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Date: 9月 16th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その21)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」の巻末には、
「新西洋音響事情」というタイトルのインタヴュー記事が載っている。
「全日本オーディオフェアに来日の、オーディオ評論家、メーカー首脳に聞く」という副題がついているとおり、
レオナルド・フェルドマン(アメリカ・オーディオ評論家)、エド・メイ(マランツ副社長)、
レイモンド・E・クック(KEF社長)、コリン・J・アルドリッジ(ローラ・セレッション社長)、
ピーター・D・ガスカース(ローラ・セレッション マーケティング・ディレクター)、
ウィリアム・J・コックス(B&Oエクスポートマネージャー)、S・K・プラマニック(B&Oチーフエンジニア)、
マルコ・ヴィフィアン(ルボックス エクスポートマネージャー)、エド・ウェナーストランド(ADC社長)、
そしてQUAD(この時代は正式にはThe Acoustical Manufacturing Co.Ltd.,社長)のロス・ウォーカーらが、
山中敬三、長島達夫、両氏のインタヴュー、編集部のインタヴューに答えている。

ロス・ウォーカーのインタヴュアーは、長島・山中の両氏。
ここにダブル・クォードについて、たずねられている。
ロス・ウォーカーの答えはつぎのとおりだ。
     *
ダブルにしますと、音は大きくなるけれども、ミュージックのインフォメーションに関しては一台と変わらないはずです。ほとんどの人にとってはシングルに使っていただいて十分なパワーがあります。二台にすると、4.5dB音圧が増えます。そしてベースがよく鳴る感じはします。ただ、チェンバー・ミュージックとか、ソロを聴く場合には、少しリアリスティックな感じが落ちる感じがします。ですから、大編成のオーケストラを聴く場合にはダブルにして、小さい感じのミュージックを聴く場合には、シングルにした方がよろしいのではないかと思います。世の中のたくさんの方がダブルにして使って喜んでいらっしゃるのをよく存じていますし、感謝していますけれども、私どもの会社の中におきましては二台使っている人間は誰もおりません。いずれにしても、それは個人のチョイスによるものだと思いますから、わたくしがどうこう申しあげることはできない気がします。
     *
「ステレオのすべて ’81」の特集には「誰もできなかったオーケストラ再生」とつけられているし、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」の読者の方の要望もオーケストラ再生について、であった。

オーケストラ再生への山中先生の回答が、ESLのダブルスタックであることは、
この時代(1970年代後半から80年にかけて)の現役のスピーカーシステムからの選択としては、
他に候補はなかなか思い浮ばない。

なぜ、そのESLのダブルスタックの音が瀬川先生にとっては「ずいぶんきつくて耐えられなかった」のか。

Date: 9月 15th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その20)

音楽之友社の試聴室がどのくらいの広さなのか、「ステレオのすべて ’81」からは正確にはかわらない。
けれど50畳もあるような広さではないことはわかる。20畳から30畳程度だろうか。
そこに、「ステレオのすべて ’81」の取材では、
瀬川、山中、貝山の三氏プラス読者の方が三名、さらに編集部も三名にカメラマンが一人、計10人が入っている。
そう広くない部屋に、これだけの人が入っていては条件は悪くなる。
そんなこともあってESLのダブルスタックは、本調子が出なかったのか、うまく鳴らなかったことは読み取れる。
けれど瀬川先生にしても山中先生にしても、そこで鳴った音だけで語られるわけではない。
ESLのダブルスタックは、この本の出る3年前にステレオサウンドの「コンポーネントステレオの世界 ’78」にいて、
手応えのある音を出されているわけで、そういったことを踏まえたうえで語られている。

もちろん話されたことすべてが活字になっているわけではない。
ページ数という物理的な制約があるため削られている言葉もある。
まとめる人のいろいろな要素が、こういう座談会のまとめには色濃く出てくる。

つまり「コンポーネントステレオの世界 ’78」では瀬川先生のESLのダブルスタックに対する発言は、
削られてしまっている、とみていいだろう。
なぜ、削られたのか。しかもひと言も活字にはなっていない。
このことと、「ステレオのすべて ’81」の瀬川先生の音の印象を重ねると、
瀬川先生はESLのダブルスタックに対して、ほぼ全面的に肯定されている山中先生とは反対に、
否定的、とまではいわないもの、むしろ、どこか苦手とされているのではないか、と思えてくる。

