に音がわかっていたのだろうか、ということを、いまにして思う。むろん、長いこと音を聴き分ける訓練を重ねてきた。周波数レインジの広さや、その帯域の中での音のバランスや音色のつながりや、ひずみの多少や……を聴き分ける訓練は積んできた。けれど、それはいわば酒のアルコール度数を判定するのに似て、耳を測定器のように働かせていたにすぎないのではなかったか。音の味わい、そのニュアンスの微妙さや美しさを、ほんとうの意味で聴きとっていなかったのではないか。それだからこそ、ブラインドテストや環境の変化で簡単にひっかかるような失敗をしてきたのではないか。そういうことに気づかずに、メーカーのエンジニアに向かって、あなたがたは耳を測定器的に働かせるから本当の音がわからないのではないか、などと、もったいぶって説教していた自分が、全く恥ずかしいような気になっている。
     *
《音の味わい、そのニュアンスの微妙さや美しさを、ほんとうの意味で聴きとっていなかったのではないか。》
とある。

この瀬川先生の文章が、
五味先生の文章
     *
 今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
     *
私の場合、ここにかかってくる。

ほんとうの音を聴き出す──、
それができるようになるのに必要なのは、時間、それも永い時間なのだろう。

Date: 5月 12th, 2016
Cate: 五味康祐

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》(その1)

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》──、
もちろん五味先生の言葉だ。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」タンノイ号の巻頭
「わがタンノイ・オートグラフ」の中に出てくる。
     *
 今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
     *
なにげない文章のように感じる人もいようが、
これは書けないな……、といつも思う。

私なら「タンノイのほんとうの音の聴き出すまでに」のところは、
引き出すまでに、とか、鳴らし出す、とか書いてしまう。
「聴き出すまでに」とは書かない(書けない)から、よけいにそう感じてしまう。

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》もそうだ。
あくまでもここでは《一つのスピーカーの出す音の美しさ》であり、
《一つのスピーカーの出す音の良さ》ではない。

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》、
実はなかなか聴けない。

Date: 4月 19th, 2016
Cate: 五味康祐

「シュワンのカタログ」を読んだ者として

4月14日以降、「実家はどうなの?」ときかれる。
熊本は私の故郷である。
いまたいへんなことになっている。

なにか書こうと思っても、五年前とは違って書けずにいた(書かないでいた)。
今日もそうだった。
ある人にきかれた。その人は続けて言った。

「熊本にいる女性タレントが、甘いものが食べたい、とブログに書いて批判を浴びているけど……」と。
その女性タレントのブログを読んでいないけれど、
こういう状況においても、というよりも、そういう状況だからこそ嗜好品を求めるものではないだろうか。

同じことを同じタイトルで五年前にも書いた
五年前に引用した五味先生の文章をもう一度引用しておこう。
     *
レコードを聴けないなら、日々、好きなお茶を飲めなくなったよりも苦痛だろうと思えた時期が私にはあった。パンなくして人は生きる能わずというが、嗜好品──たとえば煙草のないのと、めしの食えぬ空腹感と、予感の上でどちらが苦痛かといえば、煙草のないことなのを私は戦場で体験している。めしが食えない──つまり空腹感というのは苦痛に結びつかない。吸いたい煙草のない飢渇は、精神的にあきらかに苦痛を感じさせる。私は陸軍二等兵として中支、南支の第一線で苦力なみに酷使されたが、農民の逃げたあとの民家に踏み込んで、まず、必死に探したのは米ではなく煙草だった。自分ながらこの行為にはおどろきながら私は煙草を求めた。人は、まずパンを欲するというのは嘘だ。戦場だからいつ死ぬかも分らない。したがって米への欲求はそれほどの必然性をもたなかったから、というなら、煙草への欲求もそうあるべきはずである。ところが死物狂いで私は煙草を求めたのである。(「シュワンのカタログ」より「西方の音」所収)
     *
熊本はまだ余震が続いている。
そういう状況に人はおかれて、何を欲するのか。

それは贅沢な行為なのだろうか、わがままな要求なのだろうか。

Date: 4月 4th, 2016
Cate: 五味康祐

桜の季節に(坂口安吾と五味康祐)

坂口安吾がいなかったら……、と思ってしまう。

いつのころの週刊文春だったか、1953年の芥川賞で「喪神」が選ばれたのは、
坂口安吾の強い推しがあったからだ、という記事が載っていた。
他の選考委員は「喪神」に否定的だった、ともあった。

