「言葉」にとらわれて(その4)
「立体バッフル」という言葉が浮んできたとき、
われながら、うまい表現だな、と気持と、あぁ、いまのいままで、平面バッフルの「平面」という言葉に、
これまでの発想はどこかしらとらわれていた気持も味わっていた。
「立体バッフル」という言葉が出てくるまでは、言葉にとらわれていた、という意識はなかった。
けれど、実際には違っていたし、そのことを気づかせてくれたのも、またやはり「言葉」だった。
平面バッフルといっても、バッフル自体には厚みがある。
私が使っていたのは19mm厚の米松合板に80mmの補強棧がつくので、
トータルの厚みは99mm、約10cmあるから、この厚さの分だけ立体といなくもないわけだが、
ここでいう、「立体バッフル」とは、とうぜんそんなことからは離れているものだ。
結局、「平面」ということから解放されなければ、バッフルのサイズを縮小していくことはできない。
といって囲ってしまう方向にいけば、それはエンクロージュアにいく。
とにかく、いま私のなかには、「立体バッフル」という言葉がある。
けれど、まだ具体的にはどうするかまでには至っていない。
ただ「立体バッフル」という言葉があるだけだ。
ここから、「立体バッフル」という言葉にただとらわれてしまうだけなのか、
「立体バッフル」という言葉から、以前夢見ていたけれども、どうしても思いつかなかったことに、
今度はたどりつけるのか。