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Date: 7月 3rd, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・続補足)

アルテックの620Bの組合せの中に、そのことは出てくる。

620Bの組合せをつくるにあたって、
机上プランとしてアルテックの音を生かすには新しいマッキントッシュのアンプだろう、と考えられた。
このころの、新しいマッキントッシュとはC29とMC2205のことだ。
ツマミが、C26、C28、MC2105のころから変っている。
C29+MC2205の組合せは、ステレオサウンドの試聴室でも、瀬川先生のリスニングルームでも、
「ある時期のマッキントッシュがもっていた音の粗さと、身ぶりの大きさとでもいったもが、
ほとんど気にならないところまで抑えこまれて」いて、
マッキントッシュの良さを失うことなく「今日的なフレッシュな音」で4343を鳴らしていた。

なのに実際に620Bと組み合わせてみると、うまく鳴らない。
「きわめてローレベルの、ふつうのスピーカーでは出てこないようなローレベルの歪み、
あるいは音の汚れのようなもの」が、620Bでさらけ出されうまくいかない。

瀬川先生も、4343では、C29+MC2205の
「ローレベルのそうした音を、♯4343では聴き落して」おられたわけだ。

620Bの出力音圧レべは、カタログ上は103dB。4343は93dB(どちらも新JIS)。
聴感上は10dBの差はないように感じるものの、620Bは4343よりも高能率のスピーカーである。
ロジャースのPM510は、4343と同じ93dBである。

つまり4343では聴き落しがちなC29+MC2205のローレベルの音の粗さの露呈は、
スピーカーシステムの出力音圧レベルとだけ直接関係しているのではない、ということになる。

これはスピーカーシステムの不感応領域の話になってくる。
表現をかえれば、ローレベルの再現能力ということになる。

PM510は4343ほど、いわゆるワイドレンジではない。
イギリスのスピーカーシステムとしてはリニアリティはいいけれど、
4343のように音がどこまでも、どこまでも音圧をあげていけるスピーカーでもない。
どちらが、より万能的であるかということになると4343となるが、
4343よりも優れた良さをいくつか、PM510は確かに持っている。

このあたりのことが、927Dst、A68、A740の再評価につながっているはずだ。

Date: 7月 3rd, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・補足)

レコード芸術では、4343をスチューダーA68やルボックスのA740で鳴らすと、
4343の表現する世界が、マーレレビンソンの純正組合せで鳴らしたときも狭くなる、と発言されている。

このことだけをとりあげると、ロジャースのPM510の表現する世界も、4343と較べると狭く、
だから同じ傾向のA68、A740とうまく寄り添った結果、うまく鳴っただけのことであり、
スピーカーシステムとしての性能は、4343の方が優れている、と解釈される方もいるかもしれない。

4343とPM510では価格も違うし、ユニット構成をふくめ、投入されている物量にもはっきりとした違いがある。
PM510はイギリスのスピーカーシステムとしては久々の本格的なモノであったけれど、
4343やアメリカのスピーカーシステムを見慣れた目で見れば、
あくまでもイギリスのスピーカーにしては、ということわりがつくことになる。

だがスピーカーシステムとしての性能は……、という話になるとすこし異ってくる。

BBCモニター考」の最初に書いたことだが、
私の経験として、4343では聴きとれなかった、あるパワーアンプの音の粗さをPM510で気がついたことがあった。

「BBCモニター考」ではそのパワーアンプについてはっきりと書かなかったが、
このアンプはマッキントッシュのMC2205だった。
MC2205以前のマッキントッシュのパワーアンプならまだしも、MC2205ではそういうことはないはず、
と思われるかもしれない。私もMC2205にそういう粗さが残っていたとは思っていなかった。

しかもそのローレベルでの音の粗さが4343では聴きとれなかったから、
PM510にしたとき、MC2205の意外な程の音の粗さに驚き戸惑ってしまった。

そのときは、だれも気がついていないことを発見したような気分になっていた。
でもいま手もとにある、ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」の中で、
瀬川先生がすでに、MC2205のローレベルの音の粗さは、すでに指摘されていた。