坂口安吾が、あの時、芥川賞の選考委員でなかったならば、
「喪神」は芥川賞に選ばれなかっただろうし、五味先生のその後も大きく変っていたことだろう。

仮空の話である。
そんなことはわかりきっている。
その上で書いている。

坂口安吾がいなかったら、ステレオサウンドは創刊されていなかった可能性もある。
五味先生が藝術新潮に連載を持っていなかった可能性があるからだ。

ステレオサウンドが創刊されていたとしても、そこには五味康祐の名前はなかった可能性もある。
五味先生のいないステレオサウンドを想像してみたらいい。

「五味オーディオ教室」も出ていなかっただろう。

もしそうだったら、私はどんなオーディオマニアになっていただろうか。
オーディオマニアになっていただろうか。

なっていたとしても……、と思ってしまう。

Date: 4月 3rd, 2016
Cate: 五味康祐

桜の季節に

毎年この時期に思い出す五味先生の文章がある。
1972年発行の「ミセス」に載った「花の乱舞」だ。
     *
 花といえば、往昔は梅を意味したが、今では「花はさくら樹、人は武士」のたとえ通り桜を指すようになっている。さくらといえば何はともあれ──私の知る限り──吉野の桜が一番だろう。一樹の、しだれた美しさを愛でるのなら京都近郊(北桑田郡)周山町にある常照皇寺の美観を忘れるわけにゆかないし、案外この寂かな名刹の境内に咲く桜の見事さを知らない人の多いのが残念だが、一般には、やはり吉野山の桜を日本一としていいようにおもう。
 ところで、その吉野の桜だが、満開のそれを漫然と眺めるのでは実は意味がない。衆知の通り吉野山の桜は、中ノ千本、奥ノ千本など、在る場所で咲く時期が多少異なるが、もっとも壮観なのは満開のときではなくて、それの散りぎわである。文字通り万朶のさくらが一陣の烈風にアッという間に散る。散った花の片々は吹雪のごとく渓谷に一たんはなだれ落ちるが、それは、再び龍巻に似た旋風に吹きあげられ、谷間の上空へ無数の花片を散らせて舞いあがる。何とも形容を絶する凄まじい勢いの、落花の群舞である。吉野の桜は「これはこれはとばかり花の吉野山」としか他に表現しようのない、全山コレ桜ばかりと思える時期があるが、そんな満開の花弁が、須臾にして春の強風に散るわけだ。散ったのが舞い落ちずに、龍巻となって山の方へ吹き返される──その壮観、その華麗──くどいようだが、落花のこの桜ふぶきを知らずに吉野山は語れない。さくらの散りぎわのいさぎよいことは観念として知られていようが、何千本という桜が同時に散るのを実際に目撃した人は、そう多くないだろう。──むろん、吉野山でも、こういう見事な花の散り際を眺められるのは年に一度だ。だいたい四月十五日前後に、中ノ千本付近にある旅亭で(それも渓谷に臨んだ部屋の窓ぎわにがん張って)烈風の吹いてくるのを待たねばならない。かなり忍耐力を要する花見になるが、興味のある人は、一度、泊まりがけで吉野に出向いて散る花の群舞をご覧になるとよい。
     *
今年は、この「花の乱舞」と坂口安吾の「桜の森の満開の下」が重なり、
桜とは怖ろしいものだ、という感を深くする。

Date: 10月 18th, 2015
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(映画・ドラマのセリフ)

映画やドラマで、ときどきこんなセリフに出会す。

人はいつか死ぬ。早いか遅いかの違いだけだ。

こんなセリフが映画やドラマの中で使われることがある。
このあいだも聞いた。
たいてい、このセリフがいいたいことは、
早く死ぬことも遅く死ぬことも大きな違いはない、ということだ。

この手のセリフを聞くたびに思うことがある。
確かに人は必ず死ぬ。死なない人はいない。
世の中に絶対といえることは、このことくらいである。
死は避けられないのだから、早いか遅いかの違いだけだ、というセリフには半分同意できても、
半分は、早いか遅いかの前に、言葉がひとつないことを思ってしまう。

親より早く死ぬか遅く死ぬか、である。
私は、この違いは大きいと思う。

Date: 9月 21st, 2015
Cate: オーディオ評論, 五味康祐, 瀬川冬樹

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(続々続・おもい、について)

