Archive for category 音楽家

Date: 6月 25th, 2016
Cate: Carlo Maria Giulini

実現しなかったモノ・コト(その1)

黒田先生は、ヴェルディ「椿姫」における理想のヴィオレッタは、
全盛期のマリア・カラスであったと思われる、と何かか書かれていた。
そうだ、と多くの人が同意されると思う。私もそうだと思う。

でも、マリア・カラスがヴィオレッタを歌ったディスクは、いくつかの注文をつけたくなる。
それは録音も含めて問題があるように感じるからである。

いまもカルロス・クライバーの「椿姫」の評価は高い。
1976年から77年にかけての録音であるから、もう40年前のことになってしまう。
けれど、ヴィオレッタに起用されたコトルバスに心底満足している聴き手は、どのくらいいるのだろうか。

ケチをつける、というほどではないにしても、
マリア・カラスを最高のヴィオレッタと思っている聴き手は、
口にすることはないけれど、何か思うところがあるはずだ。

このカルロス・クライバーの「椿姫」は、
もしかするとカルロ・マリア・ジュリーニの指揮になっていたかもしれない。

以前のステレオサウンドには三浦淳史誌の連載があった。
57号掲載の「続・レコードのある部屋」の大見出しはこうだった。

ジュリーニをオペラに呼び戻した《リゴレット》の録音
ライラック/カルショーの遺言

書き出しのところを引用しておく。
     *
 カルロ・マリア・ジュリーニは、十年間、オペラ録音のためのスタジオに入ったことがなかった。歌劇場も同様である。ジュターにがさいごにふったオペラ全曲盤は、EMIのために録音した《ドン・カルロ》だった。彼が盗用したプラシード・ドミンゴとルッジェーロ・ライモンディは、彼らのキャリアをはじめたばかりだった。その後、ジュリーニはオペラをふる気にならなかった。あわやふりそうな気配は二回ほど見せたが、実現しなかった。
 七年前、EMIはジュリーニのために《トロヴァトーレ》を企画したが、ジュリーニは会社がそろえてきた。キャストのうち、一人の歌手をどうしてもアクセプトできなかった。EMIは歌手の入れ替えをしなかったのか、それとも、できなかったのか、ジュリーニの意向を迎えなかったので、ジュリーニは会釈して出ていった。二回目の機会は一九七六年に起こった。DGはカルロス・クライバーの指揮で《ラ・トラヴィアータ》(俗称「椿姫」)を録音する体制をととのえた。クライバーは急病のため指揮をとれないことになった。DGのプロデューサー、ギュンター・プレーストは、ミラノにジュリーニを訪ね、引き受けてくれるよう懇望した。ジュリーニは二十四時間考えたのち、ことわった。理由は、自分が望んでいるやり方で、このオペラを準備するには、時間がなさすぎるというのである。クライバーが回復して、録音は予定通り行なわれた。
 ジュリーニの拒絶反応が反射的なものでないことを知ったプレーストは、ジュリーニにふさわしいオペラと、ジュリーニのアクセプトするキャストを揃えれば゛オペラ録音にカム・バックする可能性はあると、ふんだ。
 次のプレースト談は『ザ・タイムズ』紙の特派員に語った言葉である。
「私は、カルロの夫人のマルチェッラが『主人はもう少しで《トラヴィアータ》の提案に同意するところだったですよ』と話してくれた事実によって、ひじょうに励まされたのです。私共にとってありがたいもう一つのファクターは、ジュリーニの新しい手兵であるロス・アンジェルス・フィルハーモニック(LAP)とオペラをやるという話し合いが出たことでした。ジュリーニはすでにLAPの総支配人アーネスト・フライシュマンと《ファルスタッフ》をふることを話し合っていたのです。
     *
まだまだ続くし、まだまだ引用しておきたいが、このへんにしておく。

ジュリーニが《ラ・トラヴィアータ》の録音をことわった理由のこまかなことはわからない。
ジュリーニはスカラ座を指揮して、マリア・カラスのヴィオレッタによるライヴ録音を残している。

もしジュリーニが録音していたら、クライバーの「椿姫」はなかった可能性が強い。
それでもジュリーニの録音が実現していたら……、と思ってしまう。

Date: 5月 19th, 2016
Cate: Kate Bush, ディスク/ブック

So(その1)

30年前の5月19日、ピーター・ガブリエルの五枚目のアルバム”So”が登場した。

当時ステレオサウンド編集部にいたO君が教えてくれたアルバムだった。
ケイト・ブッシュを聴く私に、プログレッシブロック好きのO君が、
「ピーター・ガブリエルのアルバムでデュエットしていますよ」と教えてくれた。

