Archive for category 日本のオーディオ

Date: 8月 25th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その6)

松下電器産業には当時15ヵ所の研究所をもっていた。
これらの中で、オーディオと関係していたのは、
中央研究所、材料研究所、無線研究所、音響研究所、電子工業研究所、生産技術研究所の六つである。

ダイレクトドライヴを開発した無線研究所は、テクニクス号によれば、
テレビ、音響機器とそれらを支える電子部品の研究開発、電波伝送理論から高周波・低周波の回路系、
精密機械系や電子部品にいたるまで広範にわたる、とある。

その無線研究所が目標としたS/N比60dB。
これを実現するには、S/N比60dB以上を測定できる環境がまず必要となる。

開発がはじまり1967年には試作品一号機ができる。
無線研究所は線路の近くにあったため、測定は深夜に行なわれていた。

もちろん測定には防振台の上に置かれて行なわれるのだが、
電車の通過によって地面が振動してしまっては、防振台でも完全には遮断できないため、
電車の運行が終っての深夜、S/N比の測定は始まる。

試作機は一号機、二号機……となり、S/N比は向上しているはずだし実感できているのに、
測定値は30dBあたりで足踏みしていた。
原因は測定用レコードにあった。

Date: 8月 25th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その5)

1975年にMK2となったSP10。
それ以前に、Technicsのロゴの前からナショナルのマークは消えている。
いつごろ消えたのかははっきりとしない。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」テクニクス号でも、確認できる。
何枚かのSP10の写真が載っていて、Technicsのロゴだけになっているのがある。

SP10は1970年6月の発表だが、
ダイレクトドライヴの発表は一年前に行なわれている。

この本によると、ダイレクトドライヴの開発に松下電器産業が着手したのは昭和41年(1966年)頃となっている。
SP10登場まで四年間である。

ダイレクトドライヴの開発にあたったのは音響研究所では無線研究所である。
ダイレクトドライヴ登場以前、モーターゴロを発生するプレーヤーが当り前のようにあった。
当時のオーディオ雑誌のプレーヤーの評価記事をみても、モーターゴロという単語が登場する。
モーターゴロがあればターンテーブルのS/N比は十分な値が確保できない。

SP10の登場、つまりダイレクトドライヴの登場は、アナログプレーヤーのS/N比を確実に向上させている。
無線研究所では、それまでのアナログプレーヤーの一般的なS/N比25〜30dBに対し、
60dBを目標としていた。

Date: 8月 24th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その4)

Technicsのロゴの頭につくナショナルのマーク。
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」テクニクス号に掲載されている写真をみていく。

アメリカではテクニクス・ブランドが登場する以前からパナソニック(Panasonic)ブランドであり、
当時のアメリカでの広告には、Technics by Panasonic の文字がある。
ちなみに1973年のアメリカでの広告には、こう書いてある。

Introducing a new world in the Hi-Fi vocabulary:
Technics[tek·neeks′]n. a new concept in components.

ハイファイ用語に登場した新しい単語を紹介しましょう。
テクニクス、名詞。コンポーネントの世界に置ける新しい概念

tek·neeks′は発音記号で、カタカナ表記すれば、テク・ニークスか。
そういえば1970年代後半、テレビコマーシャルで流れていたのも、テク・ニークスだったはず。

アメリカではブランドとしてナショナルではなくパナソニックが使われていたが、
イギリス、フランス、ドイツなどヨーロッパでは、ナショナル・ブランドだった。

「世界のオーディオ」テクニクス号でも、海外でのテクニクスについての記事では、
SP10同様、Technicsのロゴの頭にナショナルのマークがついているのが確認できる。

Date: 8月 22nd, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その3)