「ぼくにはずいぶんきつくて耐えられなかった」と語られている、
この部分に、それが読みとれる、ともいえる。

Date: 9月 15th, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その3)

チェロの第一作は、Audio Palette と名づけられたフリケンシーイコライザーだった。
マーク・レヴィンソン自身も語っているように新しい会社の第一作としては、
それまで手がけてきたコントロールアンプやパワーアンプの製品化のほうが、
会社として軌道にのりやすいということはわかったうえで、あえてAudio Paletteという、
ジャンル分けの難しいモノを製品化している。

マーク・レヴィンソンはMLAS(マーク・レビンソン・オーディオ・システムズ)では、
第一作のLNP2を別にすれば、
コントロールアンプのJC2、そしてML6、パワーアンプのML2にしても、
レヴィンソン自身もいっているように「ピュアな音を追求するために信号経路のシンプル化」を徹底していた。

そういうマーク・レヴィンソンが、新しい会社「チェロ」では、
LNP2のトーンコントロール(3バンド)よりも多い6バンドのイコライザーで、センターチャンネルの出力、
位相切換えスイッチ、40Hz以下の低音のブレンド(モノーラル化)などの機能を併せ持つ。

直前のML6+ML2で目ざしていた世界とは、一見すると180度異るアプローチのように思え、
それまでのマーク・レヴィンソンのアプローチを徹底したピュアリスト的だと受けとめていた人たちにとっては、
チェロでの方針は、ピュアリストであることを放棄したように受けとめられても不思議ではない。
そのことはマーク・レヴィンソン自身がよくわかっていたことなのだろう。
だからこそ、「ピュアリスト・アプローチを忘れたのではない」と語ったのだと、私は思っている。

Date: 9月 15th, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その2)

「ピュアリスト・アプローチを忘れたのではない」──、
こう語ったのはチェロを興したばかりのマーク・レヴィンソンだった。

ステレオサウンド 74号にマーク・レヴィンソンのインタヴュー記事が載っている。
この記事は、ほんらいある人に依頼していたものだが〆切ギリギリに、
その人から届いた原稿は分量も依頼したものよりも少なく、内容的にも残念なものだった。
インタヴュアーは、その人だったから、ほんとうだったら、このレヴィンソンの記事には筆者名が入るはずだった。

けれど時間的余裕もないし、書き直しを依頼したところで充分なクォリティの原稿があがってくる保証はない。
だから編集部でまとめて仕上げることになった。
しかもインタヴューを録音したテープからの文字起しは、当時速記会社に依頼していたが、
このときはその人が自分でやるということだったためテープ起しの原稿もなく、
テープに録音されたインタヴューを文字に起すところからやらなくてはならなかった。
そうやってなんとかまにあった記事だけに、印象に残っている。

テープを聞きながら、富士通のワープロ(親指シフトキー仕様)でレヴィンソンのインタヴューを文字にしていく。
その作業中に、個人的に惹かれ、いまでもつよく心に残っているのが、
冒頭に引用した「ピュアリスト・アプローチを忘れたのではない」である。

マーク・レヴィンソンはアメリカ人だから当然英語で話しているわけで、
通訳の人が訳したのを、さらにすこし言い回しを変えているわけで、
レヴィンソンが、英語でどういったのかはいまではまったく記憶していないが、
「ピュアリスト・アプローチを忘れたのではない」に、
当時のマーク・レヴィンソンの想いがもっともこめられていたように感じた。

Date: 9月 15th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(続々続45回転のこと)

ハーフ・スピード・カッティングにやや懐疑的な私だが、
それでもハーフ・スピード・カッティングにはこの方式のよさはあるはず、とは思っている。

たとえばプリエコー(ゴーストともいうこともある)の問題がある。
アナログ録音の時代には、録音されたマスターテープは巻いた状態で保存されるわけだが、
テープが重なっている状態では、転写という現象が起こることがある。
重なり合ったテープ同士が干渉し、
ごく低いレベルではあるがテープに記録されている磁気変化が積み重なっている部分にコピーされてしまう。

