Archive for category ディスク/ブック

Date: 4月 1st, 2023
Cate: ディスク/ブック

ロベルト・シュトルツ

ロベルト・シュトルツのCDをまったく持っていないわけではないが、
それらのCDはシュトルツを聴きたくて買った、というよりも、
共演者を聴きたいというのが目的での購入だった。

シュトルツの指揮ぶりをまったく聴いていないわけではないが、
熱心な聴き手ではなかった。

なのにここ数日、シュトルツをわりと聴いているのはTIDALを使っているからだ。
けっこうな数のアルバムが、TIDALで聴ける。
しかもMQAで聴けるアルバムもけっこうある。

急にシュトルツを聴こうと思い立ったのには、特にこれといった理由はない。
TIDALであれこれ検索していっている際に、おすすめのところにRobert Stolzと表示されたからだ。

いまのところRCAの録音とオイロディスクの録音を聴いていた。
どちらもMQAで聴ける。

どちらもなかなか楽しいアルバムなのだが、
録音の傾向はかなり違う。
オイロディスクは、なんとも色濃い録音なのだ。

シュトルツは1975年に亡くなっている。
RCAもオイロディスクも、最新録音ではない。
最新録音でなくてよかったかもしれない、と特にオイロディスクの録音を聴いているとおもう。

こういう録音は、いまではどこもやらないだろう。
MQAで聴いていると、RCAとオイロディスクの録音の傾向の違いも、明瞭となる。

Date: 4月 1st, 2023
Cate: ディスク/ブック

THE DARK SIDE OF THE MOON(Dolby Atmos Mix・その1)

ピンク・フロイドの「狂気」の発売は1973年。
2003年には30周年ということでSACDで出た。
今年は50周年ということで、ボックスセットが発売になっている。

このボックスセットは盛りだくさんな内容で、
Dolby Atmos MixがBlu-rayディスクに収録されている。

2003年のSACDには5.1チャンネル仕様で、今回のDolby Atmos Mixは7.1.4チャンネルである。
SACDの5.1チャンネルは聴く機会はなかった。

今回のDolby Atmos Mixは、RITTOR BASEでのイベントで聴くことができた。

RITTOR BASEはリットーミュージックが御茶ノ水に開設した多目的スペース。
一度は行ってみたい(聴いてみたい)と思っていただけに、
今回のイベントは、「狂気』がDolby Atmos Mixで聴けるのならば、
この機会を逃したら、たぶん聴くことはないだろうから、ということで行ってきた。

RITTOR BASEに着くと、椅子の上に今回の50周年ボックスのチラシが置いてあった。
そこには、RITTOR BASEディレクターの國﨑 晋氏のコメントが載っている。
     *
数え切れないほど聴き、すべての音を把握していたつもりのこの名盤に、さらなる深みがあったことに心底驚いている。ステレオのキャンパスでは収まらなかった、5.1chサラウンドの地平でも望めなかった、ピンク・フロイド『狂気』の真の姿が、Dolby Atmosによってついに解き放たれたとしか思えない。
     *
これを聴く前に読むのだから、期待は大きくなる。

Date: 3月 19th, 2023
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その11)