ステレオサウンドがある六本木にはすでにWAVEがあった。
けれどなぜかまだ”So”は入荷していなくて、O君に連れられて渋谷のCiscoに行った。

“So”はレジ横の柱に、他の売れ筋のCDと一緒に貼ってあった。
すぐに買って帰った。

ケイト・ブッシュが参加している三曲目から聴きたかったけど、
一曲目から聴き始めた。
“Red Rain”、”Sledgehammer”と聴いて、お目当ての三曲目。

すぐにケイト・ブッシュが歌いだすわけではない。
待つ。もどかしく待つ。

ケイト・ブッシュが”Don’t Give Up”と歌う。
“Never Give Up”ではなく”Don’t Give Up”と歌う、
聴き手に語りかけるかのように歌う。

“So”を聴き終り、もう一度”Don’t Give Up”を聴いた。

歌詞の意味が知りたくて日本盤も買った。

あの日から、何度聴いたのだろう。
30年の間にはいろんなことがあった。
どんな人であろうと、いろんなことがある。

1月に久しぶりに”Don’t Give Up”を聴いた。
“Never Give Up”ではなく”Don’t Give Up”でよかった、と30年前よりも深く思っていた。

Date: 12月 9th, 2015
Cate: Friedrich Gulda

eとhのあいだにあるもの(その5)

2006年、金沢に向う電車の車内広告に、目的地であった21世紀美術館の広告があった。
そこには、artificial heartの文字があった。
artificialのart、heartのartのところにはアンダーラインがあった。

artificial heartは、artで始まりartで終ることを、この時の広告は提示していた。
この時の目的地であった21世紀美術館では川崎先生の個展が開かれようとしていた。

artificial heartにartが最初と最後に含まれているのは、単なる偶然なのかもしれない。
でも、そう思えないところがあるから、「eとhのあいだにあるもの」を書いているわけだ。

artificial heartのずっと以前、
五味先生の「シュワンのカタログ」を読んでいた。
新潮社の「西方の音」の最初に「シュワンのカタログ」は出てくる。
冒頭に、こう書かれてあった。
     *
 シュワン(Schwan)のカタログというのは大変よくできていて、音楽は、常にバッハにはじまることを私達に示す。ベートーヴェンがバッハに先んずることはけっしてなく、そのベートーヴェンをブラームスは越え得ない。シュワンのカタログを繙けば分るが、ベートーヴェンとヘンデル、ハイドンの間にショパンと、しいて言えばドビュッシー、フォーレがあり、しばらくして群小音楽に超越したモーツァルトにめぐり会う。ほぼこれが(モーツァルトが)カタログの中央に位置するピークであり、モーツァルトのあとは、シューベルト、チャイコフスキーからビバルディを経てワグナーでとどめを刺す。音楽史一巻はおわるのである。
 こういう見方は大へん大雑把で自分勝手なようだが、私にはそう思えてならぬ。今少し細分について言えば、ラフマニノフはプロコフィエフを越え得ないし、シューマンはひっきょうシューベルトの後塵を拝すべきだとシュワンはきめているように私には思える。
 ことわるまでもないが、シュワンのカタログは単にアルファベット順に作曲家をならべてあるにすぎない。しかしバッハにはじまりワグナーで終るこの配列は、偶然にしてもできすぎだと私は思うのだ。いつもそうだ。月々、レコードの新譜で何が出たかをしらべるとき、まずバッハのそれを見ることをカタログは要求する。バッハに目を通してから、ベートーヴェンの欄に入るのである。これは何者の知恵なのか。アイウエオ順で言えば、さしずめ、日本は天照大神で始まるようなものなのか。高見順氏だったと思うが、人生でも常に辞書は「アイ」(愛)に始まり「ヲンナ」でおわると冗談を言われていたことがある。うまくできすぎているので、冗談にせざるをえないのが詩人のはにかみというものだろうが、そういう巧みを人生上の知恵と受け取れば、羞恥の余地はあるまい。バッハではじまりワグナーでおわることを、音楽愛好家はカタログをひもとくたびに繰り返し教えられる。
     *
だから、私はartificial heartも《何者の知恵》なのかと思う。
《偶然にしてもできすぎだと》と私も思う。

artificial heartだけではない、heartにしてもearthにしても、そこにear(耳)が含まれているのは、
できすぎた偶然とは思えない。

Date: 12月 8th, 2015
Cate: Friedrich Gulda

eとhのあいだにあるもの(その4)

