「言葉」にとらわれて(その9)
5日前(10月23日)、こんな記事をインターネットで見かけた。
タイトルには「BALMUDA 風を発明した男」とある。
WIREDの記事だ。記事は5ページある。その4ページ目には、こうあった。
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「人間が自然の力や電気の力を利用して、自然界と類似の現象を再現することが機械の役割だとすると、自然の風を再現することこそが、これまでにない扇風機をつくるヒントになるんじゃないかと思いました。自然のそよ風は気持ちいいけれど、扇風機の風にずっと当たっていると、疲れますよね。それは、軸流ファンで空気を前に送り出すため、どうしても空気が渦を巻いてしまうからなんです。それに対して自然の風というのは、大きな面で移動する空気の流れなんです。これを、どうにかして扇風機で生み出せないかと考え始めました」
このとき、またしても寺尾を助けたのが春日井製作所であった。ここの職人たちが、扇風機を壁に向けて使っているのを、思い出したのである。
「職人さんたちは、快適な風を生み出す方法を、長年の経験から知っていました。風を一度壁にぶつけることで空気の渦成分が壊れ、面で移動する空気の流れに変わるわけです。確かにそうしてみると、風が柔らかくなるんですよ。やるべき方向性が見つかりました。あとは、どうやってそれを、『扇風機』のなかに落とし込むかでした」
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このところを読んだ瞬間、私の頭の中に同時に浮んできたのは、
エレクトロボイスの30Wの使い方だった。
扇風機が送り出す渦を巻いている風が、
ピストニックモーションによる低音だとすれば、
扇風機の風を一度壁に当ぶつけることで、その渦成分がくずれて風が柔らかくなるのであれば、
ピストニックモーションの低音が壁にぶつかることで、どうなるのか、
それを想像してしまった。
そして、この想像は、モノーラル時代の大型スピーカーシステムの構造へと飛ぶ。
エレクトロボイスのパトリシアン・シリーズ、ヴァイタヴォックスのCN191、JBLのハーツフィールドなどである。