キリル・コンドラシンとコンセルトヘボウ管弦楽団による「シェエラザード」。
これも、瀬川先生が熊本のオーディオ店でかけられた一枚だ。

クラシックでデジタル録音が増えて始めたころで、
記憶違いでなければ、瀬川先生は、フィリップス初のデジタル録音だと話されていた。

けれどアナログ録音のようである。
瀬川先生の勘違いだったのか、
ほんとうにデジタル録音だったのか、同時にアナログ録音も行われていたのか。

瀬川先生は、とにかく音が美しいといわれていた。
ソロ・ヴァイオリンもふくめて、弦楽器の音について触れられていた。

コンドラシンの「シェエラザード」の少し前、
フィリップスの録音について、瀬川先生は高く評価されていた。

ステレオサウンド 56号で、こう書かれている。
     *
 けれど、ここ一〜二年来、その状況が少しばかり変化しかけていた。その原因はレコードの録音の変化である。独グラモフォンの録音が、妙に固いクセのある、レンジの狭い音に堕落しはじめてから、もう数年あまり。ひと頃はグラモフォンばかりがテストレコードだったのに、いつのまにかオランダ・フィリップス盤が主力の座を占めはじめて、最近では、私がテストに使うレコードの大半がフィリップスで占められている。フィリップスの録音が急速に良くなりはじめて、はっきりしてきたことは、周波数レンジおよびダイナミックレンジが素晴らしく拡大されたこと、耳に感じる歪がきわめて少なくなったこと、そしてS/N比の極度の向上、であった。とくにコリン・デイヴィスの「春の祭典」あたりからあとのフィリップス録音。
     *
そのことがコンドラシンの「シェエラザード」で、さらによくなっている──、
そんなことも話されながらかけられた一枚である。

リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」は、あまり聴かない。
ディスクもほとんど持っていない。
たまに聴く時は、コンドラシン指揮の「シェエラザード」である。

あの時聴いた音は、完全に美化されている。
美化されまくっている、といってもいいくらいである。

こうなってしまうと、もう現実の音は追いつけないのかもしれない。

Date: 3月 19th, 2023
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その10)

チャック・マンジョーネの“Children of Sanchez”も、
“THE DIALOGUE”的なところで、
宿題としての一枚ではなく宿題的な一枚である。

“THE DIALOGUE”ほどではないけれど、
“Children of Sanchez”の音には、驚いた。

これもまた瀬川先生が4343がかけられた音を聴いての驚きである。
二年ほど前にも書いているように、マサカリ低音の凄さだった。

切れ味のよい低音という表現があるが、
その切れ味は、どんな刃物によるものなのか、それによってもずいぶんと印象は違ってくる。

かみそりのような切れ味もあれば、
包丁のような切れ味もある。

さらには日本刀、鉞(マサカリ)のような切れ味もある。
鉞を持ったことはないが、重量がしっかりとあることはわかる。

そういう刃物による切れ味は、カミソリによる切れ味とは違って当然である。
4343が現役だったころ、そういう低音で“Children of Sanchez”で鳴ってくれたし、
それだけでは“Children of Sanchez”のディスクは満足のゆく再生とは鳴らない。

“Children of Sanchez”と“THE DIALOGUE”、
この二枚は、どうしても4343での音と切り離すことができない。

それは、あの時代に、そういう音で聴いてきたからであって、
そんなことを体験してこなかった人にとっては、宿題としての一枚にはならないであろう。

Date: 3月 17th, 2023
Cate: ディスク/ブック

本を書く

アニー・ディラードの「本を書く」
昨日、ソーシャルメディアで知ったばかりの一冊だ。

ながらく絶版で古書もかなりの高値がついていたのが、ようやく復刊されたとのこと。
といっても一年前に出ている。

今日、最寄りの書店に行ったけれど、そこにはなかった。
明日にでも、大型書店で購入するつもりなのだが、

本を書く。
このことを改めて意識させられた。

こうやってブログを書いていると、文章を書くということであって、
本を書く、という意識はなかった。

ステレオサウンドにいたころも本をつくるという意識はあったけれど、
そこに載る文章を書いていても、本を書くということを意識していたかといえば、
ほぼなかった。

だから、いま「本を書く」ということを考える。

Date: 3月 14th, 2023
Cate: ディスク/ブック

ルドルフ・フィルクシュニーのこと

ルドルフ・フィルクシュニーというピアニストがいることは知ってはいた。
けれど聴いてはいなかった。

きいたのは、菅野先生が1983年に録音されたディスクが初めてだった。
レーベルは、オーディオ・ラボではなく、スガノ・ディスクだった。
もちろん買って聴いた。

菅野先生がフィルクシュニーについて書かれてたこと、
話されたことは読んでいるし、聞いているけれど、
それでもフィルクシュニーのディスクを聴いて、ピンときたかといえば、そうでもなかった。

