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Date: 3月 6th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その7)

モジュールユニットを鳴らすパワーアンプは、いまではIC化されたものから選べる。
出力はそれほど必要ないといえばたしかにそうなのだが余裕があれば、それにこしたことはない。
ただ出力を増すことは発熱と電源の余裕も要求されることではあるけれど、
いまではDクラスのパワーアンプもいくつも出ている。
これならば発熱の心配は、まったく(といっていいだろう)する必要はない。
それに電源もスイッチング方式ということになれば、1970年代のラジカセにくらべてスペースの余裕は出てくる。

DクラスのアンプならばICEPowerモジュールにしたい、などとあれこれ思い巡らせるのは楽しくて飽きない。

こんなふうにやりたいことを思っていると、
スピーカーは小口径のフルレンジだけで十分と言っておきながら、
頭のどこかでは、もしトゥイーターをつけ加えるならレンジの拡大が目的ではなくて、
ある種の音の広がりを求めて、角度をつけて取りつけるという手もあるかな、と考えたりする。

こんなことを昨夜の(その6)を書いた後の入浴中に思っていた。
そしてトゥイーターのことを考えていたところで、
このままラジカセに求めていることをグンとスケールアップしたら、
それはデッカのデコラに行き着くことに気がついた。

あくまでもこれは私の中で完結する話であるのだが、
デコラが頭に突然浮んだときに、ラジカセに求めているのは、
だからこそモジュールユニットを使いたい、とも思ったのは、
デコラをうんと小さくしたモノであり、デコラに感じている良さの要素に通じていくものが欲しかったから、
そのことに、こうやって書いていくことで気づいた、というよりも気づかされた。

そしてデコラを、なぜあれほどいいと感じるのか、その理由のひとつにも気づかされたことになる。

Date: 3月 6th, 2012
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その80)

往年の真空管アンプ・メーカーとしてマランツとマッキントッシュがある。
マランツの管球式コントロールアンプは2機種、モノーラル時代のModel 1とステレオ時代のModel 7。
マッキントッシュはAE2、C104、C108、C4/C4P、C8/C8P/C8S、ここまでがモノーラル機で、
C20、C11、C22、これらがステレオ機。
マッキントッシュはパワーアンプの機種数もマランツより多いけれど、コントロールアンプの数もまた多い。

これらのコントロールアンプのヒーター用の電源回路の回路図を比較していこう。
マランツのModel 1とModel 7は基本的に同じ考えによって作られている。
Model 1はモノーラルでModel 7はステレオ仕様で、真空管の数とそのユニットの振分けによって、
少し異る点もあるが、3本のECC83をひとまとめにした上でヒーター回路を形成している。

マッキントッシュはというと、
モノーラル時代の機種はすべてのヒーターを並列接続している(C4以降は直流点火になっている)。
真空管はマランツと同じECC83(12AX7)を使っている。
ステレオ時代になると、C20はモノーラル時代と同じように並列接続(ただしモノーラル機とは少し違う)だが、
C11とC22ではマランツと同じように3本のECC83をひとまとめにする方式へと変更している。
これはマッキントッシュがマランツに倣ったのだろうか。

マランツのヒーターについて、もう少しだけ書いておこう。
Model 1はモノーラルだからECC83を3本使っている。
3本のECC83をフォノ入力からV1、V2、V3と回路図では表記されている。
Model 1のヒーターはV1のヒーターの両端にそれぞれV2、V3のヒーターを接続し、
V1のヒーターのセンターを設置している。
V2、V3のヒーターの片方は接続され、ここにヒーター電圧がかけられている。
V1、V2、V3のヒーターは三角形を描く形になっている(回路図上では三角形にはなっていないけれど)。

Model 7も同じである。
だだしModel 7はステレオ仕様で、双三極管であるECC83のユニットの振分けが必要となるところが、
モノーラルのModel 1とは大きく異る点で、そのことがヒーター回路のステレオ機としての工夫となっている。

Date: 3月 5th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その6)

結局所、私がラジカセに無意識のうちに求めているのは、親密感もしくは親密感ある聴き方なのかもしれない。
中学・高校時代に親に聞こえないように深夜ラジオを、
音量を絞ってひとり聞くような、そんな感じに通じるものと言えるのかもしれないが、
実のところ、学生時代、深夜ラジオを聞いたことは一度もない。

