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Date: 9月 7th, 2012
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(その14)

修理の際、ネックとなりやすいのは、なにもオーディオ専用部品だけではない。
消耗部品も、そうなりやすい。

たとえばテープデッキの録音ヘッド、再生ヘッドなどがある。
メーカーが同じヘッドを作り続けていてくれているか、部品をストックしてくれていれば、
ヘッドが摩耗しても安心して修理に出せるのだが、実際は難しいところだと思う。

カセットデッキは、残念ながら魅力的な新製品が登場しなくなって、けっこうな年月が経っている。
いまもカセットデッキを大切に使われている方がいるのは知っているし、
カセットテープにあまり愛着のもてない私でも、機会があれば欲しい、と思えるデッキは少ないながらもある。

でも、実際に入手したとしても、ヘッドの状態を考えると、その選択肢はさらに狭まっていくことになる。
もともとついていたヘッドとまったく同じものが無理でも、同等のヘッドて修理してくれるのならば、
まだそれでもいいと私は思うわけだが、それも難しいのかもしれない。

だから中古のオーディオ機器を眺めている時でも、
アンプを眺めている時とカセットデッキを眺めている時とでは、考えていることが少し異ってくる。
カセットデッキだと、どうしてもヘッドのことが気になり、
故障していなくてもメンテナンスのことが真っ先に頭に浮ぶ。
まだ会社が存続している会社であればなんとかなる可能性はあっても、
会社がなくなっているブランド、もしくはすっかり様変りしてしまった会社のデッキだったりすると、
そういうことを含めても、目でみてしまっている。

修理のことをあれこれ考えてしまうと、
オーディオ機器は買いにくくなってしまう。
こんなことを書いている私が、購入時にはほとんど、というか、まったく故障した時のことは考えずにいる。

けれど、オーディオ機器は、どんなモノであれ、故障しない、ということはない。
たまたま故障しなかった、ということはあっても、だからといって絶対に故障しないわけではない。

そして、オーディオの会社にしても、こういう時代だと、
どういう会社が生き残り、消えていくのか、も予測しにくいし、
オーディオ機器を買うのに、そんなことまで考えて、というのも、すこし淋しい。

それでも、安心して使える、ということのメリットは、
音がいいと同じくらいに重要なことである。

だから私が、あえて修理のことを最初に言ってしまうのは、
ガレージメーカーのブランドについて訊かれたときである。
それも海外のガレージメーカーではなく、国内のガレージメーカーについて、のときである。

Date: 9月 7th, 2012
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(その13)

オーディオ専用部品を使っていることは、製品登場時点では謳い文句になる。
が、製造中止になり数年、もしくは10年以上が経過して故障した場合には、
オーディオ専用部品を使っていたことが、修理のネックになってしまうことも充分ある。

だからといってオーディオ専用部品を使っているオーディオ機器は購入しない方がいい、とは言いたくない。
わずかな音の差を求めて、当時、オーディオ専用部品まで手がけて、という開発姿勢は、
なにかをもたらしている、と思っているからだ。

パイオニアはガラスケース入りの電解コンデンサーを採用していたからこそ、
1980年代後半、パイオニアのアンプやCDプレーヤーに使われている電解コンデンサーには、
銅テープが貼られるようになった。
マネして、手持ちのアンプ、CDプレーヤーで試したことがある。

この銅テープを電解コンデンサーに巻くのは、部品交換とは違い、
音が悪くなった、自分が求める方向とは違うベクトルになってしまった、という場合には、
銅テープをはがせば、元の状態に戻せる。

これが部品交換となると、元の部品を外すためにハンダをとかすために熱を加える。
新しい部品をハンダつづけするためにも熱を加える。
結果、好ましくなかったときに元の部品に戻したとしても、同じ音は戻ってない。
熱を何度も加えることにより、取り外した部品だけでなく、時には周辺の部品も熱で劣化させているからだ。

銅テープを電解コンデンサーに巻くのは、こういうデメリットがない。
ハンダづけのための熱をくわえるわけではない。
ただテープの巻きつけるだけ、である。

ただ部品が密集していると巻きつけにくいことはある。

パイオニアが銅テープを巻くようになったのは、
やはりガラスケース入りの電解コンデンサーを採用した経験からのような気がしなくもない。

もちろんガラスケースに入れることと同じ効果を、銅テープを巻くことで得られるわけではない。
それでも、ここには何かひとつのつながりがある、と私は思いたい。

Date: 9月 6th, 2012
Cate: 「ネットワーク」, 言葉

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その2)