つまり無音であるところに、続いてはじまる曲が小さな音でコピーされ、それが音として聴こえる。
これから再生しようとするところの音が鳴ってくるところから、プリエコーと呼ばれる。
実際にはプリエコーだけでなくアフターエコーも生じている。

このプリエコーの主な原因はテープ録音に起因するものだから、
ダイレクトカッティングには生じないものと思われている人かもしれない。
だがテープ録音を介在しないダイレクトカッティング盤でも、わずかだがプリエコーが生じているディスクがある。

なぜ、こういう現象が生じるかといえば、
ラッカー盤に音を記録していくとき(カッティングしていくとき)、
振幅の激しい溝がたまたま無音溝と隣接していた場合、
カッティング時の振動によって無音溝をほんのわずかとはいえ変形させてしまうからである。
ラッカー盤がひじょうに硬質な材質であったならば、こういうプリエコーは発生しないだろうが、
実際にはラッカー盤はそうではなく、場合によっては隣接する音溝の影響による変形が生じている。

これはなにも無音溝に対してのみ発生しているわけではなく、
すべての音溝に対しても同じことがいえる。
ただプリエコー(アフターエコー)のレベルが低いため、無音溝でははっきりと聴きとれるが、
通常の音溝のところでは、そこに刻まれている音にマスキングされているだけの可能性もあるわけだ。

カッティング時のプリエコー発生は、あたりまえだがダイレクトカッティング盤だけの問題ではない。
通常のテープ録音をマスターとするレコードでも同じことは起る可能性はある。

そこで思うのは、このカッティング時の隣接する溝の変形は、
ハーフ・スピード・カッティングと通常のスピードでのカッティングではまったく同じなのだろうか。
感覚的にはハーフ・スピード・カッティングのほうが影響の度合いが少ないように思えるのだ。

Date: 9月 14th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その19)

音楽之友社別冊「ステレオのすべて ’81」を書店で手にとってパラパラめくったときは、うれしかった。
ここにもESLのダブルスタックの記事が載っていて、その記事には瀬川先生と山中先生が登場されているからだ。

じっくり読むのは家に帰ってからの楽しみにとっておきたかったので、ほとんど内容は確認させずに買った。
そして帰宅、読みはじめる。

誌面構成としては、まず貝山さんがレポーター(司会者)となって、瀬川・山中対談がはじまる。
そして囲み記事として、
瀬川先生の組合せ試案(これはロジャースPM510とマークレビンソンのアンプの組合せ)があり、
そのあとにいよいよ山中先生によるESLのダブルスタックの試案が、これも囲み記事で出てくる。
3000文字弱の内容で、瀬川・山中、両氏の対談を中心に、参加されている読者の方の意見も含まれている。

まず、瀬川先生は、
「やっぱり、クォード・ダブルスタックを山中流に料理しちゃってるよ。
これ、完全に山中サウンドですよ、よくも悪くもね。」と発言されている。

このあとに山中先生によるダブルスタックの説明が続く。
そして、ふたたび瀬川先生の発言。
「さっき山中流に料理しちゃったというのは、ぼくがこのスピーカーを鳴らすとこういう音にならないね。具体的にいうと、ほくにはずいぶんきつくて耐えられなかったし、低音の量感が足りない。だからかなわんなと思いながらやっぱり彼が鳴らすと、本当にこういう音に仕上げちゃうんだなと思いながら、すごい山中サウンドだと思って聴いていたの。」

ただ「低音の量感が足りない」と感じられていたのは、山中先生も同じで、
ステレオサウンドでの試聴のことを引き合いに出しながら、「低域がもっと出なくちゃいけない」と言われている。
音楽之友社での試聴では、低域の鳴り方が拡散型の方向に向ってしまい集中してこない、とも指摘されている。
その理由は2枚のESLの角度の調整にあり、
できればESLの前面の空気を抱きかかえるような形にしたい、とも言われている。

山中先生としても、今回のESLのダブルスタックの音は、不満、改善の余地が多いものだった、と読める。

Date: 9月 14th, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その1)