その1)で、
音楽を感じるのは心(heart)なのは、art(芸術)が含まれているから
モーツァルト(Mozart)にも、artが含まれている
始まり(start)は、artから
地球(earth)の中心には、artがある
──と書いた。

heartは心であり心臓である。
heartの中心、つまりhとtのあいだにあるものは、earである。
耳である。
心の中心は耳ということなのか、と思ったりもするし、
心臓の鼓動と耳ということなのか、とも思う。

地球(earth)はearから始まっている。
聴くことから始まったのか、
つまりは音がはじめにあったのか、とも思う。

Date: 9月 21st, 2015
Cate: Wilhelm Backhaus

バックハウス「最後の演奏会」(その14)

バックハウスの「最後の演奏会」と呼ばれるディスクを聴く。
LPで出た。CDが登場し、何度か発売されている。
どちらで聴いてもいい。

とにかくバックハウスの「最後の演奏会」のディスクを聴く。
ここで「聴く」という行為は、いうまでもなくオーディオを介して聴くことになる。
つまりスピーカーからの音を聴くわけだ。

バックハウスの「最後の演奏会」は、そのタイトルが示しているように、
バックハウスの最後の演奏会のライヴ録音である。

ここのところが、このディスクの微妙なところと深く関係してくる。

録音にはスタジオ録音とライヴ録音とがある。
ライヴ録音のすべてが、いわば音楽のドキュメンタリーであるとはいわないまでも、
どこか音楽のドキュメンタリーとしての性格を少なからず内包する。

特にバックハウスの「最後の演奏会」は、その日の音楽だけが収められているわけではない。
バックハウスがベートーヴェンのピアノソナタ第十八番の第三楽章をひいている途中で心臓発作を起す。
そのため演奏は一時中断される。
そして再開される。中断されたところからではなく、プログラムが変更されての再開であり、
そのことをアナウンスする声も、「最後の演奏会」には収められている。

このアナウンスが、
「最後の演奏会」という録音のもつドキュメンタリーとしての性格を濃くしている。

Date: 8月 24th, 2015
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(2020年東京オリンピック)

私はアーティストには用はない
彼らは岩山に群がる猿だ。
彼らはなるべく高い地位、高い階層を目指そうとする。
     *
グレン・グールドがこういっている。

2020年東京オリンピックのエンブレムに関する騒動。
盗用なのかそうでないのか、他のデザインはどうなのか──、といったことよりも、
佐野研二郎氏を擁護している人たちの発言を目にするたびに、
このグレン・グールドの「アーティストには用はない」を思い浮べてしまう。

先日も、ある人が発表したエンブレムに対しての、この人たちの発言を目にした。
この人たちの多くは、アートディレクターもしくはアーティストと自称しているし、
まわりからもそう呼ばれているようだ。

グレン・グールドがいっている「岩山に群がる猿」、
「高い地位、高い階層を目指そうとする」猿そのもののように、どうしても映ってしまう。

この人たちも、グレン・グールドを聴いていることだろう。
そして、この人たちはグレン・グールドのことをアーティストと呼ぶのだろう。

だがグレン・グールドは「アーティストには用はない」といっているのだから、
自身のことをアーティストだとは思っていなかったはず。

グレン・グールドはピアニストではあった。
けれど指揮も作曲もしていたし、ラジオ番組の制作もやっていた。

ピアニストという枠内に留まっていなかった。
音楽家という枠内にも留まっていなかった。

グレン・グールドが行っていたのは、
スタジオでのレコーディングであり、それはスタジオ・プロダクトであり、
グレン・グールドはスタジオ・プロダクト・デザイナーであった。

グレン・グールドは、アーティストとデザイナーの違いをはっきりとわかっていた。
だから「アーティストには用はない」。

Date: 6月 1st, 2015
Cate: Friedrich Gulda

eとhのあいだにあるもの(その3)

バッハの平均律クラヴィーア曲集。
よく聴いてきた、つまりつきあいの長いレコードとなるとグレン・グールドの平均律ということになる。
他のピアニストの平均律クラヴィーア曲集は持っている。

それらの中で、40代後半ごろから頻繁に聴くようになってきたのがグルダの平均律だ。
私がもっているのはフィリップス・レーベルから出たCD。
ジャケットをみればわかるけれど、廉価盤扱いのCDである。

そこで聴ける音に大きな不満はないけれど、
もう少しいい音なのでは? と思わないわけではない。
それでも、ずっと聴いてきていた。

今日、グルダの平均律クラヴィーア曲集を録音したMPSから、
新たにCDとLPが発売になるというニュースが、
タワーレコードHMVのサイトで公開された。

どれだけの音の違いがあるのかはわからない。
さほど良くならないのかもしれないし、かなり期待していいものかもしれない。
予感としては、かなり良くなっているのでは、と思っている。

