Bösendorfer VC7というスピーカー(その19)
私が感じている、よくできた鉄芯型のカートリッジに共通するよさは、
中低域から低域にかけての響きの充実ぶり、とでも表現できる要素である。
このことは、クラシックを聴くことがほとんど私にとって譲れないところでもある。
鉄芯型の優秀なMC型カートリッジが、
なぜ、そういう音(むしろ響きと表現したい)を聴かせてくれるのかについては、
その理由ははっきりとわかっていない。
けれど、このしっかりとして、そして豊かな中低域から低域のよさは、
音楽をしっかり支えてくれて、フォルティッシモではそのことを強く感じることができる。
たしかに空芯型の優秀なMC型カートリッジを聴いたあとでは、鉄芯型のフォルティッシモは、
やや濁りが生じて解像力の高さということではすこし劣る。
でもその反面、力に満ちて吹きあげるようなフォルティッシモとなると空芯型では、
優秀なものでも、鉄芯型の優秀なカートリッジと比較すると、もの足りなさを感じる。
鉄芯型の優秀なカートリッジには、響きの確かさがある、と思う。
そして、この響きの確かさは、ピアノのフレームに鉄が使われていることにも関係しているように思えてならない。