日本のオーディオ界を毒する方向へともってゆく人は、
おそらく自分自身が、そういう方向へともってゆこうとしているとは気づいていないのかもしれない。
それだけではなく、自分自身が毒されたということを自覚していないのかもしれない。

そういう人たちでさえ、オーディオ界で仕事をするようになったときから、
日本のオーディオ界を毒する方向へともってゆこうと考えたり、行動していたわけではなかったはずだ。

なのにいつしか毒されてしまう。
いつのまにかであるから、なかなか毒されたことに自覚がなく、
自覚がないままだから、日本のオーディオ界を毒する方向へともってゆこうとしている──。

そんな人たちばかりでないことはわかっている。
わかっていても、そんな人たちの方が目立っている。
ゆえにそんな人たちの周囲にいる人は、どうしても毒されてしまう環境にいるといえよう。

それで毒される人、毒されない人がいる。
そんな人も、自分が周囲の人を毒する方向へともってゆこうとしているとは、
露ほどにも思っていないのではないだろうか。

こういうことを書いている私自身は、どうなのだろうか……。

Date: 9月 20th, 2015
Cate: オーディオ評論, 五味康祐, 瀬川冬樹

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(続々・おもい、について)

ステレオサウンド 16号(1970年9月発売)、
巻頭には五味オーディオ巡礼がある。
副題として、オーディオ評論家の音、とついている。

山中敬三、菅野沖彦、瀬川冬樹、三氏の音を聴かれての「オーディオ巡礼」である。

瀬川先生のところに、五味先生は書かれている。
     *
 でも、私はこの訪問でいよいよ瀬川氏が好きになった。この人をオーディオ界で育てねばならないと思った。日本のオーディオを彼なら毒する方向へはもってゆかないだろう。貴重な人材の一人だろう。
     *
「毒する方向へはもってゆかない」。
これは、日本のオーディオを毒する方向へともってゆく人が現実にいる、ということのはずだ。

「貴重な人材の一人だろう」。
日本のオーディオ界を毒する方向へともってゆかない人よりも、
日本のオーディオ界を毒する方向へともってゆく人の数が多いということなのだろう。

Date: 5月 27th, 2015
Cate: 五味康祐

続「神を視ている。」(その1)

「人は大事なことから忘れてしまう」と書きながら、思い出していた。
五味先生の、この文章を思い出して、また読み返していた。
     *
われわれはレコードで世界的にもっともすぐれた福音史家の声で、聖書の言葉を今は聞くことが出来、キリストの神性を敬虔な指揮と演奏で享受することができる。その意味では、世界のあらゆる──神を異にする──民族がキリスト教に近づき、死んだどころか、神は甦りの時代に入ったともいえる。リルケをフルトヴェングラーが評した言葉に、リルケは高度に詩的な人間で、いくつかのすばらしい詩を書いた、しかし真の芸術家であれば意識せず、また意識してはならぬ数多のことを知りすぎてしまったというのがある。真意は、これだけの言葉からは窺い得ないが、どうでもいいことを現代人は知りすぎてしまった、キリスト教的神について言葉を費しすぎてしまった、そんな意味にとれないだろうか。もしそうなら、今は西欧人よりわれわれの方が神性を素直に享受しやすい時代になっている、ともいえるだろう。宣教師の言葉ではなく純度の最も高い──それこそ至高の──音楽で、ぼくらは洗礼されるのだから。私の叔父は牧師で、娘はカトリックの学校で成長した。だが讃美歌も碌に知らぬこちらの方が、マタイやヨハネの受難曲を聴こうともしないでいる叔父や娘より、断言する、神を視ている。カール・バルトは、信仰は誰もが持てるものではない、聖霊の働きかけに与った人のみが神をではなく信仰を持てるのだと教えているが、同時に、いかに多くの神学者が神を語ってその神性を喪ってきたかも、テオロギーの歴史を繙いて私は知っている。今、われわれは神をもつことができる。レコードの普及のおかげで。そうでなくて、どうして『マタイ受難曲』を人を聴いたといえるのか。 (「マタイ受難曲」より)
     *
「どうでもいいことを現代人は知りすぎてしまった」とある。
どうでもいいことを知りすぎて、大事なことから忘れてしまう。
忘れてしまうのならば、また思い出せる可能性もある。