なにか書きたいことが浮んできて、このタイトルをつけたわけではなく、
ただ、このタイトルが頭に浮んできたから、タイトルからなにか導かれるものがあるかもしれない……、
そういう気持で、また新しいカテゴリー(テーマ)をつくってしまった。

自分で書いておきながら、なぜ、オーディオマニアの純度、ではなく、オーディオマニアとしての、としたのかも、
すこし不思議に思っている。

たとえばピュアリスト、という言葉がある。
オーディオの世界では、肯定的な意味あいで使われることが多い。
音質追求のために使い勝手は無視する、ことも、ピュアリスト・アプローチとして受けとめられる。

入力切換えのセレクターの接点が音質をわずかとはいえ損なう。
だから接点をひとつで減らしていくために、
いい変えれば音質劣化をきたすところをひとつで減らすために入力切換えはいらない。
入力切換えが必要になるときは、ケーブルの差し替えで対応する。

そう説明されれば、納得できないことではない。
だからといって、それが果して、オーディオマニアとしての純度が高い、
といえるのだろうか、と疑問に思うことがある。

私には、こういう行為は、別項で書いている「複雑な幼稚性」ではないか、
もしくはそれに近いことではないか、と最近思えてきている。

私自身も、以前はそういうふうに考えて、そういうことをやっていたことがある。
音質劣化をきたす、と思われるところをできるだけ排除していく──。
だからというわけでもないが、こういうことを体験することを否定はしない。
積極的にすすめはしないが、やりたいと思ったならば一度徹底的にやってみるのはいいことだと思う。

オーディオは、ときにはそういうバカげたこと、幼稚なことに夢中にやって、
それこそが正しいと思えて、視野が狭くなっていることがあり、
いつかそれに気がつくものだ。

そして、こんな日々の積み重ねがバックボーンとなり、
このバックボーンこそが純度と関係している。
つまり重厚なバックボーンをもつことこそ、オーディオマニアとしての純度が高い、といえよう。

Date: 9月 13th, 2011
Cate: 表現する

音を表現するということ(その11)

自己表現について考えていく前に、自己顕示について考えてみたい。

自己顕示欲については、ここで触れたように、
自己顕示欲を全否定するわけではない。

ただ……、と思う。
自分の音を誰かに聴かせることになったとする。
そのとき、この自己顕示欲を意識することにならないだろうか。

誰にも聴かせない──、どんな人に頼まれたとしても断わることができさえすれば、
そして家族にさえも聴かせない。
その音を聴くのは、世界に自分ひとりだけという状況をつくり維持していければ、
そこで鳴っている音は、自己顕示欲から解放され、無縁でいられるのかもしれない。

けれど、そこに誰かが存在することになれば、そうもいかなくなる。
ここで毎日書いている文章も、結局は誰かに読まれている。
つまりは、読んでくださっている方に向けての表現といえるところも当然あって、
そこ(そして底)には自己顕示欲が、どういうかたちにしろ、存在している。

あと何年こうやって文章を書いていくのかは私にもわからないけれど、
ひとつはっきりいえることは、最後まで自己顕示欲から完全に解放されることはない、ということ。

けれど、音の表現に関しては、もしかすると、自己顕示欲からの完全な解放が可能なのかもしれない。
それとも、誰にも聴かせなかったとしても、無理なことなのだろうか。

もうひとつ思うのは、自意識なき自己顕示欲は存在するのか、ということ。

Date: 9月 13th, 2011
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(誰かのシステムを調整するということ)

親しい間柄の人の音を聴かせてもらっているときに、
ときどき「どう調整したらいいか、どこを調整したらいいか」という話になることがある。

こういうときあれこれ言うことはあっても、原則としてそこにあるシステムの調整に手を出すことは、まずない。
なにもそれは面倒だからではなく、こまかいところまで口を出して手を出さないほうが、
ときに面倒というか、まどろっこしく感じもする。
それでも手は出さない。私が直接やったほうがずっと早く終ることでも、そのシステムの持主にやってもらう。
ときに手本が必要と思われることに関しては、手本を見せるけれども、それでも手は出さない。

それはあくまでも、そこにあるシステムは、その人のものだから、である。
そのシステムは、その人だけが触れて調整すべきもの、と私は思っているからだ。

Date: 9月 12th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その18)