なのに、なぜ、そういうものを求めているのか、われながら不思議でならないのだが、
とにかくラジカセには、親密感ある聴き方ができるモノであってほしい。
デザインもいいモノであってほしい。

デザインといえば、まずB&Oが候補となる。
B&Oのラジオが、ナロウレンジなのだが実に品のいい音を聴かせていたことはずっと以前に、
そういう話を何度か聞いている。
瀬川先生もサンスイのショールームで鳴らされたことがあった、とも聞いている。
残念ながら、そのB&Oのラジオは写真でしか見たことがない。
それでもなんとなく、その音は想像がつく。
私が求めているものに近い印象を勝手に抱いている。
となるとB&Oのラジカセということになるのだが、B&Oにもラジカセは存在していた。
1980年代の終りごろにB&0のラジカセが登場した。
価格は10万円を超えていたぐらいだったと記憶している。
でも実物を見て最初に思ったのは、意外に大きい、だった。
見た感じで、半分くらいに感じられる大きさであってほしかった、と思っていた。

私の聴き方には大きなラジカセは要らない。
スピーカーユニットは10cm口径か大きくても16cm口径まででいい。
20cm口径のフルレンジがつくとなると、全体としてかなり大きなラジカセになってしまうからだし、
音量的にもそれほど大きなものを求めているわけではない。

親密な聴き方にぴったりの音量と品の良さ、音量を絞ったときの明瞭度の高さを、まず求めたい。
たとえばジョーダン・ワッツのモジュール・ユニットを使ったラジカセがあったらいいな、といまも思う。
それにトーンコントロールが欲しくなる。できれば低・高音の2バンドではなく中音域も加えた3バンド。
もしくはQUADの44のようなコントロール機能もいい。

Date: 3月 5th, 2012
Cate: audio wednesday

第14回 audio sharing 例会の変更と第16回・例会のお知らせ

昨夜、3月7日のaudio sharing例会のテーマは「岩崎千明氏について語る」と書きましたが、
「岩崎千明氏について語る」は5月2日(水曜日)に行う第16回の例会のテーマとします。

変更の理由は、facebookに書いています。
4月末に第16回 audio sharing 例会の詳細は書きます。
テーマは変更しますが、明後日(7日)、夜7時から四谷三丁目の喫茶茶会記で第14の例会は行います。

Date: 3月 4th, 2012
Cate: 十牛図

十牛図とマーラー

十牛図についての川崎先生の話を聴き終ったあと、
東京への新幹線の中で思いついたことが、マーラーは十牛図のことを知っていたのかどうか、だった。
マーラーによる交響曲は9曲に「大地の歌」を加えると、10曲になる。
強引にこじつけることができるような気もするけれど、かなり無理のあることだとも思っている。

それでも、マーラーは十牛図を知っていたのか──、
このことが頭から離れないままになっている。

Date: 3月 4th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その5)

もうこれから先、オーディオマニアを満足させるカセットデッキは開発されることはない、といえよう。
だからカセットテープの録音・再生を追求しようとすれば、過去の製品を整備して使うことになるはず。
となると、ナカミチの1000ZXLは多くのマニアが憧れるカセットデッキということになるのだが、
やはり私には大きすぎる筐体と、
あの数がカセットテープの性能をできるかぎり引き出す上で必要なものといわれても、ツマミの数が私には多すぎる。
ナカミチのデッキならば、1000番よりも700番のほうにより魅力を感じるし、
それもレイモンド・ローウィのデザインだと知れば、ますます700の方がいいんじゃないか、と思っても、
そう思うところで止ってしまい、欲しいところまでにはいかない。
結局、700のデザインは日本人の手によるものとわかり、なんとなく納得していた。

1000ZXLを見ていると、
日本のラジカセがあれだけ大きなものになってしまったこととどこかでつながっているような気もしてくる。

カセットテープをよりよい音で聴くためには、ウーヘルのCR210ではやや力不足だから、
そうなるとスチューダーが一時期出していたモノということになる。
型番も正確な価格もすでに忘れてしまっているが、40万から50万円ほどしていただろうか。

もしスチューダーのカセットデッキがあったとする。
音楽を収録したカセットテープならば、スチューダーのカセットデッキで再生し、
つねに鳴らしているシステムで聴くことになるだろう。

でも私が、いまカセットで聴きたいのは「音楽談義」であり、
「音楽談義」に収められているのは、いくつかSPからの復刻があるとはいえ、
メインは小林秀雄氏と五味康祐氏との音楽談義であるから、それをいつものシステムで聴きたいかというと、
必ずしもそうではない気持があることに気づく。