けれど「どうでもいいことを現代人は知りすぎてしまった」から、
大事なことに気づかないのであれば、思い出すことはできない。

もっとも大事なことは「神を視ている」なのではないか。

Date: 5月 26th, 2015
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その4)

嫌われ愛想をつかされてしまう。
これしかないのではないないか、と思った。

最初のうちは周りの人も、たいへんな病に、それも不治の病なのだからと、
どんなわがままもイヤな顏ひとつせずにきいてくれるだろう。

けれどそれが一週間や一ヵ月ではなく、何年も何年も続いていくとしたら、
見放す人がひとりひとり増えていくのではないだろうか。

どんなに有名人であっても、素晴らしい音楽を奏でてきた人であっても、
いつ終るともしれぬわがままが、それも感謝の気持が示されることなく続いていくのであれば、
周りから人は去っていく……。

そんなことをおもっていた。
そうすれば自殺できるかもしれない。
時間はかかる。

ほんとうは感謝の気持をもっているのに、
それを抑え込んでわがままを押し通す。
健康な人であっても、こんなことをずっと続けていたらそうとうにしんどいはずである。

それをベッドの上から自力では起き上がれない人がやり続ける。

これは私の勝手な想像でしかない。
けれどジャクリーヌ・デュ=プレのような人が自殺を考えたとしたら、
これ以外の方法が私には思い浮ばなかった。

Date: 5月 10th, 2015
Cate: ステレオサウンド, 五味康祐

五味康祐氏とステレオサウンド(「音楽談義」をきいて・「含羞」)

「含羞(はじらひ)-我が友中原中也-」というマンガがある。
1990年代に週刊誌モーニングに連載されていた。
曽根富美子氏が作者だった。

この「含羞」が読みたくてモーニングを購入していた、ともいえるし、
単行本になるのが待ち遠しかった。

タイトルからわかるように、中原中也、小林秀雄が、
この物語の中心人物であり、ここに長谷川泰子が加わる。

これは読み手の勝手な想像にすぎないのだが、
「含羞」を描いて、作者は燃え尽きた、というよりも、精根尽き果てたのではないか、
そんな感じを受けた。

これは文字だけでは表現できない世界であり、
同じ絵であっても、動く絵のアニメーションよりも動かぬ絵のマンガゆえの表現だとも思う。

ここで描かれているのは、少し事実とは違うところもある。
それをわかったうえで読んで、小林秀雄に対する印象が、私の場合、大きく変化した。
そうだ、このひとには「乱脈な放浪時代」があったことも思い出した。

「含羞」は残念なことに絶版のままである。

Date: 5月 10th, 2015
Cate: ステレオサウンド, 五味康祐

五味康祐氏とステレオサウンド(「音楽談義」をきいて・その4)

「音楽談義」をきいていると、どうしてもいろんなことを思い考えてしまう。

「人は大事なことから忘れてしまう。」

これは2002年7月4日、
菅野先生と川崎先生の対談の中での、川崎先生の発言である。

残念なことに、ほんとうに人は大事なことから忘れしまう。
最近のステレオサウンドを見ていても、そう思ってしまう。

そう書いている私だって大事なことから忘れてしまっているのかもしれない。
そう思うから、毎日ブログを書いているのかもしれない。
大事なことをわすれないために、である。

別項でも書いているのだが、
ステレオサウンドの現編集長は、創刊以来続く、とか、創刊以来変らぬ、がお好きなようである。

でも大事なことから忘れてしまっているからこそ、創刊以来変らぬ、といえるのだろう。
大事なことを忘れずにいようとしていたら、そんなことはとてもいえない。

「音楽談義」は、他のオーディオ雑誌に掲載されたわけではない。
ステレオサウンド 2号に載ったものだ。

「音楽談義」そのものも忘れてしまっているのだろうか。
そんなふうに思えてしまう。

Date: 5月 9th, 2015
Cate: ステレオサウンド, 五味康祐

五味康祐氏とステレオサウンド(「音楽談義」をきいて・その3)

「音楽談義」には小林秀雄氏と五味先生の「対談」(あえて対談としたい)だけでなく、
五曲のSP盤復刻による音楽もふくまれている。

R.シュトラウス指揮ベルリン・フィルハーモニーによるモーツァルトの交響曲第40番の第一楽章の一部、
エルマンによるフンメルのワルツ イ長調、
ハイフェッツ、チョツィノフによるサラサーテのチゴイネルワイゼン、
クライスラー、ブレッヒ指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団とによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、
フーベルマンとシュルツェによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ピアノ伴奏、第三楽章縮小版)、
フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニーによるワーグナー「ジークフリートの葬送行進曲」、
これらが聴ける。