Date: 11月 27th, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(ジャケット買い)

その8)で書いたアバドとアルゲリッチの写真。
この素敵な写真をジャケットにした、ふたりのピアノ協奏曲集がリリースされる。

アバドとアルゲリッチによるピアノ協奏曲のレコードのすべては持っていないけれど、
今回発売されるCD(5枚組)ではいくつかがダブることになる。
それでも、あの写真を使っているだけで、いわゆるジャケット買いをしそうになる。

iPhoneのロック画面はこの写真にしているので、毎日数回は見ている。
それでもこうやってCDになれば、それだけで欲しくなっている。

Date: 11月 24th, 2014
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(その4)

1992年に「ぼくはグレン・グールド的リスナーになりたい」を書いた。
グールドの没後10年目だから書いた。

22年が経って、1992年の「ぼくはグレン・グールド的リスナーになりたい」には欠けているものに気づいた。

録音、それもグレン・グールドが認めるところのスタジオ録音(studio productとはっきりといえる録音)、
それをデザインの観点からとらえていなかったことに気づいた。

そのことをふまえてもう一度「ぼくはグレン・グールド的リスナーになりたい」を書けるのではないか、
そう思いはじめている。

いつ書き始めようとか、そんなことはまだ何も決めていない。
それに、この項もまだまだ書いていく。
ただ、書けるという予感があるだけだ。

Date: 11月 22nd, 2014
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(その3)

studio productとはっきりといえる録音は、デザインである。
このことに気づいて、グレン・グールドがコンサートをドロップアウトした理由が完全に納得がいった。

グレン・グールド自身がコンサート・ドロップアウトについては書いているし語ってもいる。
それらを読んでも、はっきりとした理由があるといえばあるけれど……、という感じがつきまっとていた。

グレン・グールドが録音=デザインと考えていたのかどうかは、活字からははっきりとはつかめない。
けれどグールドには、そういう意識があったはず、といまは思える。
だからこそ、デザインのいる場所のないコンサートからドロップアウトした、としか思えない。

確かグールドはなにかのインタヴューで、
コンサートでの演奏は一瞬一瞬をつなぎあわせている、といったことを発言している。

それが聴衆と演奏者が一体になって築くもの、つまりは芸術(アート)だとするならば、
スタジオでの録音は、それもグレン・グールドのようなスタジオ・アーティストによるものは、
アートと呼ぶよりもデザインと呼ぶべきではないのか。

グールドは、こうもいっていた。
     *
私はアーティストには用はない。
彼らは岩山に群がる猿だ。
彼らはなるべく高い地位、高い階層を目指そうとする。
     *
グールド以外のすべての演奏者がそうだといいたいのではない。
ただグレン・グールド自身はアーティストとは思っていなかったのかもしれないし、
呼ばれたくもなかったのだろう。

それはなぜなのか。
デザインということだ、と私は思う。

Date: 11月 22nd, 2014
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(その2)

グレン・グールドはコンサート・アーティスト、スタジオ・アーティストと言っていた。
無論グールドは後者である。

前者がコンサートホールでの演奏を録音したものと、
後者が、studio productを理解しているスタッフと録音したもの。

後者の録音は、デザインであるはずだ。

Date: 10月 9th, 2014
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(その1)

別項「オーディオマニアとして」で、グレン・グールドの「感覚として、録音は未来で、演奏会の舞台は過去だった」について触れている。

ここでの録音、つまりグレン・グールドが指している録音とは、studio productである。

studio productといっても、何も録音場所がスタジオでなければならない、ということではもちろんない。
ホールで録音しても、教会で録音しようとも、studio productといえる録音もある。

スタジオで録音したから、すべてがstudio productというわけでもない。
studio productとは、録音によって解釈を組み上げる行為、その行為によってつくられるモノであり、
録音をstudio productと考えていたのはグレン・グールドだけでなく、
カラヤンもそうであるし、ショルティもそうだ。

studio productだから、生れてくる「モノ」がある。

Date: 10月 8th, 2014
Cate: Kathleen Ferrier

Kathleen Ferrier (22 April 1912 – 8 October 1953)

いつごろからなのか、Kathleen Ferrierをキャスリーン・フェリアと表記するようになったようだ。
私がKathleen Ferrierを聴きはじめたころは、カスリーン・フェリアーだった。