そのSP10だが、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のテクニクス号を読むと、
すこし意外なことが書かれている。
菅野先生の文章だ。
     *
 テクニクスというと、私はいまだに思い出す1つの光景がある。それは、ダイレクトドライブ・ターンテーブルSP10との最初の対面のときだ。今から8年ほど前になるこの出会いは、ターンテーブル・メカニズムの発想を根本から変えたという意味で、大変にショッキングなものだった。
 と同時に、そのSP10を松下電器の方々が、はじめて私の家に持ってこられたときの光景を思い出すわけだ。そのとき私は「松下という会社は、昔から決してオーディオに冷たいメーカーではない。大メーカーのなかでは、われわれにとって、アマチュア時代からなじみのあるメーカーだ。しかし、松下電器とか、ナショナルとかいうブランドはオーディオに対して訴える力がどうしても弱く感じられる。それはオーディオのイメージが弱いというよりも、そのほかのイメージが強すぎるからだろう。たとえば、このSP10にもNATIONALというマークがついている。するとどうしても電気がまや掃除機のイメージの方が強くなるから、このマークは取り去った方が良いのではないですか」という話をした。
 そのとき「いや、これは会社の憲法であり、これを変えたら大変なことになる」という言葉が返ってきたが、私は「オーディオというのは非常に趣味性の高いものだし、オーディオファンが親しみと信頼をもってくれるブランド名を製品に与えるのが本当だと思う。そのためにも考え直された方が良いのではないだろうか」といった覚えがある。
     *
意外だった。
テクニクスの顏といえる存在のSP10に、最初のころとはいえ、ナショナルのマークがついていたことは。

テクニクス号には、いくつかのSP10の写真が載っている。
その中にはナショナルのマークはないものが多いが、
小さな写真でぼんやりしているが、
ひとつだけ、Technicsのロゴの左側にナショナルのマークらしきものが見えるのがある。

Date: 8月 22nd, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その2)

松下電器産業からテクニクス(Technics)ブランドの最初の製品、
Technics1が登場したのは昭和40(1965)年6月である。

来年(2015年)は、テクニクス・ブランド誕生から50年にあたる。
それもあってのテクニクス・ブランドの復活なのかも、とも思っている。

1965年は松下電器産業が、音響研究室を発足させた年でもある。
この音響研究室がのちの音響研究所だ。

1963年生れの私にとって、テクニクスときいて、真っ先に浮ぶイメージは、
リニアフェイズのスピーカーシステム、それからSP10から始まったダイレクトドライヴ型ターンテーブルである。

世界初のダイレクトドライヴ型でもあるSP10は、テクニクスの顏でもあった。
私がオーディオに興味を持ち始めた1976年には、SP10は改良されSP10MK2となっていた。
たしか1975年にSP10MK2になっている。

さらに1981年に、ターンテーブルプラッターを従来のアルミダイキャスト製3kgから、
銅合金+アルミダイキャスト製で、重量は10kgのものへと変更されたSP10MK3が出た。

ダイレクトドライヴ型は性能はいいけれど、音は芳しくない、といわれた時期に、
テクニクスがオリジネーターの意地を見せつけてくれた製品でもあった。
SP10MK2は15万円だったが、MK3では25万円になっていた。

SP10は、やはりテクニクスの顏であった。

Date: 8月 18th, 2014
Cate: Technics, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(テクニクス・ブランドの復活・その1)

テクニクス・ブランドが年内に復活する、というニュースが昨日あった。
詳細についてはほとんどわからない。
どういうラインナップで復活するのか、具体的な情報はない。

なので、テクニクス・ブランドの復活に対しての個人的な感情は、いまのところない。
嬉しい、とも感じていないし、いまさら、とも思っていない。
ほんとうに年内に復活するのであれば、あと四ヶ月以内の話である。

もう少しまてば、いろいろなことがはっきりしてくる。
その時点で、どう思える製品を出してくるのか。

日本のオーディオメーカーは専業メーカーももちろんあるが、
松下電器産業(パナソニック)、東芝、日立といった総合電気メーカーがオーディオも手がけていた。

当時はそれがあたりまえのことであったけれど、
オーディオ業界が衰退していくと、日本のメーカーの特色がよりはっきりしてきた。

海外の、どのオーディオメーカーでもいい、
アンプにしろスピーカーシステムにしろ、
そこに使われているすべてパーツを自製できるメーカーがいくつあるだろうか。

アンプならばトランジスター、LSIといった半導体を開発製造し、
受動部品のコンデンサー、抵抗も製造する。トランスも必要となる。
スピーカーでは、振動板の材質、マグネットなどがある。