最初にかかるのはモーツァルトのト短調である。
「音楽談義」を最初に聴いた1987年では確信がもてなかったことがある。
あまり気にもしていなかったということもある。
けれど、ステレオサウンド 100号の特集「究極のオーディオを語る」、
ここで岡先生の文章を読んで、やっと気がついた。

《僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。》
小林秀雄氏の「モオツァルト」である。

このとき小林秀雄氏が聴いていたレコードが、
リヒャルト・シュトラウスがベルリン・フィルハーモニーを振ったものである。

岡先生は、なぜかという理由について、こう書かれている。
     *
「道頓堀を歩いていたら、突然『ト短調のシンフォニー』の終楽章の出だしのテーマが頭の中で鳴った……」という、あの有名な書出しで、彼の聴いたレコードはリヒャルト・シュトラウスがベルリンフィルを振ったものらしいことがわかる。なぜかといえば、昭和22年に入手出来たこの曲のレコードはシュトラウス盤とワルター盤で、ワルターとベルリンシュターツカペレによる日本コロムビア盤は出だしの1小節めで始まるヴァイオリンのテーマが全然聴こえない。2小節めから、まずチェロとコントラバスが2分音符を、1拍遅れて第2ヴァイオリンとヴィオラが3連4分音符を奏するが、2小節目後半でいきなりヴァイオリンが聴こえてくる。
 もし、小林がワルターの演奏で聴いていたら、『ト短調シンフォニー』終楽章の出だしのテーマの冒頭は聴くこともできなかったし、頭の中で鳴ることもなかっただろう。
     *
小林秀雄氏は「終楽章の出だしのテーマ」とは書かれていない。
「有名なテエマ」とだけあるが、新潮文庫の「モオツァルト・無情という事」を開けば、
終楽章であることがすぐにわかる。

小林秀雄氏の頭の中で鳴っていたのは、シュトラウスの演奏だったのか……、
とステレオサウンド 100号を気づかされた。

だからちょっと残念なのは、「音楽談義」では終楽章はおさめられていないことだ。

Date: 5月 7th, 2015
Cate: ステレオサウンド, 五味康祐

五味康祐氏とステレオサウンド(「音楽談義」をきいて・その2)

「音楽談義」は1967年春、鎌倉で行われた。
当時のことだからオープンリールのポータブルデッキでの録音だと思う。
当然モノーラルである。
それを編集してカセットテープ二巻におさめたのが「音楽談義」である。

そのことからわかるように、音は良くない。悪いといってもいい。
かなり聞き取りづらいところもある。
それでも聞いていると、話の面白さに引き込まれて、
まったく気にならないといえばウソになるけれど、がまんならないというほどではない。

この「音楽談義」から小林秀雄氏の発言だけを抜粋して、
「音楽談義」で語られているレコードを収録したものが、
いまも新潮社から発売されている「小林秀雄講演【第六巻】 音楽について」だ。

こちらはCD二枚組であり、収録されている音楽は「音楽談義」に収録されている数よりも多い。
けれどここでは小林秀雄氏の発言の抜粋であり、「音楽談義」そのものを聞くことができるわけではない。

このことを勘違いされていて、
「音楽談義」そのものが「小林秀雄講演【第六巻】」で聞けると思っている人がいる。

「音楽談義」には、ステレオサウンド 2号に掲載された「音楽談義」をおさめた冊子ついている。
その冒頭には、
このカセットブックの開設資料として、ステレオサウンド誌2号(昭和42年5月1日発行)に掲載されたものを、著作権者の許可を得て全文掲載いたします。
なお、両氏の加筆訂正を経て文字化された誌面と肉声のテープ内容とでは、表現等で多少の違いがありますことを予めお断りしておきます。
と書いてある。

小林秀雄氏は、話したものに対してかなり加筆訂正をされるときいている。
だからステレオサウンド 2号を読んでいるから「音楽談義」は聞く必要がないわけではないし、
「音楽談義」を聞いたからステレオサウンド 2号掲載の「音楽談義」を読まなくていいわけでもない。

ステレオサウンド 2号に掲載された「音楽談義」は、
新潮文庫「直観を磨くもの―小林秀雄対話集―」で全文が読める。