マーラーの交響曲第一番(一楽章のみ・その2)
4月3日にかけた音楽で、どの曲がいちばん心に響いたかは、
人によって違って当然である。
この日、アバドとシカゴ交響楽団によるマーラーの交響曲第一番をかけた。
1981年の録音。
私が、このマーラーの一番を聴いたのは、ステレオサウンドの試聴室だったことは、
(その1)で書いている。
試聴では冒頭の三分くらいを聴く。
だから、音量の設定は低くない。
けれど4月3日は、一楽章を最後まで鳴らすつもりだったので、
鳴り始めた音を聴いて、あれっ、音量が低め、と思われただろう。
アバド/シカゴ交響楽団による第一番の第一楽章を最後まで聴いている人ならば、
クライマックスでどれほど音量が増すのかはわかっているはずだ。
このくらいの音量でも、後半はかなりの音量となる。
といってクライマックスで音量をあわせてしまうと、出だしはかなり小さくなってしまう。
当日の音量ぐらいがぴったりだと思っている。
それゆえに出だしのピーンとはりつめた弦の音は、よりいっそう緊張感を増していた。
マーラーの一番の一楽章を聴いて、何をおもい浮べるか。
私はヨーロッパの森、それも夜明け少し前の風景が浮ぶ。
その朝の空気がどんな感じなのか。
カラカラに乾いた空気なのか、澱んでいるのか、
曇っているのか、晴れているのか、雨なのか、
その森は人里離れたところに位置するのか、まわりに人がいるのかいないのか、
気温はどうなのか、暖かいのか、すこしひんやりしているのか、などなど。
そんなことが再生する装置によっても、鳴らし方によっても、違ってくる。
どれが正解なのかは、人それぞれなのかもしれない。
アバド/シカゴ交響楽団による演奏(録音)をどれだけ聴いてきたか、
どんな音で聴いてきたかによっても影響を受け、違うことだろう。