ほかの人はどうかは知らないけれど、
私は、人の声(歌ではなく話)を聴くとき、スピーカーとの距離が近い方がいい。
録音に細心の注意がはらわれていい音で収録された対談モノをきちんと再生すれば、
より生々しいのはわかっているけれど、
そういう生々しさに気を取られることなく話に意識を集中したいと思うためなのか、
それともステレオサウンドでテープ起しをするとき常にヘッドフォンで聴いていたことか影響しているのか、
離れてても数10cmぐらいのところで聴きたいと思ってしまう。
だから「音楽談義」のためのラジカセ探しをずっとしているわけである。

Date: 3月 4th, 2012
Cate: audio wednesday

第14回 audio sharing 例会のお知らせ

今月のaudio sharing例会は、7日(水曜日)です。

3月24日が岩崎先生の命日であり、今年で没後35年。
なので今回のテーマは「岩崎千明」です。

時間はこれまでと同じ、夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 3rd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その4)

ラジカセを使っていたとき、それからカセットデッキを数年後買ったときは、
カセットテープをあれこれ買ってきて、録音・再生してみて、それなりに楽しんでいた。
といっても学生にはカセットテープも決して安い買い物ではなかった。
買いたいものは他にもいろいろあるから、お気に入りのテープ(TDKのSAだったかな)ばかり買えるわけではなく、
値段でカセットテープを選んでいたこともある。

まだラジカセを使っていたいたときだったはずだが、
近所の電気店に100円のC60のカセットテープが並んでいた。
いわゆるノーブランド品なのだが、当時はノーブランドという言葉も知らなかったし、
100円ショップなど、もちろんどこにもなかった時代のことだから、
友人とふたりで「100円だよ」と軽い興奮状態になって、ふたりとも試しに1本買って帰った。
結局、100円カセットテープは、その後買うことはなかった。

そんなふうなカセットとのつきあいは4年ほどだった。
東京に住むようになってからはカセットデッキ、ラジカセを所有したことはない。
いいカセットデッキは欲しいなぁ、と思っても、実際に買うことはなかった。
ウーヘルのCR210は、そのサイズの小ささから欲しい、とかなり欲しいと思っていたけど、手を出すことはなかった。

そんな感じだから、ナカミチの1000ZXLを見ても、カセットテープでここまで、というふうに関心はしても、
1000ZXLを買えるだけの余裕があっても、欲しい、と思ったことは一度もなかった。

ふりかえってみても、カセットデッキ、カセットテープとのつきあいは薄い。
それに、すこしカセットに対してつめたいのかもしれない。

それならばほどほどの性能でほどほどの価格のモノならば、
なんでもいいのではないか、ということになりそうだが、
惚れ込めないジャンルのモノだけに、逆に本当に気に入ったものが欲しい、と思う。

それに、いまは使用目的が決っているし、その幅も狭い。
「音楽談義」を聴くためだけであるから。

となると、カセットデッキではなく、ラジカセが欲しくなる。

Date: 3月 2nd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その3)

10年ほど前から、2年周期ぐらいで無性にラジカセが欲しい、と思うようになった。
そうなると量販店のラジカセの置いてあるコーナーをぶらぶらまわる。
「欲しい!」と見た瞬間、そう思えるラジカセはいまのところ出合っていない。

もっとも半年おきに定期的に量販店に行き、こまめにラジカセをチェックしているわけではないから、
私が見逃しているラジカセのほうが多いはずであって、
たまたま出かけたときに見かけたラジカセについては、欲しいモノがないだけのことにしかすぎない。

ラジカセが欲しい、と思うようになったのは、
ステレオサウンドが創刊20周年記念として発売したカセットブックを、もう一度聴きたいと思っているからだ。
私と同じか、私よりも年配の読者の方は、このカセットブックがどういうものかはすぐに思い出されるはず。
このカセットブックは、ステレオサウンド 2号に掲載された、小林秀雄氏による「音楽談義」をおさめたものだ。
聴き手は五味先生。

「音楽談義」カセットブックは、C90とC60のカセットテープで、
収録時間は43分36秒、42分46秒、28分29秒、27分21秒となっている。
「音楽談義」には次のようなタイトルが、それぞれつけられている。