だからいまでもカスリーン・フェリアーと言っている。

初めて聴いたのは、バッハ/ヘンデルのアリア集のCDだった。
入荷したばかりの輸入盤。1985年に買った。

このときのスピーカーはセレッションのSL600だった。
イギリスのスピーカーでよかった、と思っている。

フェリアーの声は柔らかくあたたかく、しっとりしている。
どこにも刺々しさはない。
とりすました表情はどこにもない。

そういう声・表情で歌われたバッハとヘンデルは、心に沁みた。
それまで聴いたどんな音楽よりも、そうだった。

フェリアーの歌が心に沁みてこなくなったら、もう終りだとおもっている。

Date: 8月 24th, 2014
Cate: Glenn Gould, オーディオマニア

オーディオマニアとして(グレン・グールドからの課題)

グレン・グールドの、この文章を引用するのは、これで三回目。
一回目は「快感か幸福か(その1)」、二回目は「ベートーヴェン(動的平衡・その4)」。
     *
芸術の目的は、神経を昂奮させるアドレナリンを瞬間的に射出させることではなく、むしろ、少しずつ、一生をかけて、わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくことである。われわれはたったひとりでも聴くことができる。ラジオや蓄音機の働きを借りて、まったく急速に、美的ナルシシズム(わたしはこの言葉をそのもっとも積極的な意味で使っている)の諸要素を評価するようになってきているし、ひとりひとりが深く思いをめぐらせつつ自分自身の神性を創造するという課題に目覚めてもきている。
     *
濁った水がある。
水に混じってしまった不純物は、ゆっくりと水の底に沈殿していく。
水は透明度をとり戻していく、落ち着いた静けさの心的状態によって。

心も同じのはず。
落ち着いた静けさの心的状態では、まじってしまった不純物も底へと沈殿していく。

アドレナリンを瞬間的に射出してしまえば、不純物はまいあがり濁る。

わくわくする驚きと落ち着いた静けさの心的状態を構築していくために、
オーディオの働きを借りるのがオーディオマニアではないのか。

グールドは、積極的な意味で使っている、とことわったうえで、
美的ナルシシズムの諸要素を評価するようになってきている、としている。

美的ナルシシズム、美的ナルシシズムの諸要素。
オーディオではナルシシズムは決していい意味では使われない。

ナルシシズム、ナルシシスト。
これらが音について語るとき使われるのは、いい意味であったことはない。

オーディオマニアとしての美的ナルシシズム、
自分自身の神性の創造、
グールドからのオーディオマニアへの課題だと私は受けとっている。

Date: 8月 17th, 2014
Cate: Frans Brüggen

Frans Brüggen(その1)

フランス・ブリュッヘンの名前を知ったのは、「コンポーネントステレオの世界 ’77」だった。

読者からの手紙にオーディオ評論家が組合せをつくるという企画で、
15人の読者のなかでただひとり女性がよく聴くレコードとして挙げられていた中の一枚が、
ブリュッヘンの「涙のパヴァーヌ」だった。

このレコードのジャケットをみると、リコーダーがうつっている。
リコーダーのレコードなんだ、とだけ思った。

13歳の私は、ブリュッヘンの名前も知らなかったし、
リコーダーという楽器は小学校の音楽の授業で習うものという認識しか持っていなかった。

だからそれほど注目していたわけではなかった。
それでも記事中で黒田先生が「センスのよいレコード」と話されていたから、
なんとなくではあったが、気にはしていた。

ブリュッヘンのリコーダーのレコードを聴いたのは、その数年後、東京に出てからだった。
そのころにはブリュッヘンのリコーダーはすごい、ということは文字によって知ってはいた。
でもすぐには手が伸びなかった。他にも聴きたい(買いたい)レコードがたまっていたからだ。

ずるずると後回しにしていたブリュッヘンのレコード。
いまでは何がきっかけで手にして聴いたのかも曖昧だが、
はじめて聴いた衝撃だけははっきりと憶えている。

聴き終って思ったのは、小学校でリコーダーを習う前に、
ブリュッヘンのレコードを聴かせられていたら、
リコーダーという楽器をなめてかかることはなかった、ということだ。

小学生の私は、リコーダーで出せる音なんてたかが知れている、と思い込んでしまった。
こんなにも豊かな音(表情)を生み出せる楽器とは露ほども思っていなかった。

ブリュッヘンのリコーダーを聴いた後にリコーダーを渡されていたら──。
私はそれでもリコーダー奏者の道を選ぶことはなかったと思うが、
進む道が変ったかもしれない者はいたのではないか。