すべてのパーツを自社で製造したから優れたオーディオ機器がつくれる──、
というものではないことはわかっているが、
そういうことができるメーカーが、以前はオーディオ機器をつくっていた。

このことは時代が経つにつれ、すごいことだった、と実感できる。

Date: 7月 18th, 2014
Cate: 日本のオーディオ

山水電気のこと(補足としての、その3)

サンスイの今回の件について、(その2)までで(その3)以降は書く予定ではなかった。
けれどfacebookのaudio sharingのグループにコメントをもらった。
そのコメントへの返信の意味で、これを書いている。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」に対するサンスイとティアックの違いについて書いた。
タンノイ号にお金を出したティアックの経営陣が立派で、
そうでなかったサンスイの経営陣は立派ではない、なんてことは思っていない。
そんなことを言いたかったわけではない。

ただ、編集者としてこういうことがあった、
一方ではこうだった、ということを書いて、
その違いが私にとっては、今回の件と決して無関係ではない、と思っている、というだけである。

この見方に賛同される人、納得される人、そんなバカな! と思われる人、
いろいろな受けとめ方をされていい。
何も私が今回書いたことに納得してほしいわけではない。

あくまでもひとつの意見でしかない。

それでも何に対してお金を出すのか出さないのか。
このことはきちんと見ていくべきではないか、とは思っている。

山水電気は「世界のオーディオ」の数年後に、あることにかなりの大金を出している。
「世界のオーディオ」とは比較にならぬほど大きな額である。
この数年後とは、1987年のことである。

1987年にオーディオをやっていた人ならば、あれか、と思い出されるだろう。
まだその頃はオーディオはやっていなかったという人でも、いまはインターネットですぐに調べられる。

この1987年のことについては、まったく別のテーマで書いていくかもしれない。
書かないかもしれない。

私の中では、書かない言わないで、墓場までもっていくことがいくつかある。
いうべきことでないことを知っている。
それらのことについては語ることは絶対にない、といえる。
だが、そのことを知っているから書けることもある。

それからいつか書いてもいい、と思えるときがきたら書こう、と決めているいくつかのことがある。
1987年のことは、ここに入っている。

山水電気の今回の件に関しては、ここまでである。

Date: 7月 17th, 2014
Cate: 日本のオーディオ

山水電気のこと(その2)

「世界のオーディオ」が刊行されていたころは、ちょうどJBLが日本市場で爆発的に売れていた時期でもある。
ペアで100万円をこえる4343が、信じられないほど売れていた時期だけに、
JBL号が出ないのがなんとも不思議だった。出ていたら売れていたはずなのに……。

だから、この疑問もステレオサウンドで働くようになって、
編集部の先輩にきいた「なぜJBL号を出さないんですか」と。

返ってきた答は、編集という仕事についたばかりで、
出版がどういうものなのかもほとんどわかっていなかった私には、いささか驚きのものだった。
「サンスイがお金を出さないからだよ」

いわれてみると「世界のオーディオ」には広告が載っていない。
入らない、ともいいかえられる。

どのメーカー、輸入商社が、他社だけを取り上げている別冊に広告を出すだろうか。
広告がどれだけの比重なのかをまったく考えていなかった私は、
いわれてみればそうだ、と理解しながらも、
サンスイはサンスイ号とJBL号、二冊分の予算を用意しなかったんだ……、と思っていた。

メーカー、輸入商社がどれだけ出していたのか、それは知らないし、特に興味はなかった。
ただいまふり返って思うのは、サンスイとティアックについて、である。

ティアックはタンノイ号を優先した。
ティアック号は出なかった。ティアック号が出てもおかしくはないし、
むしろティアック号が出なかったことが不思議でもある。

ようするにティアックはタンノイを優先した。
サンスイはJBLよりも自社のことを優先した。

当時タンノイも売れていただろうが、
JBLの売行きはそれ以上で、売上高では比較にならないほどだったと思う。
それだけ売れていたJBLの本に対しての山水電気の態度、
それに対してティアックのタンノイの本に対する態度。