 蝋管
 赤盤
 ルビー針
 クレデンザ
 聴覚空間
 生の音をめぐって
 ワーグナーの人と音楽
 ビトーとモリーニ
 ロストロポーヴィッチとアマーティ
 本居宣長、ブラームス
 青年時代のモーツァルト経験
 シューベルトの器楽曲
 チャイコフスキー雑感
 録音
 雨の日のシュタルケル
 ライン河畔のシューマン
 スターンのグヮルネリウス
 シベリウスの魂
 ドビッシーの天使とラヴェルの悪魔
 現代音楽
 原音
 聴こえる音と内に鳴る音楽
 温泉場のショパン
 意味としての音楽
 再び、ワーグナー
 いまブラームスのごとく……

さらにリヒャルト・シュトラウス指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団によるモーツァルトのト短調の第一楽章の一部、
エルマンによるフンメルのワルツ、
フルトヴェングラー指揮ベルリンフィルハーモニーのワーグナーのジークフリートの葬送行進曲(1933年)など、
6曲のSP盤からの音楽も収められている。

このカセットブックを聴いたのは、これが出た1987年の一度きりで、じつはそれ以降一度も聴いていない。
やはり、いまもう一度聴いておこう、と思いながらも、カセットデッキはないし、ラジカセもない。
カセットブックを聴く手段がない、というなさけない状況なので、ラジカセで気に入ったものがあったら、
買ってきて「音楽談義」を聴こう、そう思ってずるずる10年が経っている……。

Date: 3月 2nd, 2012
Cate: 真空管アンプ

真空管アンプの存在(その79)

管球式コントロールアンプに使われることが圧倒的に多いECC82(12AU7)とECC83(12AX7)、
1970年代後半からよく使われるようになってきた6Dj8などは、すべて双三極管である。

双三極管は一本のガラス管の中に真空管を2ユニット収めている。
なのでヒーターも2ユニット分ある。
1本あたりのヒーター電圧は6.3V。これが直列に接続され、
中間からももピンが出ていてヒーター用は3ピンとなっている。
だからそれぞれのユニットのヒーターに6.3Vずつ加えることもできるし、
2ユニット分のヒーターを直列のまま使えば12.6Vをヒーター電圧としてかけることになる。

ECC82もECC83もヒーターの定格は6.3V、150mAだから、
直列では12.6V、150mAとなり、並列では6.3V、300mAとなる。
あたりまえのことだが6.3Vで使おうと12.6Vで使おうと、ヒーターが消費する電力は変らない。

コントロールアンプで真空管が1本だけということはまずない。
必ず複数の真空管が使われる。
マッキントッシュのC22もマランツのModel 7もECC83を両チャンネルあわせて6本使用している。

真空管をが複数本の場合、ヒーター関係の配線をどう処理するのか。
12.6V、6.3Vどちらで使うにしても、すべての真空管のヒーターを並列接続して、というのが、
だれもがまず最初に考えることだろう。

直流点火にするのか交流点火にするか、
どちらにしても良質のヒーター用の電源を確保できれば、そこから先に関しては、
つまりヒーターへの配線方法に関してはそれほど注意を払う必要はないようにも思われる。
私も10代のころは、そんなふうに考えてしまっていた。
とにかくノイズが少なくて、低インピーダンスのヒーター用の電源回路が大事であって、
そこから先、真空管のヒーターへの配線(どこをどう引き回すか、ではなく、どう供給するか)には、
気が回らなかった。せいぜいが贅沢をすれば、真空管1本1本に専用の電源回路を用意するぐらいだった。

Date: 3月 1st, 2012
Cate: background...

background…(その1)

BGMがある。
あらためていうまでもなくBGMは、バックグラウンドミュージック(Background Music)の略であり、
バックグラウンドミュージックは直訳すれば、環境音楽、背景音楽ということになっている。

これからさき、ぽつぽつとBGMについて書いていこうと思っている。
オーディオとBGMは、──なんといったらいいだろうか、
真剣にオーディオに取り組んでいる人からは、
「BGMのためにオーディオをやっているわけではない」といわれるそうだ。

BGMという言葉には、音楽を軽く扱ってしまっている、そんな印象があるためなのだろうが、
BGMと似た印象を持っている言葉としてイージーリスニング(easy listening)がある。
イージーリスニングは、日本では、軽音楽を指している。