Date: 7月 3rd, 2011
Cate: 40万の法則

40万の法則が導くスピーカーの在り方(その3)

B&Oのラジオは、私も見たことないし存在としてはマイナーである。
もうすこし名が知られているものとなると、クレデンザがある。

クレデンザなんて見たことないという人はおられるだろう。
けれど「クレデンザ」という固有名詞をこれまでいちども聞いたことがないという人はおられないと思う。

クレデンザは、アメリカのヴィクターが1925年11月2日にニューヨークで発表した
アクースティック蓄音器のことだ。
アクースティック蓄音器にはスピーカーはない、とうぜんアンプもない。
ピックアップが拾った振動がそのまま音になる。
だから、より大きな音量を得るためにはホーンが必要になってくる。

クレデンザは蓄音器としてもっとも大きな部類である。
つまりクレデンザの大きさはほほすべてはホーンを収めるためのものである。
より大きな音で、より低い音まで、を追求した分割折曲げホーンが収められている。

このクレデンザの周波数特性のグラフが、
ステレオサウンドから1979年に発行された池田圭氏の「音の夕映え」に載っている。
これが見事に40万の法則そのままの特性といえる。
低域はほぼ100Hzまでで、ここから下は急激に音圧が下っている。
高域も2kHzあたりとくらべるとすこし音圧は低下しているものの、ほぼ4kHzまで延びていてる。
100×4000で40万となる。

クレデンザの40万の法則は偶然なのか、それとも意図的なのか。
はっきりとしないところがあるが、クレデンザの折曲げ分割ホーンを開発したのはウェスターン・エレクトリックで、
クレデンザの登場と同じ年に特許をとっている。
つまり設計はウェスターンエレクトリック、製作がヴィクターとなる。
だからなのか、クレデンザのサウンドボックスのかわりにウェスターン・エレクトリックの555を、
何の加工もせずに、じつに簡単に取りつけられる。

Date: 7月 3rd, 2011
Cate: Bösendorfer/Brodmann Acoustics, VC7

Bösendorfer VC7というスピーカー(その20)

ひところ自転車のフレームの材質として、アルミニウムが流行ったことがあった。
それまでは、ただぼんやりとアルミは鉄よりも軽くて非磁性体だけど、強度は鉄の方が上、と思っていた。

自転車の雑誌には、各メーカーからのアルミ・フレームの新製品がほぼ毎月のように掲載されていた。
そしてアルミの種類についての記述があった。

アルミニウム、といっているけど、実際に自転車のフレームに使われるのはアルミニウム合金であって、
銅、マンガン、硅素、マグネシウム、亜鉛、ニッケルなどが加えられ、
1000番、2000番、3000番、4000番、5000番、6000番、7000番と大まかに分類され、
それぞれに、いくつかの種類が存在していることを知った。

しかも熱処理をするかしないか、するとしたら、どの程度の温度でどの程度の時間、行うかによって、
強度がまた変化することも知った。

つまり一般的な鉄よりも、ずっと硬いアルミニウム合金がある、ということだ。
その一方で、ナイフで切れるほどやわらかいアルミニウムもある、ときいている。

鉄と同等、それ以上の強度を実現しているアルミニウム合金ならば、
ピアノのフレームに使っても、強度的な問題はないはず。
アルミニウム合金でフレームをつくれば、ピアノの重量は軽くなり、運搬もすこしは楽になる。
けれどアルミニウム合金フレームのピアノは、ない。
(念のため検索してみたら、1938年にドイツのブリュートナーが、
飛行船に乗せるためにアルミ・フレームのグランドピアノを作って話題になった、とある。)

なぜアルミ・フレームのピアノは登場しないのか。
もしかすると各社、研究はしている、もしくはしていたのかもしれない。
いまの技術があれば、1938年のアルミ・フレームよりも優れたものが作れるはずなのに、
出てこないのは、やはり「音」が関係しているからだろう。