私が知るかぎり、瀬川先生がダブルスタックのESLの音について語られているのは、
音楽之友社からでていた「ステレオのすべて」の’81年版だけである。

この年の「ステレオのすべて」の特集は、
「音楽再生とオーディオ装置 誰もできなかったオーケストラ再生」であり、
瀬川冬樹、山中敬三、両氏を中心に読者の方が3人、それにリポーターとして貝山知弘氏によるもの。

ここでも組合せがつくられている。
瀬川先生による組合せが3つ、山中先生による組合せが2つ、
そして読者の方による組合せがそれぞれつくられ、
それぞれの音について討論がすすめられている、という企画である。

ここで山中先生の組合せに、ダブルスタックのESLが登場している。
アンプはコントロールアンプにマークレビンソンのML7L、パワーアンプにスレッショルドのSTASIS2。
アナログプレーヤーは、トーレンスのTD126MKIIIC、となっている。

ESL用のスタンドは、ステレオサウンドでの試聴のものとは異り、
マークレビンソンのHQDシステムで使われているスタンドと近い形に仕上がっている。
ただしHQDシステムのものよりも背は多少低くなっているけれど、
ステレオサウンドのスタンドと較べると、下側のESLと床の間に空間がある分だけ背は高い。

2枚のESLの角度は、
ステレオサウンドでの試聴では、下側のESLのカーヴと上側のESLのカーヴが連続するようになっているため、
横から見ると、とくに上側のESLが弓なりに後ろにそっている感じになっている。
音楽之友社(ステレオのすべて)の試聴では、
2枚のESLができるだけ垂直になるように配置されている(ように写真では見える)。

実験はしたことないものの、2枚のESLをどう配置するか、
その調整によってダブルスタックのESLの音が想像以上に変化するであろうことは予測できる。

だから同じダブルスタックといっても、ステレオサウンドでのモノと音楽之友社のモノとでは、
かなり違うといえばたしかにそうであろうし、
それでも同じダブルスタックのESLであることに違いはない、ともいえる。

Date: 9月 12th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その17)

瀬川先生は、ステレオサウンド 43号「ベストバイ」の記事中にこう書かれている。
     *
いまところは置き場所がないから考えないが、もし製造中止になるというような噂をチラとでも耳にしたら、すぐにでもひと組購入するぞ、と宣言してある。部屋や置き方や組み合わせなど条件を整えて聴くときのQUAD・ESLのみずみずしい音質は実にチャーミングだ。最適位置にぴたりと坐ったが最後、眼前に展開する一種独特のクリアーな音像の魅力から抜け出すことが難しくなる。このデザインの似合う部屋が欲しい!
     *
そして、購入されている。
ステレオサウンドだけを読んでいては気がつかないが、当時の別冊FM fanの記事中、
瀬川先生の世田谷・砧のリスニングルームの写真に、ESLが置かれているのが写っている。
ESLは、瀬川先生のお気に入りのスピーカーシステムのひとつであったはずだ。

山中先生は、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、次のように語られている。
     *
シングルで使っても、このスピーカーには、音のつながりのよさ、バランスのよさといった魅力があって、そうえにオーケストラ演奏を聴けるだけの迫力さえでれば、現在の数多いスピーカーシステムの中でもとびぬけた存在になると思うんですよ。そこでこれをダブルで使うと、とくに低域の音圧が比較にならないほど上昇しますし、音の全体の厚みというか、レスポンス的にも、さらに濃密な音になる。むしろ高域なんかは、レスポンス的には少し下がり気味のような感じに聴こえます。いずれにしても、2倍といようりも4倍ぐらいになった感じまで音圧が上げられる。そういった魅力が生じるわけで、そこをかってESLのダブル使用という方式を選びました。
     *
しかも、この数ページ後に、こんなことも言われている。
     *
このスピーカーはごらんのようにパネルみたいな形で、ひじょうに薄いので、壁にぴったりつけて使いたくなるんですけれど、反対に、いま置いてあるように、壁からできるだけ離す必要があります。少なくとも1・5メートルぐらい、理想をいえば部屋の三分の一ぐらいのところまでってきてほしいと、QUADでは説明しているのです。ただ、ダブル方式で使った場合には、それほど離さなくてよさそうです。そのことも、ダブルにして使うことのメリットといえるでしょう。
     *
ここまで読んできて、ダブルスタックのESLへの期待はいやがおうでも高まり、
瀬川先生の発言を期待してページをめくっていた……。