この違いが、ティアックは健在でサンスイがこうなってしまったことと、決して無関係とは思っていない。

Date: 7月 17th, 2014
Cate: 日本のオーディオ

山水電気のこと(その1)

山水電気の倒産がニュースになっている。
二年ほど前だったか、事実上倒産状態になっているというニュースが流れていたから、
今回のニュースにさほど驚きはなかった。

twitter、facebookのタイムラインでも、サンスイの倒産は話題になっていて、
あえて検索しないでも、今回の倒産に関してのいくつかの記事へのリンクが表示される。
いくつか読んだ。
なぜ山水電気が倒産したのかについての考察もあった。食い足りなかった。

この記事を書いた人はオーディオマニアじゃないんだな、ということが伝わってくるし、
もしオーディオに関心をもっていた(いる)人であったとしても、
サンスイの製品を実際に見て触って聴いてきた人ではないな、という感じがした。

私にとっての最初で最後のサンスイの製品はAU-D907 Limited。
それから1982年から丸七年間、サンスイのあらゆる製品を見て触って聴いてきた。

それらのことを今回の倒産と結びつけて書こうと思えば書けるのだが、
ここで書くのはまったく違った視点からである。

1970年代後半、ステレオサウンドは「世界のオーディオ」という別冊を出していた。
ラックスから始まり、マッキントッシュ、サンスイ、アルテック、ビクター、パイオニア、テクニクス、
ソニー、オンキョー、タンノイと続いてた。

私はJBLが出るのを期待していた。
が結局、タンノイ号で最後になってしまった。

Date: 6月 21st, 2014
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その9)

その4)に自転車のカーボンフレームのコピーについて書いた。
アメリカ、ヨーロッパの有名ブランドのフレームも、
本国で作られるモデルもあるが、中国、台湾で作られるモデルもある。

けれどこれらのカーボンフレームに使われるカーボン繊維の多くは日本製である。

カーボンフレームやカーボンホイールをバラしていって、見事なコピーを作れても、
カーボン繊維そのものを作れる(コピーできる)わけではない。

いつの日かカーボン繊維も中国製、台湾製になるだろうが、
その時は日本のカーボン繊維は、いまよりも優れているのではないだろうか。

先のことはわからないから、
日本のカーボン繊維よりも中国、台湾のカーボン繊維が優れる時代も来るかもしれない……。

それでもいわゆる素材の、日本の強みというのは確かにある。
ふり返ってみれば、日本のオーディオは、新素材の積極的な導入でもあった。

ドーム型振動板にベリリウムを取り入れたのも早かった、
カートリッジのカンチレバーにもベリリウムは1970年代に取り入れられていた。

ベリリウムだけでなくボロン、チタン、マグネシウムも登場したし、セラミック、カーボン、人工ダイアモンドなど、
他にもいくつもあって、すべてを書き連ねないが、
実にさまざまな素材がオーディオ機器に取り入れられていった。

このことは日本のオーディオが海外のオーディオに先駆けて、ということとともに、
日本のほかの業種よりも、日本のオーディオは新素材の導入に積極的であったのではないか。

Date: 5月 30th, 2013
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その8)

おそらくイギリスで復刻したとしても、LS3/5B的なことになってしまうだろう。

それはそれでいいことだとも思うのだが、私が欲しいのはLS3/5Aである。
だから、今回の中国による復刻を高く評価しているし、
ここまでできるか、という気持よりも、このことに関しては日本よりも上なのでは? と、
一時期はオーディオ大国といわれた日本なのに、翳りがみえているというだけでなく、
あきらかに中国、台湾といった後発の国に対して、
負けを認めなければならないことが出てこようとしている──、
そのことに対する「気持」のほうが強い。

たしかに日本はオーディオ大国だった。
オーディオ機器を、自社及び子会社・関連会社内だけで製造できるメーカーとなると、
その多くが日本のメーカーであった。

アンプであれば抵抗やコンデンサーといった受動素子、
トランジスター、FET、OPアンプなどの能動素子すべてをつくれるメーカーは、海外には少ない。

いま非常に高価なアンプやスピーカーを製造している海外のメーカーでも、
トランジスターを自社で開発することはできない。
日本のメーカーは、そういったことを当り前のようにやっていた。