Date: 7月 2nd, 2011
Cate: 40万の法則

40万の法則が導くスピーカーの在り方(その2)

40万の法則が、人間の可聴帯域の下限と上限の積からきているとしたら、
低域に関してはそれほど個人差はないだろうけど、高域に関しては個人差があるし、
同じ人でも年齢とともに聴こえる高域の上限は低くなってくる。

若くて健康であれば40万の法則だろうが、歳をとり高域が仮に12kHzまでしか聴こえなくなっていたら、
下限の20Hzとの積で、24万の法則なってしまうのか、という反論があろう。

BBCのニクソンが、どうやってこの40万の法則を唱えるようになったのかは、
「盤塵集」を読むだけではわからない。
だからはっきりしたことは言えないのだが、
単純に下限の20と上限の20000をかけ合わせただけではないように思う。

B&Oの古い製品に、ラジオがある。
ポータブルラジオで、どんな音がするのか聴いたことはない。
このB&Oのラジオの音は、西新宿にあったサンスイのショールームで実際に聴いた人による、
ひじょうに素晴らしい音のバランスだった、ときいている。
瀬川先生が毎月行われていたチャレンジオーディオで、
このB&Oのラジオを鳴らされ、40万の法則について語られた、そうだ。

B&Oのラジオの周波数帯域は、ほぼぴったり40万の法則にそうものだったらしい。
ということはポータブルラジオで、おそらくスピーカーユニットはフルレンジ1発だろうから、
低域はせいぜい100Hz、とすると高域は4kHzということになる。
日本のメーカーだったら、同じ規模のラジオでももっと高域を延ばすことだろう。
8kHz、10kHzまで延ばすことは造作ないことだから。
もちろんB&Oも、4kHz以上まで高域を延ばすことはなんでもないことだったはず。
なのに、あえて4kHzなのである。

B&Oの、そのラジオは、ほんとうに美しい音がした──、
この話を数人の方から聞いている。

Date: 7月 2nd, 2011
Cate: 40万の法則

40万の法則が導くスピーカーの在り方(その1)

40万の法則が、ある。
といって、も若い世代の方には、なんのことかわからない方のほうが多いのではないだろうか。
私と同じ世代でも知らない方がいても不思議はない。

私はラジオ技術に、当時(1977年ごろ)連載されていた池田圭氏の「盤塵集」を読んでいたから、
オーディオに関心をもって、わりとすぐに40万の法則について知っていた。

人間の可聴範囲は20Hzから20000Hzとされている。
下限の20Hzと上限の20000Hzをかけ合せると400000(40万)になるところから、きている。

つまり理想的にはオーディオのシステム全体の周波数特性は20Hzから20000Hzまで平坦であること。
だだ実際に、とくにこの40万の法則についてあれこれ語られていた時代は、
低域も高域に関しても、そこまで帯域を延ばすことは困難なことだった。

となると音のバランスについて論じられるようになってくる。
そのあたりから40万の法則は生れてきたようで、「盤塵集」によれば、
40万の法則を最初に主張したのはBBCのニクソンという人、とのことだ。

40万の法則に則れば、低域の再生限界が仮に50Hzだとすれば、これで音のバランスがとれる高域の範囲は、
400000÷50=8000(Hz)、つまり50Hzから8kHzということになる。
低域が40Hzになると高域は10kHz、30Hzで13.33kHz、25Hzで16kHz。
こうやってみていくと高域のレンジが狭いと感じられるだろう。
それで40万の法則ではなく、50万の法則、60万の法則、というのも出てきた。

たしかに40万の法則では、いまの感覚では高域の値が低すぎると感じるけれど、
40万の法則が音のバランスついて論じられたところから生れてきたことを思い出せば、
必ずしも低い値とはいえないともいえる。

Date: 7月 2nd, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャースPM510・その5)

ロジャースのPM510も、スペンドールのBCII、KEFのLS5/1A、105、セレッションのDitton66、
これらは大まかにいってしまえば、同じバックボーンをもつ。
開発時期の違いはあっても、スピーカーシステムとしての規模もそれほどの違いはない。