AとBのふたつがあり、
その差がほんのわずかであれば、どちらの量が多いかの判断では、
差がわからない、はっきりとしないということもある。
わずかな差に対して敏感な人もいれば、それほどでもない人もいる。

けれどあきらかな差があれば、敏感な人もそうでない人でも、
どちらかの量が多いということはすぐに判断できるのが普通である、と思っていた。

音に関する表現でも、量を表しているものはいくつかある。
最近では、多くの人が使うようになって「聴感上のS/N比」がある。
S/N比そのものが、信号とノイズの量の比であるわけだから、
物理的なS/N比のように90dBとか81dBといった数字でこそ表示できないものの、
ふたつのオーディオ機器、ふたつの音があり、比較試聴したうえでの聴感上のS/N比は、
はっきりと差が出ることも多い。

聴感上のS/N比のほかには、音場感に関する表現がある。
左右の広がりぐあい、奥への展開のぐあい、など、
ふたつのオーディオ機器、ふたつの音を比較して、どちらが左右の広がりが広いのか、
奥行き方向の再現性が深い、といったこともはっきりと差が出ることも多い。
もちろん音場感については、それだけですべてが語れるわけでもないものの、
音場感は、量に関係する要素がある。

けれど、このふたつ──、
聴感上のS/N比と音場感に関することでも、ときどき首を傾げたくなることがある。
なぜ、このオーディオ機器、この音を聴感上のS/N比が高い、といえるのだろうか、と思うことは少なくない。

量についてのものであっても「聴感上」とつくからそこには主観的なこともはいってくる、
だから聴く人によって、聴感上のS/N比の高い低いは異る、という人がいるかもしれないが、
私はそうは思わない。

聴感上のS/N比は、私の知る限り、井上先生が最初に使われているが、
井上先生が定義した「聴感上のS/N比」とはかなり違う「聴感上のS/N比」がいくつも現れてきているようだ。

「聴感上のS/N比」は、本来、そういう曖昧な性質のものではなかった。
それがいつしか、本来の定義、意味などをシロウトもせずに、
なんとなく感覚的に、安易に使われることが増えてきている言葉のひとつである、と思う。

Date: 9月 5th, 2012
Cate: 「ネットワーク」, 言葉

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その1)

インターネットが登場し普及し、
個人によるWebサイトの公開もまた一般的なこととなり、
さらにブログの登場・普及は個人による情報発信を、
インターネット登場以前では想像できなかったほどに容易にした。

結果、情報量は急激に増大したかのように見える。
情報の「量」は確実に増えているのだろうか。
情報の「質」の判断は難しい面があるが、
こと量の判断、つまり多いか少ないかの判断に何が難しいところがあろう、
量の判断において、判断する人によって多い少ないが逆転することなんか起こりえない。

基本的にはそうだと思う。
けれども絶対に逆転することはない、とは言い切れないことがあることを、
オーディオにおいて知っているからだ。

Date: 9月 4th, 2012
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(続々twitter)

木製脚のハークネスはステレオサウンド 144号に載っている、
というコメントをfacebookでいただいた。

安齊吉三郎氏のAudio Components GALLERYで紹介されているハークネスは、
たしかに木製脚のモノである。

私にとってのハークネスは、
ステレオサウンド 45号の田中一光氏のリスニングルームに見事におさめられているハークネスが最初であり、
ハークネスがどういうスピーカーシステムであるのか知るほどに、
私自身の音の好みとは必ずしも一致しないスピーカーシステムでありながらも、
つねに気になり続けてきているスピーカーシステムであるだけに、
そのハークネスはやはり金属脚のハークネスであった。

だから木製脚のハークネスのことは、うまくイメージできなかった。
でも安齊氏の写真による木製脚のハークネスを見ていると、
金属脚と木製脚のハークネス、どちらをとるかと問われれば金属脚は即答はするものの、
木製脚のハークネスも、写真を眺めていると、しっくりくるものを感じられる。

となると木製脚と金属脚は時代によって切り替ったのだろうか。

Lansing HERITAGEのサイトには、古いJBLのカタログがいくつか公開されている。
1957年のカタログに”THE HARKNESS/C40″がある。
ここに載っている写真は、木製脚のハークネスである。
前年の1956年のカタログにはハークネスはないけれど、
C25/C37、C36/C38が載っていて、これらも木製脚に見える。