このことが、優れたオーディオ機器をつくり出せることに直結しているかどうかは判断の難しい面もある。
それでも、いまふり返ってみて、日本人として生れ、
日本で育ち日本でオーディオをやっているひとりの人間として、
日本のオーディオ、日本のオーディオメーカーに対して、もっと誇りを持つべきだった──、
といまにしておもっている。

反省を込めて書いているわけだが、
私がいたころのステレオサウンド(1980年代のステレオサウンド)は、
日本のオーディオに対して厳しかった面がある。
それは期待ゆえの厳しさも含まれていたし、納得できるところもあったにしても、
バランスを欠いていた、といえなくもない。

それに、あの頃は、いまの状況はまったく予測できなかった……。

Date: 5月 30th, 2013
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その7)

LS3/5Aは欠点を少なからずもつスピーカーシステムであり、
その欠点をうまく補うように鳴らすことで、
このスピーカーでしか味わえない世界をつくり出してくれる、ともいえる。

LS3/5A以降、小型で優秀なスピーカーはいくつか登場してきた。
ここにスピーカーの進歩を感じるとともに、
スピーカーの面白さと難しさも同時に感じてしまう。
LS3/5Aは、好きな人にとっては、これほどハマるスピーカーは、他にあまりない。
だから、いまでも中古市場で人気があるのだろう。

ときどきLS3/5Aをそのままスケールアップしたスピーカーが出ないものか、と思うことだってある。
あのサイズだからこその魅力、ということも重々わかっていても、
それでも求めてしまうのは、ないものねだりでしかないのだが……。

LS3/5Aは日本市場にけっこうな数が入ってきているから、
中古を探すのはさほど大変なことではないものの、
誰が使ったのか(鳴らしたのか)が、不明なスピーカーは個人的には手に入れたいとは思わない。
できるかぎりスピーカーシステムは新品か、
すでに手に入らなくなったスピーカーシステムであれば、
誰が鳴らしていたのかがはっきりしていてほしい。

そんな私だから、LS3/5Aの復刻のニュースは嬉しかった。
中国製だから、というネガティヴな感情はなかった。

B110のベクストレン製のコーンの表面に塗布されたダンプ材にしても、
T27の周囲に貼られている厚手のフェルトにしても、
サランネット固定用のベルクロテープ(マジックテープ)にしても、
当時のLS3/5Aの質感そのものと思わせる。

どうして、ここまでコピーできるか、と思うとともに、
日本も以前はコピーの国だといわれていたけれど、
果して、これだけ見事なコピーをつくれるのだろうか、ともおもう。

もし日本で復刻することになったら、LS3/5B的なモノになったかもしれない。

Date: 5月 22nd, 2013
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その6)

LS3/5Aに使われているスピーカーユニットは、ウーファー、トゥイーターともにKEF製で、
型番はB110とT27である。

KEFがいつごろ、これらのユニットの製造をやめたのかは知らない。
でも少なからぬ時間が経過している。

LS3/5Aの復刻にあたって、まっさきに問題となったのはスピーカーユニットをどうするかであったろう。
エンクロージュアやネットワークは、LS3/5AはBBCモニターであるから、厳密に規格が定められている。
これをクリアーするのも、意外に大変らしいのだが、
それでもスピーカーユニットの問題に比べれば、比較的小さなことである。

かなりの数のLS3/5Aをつくることになり、スペア分も含めて、
KEFにB110とT27の再生産を、仮に依頼したとしよう。
KEFが製造を引き受けてくれるかどうかもなんともいえないし、
仮に再生産してくれたとしても、当時のクォリティそのままで、ということになるのかどうかは、
正直なんともいえない。

設計図面は残っているはずだから、それを元に再生産されても、
製造中止になって少なからぬ時間があるわけで、
その間に工場も変化していても不思議ではない。
当時のユニットを生産していたラインがそのままあると限らないし、
そのころの製造スタッフも入れ替わっていることだろう。