Date: 9月 12th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その16)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」を読んでいた14歳の私が強い関心をよせていたスピーカーシステムは、
JBLの4343だったり、ロジャースのLS3/5Aだったり、キャバスのブリガンタンであったり、
そしてQUADのESLだった。
他にもいくつかあるけれど、ここでは直接関係してこないので省かせていただく。

当時なんとなく考えていたのは、4343をしっとり鳴らすのと、
ESLから余裕のある音を鳴らすのはどちらが大変か、であって、
ESLにはダブルスタックという手法があることを知り、
ESLの秘めた可能性についてあれこれ思っていた時期でもあるから、
よけいにダブルスタックのESLの音を、どう瀬川先生が評価されているのかが、とにかく知りたかった。

たとえばほかのスピーカーシステムであれば、オーディオ店でいつか聴くことができるだろう。
それが決していい調子で鳴っていなかったとしても、ほんとうに出合うべくして出合うスピーカーシステムであれば、
多少うまく鳴っていないところがあったとしても、そこからなんらかの魅力を感じとることができるはず。
だから聴く機会に積極的でありたい、と思っていたけれど、
ダブルスタックのESLは、それそのものがメーカーの既製のスピーカーシステムではないため、
そのオーディオ店が独自にスタンドを工夫・製作しないことには、聴くことが無理、ということがわかっていたため、
だからこそ瀬川先生がどう、その音を表現されるのかが、読みたくてたまらなかった。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は、数少ないその機会を与えてくれるはずだったのに……。
山中先生のダブルスタックのESLの記事は12ページある。
けれど、また書くけれど、そこには瀬川先生の発言はなかった。

いまなら、なぜないのかは理解できる。
けれど、当時14歳の私には、ないことは、とにかく不思議なこと、でしかなかった。

Date: 9月 11th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その15)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でつくられた井上先生の組合せは、
それで鳴らされる音楽も、その音量も、その音自体も、
瀬川先生が好んで聴かれている音楽、音量、音質とは大きく違ったものである。

けれど、というべきか、ここには瀬川先生の印象が語られている。
     *
お二人といっしょに聴いていて、この装置に関しては、アドバイザーとかオブザーバーなんていう立場は、いっさいご辞退申し上げたいわけでして(笑い)、これはまことに恐るべき装置ですよ(笑い)。千葉さん(読者の方)のお手紙に対して、こういう回答をだされた井上さんという人は、ものすごいことをなさる人だと、あらためて敬服かつたまげているわけ(笑い)。
ぼくは楽器をなにひとついじらないし、いまここで鳴らされた音楽も、ふだん自宅で楽しんで聴いている音楽とは違うものですから、どのくらいの音量がふさわしいのかちょっと分かりかねるところがあるんだけれど、それにしても、いま聴いた音量というのは、正直いって、ぼくの理解とか判断力の範囲を超えたものなんですね。ただ誤解のないようにいっておくと、それだからといって箸にも棒にもかからないというような、否定的な意味ではありません。ことばどおり、理解とか判断力の範囲を超えたところのものだ、ということなんです。しかし、いま聴いた音というのは、自分の知らない、ひじょうに面白い世界をのぞかせてくれたことも、またたしかです。ただ重ねていいますけれど、こういう音はぼくは好まないし、ぼく自身は絶対にやりませんね。ある意味では拒否したい音だといっていいかもしれません。
ほくは、自分の現在の条件もあるでしょうが、性格的にもあまり大音量で聴くのは好きではありません。どちらかというと、小さめで、ひっそりと聴くほうを好みます。しかし、いま聴いていて、この装置が出した、むしろ井上さんがお出しになったというべきかもしれませんがともかくここで鳴ったすさまじい音は、けっして不愉快ではない。一種の快感さえ感じたほどです。井上さんはよく、音のエネルギー感ということをいわれますが、それが具体的に出てきた、エネルギー感の魅力が十分に感じられたわけで、ぼく自身ただただ聴きほれていたわけですよ。
     *
この井上先生の組合せよりも、山中先生のESLのダブルスタックの組合せがめざした「世界」が、
瀬川先生がふだん接していられた世界と共通するものは多い。
にもかかわらず、ESLダブルスタックの音に関しては、なにもひとつ活字にはなっていない。

