フィガロの結婚(クライバー・その3)
エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」を聴くたびに感じていることがある。
この録音、序曲はあまり冴えないような感じを受ける。
特に悪いというわけではないが、曲がすすむにつれて、
音の冴えが増してくるように感じるものだから、相対的に序曲が冴えないと感じてしまう。
エーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」の録音時、
デッカの録音スタッフもステレオ録音について、まだ手さぐりの段階だったのかもしれない。
だからこそ、序曲よりも第一幕、第二幕……、と音が良くなっていっているのではないのか。
ここでいう音のよさとは、音の美しさでもあるし、
モーツァルトの音楽としての美しさともいいたくなる。
とにかく曲の進行とともに、なんて美しい音楽だ、とおもう気持が強くなっていく。
特にMQAで聴いていると、そのことをより強く感じる。