なのにBCII、Ditton66、それにLS5/1Aだけでは……、
PM510が登場するまではEMTの927Dstを手放そう、と思われたのはなぜなのか。
スチューダーのA68にしてもそうだ。
PM510が登場してきて、A68の存在を再評価されている。
なぜ、LS5/1A、BCII、Ditton66といったスピーカーシステムでは、
そこまで(再評価まで)のことを瀬川先生に思わせられなかったのか。

一時は手放そうと思われた927Dst、
アメリカのアンプばかりメインとして使ってこられた瀬川先生にとってのA68、
このふたつのヨーロッパ製のオーディオ機器の再評価に必要な存在だったのがPM510であり、
実はこのことが、瀬川先生に「PM510を『欲しい!!』と思わせるもの」の正体につながっているはずだ。

そして、このことは、このころから求められている音の変化にもつながっている、と思っている。

Date: 7月 2nd, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・その4)

瀬川先生はスピーカーに関しては、システム、ユニットどちらもヨーロッパのモノを高く評価されている。
それに実際に購入されている。

音の入口となるアナログプレーヤーもEMTの930stを導入される前は、
トーレンスのTD125を使われているし、カートリッジに関してもオルトフォン、EMT、エラックなど、
こちらもヨーロッパ製のモノへの評価は高い。

けれどアンプとなると、すこし様相は違ってくる。
アンプは自作するもの、という考えでそれまでこられていた瀬川先生が最初に購入された既製品・完成品のアンプは、
マランツのModel 7であり、その#7の音を聴いたときの驚きは、何度となく書かれている。
このとき同時に購入されたパワーアンプはQUADのIIだが、こちらに対しては、わりとそっけない書き方で、
自作のパワーアンプと驚くような違いはなかった、とされている。

そして次は、JBLのプリメインアンプSA600の音の凄さに驚かれている。
SA600を聴かれたの、ステレオサウンドが創刊したばかりのことだから、1966年。
このとき1週間ほど借りることのできたSA600を、
「三日三晩というもの、仕事を放り出し、寝食を切りつめて、思いつくレコードを片端から聴き耽った」とある。

このSA600のあとにマッキントッシュのMC275で、アルテックの604Eを鳴らした音で、
お好きだったエリカ・ケートのモーツァルトの歌曲を聴いて、
この1曲のために、MC275を欲しい、と思われている。

それからはしばらくあいだがあり、1974年にマークレビンソンのLNP2と出合われた。
そしてLNP2とSAEのMark2500の組合せ、LNP2とML2の組合せ、ML6とML2Lの組合せ、となっていく。
SAEが出るまでは、パイオニアのExclusive M4を使われた時期もある。

瀬川先生のアンプの遍歴のなかに、ヨーロッパ製のアンプが登場することはない。
KEFのLS5/1Aの音に惚れ込みながらも、
ことアンプに関しては、惚れ込む対象となるヨーロッパ製のアンプはなかったとしか思えない。

Date: 7月 2nd, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その15)

トーレンスがひとつのモデルを開発するのにどれだけの期間をかけているのかはわからない。
それでも、日本のメーカーと較べるとゆっくりしている、と思われる。
そしてTD226は、おそらくリファレンスが完成する前から開発が始まったのではなかろうか。
トーレンスのプレーヤーに搭載されるモーターの変遷をみていくと、そう思えてしまう。

TD126は、TD125のモーターのトルクに小ささによる使い勝手の悪さの反省からモーターを変更したものの、
リファレンスの完成によって得られた成果から、シンクロナス型に戻っていった。
その後、トーレンスから登場しているプレーヤーのモーターにDC型が採用されることはなくなった。