なので、このディスクをきっかけにフィルクシュニーの他の録音を聴くということもやらなかった。
TIDALに、フィルクシュニーの録音はある。
それでも、他に聴きたいものが数え切れないほどあるため、
ついそちらを優先して聴いてきたため、TIDALでもフィルクシュニーは聴かずのままだった。

つい先日、エリカ・モリーニの十三枚組CDボックスが発売になった。
それにあわせてTIDALで聴けるエリカ・モリーニのアルバムの数も増えた。

フランクのヴァイオリン・ソナタがある。
フィルクシュニーといっしょに写っているジャケットだ。

新たに聴けるようになったモリーニのアルバムは他にもあるが、
フィルクシュニーの姿が目に留ったということ、
フランクのヴァイオリン・ソナタということで、まず、このアルバムから聴いた。

期待したのはモリーニのヴァイオリンだったのだが、
印象に残ったのはフィルクシュニーのピアノだった。

なんと雄弁な演奏なのだろう、と思いながら聴いてきた。
フランクのヴァイオリン・ソナタは好きな曲だから、これまでもいろんな演奏(録音)を聴いてきた。
どれが一番なのか、そういうことではなしに、ピアノがこれほど印象に残るのは、
モリーニとフィルクシュニーによる演奏だけだ。

いまごろになって、もっともっと早くに、この演奏を聴いていたら、
菅野先生とフィルクシュニーについてなにかを話せただろうに……、と後悔している。

Date: 3月 12th, 2023
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その9)

“THE DIALOGUE”。
ならば自分のシステムで、
あの時の瀬川先生が鳴らされた4343での再現をめざせばいいことなのだが、
いちばんの難関は、やはり音量である。

喫茶茶会記でのaudio wednesdayでは、かなりの音量でかけていた。
あれだけの音量で、いまのところで鳴らしたら、即苦情が来るはず。

ちまちました音量でかけたいとは、まったく思っていない。
このへんは人それぞれだから、そうい音量でも“THE DIALOGUE”を聴きたい、という人もいるし、
そうではない、もっともっとと求める人もいる。

以前触れているが、
オーディオショウで“THE DIALOGUE”をかけているところに出会したことが何度かある。
けれど、びっくりするほど小音量なのだ。

“THE DIALOGUE”にとっての小音量という意味なのだが、
こういう音量で“THE DIALOGUE”を聴くの? そう言いたくなるほどの小ささでしかなかった。

4343での“THE DIALOGUE”の音量も、はっきりと憶えている。
それに熊本のオーディオ店には、菅野先生も一度だけ来られた。
その時、4350で、菅野先生は“THE DIALOGUE”をかけられた。
その音量も憶えている。

小音量、もしくは音量をあげないことを知的なことだけ思っている人もいる。
けれど“THE DIALOGUE”を、小音量でかけることは、ほんとうに知的なことなのだろうか。

そういう問いかけも、“THE DIALOGUE”にはある。

Date: 3月 10th, 2023
Cate: ディスク/ブック

宿題としての一枚(その8)

これまで書いてきた児玉麻里/ケント・ナガノのベートーヴェンのピアノ協奏曲は、
菅野先生からの宿題としての一枚である。

では瀬川先生からの宿題としての一枚は、なんだろうか。
瀬川先生とは、熊本のオーディオ店でだけの接点しかない。

瀬川先生の音を聴いているわけではない。
その意味では、菅野先生からの宿題と同じ意味では語れないのだけれど、
熊本のオーディオ店で、瀬川先生が鳴らされた一枚ということでは、もちろんある。

菅野先生録音の“THE DIALOGUE”も、そうである。
熊本のオーディオ店で、瀬川先生が鳴らされたのを聴いたのが最初だった。

すごい音だ、と驚いたし、そのころ高校生だったから、
すぐに“THE DIALOGUE”を買えたわけではなかった。
小遣いがたまり、やっと買えた。

けれど瀬川先生が鳴らされたときはJBLの4343だった。
そのころ鳴らしていたのは国産の3ウェイのブックシェルフ型だから、
4343のような音では、まったく鳴ってくれない。