軽音楽という言葉自体、いまではあまりお目にかからなくなってしまったが、
1970年代にはポール・モーリアが流行っていた。
軽音楽といえば、私にとってはポール・モーリアが、まず頭に浮ぶ。

日本フォノグラムが、ポール・モーリアのレコードを出していた。
数年前、友人を通じて届いたレコードの中に、ポール・モーリアのLPが数枚含まれていて、
日本盤ではあるものの、中のディスクはフランスからの直輸入盤だった。

このポール・モーリアの音楽は、BGMとなり得るのだろうか……、という疑問がわいてくる。

Date: 2月 29th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その6)

1949年9月29日にランシングは去っていった。
LPの登場が1948年のことだから、ランシングがD130を発表した1947年はまだSPの時代だった。
ランシングがどんな音を鳴らしていたのかは、いま知る術はない。
勝手に想像するしかない。

D130をどんなエンクロージュアにいれていたのか、どんなふうに鳴らしていたのか。
アンプはどういうものだったのか。
当然真空管アンプだが、出力管は何だったのか。それも既製品であった可能性よりも自作であった可能性もある。
音量はどの程度だったのかも知りたい。

でも手掛かりは、いまのところまったくといっていいほどない。

だから想うだけ無駄といえば無駄な時間なのだが、
これだけは確信をもっていえるのは、ランシングはクラシックがよく鳴るスピーカーとか、
ジャズがうまく鳴ってくれるスピーカーとか、
そういうことを目標としてD130をつくったわけではない、ということだ。

1940年代後半という時代で、最高のスピーカーユニットを目指した結果がD130なのである、
というごく当り前のことを、D130の音が強烈なイメージとともに日本では語られることが多いために、
つい忘れてしまいがちになってはいないだろうか。

D130はスピーカーユニットだから、いわば音を出す道具である。
楽器も音を出す道具である。
この意味では、私もスピーカー=楽器という受けとめ方には異論はない。
(ただ、よく語られる意味でのスピーカー楽器論には、いくつか言いたいことがある)

ここで、思い出してほしいことがある。
楽器には、基本的にクラシック用とかジャズ用とかはない、ということだ。
例えばピアノ。
スタインウェイにしてもベーゼンドルファーにしても、クラシック用、ジャズ用とかで売り出したりはしていない。

同じピアノを、クラシックの演奏家が弾けばクラシックを奏でるし、
ジャズのミュージシャンが弾くことでジャズがそこに存在することになる。

Date: 2月 29th, 2012
Cate: ディスク/ブック

「鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言」

1989年に小学館からサライが創刊された。
巻頭記事は安岡章太郎氏のインタヴュー記事で、これが読みたくて手にとりそれ以降数年間は毎号購入していた。
初期のサライではオーディオが取り上げられたこともあった。
世界の著名人のオーディオマニアとその愛用のオーディオを紹介する、というものだった。
内容的に物足りなさを感じたものの、大手出版社だからこそできる内容でもあった。
ゴルバチョフもオーディオマニアで(たしか)SMEを使っている、とあったのを憶えている。
ロードバイク(自転車)が取り上げられている号もあった。

特集記事も面白いものがあったけれど、やはり毎号楽しみにしていたのは巻頭のインタヴュー記事だった。
安岡章太郎氏もそうたったし、そのあとにつづいて登場した人たち皆、
「50すぎてからが面白くなった」といったことを言っていたのが、
当時20代半ばという、50までの中間点にちょうどいた私には印象深かった。
「50からなのかぁ……」とおもっていた。

西岡常一氏のことを知ることができたのは、サライの、そのインタヴュー記事だった。
ちょうど西岡氏の「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」が
小学館から出る直前ということもあっての登場だったのだろうが、面白かった。
だから「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」も発売日にすぐさま購入した。

オーディオとはもちろん直接関係のない本ではあるものの、学ぶところは多い。
いま読み返しても、多い。

「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」を、あの時、読んでいておもっていたことがある。
「木に学べ」は「音に学べ」にできる。
法隆寺、薬師寺は、読み手が愛聴する音楽作品をあてはめればいい、ということだ。

来年、私も50になる。
50になる前に中間点でおもったことを思い出したのは、
鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言」という映画が、ちょうどいま公開されていることを知ってからだ。

Date: 2月 28th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その5)