トーレンスはリファレンスの開発によって、
ベルトドライヴに関しては低トルクモーターの音質的な優位性をはっきりとつかんでいた、と考えていいだろう。

トーレンスは1883年の創立だ。
最初はオルゴールの製造からはじまり、1928年に電蓄をつくりはじめ、
1930年に電気式のレコードプレーヤーを発表している。

いまでも、一部のオーディオマニアから高い評価を得て、
現役のプレーヤーとして愛用されているTD124の登場は1957年。
TD124はいうまでもなく、ベルトとアイドラーの組合せによってターンテーブルを廻す。

その後、トーレンスはベルトドライヴだけに絞って製品を開発するが、
最初のベルトドライヴ・プレーヤーのTD150は、1964年もしくは65年に登場している。

リファレンスは1980年に登場しているから、
トーレンス最初の電気式プレーヤーから50年、TD124から23年、TD150から16年(もしくは15年)、
これだけの時間をかけて、トーレンスは低トルク・モーターという答えを出している。

Date: 7月 1st, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その14)

そういえばトーレンスは、TD125もモーターのトルクがかなり弱かった。
ターンテーブルの起動には時間がかかっていた、と記憶している。
といっても、私がTD125の動作しているところを見て、音を聴くことができたのは一度きりなのだが。

TD125のモーターは16極シンクロナス型だったのが、後継機のTD126では78極DCモーターになっている。
曖昧な記憶の上で比較だから、なんの参考にもならないだろうが、
TD125よりもTD126のほうがモーターのトルクは強かったようにも思う。

TD125とTD126を比較試聴したことはない。同じ場所・条件で聴いたこともない。
だからこれもまったくあてにならないことになってしまうが、TD125のほうが音は安定していて、
余韻の美しさが耳に残る、そんな印象を持っている。

リンのLP12にヴァルハラをつけたときも、つけないときよりも余韻が美しさがあった。
そしてベルトを外して聴いたとき、さらに余韻の美しさがきわ立つ。

TD126はリファレンスの約1年半ほど前に登場している。
リファレンスのあと(1981年)に登場したTD226はTD126のダブルアーム版ともいえるもので、
モーターはTD126と同じ72極DC型。

1983年に登場した小型のプレーヤーシステム、TD147では、TD126と同じ16極シンクロナス型に戻っている。
1987年のTD520(アームレスのTD521)も、16極シンクロナス型である。。
TD520はロングアーム対応であり、レギュラーサイズのトーンアーム用のTD320(TD321)も、
16極シンクロナス型である。
さらにTD520、TD320では、カタログで小トルク・モーターということを謳っているのに気づく。

Date: 7月 1st, 2011
Cate: サイズ, 冗長性

サイズ考(その71)

オーディオ機器にとっての冗長性は、
音を良くするためのものであり、オーディオ機器としての性能性を高めていくことに関係している。

けれどこういった、オーディオ的な冗長性が性能向上の妨げとなるのが、コンピューターの世界のような気がする。
コンピューターの処理速度を向上させるために、CPUをはじめて周辺回路の動作周波数は高くなる一方。

私が最初に使ったMac(Classic II)のCPUのクロック周波数は16MHz。
いま使っているiMacは3.06GHz。
CPUの構造も大きく変化しているから、単純なクロック周波数の比較だけでは語れないことだが、
もしClassic IIに搭載されていたモトローラ製のCPU、68030の設計のままでは、
いまのクロック周波数は実現できない。
68030ではヒートシンクが取りつけられることはなかったが、
次に登場した68040にはヒートシンクがあたりまえになっていた。

68040はMacに搭載されたかぎりでは、40MHzどまりだった(内部は80MHz動作)。
68030と68040はコプロセッサーを内蔵しているか否かの違いもあり集積度もかなり異る。
そのへんのことをふくめると、厳密な喩えとはいえないことはわかっているが、
68040までは、冗長性を減らすことをあまり考慮せずに最大出力を増やしていったアンプのようにも思える。

コンピューターの世界は、冗長性をそのまま残していては、速度向上は望めない。
CPUの進歩はクロック周波数をあげながらも、消費電力はそれに比例しているわけではない。
冗長性をなくしてきているからこそ、いまの飛躍的な性能向上がある。