それは鳴らす前からわかっていたことでもあるが、
それでもなんとか、あの時の音を少しでも再現したい、というおもいはつねにあった。

喫茶茶会記でのaudio wednesdayで“THE DIALOGUE”を毎回かけていたのは、
こういうことも関係して、である。

けれど4343と喫茶茶会記のアルテックとでは、低音の鳴り方がかなり違う。
どちらがいい低音かということではなく、
あの時4343で聴いた“THE DIALOGUE”のドラムスの音が、
つねに耳の底で鳴っているのだから、あと少し、あと少し──、というおもいがつねに残っていた。

Date: 3月 7th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Heartbeat Drummers of Japan(その4)

“Heartbeat Drummers of Japan”は、
優秀録音なのかといえば、そうなのだろう、とこたえる。
けれど、個人的にすごく楽しめたディスク(録音)かというと、そうでもなかった。

だから“Heartbeat Drummers of Japan”を買うことはしなかった。
パワーアンプのある一面をあからさまにするという点では、興味深く感じていた。

けれど当時はステレオサウンドで働いていたし、試聴室で聴ける。
そのこともあって買わなかった、ともいえる。

そんなCDをここにきて思い出して、それがたまたま手に入り、
しかもTIDALで聴けることもわかった。

とはいっても、いまの環境ではそこでの音量で、このCDを鳴らすことができるわけではなく、
パワーアンプの比較試聴もする機会があるわけでもない。

なので、これから先くり返し聴くのかといえば、たぶんないであろう。
それに、どうなのだろうか。

“Heartbeat Drummers of Japan”で、
いま市販されているパワーアンプをチェックしてみたら──、そういうおもいはある。

難なくすんなりと鳴ってくれるのか、
それとも64号当時と同じような状況なのか。

Date: 3月 7th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Heartbeat Drummers of Japan(その3)

ステレオサウンド 64号のパワーアンプの総テストで、
50万円未満のパワーアンプ26機種と50万円以上100万円未満56機種を、
井上先生は試聴されている。

それぞれの試聴記のすべてで“Heartbeat Drummers of Japan”について、
どういうふうに鳴ったのかを触れられているわけではないが、
ここのところに注目して読めば、なかなか興味深かったりする。

例えばQUADの405-2では、
《小型ながら基本は抑えてあり、太鼓連打でも、小出力ながら予想以上の音が聴かれた》、
ナカミチのPA50は、
《太鼓の連打での立ち上がりの甘さは、電源部に起因するもののようで、問題がクリアーされれば、中域以上の質が高いだけに、かなり優れたアンプになりそうな印象が強い》、
マランツのMA7は、
《太鼓連打でチェックすると電源は水準のレベルにあるが、スケールが小さく、力感がない》、
テクニクスのSE-A100は、
《太鼓連打では、電源の安定度、応答性が高く、不安は皆無で正確に作られたアンプという印象が強い》、
マッキントッシュのMC7270は、
《太鼓の連打では,予想よりも軟調な表現となり、瞬発力よりはジワッとした力感であるのが判る》、
新藤ラボのF2aは、
《太鼓の連打でも左右の太鼓の違いを明瞭に聴かせ、低域の安定度、質感はかなりのものだ》、
ヤマハのMX10000は、
《太鼓連打での反応は、電源部の強力さが感じられ、並の250Wクラスとは異なった力強さが聴き取れるが、なせかアタックの瞬発力は標準プラス程度に留まった》、
こんな感じである。

製品の規模としてはMX10000がもっとも物量投入されている機種で、
価格的にも405-2の約四倍ほどである。
F2aは型番が示すように真空管アンプであり、出力は40WとMX10000(250W)の六分の一ほど。