これがドイツだったすると、再生産にも期待がもてるのだが、
イギリスとなると、そのへんなんともいえない。

再生産することで、以前のモノよりも質が悪くなることもあるし、良くなることもある。
良くなればそれはそれでいいことなのだが、
あくまでもLS3/5Aの復刻ということに関しては、良くなることを素直に歓迎できない面もある。

Date: 5月 21st, 2013
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その5)

台湾はそれほど大きな国ではないけれど、中国は広い。
その広い国にはいくつもの、数えきれないほどの製造会社があるだろうし、
それぞれの製造レベルには大きな差があっても不思議ではない。

非常に高い製造技術をもつところもあれば、まったくそうではないところあるはず。
ここではそうでないところに関してではなく、
あるレベル以上の製造技術をもつところを前提として書いていく。

BBCモニターのLS3/5Aは、いまでも日本では人気の高いスピーカーシステムであり、
ロジャース・ブランドでもチャートウェル・ブランドでも、それぞれ復刻モデルが出ている。
これらの復刻モデルはいずれも中国で製造されている。
スピーカーユニットもエンクロージュアも、そうだときいている。

写真でまず復刻モデルを見た時に、
ここまでそっくりに作れるものなのか、と正直驚いた。
あるオーディオ店でロジャース・ブランドとチャートウェル・ブランド、
両方の復刻モデルが並んでいたのを見て、改めて感心した。

どちらもモデルが醸し出している雰囲気は、明らかにLS3/5Aのものだった。
ここまでのコピー技術があるのか、と思う。

自分たちで開発設計したモデルでなくとも、
オリジナルモデルがあれば、ここまでそっくりに作れるのを見て、
長島先生が話された、LSIのコピーのことを思い出す。

こうなってくると、「オリジナル」という意味について、
いままで以上に広く深く考えていかなければならない。

Date: 5月 19th, 2013
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(その4)

1985年ごろだったと記憶しているが、長島先生がこんなことを話してくれた。

たしか台湾のメーカーだといわれた。
彼らは海外の、自分たちよりも技術レベル高い会社のLSIやICをそっくりコピーしてしまう、と。
その方法は実際のLSIを極薄にスライスして内部がどういうつくりになっているのかを見た上で、
そっくりそのまま、どこも変えずに自分たちで作ってしまうのだとか。

たとえばあるメーカーが、そのメーカー独自のノウハウでやっていることも、
なぜ、そんなことをしているのかに関係なく、それに関しても同じに、とにかく作る。
そのコピーの技術は非常に高いし、いずれ彼らの技術力は高くなっていくだろう、と。

開発・設計の技術は未熟でも、
実物があればそれをバラして同じモノを作れる技術は持っている、というわけだ。
もちろん最初から本物そっくりにコピーできたわけではないのだろうが、
それすらも短期間で回路図・設計図がなくとも同じにコピーできる技術を高めていく。

いま自転車の世界でも同じことが行われている、ときく。
アメリカやヨーロッパのメーカーが研究開発費を投じて、
カーボンを使った新しいフレームやホイールを完成させる。

すると台湾や中国のメーカーはすぐさまそれら実物を手に入れて、
カーボンを固定しているエポキシ樹脂を溶かして、カーボンをどのように積層しているのか、バラしていき、
アメリカ、ヨーロッパのメーカーが苦労して開発したノウハウをそのままコピーしていく。
より安価な製品としてしまう、らしい。

そういうこともあってなのだろうか、
いまアメリカ、ヨーロッパのフレームメーカーでは、安価なカーボンフレームに関しては、
台湾、中国で製造していることが常識となっている。
開発設計を本国で行って、製造だけを台湾、中国で行うのならばまだしも、
中には台湾、中国の製造メーカーが開発したフレームで、
自社の製品としてふさわしいレベルのモノがあればそのまま買い取ってしまう、という話もある。

LSIをスライスしてそっくりコピーする技術を1980年代にもっていたのであれば、
自転車のカーボンフレームをそっくりコピーするくらい簡単なことなのだろう。