電子1個を制御できるようになれば、コンピューターの処理速度はさらに向上する。
そうなったとき冗長性は、コンピューターの世界からはほとんど無くなってしまうのかもしれない。

冗長性を排除していくコンピューターの世界と、
冗長性がまだまだ残り続けているオーディオの世界が、これから先、どう融合していくのか。

Date: 7月 1st, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・その3)

ステレオサウンド 56号、レコード芸術11月号(1980年)のころ、
瀬川先生は世田谷・砧にお住まいだった(成城と書いている人がいるが、砧が正しい)。

その砧のリスニングルームには、メインのJBL4343のほかに、
瀬川先生が「宝物」とされていたKEFのLS5/1A以外にもイギリスのスピーカーシステムはいくつかあった。
スペンドールのBCII、セレッションのディットン66、ロジャースのLS3/5A、
写真には写っていないが、ステレオサウンド 54号ではKEFの105を所有されていると発言されている。

それにスピーカーユニットではあるが、グッドマンのAXIOM80も。
イギリス製ではないけれどもドイツ・ヴィソニックのスピーカーシステムも所有されていた。

これらのスピーカーシステムを鳴らすときに、どのアンプを接がれて鳴らされたのか。
ステレオサウンド別冊「続コンポーネントステレオのすすめ」に掲載されているリスニングルームの写真では、
アンプ関係は、マークレビンソン、SAE・Mark2500、アキュフェーズC240、スチューダーA68がみえる。

アナログプレーヤーは、EMTの930stと927Dst、それにマイクロのRX5000+RY5500。
アナログプレーヤーは、マイクロがメインとなっていたのか。

ステレオサウンド 56号、レコード芸術11月号を読んでいると、そんなことを思ってしまう。
もうEMTのプレーヤーもスチューダーのパワーアンプも、もう出番は少なくなっていたのか、と。

ロジャースのPM510は、EMTの魅力を、ヨーロッパ製のアンプの良さを、
瀬川先生に再発見・再認識させる何かを持っていた、といえまいか。

聴感上の歪の少なさ、混濁感のなさ、解像力や聴感上のS/N比の高さ、といったことでは、
EMTでは927Dstでも、マイクロの糸ドライヴを入念に調整した音には及ばなかったのかもしれない。
アンプに関しては、アメリカ製の物量を惜しみなく投入したアンプだけが聴かせてくれる世界と較べると、
ヨーロッパ製のアンプの世界は、こじんまりしているといえる。

そういう意味では開発年代の古さや投入された物量の違いが、はっきりと音に現れていることにもなるが、
そのことはすべてがネガティヴな方向にのみ作用するわけでは決してなく、
贅を尽くしただけでは得られない世界を提示してくれる。

なにもマークレビンソンをはじめとする、アメリカのアンプ群が、
贅を尽くしただけで意を尽くしていない、と言いたいわけではない。
中には意を尽くしきっていない製品もあるが、意の尽くした方に、ありきたりの表現になってしまうが、
文化の違いがあり、そのことは音・響きのバックボーンとして存在している。

Date: 6月 30th, 2011
Cate: Bösendorfer/Brodmann Acoustics, VC7

Bösendorfer VC7というスピーカー(その19)

私が感じている、よくできた鉄芯型のカートリッジに共通するよさは、
中低域から低域にかけての響きの充実ぶり、とでも表現できる要素である。

このことは、クラシックを聴くことがほとんど私にとって譲れないところでもある。

鉄芯型の優秀なMC型カートリッジが、
なぜ、そういう音(むしろ響きと表現したい)を聴かせてくれるのかについては、
その理由ははっきりとわかっていない。
けれど、このしっかりとして、そして豊かな中低域から低域のよさは、
音楽をしっかり支えてくれて、フォルティッシモではそのことを強く感じることができる。

たしかに空芯型の優秀なMC型カートリッジを聴いたあとでは、鉄芯型のフォルティッシモは、
やや濁りが生じて解像力の高さということではすこし劣る。
でもその反面、力に満ちて吹きあげるようなフォルティッシモとなると空芯型では、
優秀なものでも、鉄芯型の優秀なカートリッジと比較すると、もの足りなさを感じる。