JBLでクラシックを聴くやつは、どこかおかしい、もしくはめずらしい、
というふうに受けとめられていた時代があったことを知る者にとっては、
「いまのJBLはジャズが鳴らない」「ジャズが鳴らないJBLなんて、JBLじゃない」、
こんなことを目にしたり耳にしたりすると、時代が変ったのか、それとも変っていないのか、とふと考えてしまう。

JBLは、いうまでもなくランシングがつくった会社である。
そしてJBL=ジャズという図式が出来上った(浸透した)のは、
実質的な最初のスピーカーユニットと呼べるD130の音が、
日本ではそう受けとめられたことから始まっている、といってもいいはず。

だがランシングは熱心なジャズの聴き手だったのだろうか。

以前、このブログでも取り上げたことのある「Why? JBL」(著者:左京純子、実業之日本社)には、
次のように書いてある。
     *
ランシングの趣味といえば、ゴルフをたしなむ程度で、そのほかのほとんどは、家の中で、書物を読みふけることを楽しみとしていた。好きなミュージックはクラシックで、ときにはダンスミュージックでダンスを楽しむこともあったという。
     *
この短い文章がランシングのすべてを語っているわけではないにしても、
ジャズという単語はここにはなく、好きな音楽としての、クラシックという単語がある。
クラシックだけを聴いていたのではないだろう、ジャズや他の音楽も聴いていたとは思う。
それでも、「Why? JBL」によれば、ジャズや他の音楽よりもクラシックを聴いていたことになる。

ということは、ランシングはD130でクラシックを鳴らし聴いていたわけだ。
そのD130を、日本のジャズ好きな人たちは、ジャズにぴったりのスピーカーユニットとして認識されていった。
なにもこのことをおかしい、とか間違っているとか、そんなことをいいたいのではない。
むしろ、ここのところにスピーカーの面白みがあって、
あえてスピーカー=楽器としてとらえるときの面白みでもある、とそう考えている。

Date: 2月 27th, 2012
Cate: ワイドレンジ

ワイドレンジ考(ジャズにとって、クラシックにとって・その4)

昔、といってもそんなに大昔のことではない。
JBLのスピーカーはジャズ向きであって、
クラシックの、とくに弦の音なんか聴けたものじゃない、といわれたこともあった。
そういう時代の中でも、JBLのスピーカーでクラシックを聴いている人(鳴らしている人)は少なからずいた。
瀬川先生がそうであったし、黒田先生もアポジーの前のアクースタットのその前はJBLの4343を鳴らされていた。

アルテックの昔のロゴには指揮者のシルエットが描かれていた。
トスカニーニがモデルだと言われていた。
そんなアルテックのスピーカーは、JBLのスピーカー同様、
日本ではジャズのためのスピーカーとして受けとめられることが多かった。

スピーカーとはいったいなんだろうか。
スピーカーは電気信号を振動に変換するモノである。
入力された信号をあますとこななく、つまり100%振動に変換できるのが理想なのだが、
実際には現在のスピーカーに関しては、どの方式であっても変換効率はかなり低い。
オーディオ用として使われているスピーカーの多くは10%前後の変換効率しかもたない。

そういうスピーカーで、われわれは音楽を聴いたり、
ときには細かな音の差に耳をそばだてたりしては、一喜一憂する。
もし変換効率が50%を超えるようになったら、どんな音が聴けるようになるのか、
そしてそのとき、音の違いは、いままでより明瞭に出てくるようになるであろう。
そんな期待はしているのだが、私がオーディオに興味を持ちはじめて30年以上が経っているが、
スピーカーの能率は高くなる傾向よりも、むしろやや下り気味の傾向が強いままである。

そんな低い変換効率であっても、スピーカーはほんのわずかな音の違いを鳴らしてくれる。
不思議な存在だとも思う。

だとしても10%程度の変換効率は、変換器としては低い、つまりは未熟なレベルということもできる。
しかも低い変換効率(入力信号の大半を熱にしている)の一方で、
どんなスピーカーにも固有音がつきまとう。
入力された電気信号の10%程度しか音にしないのに、入力信号とは別の音を出している。
振動板の分割振動によるものだったり、エンクロージュアの箱鳴り、フレームやエンクロージュア等からの不要輻射、
振動板がピストニックモーションして出てくる音が入力された電気信号が音に変換されたものとすれば、
それ以外の、スピーカーから放射しされる音はすべて、そのスピーカーの固有音である。

スピーカーにはずっとそういうことがついてまわっている。
だからなのか、スピーカーは楽器だ、ということが以前からいわれ続けている。