“Heartbeat Drummers of Japan”の太鼓の連打がうまく鳴ったからといって、
すべての点において音質的に優れたパワーアンプということではないが、
それでもここで挙げた機種の価格、規模を思い浮べながら比較してみることの面白さを感じてほしい。

Date: 3月 4th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Heartbeat Drummers of Japan(その2)

いまごろ、“Heartbeat Drummers of Japan”について書いているのは、
先日、このCDを手に入れたからということ、
そしてTIDALでも聴けるからである。

シェフィールド・ラボのCDだから、それほど数は売れていなかったと思う。
中古市場でも、これまで見かけたことはなかった(熱心に探していたわけでもなかったけれど)。

鼓動の録音は、TIDALでは“Heartbeat Drummers of Japan”以外もある。
MQAで聴けるアルバムもある。

“Heartbeat Drummers of Japan”は、井上先生が書かれているように、
パワーアンプにとって、かなりしんどいといえる録音だった。

《誰にでも容易に判るチェックポイントである》とあるように、ほんとうにそうである。
一発目の音はうまく鳴っても、太鼓の連打であるから、続く太鼓の音がダメになってしまう。

あくまでも感覚的なことでしかないのだが、
最初の一発目か二発目ぐらいで、電源部のコンデンサーがカラになってしまうような、
そんな感じすら受ける音のアンプもあった。

カラになってしまったコンデンサーからは、どうやっても絞り出すことはできない──、
そんな感じで、太鼓の音は鳴ってはいても、力がなくなっていく。

そして《モノーラル的にグシャグシャになり、ステレオフォニックなプレゼンスとは程遠いもの》、
ほんとうに、そういう音になってしまうアンプも、いくつかあった。

大型のパワーアンプで、いかにも電源部に物量を投入している、
そんな印象を与えるアンプでも、必ずしも満足のいく太鼓の連打を再現してくれるとはいえなかった。

Date: 3月 4th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Heartbeat Drummers of Japan(その1)

シェフィールド・ラボから鼓動(KODO)の“Heartbeat Drummers of Japan”が、
以前発売されていた。

1985年3月17日、20世紀フォックスでのスタジオ録音で、
同年、CD・とカセットテープで発売されていた。

ステレオサウンド 84号(1987年秋発売)の特集、最新パワーアンプ総テストで、
井上先生が試聴ディスクとして使われていたので、記憶にある方もいるだろう。

この試聴テストで、“Heartbeat Drummers of Japan”を知ったし、初めて聴いただけで、
かなりの回数聴いている。

“Heartbeat Drummers of Japan”は、この時、井上先生の試聴ディスクのなかでも、
かなり再生の難度の高い、といえた。

84号の139ページに、このディスクのチェックポイントが載っている。
そちらを参照してください、と書きたいところだが、
もう四十年近く前の号なので、引用しておこう。
     *
①は、約2分10秒あたりから始まる太鼓の連打を使いアンプの電源の能力をチェックしようというものである。②の大太鼓に比べれば、太鼓としてのスケールは小さいが、小さいだけに早い周期に鋭いアタックが繰り出されるために、電源が弱い場合にはすぐにピークが抑えられ、飽和し、クリップが始まり、明瞭に音が汚れる。特に、やや左側に位置する太鼓の音像が乱れ、モノーラル的にグシャグシャになり、ステレオフォニックなプレゼンスとは程遠いものになりやすいあたりは、誰にでも容易に判るチェックポイントである。この録音のピークレベルはかなり高いようで、声を基準に音量を決めると、予想以上に簡単にアンプは飽和し、クリップするようである。
     *
①、②とは、このディスクのトラックである。
①は三宅(Miyake)、②は大太鼓(O-Daiko)である。

64号では、②、③のチェックポイントについても書かれている。

Date: 2月 26th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Basie & Beyond

“Basie & Beyond”。
どんなディスクなのか、説明する必要はないだろう。
知らない方は、インターネットで検索してみればいい。

──と書いているけれど、“Basie & Beyond”をきちんと聴いたのは、つい数日前。
それまでジャケットは知っていた。
どんなディスクなのかも、なんとなくは知っていたけれど、そこで止ってしまっていた。