鉄芯型の優秀なカートリッジには、響きの確かさがある、と思う。
そして、この響きの確かさは、ピアノのフレームに鉄が使われていることにも関係しているように思えてならない。

Date: 6月 30th, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・その2)

レコード芸術の1980年11月号に、PM510の記事が載っている。
瀬川先生と音楽評論家の皆川達夫氏、それにレコード芸術編集部のふたりによる座談会形式で、
PM510とLS5/8の比較、PM510を鳴らすアンプの比較試聴を行なっている。
PM510というスピーカーシステム、1機種に8ページを割いた記事だ。

比較試聴に使われたアンプの組合せの以下の通り
QUAD 44+405
アキュフェーズ C240+P400
スレッショルド SL10+Stasis2
マークレビンソン ML6L+ML2L
マークレビンソン ML6L+スレッショルド Stasis2
マークレビンソン ML6L+スチューダー A68
マークレビンソン ML6L+ルボックス A740

この座談会の中にいくつか興味深いと感じる発言がある。
ひとつはマークレビンソン純正の組合せで鳴らしたところに出てくる。
     *
しばらくロジャース的な音のスピーカーから離れておりまして、JBL的な音の方に、いまなじみ過ぎていますけれども、それを基準にして聴いている限り、EMTの旧式のスタジオ・プレーヤーというのは、もうそろそろ手放そうかなと思っていたところへ、このロジャースPM510で、久々にEMTのプレーヤーを引っ張り出して聴きましたが、もうたまらなくいいんですね。
     *
ステレオサウンド 56号の記事をご記憶の方ならば、そこに927Dst、それにスチューダーのA68の組合せで、
一応のまとまりをみせた、と書かれてあることを思い出されるだろう。

このレコード芸術の記事では、スチューダー、ルボックスのパワーアンプについては、こう語られている。
     *
このPM510というスピーカーが出てきて、久々にルボックス、スチューダーのアンプの存在価値というものをぼくは再評価している次第です。
(中略)JBLの表現する世界がマークレビンソンよりスチューダー、ルボックスでは狭くなっちゃうんですね。ところがPM510の場合にはルボックスとスチューダー、それにマークレビンソンとまとめて聴いても決定的な違いというようなものじゃないような気がしますね。コンセプトの違いということでは言えるけれども、決してマークレビンソン・イズ・ベストじゃなくて、マークレビンソンの持っていないよさを聴かせる。たとえばスレッショルドからレビンソンにすると、レビンソンというのは、アメリカのアンプにしてはずいぶんヨーロッパ的な響きももっているアンプだというような気がするんですけれども、そこでルボックス、スチューダーにすると、やっぱりレビンソンも、アメリカのアンプであった、みたいな部分が出てきますね。

Date: 6月 29th, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・その1)

瀬川先生の「音」を聴いたことのない者にとって、
その「音」を想像するには、なにかのきっかけ、引きがねとなるものがほしい。
それは瀬川先生が書かれた文章であり、瀬川先生が鳴らされてきたオーディオ機器、
その中でもやはりスピーカーシステムということになる。

となると、多くの人がJBLの4343を思い浮べるだろう。
4341でもいいし、最後に鳴らされていた4345でもいい。
ただ、JBLのスピーカーシステムばかりでは、明らかに偏ってしまった想像になってしまう危険性が大きい。

どうしても、そこにはイギリス生れのスピーカーシステムの存在を忘れるわけにはいかない。

ここに書いているように、瀬川先生はロジャースのPM510に惚れ込まれていた。

瀬川先生ご自身が、PM510を「欲しい!!」と思わせるものは、一体何か? と書かれているのだから、
第三者に、なぜそれほどまでにPM510に惚れ込まれていたのか、のほんとうのところはわかるはずもない。
それでも私なりに、瀬川先生の書かれたものを読んでいくうちに、そうではないのか、と気づいたことはある。