Date: 9月 11th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その14)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、他の組合せとは毛色の異る、
異様な(こういいたくなる)組合せがひとつあった。
井上先生が、アマチュア・バンドで楽器を演奏して楽しんでいる読者が、
「楽器の音がもうひとつ実感として感じられない」不満に対してつくられた組合せである。

スピーカーは、JBLの楽器用の18インチ・ウーファーK151をダブルで使い、
その上に2440にラジアルホーンの2355、
トゥイーターは075のプロ用ヴァージョンの2402を片チャンネル4つ、シリーズ・パラレル接続する、というもの。
これだけのシステムなので、当然バイアンプ駆動となり、パワーアンプはマッキントッシュのMC2300を2台、
エレクトロニック・クロスオーバーはJBLの5234、コントロールアンプはプロ用のクワドエイトLM6200R、
アナログプレーヤーはマカラのmodel4824にスタントンのカートリッジ881S、というもの。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」ではこの組合せのカラー写真が見開きで載っている。
もちろんほかの組合せもカラーで見開きだが、そこから伝わってくる迫力は、ほかの組合せにはない。
K151をおさめた、かなり大容量のエンクロージュアが傷だらけということ、
それにアンプもアナログプレーヤーの武骨さを覆い隠そうとはしていないモノばかりであって、
これに対してコストを抑えたもうひとつの組合せ──
こちらもJBLの楽器用のウーファーK140をフロントロードホーンの4560におさめ、2420ドライバー+2345ホーン、
アンプはマランツのプリメイン1250、アナログプレーヤーはビクターのターンテーブルTT101を中心としたもの──、
これだって、他の評論家の方々の組合せからすると武骨な雰囲気をもってはいるというものの、
比較すれば上品な感じすら感じてしまうほど、井上先生が価格を無視してつくられた組合せの迫力は、凄い!

この組合せで、ピンク・フロイドの「アニマルズ」、「狂気」、ジェフ・ベックの「ライブ・ワイアー」、
テリエ・リビダルの「アフター・ザ・レイン」、
ラロ・シフリンの「タワーリング・トッカータ」、それに「座鬼太鼓座」などを鳴らされている。

Date: 9月 11th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その13)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
前年の「コンポーネントステレオの世界 ’77」では読者と評論家の対話によって組合せがつくられていったのに対し、
最初から組合せがまとめられていて、それを読者(愛好家)の方が聴いて、というふうに変っている。
そして、組合せはひとつだけではなく、もうひとつ、価格を抑えた組合せもある。

山中先生による「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生」するシステムは、
QUAD・ESLのダブルスタック(アンプはマークレビンソンのLNP2とQUADの405)のほかに、
スペンドールのBCIIを、スペンドールのプリメインアンプD40で鳴らす組合せをつくられている。

このBCIIの組合せの音については、つぎのように語られている。
     *
ぼくもBCIIとD40という組合せをはじめて聴いたときには、ほんとうにびっくりしました。最近のぼくらのアンプの常識、つまりひじょうにこった電源回路やコンストラクション、そしてハイパワーといったものからみると、このアンプはパワーも40W+40Wと小さいし、機構もシンプルなんだけれど、これだけの音を鳴らす。不思議なくらい、いい音なんですね。レコードのためのアンプとして、必要にして十分ということなんでしょう。ぼくもいま買おうと思っていますけれども、山中さんがじつにうまい組合せをお考えになったなと、たいへん気持よく聴かせていただきました。
     *
この山中先生の組合せの記事のなかで、瀬川先生の発言は、じつはこれだけである。
最初読んだときは、QUAD・ESLの音についての発言を読み落とした? と思い、ふたたび読んでみても、
瀬川先生の発言はこれだけだった。

当時(1977年暮)は、その理由がまったくわからなかった。