“Basie & Beyond”、
audio wednesdayをやっている時に聴いていれば、毎回のようにかけただろう。
大音量で聴きたい。
ヘッドフォンの大音量ではなく、スピーカーからの大音量で、
しかも個人的な趣味でいえば、やはりアメリカのホーン型スピーカーでの大音量で聴きたい。

そしてジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットでの大音量も興味あるところ。
Troubadour 40はある。鳴っている。
けれど、望む音量で聴ける環境ではない。

Date: 2月 16th, 2023
Cate: ディスク/ブック

Black or White

2020年10月に、マイケル・ジャクソンの“Billie Jean”を聴いての印象を書いている。
昨晩、マイケル・ジャクソンの“Black or White”を聴いていた。

“Black or White”は、昨晩聴いたのが初めてではない。
かなりヒットした曲だから、マイケル・ジャクソンのCDを買わなくても、
いろんなところで耳にしていた。

けれど冒頭から聴いたことはなかった。
昨晩は、当然だけれども冒頭から聴いていた。
曲の始まる前に、ああいう音が収録されているとは知らなかった。

そして、その音の生々しさに、驚いてしまった。
特に壁を叩く音。

夜遅かったからヘッドフォンで聴いていた。
TIDALで、96kHzのMQA Studioで聴いていたことも深く関係しているのだろうが、
ほんとうに壁を叩かれているのだと錯覚してしまった。

この生々しさは、MQAでいっそう生々しくなっているのか。

Date: 2月 12th, 2023
Cate: ディスク/ブック

ルネ・レイボヴィッツ

René Leibowitz(ルネ・レイボヴィッツ)。
1913年3月17日生れのポーランドの指揮者である。

つい先日まで、ルネ・レイボヴィッツの名前すら記憶になかった。
どこかで目にしたり耳にしたりはしていたのかもしれないが、
記憶にはない。

先日、「手塚治虫 その愛した音楽」というCDを手にとっていた。
ライナーノートに、ルネ・レイボヴィッツの名前が出ているし、
このCDにもルネ・レイボヴィッツのベートーヴェンが収められている。

このCDは聴いてはいないが、ルネ・レイボヴィッツの名前はその場でTIDALで検索した。
それほど数は多くないが、ベートーヴェンもあるし、他の作曲家の演奏もある。

リーダーズ・ダイジェスト・レコーディングスに録音していた指揮者とのこと。
必聴の指揮者、とまではいわないけれど、
ルネ・レイボヴィッツのベートーヴェンは一度聴いておこうよ、というふうに呼びかけたい。

最初は地味と思えた演奏は、聴いていっていると、なかなかいい感じというふうに変っていく。

菅野先生は、
イヴ・ナットに師事していたフランスのピアニスト、ジャン=ベルナール・ポミエの全集について、
ステレオサウンド別冊「音の世紀」で書かれている。
     *
ドイツ系の演奏も嫌いではないが、ベートーヴェンの音楽に共感するフランス系の演奏家とのケミカライズが好きなのだ。ベートーヴェンの音楽に内在する美しさが浮き彫りになり、重厚な構成感に、流麗さと爽快さが加わる魅力とでも言えばよいか?
     *
ルネ・レイボヴィッツはフランス系の指揮者ではないが、
ルネ・レイボヴィッツのベートーヴェンにも、なんらかのケミカライズがあるように感じる。

別項「最後の晩餐に選ぶモノの意味(その9)」で、
私にとってドイツの響きといえば、二人の指揮者である。
フルトヴェングラーとエーリヒ・クライバーである、と書いている。

まさにそのとおりなのだが、ルネ・レイボヴィッツのベートーヴェンは、
そういうベートーヴェンとは違う。

違うからダメとかいいとかではなく、
違うことの魅力が《ベートーヴェンの音楽に内在する美しさが浮き彫り》してくれるのだろう。