1962年のカタログになると、ハークネスの脚はアルミ製の金属脚に変更されているのがわかる。
C37、C36、C38も金属脚になっている。
これ以降のカタログを見ても、木製脚は登場してこない。

ごく初期のハークネスにおいて木製脚だったようだ。
ヴァリエーションではなく、1960年ごろに木製脚から金属脚へと変ったのだろう。

となると牽強付会といわれても、
ハークネスが金属脚にしたのは、ミニスカートの登場と決して無関係ではないように思えてくる。

ウィキペディアによれば、ミニスカートはイギリスのデザイナー、マリー・クヮントが、
1958年ごろから売り出した、とある。
同時期にフランスでも、アンドレ・クレージュによってミニスカートが登場している。
アメリカにではどうなのかははっきりとしないけれど、
イギリスとフランスで1958年ごろ登場しているのだから、
そう時間はかからずにアメリカでもミニスカートは登場したとみていいだろう。

JBLがハークネスの脚を木製から金属製に変えた時期と重なるのではないだろうか。
それは単なる偶然なのかもしれない。
けれど時代の風潮として、ミニスカートによる素足を露出させるようになってきたことと、
木製脚から金属脚への変更は、どこかでつながっているのかもしれない。

Date: 9月 3rd, 2012
Cate: 書く

9月3日(2008年〜2012年)

このブログ、audio identity (designing) をはじめたのは、2008年9月3日。
まる4年が経過して、今日から5年目がはじまる。

──と、昨年もほぼ同じ書出しを使っている。
1年前と変っているのは、facebookに非公開のグループとして”audio sharing“をつくり、
ブログへの感想・意見をいただくようになったことだ。

audio identity (designing) のコメント欄は残しているし、
これから先、コメント欄をなくすことはまったく考えていない。

いま非公開facebookグループの”audio sharing” に参加されている方は、私も含めて99人。
audio identity (designing) へのアクセス数よりずっと少ないけれど、
いただくコメントはfacebookでの方が多い。

今後、twitter、facebookといったSNSがどう変化・発展していくのかは、わからない。
新しいSNSが登場し、数年後はそれを利用しているかもしれない。

SNSにくらべると、ブログというものは、もう古くなってしまったような感じも受ける。
audio identity (designing) は文章だけで、写真も図版もない。
基本的なブログの機能しか使っていない。

このことは来年も同じであろう。
再来年もたぶん同じのはず。その先も、ブログはそのまま変らず使っていく、と思う。

ブログ、それもテキストだけのブログは、
スピーカーに例えると16cmか20cm口径のフルレンジユニットのようなもので、
再生帯域は低域も高域もそれほどのびていないナローだけれど、
音楽に大切といわれる中音はしっかりと伝えてくれる。

そんな感じが気に入っているので、
このブログは中口径のフルレンジのままでとうぶん書き続けていくつもりだ。

これで2754本。
そこそこの分量になってきたし、項目も増えているせいもあってだろう、
何人かの方から電子書籍にしないのか、してほしい、といわれた。
もう少し多くの方から、そういわれるようになったら電子書籍にまとめようと思う。

facebookの”audio sharing” への参加は、非公開ですので管理人(私)の承認が必要になりますが、
とくに参加資格があるわけではありません。
facebookのアカウントをお持ちの方で、参加リクエストをいただければ、承認いたします。
つまらないと思われたら、退会はご自身で簡単に行えます。

http://www.facebook.com/groups/audiosharing/

Date: 9月 3rd, 2012
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(続twitter)

スピーカーユニットを構成する金属部分を人の素肌とすれば、
それらスピーカーユニットをつつむエンクロージュア(木)はさしずめ服ということになる。

スピーカーとしての素肌(金属)を見せないように服(木)をまとっている。
そんなふうに見ようと思えば、見えてくる。

JBLのハークネスの脚はアルミで金属。
ということはハークネスの脚は素足だ。

ハークネスが現役のスピーカーシステムだった1960年代にミニスカートが登場し大流行している。
ハークネスの脚は、そんな素足のように見えてくる。

ハークネスには木製の脚がついたものもある、という。
実物も写真も見たことはない。
木製の脚のついたハークネスは、ミニスカート姿ではなくパンツルックということになる(?)。

Date: 9月 3rd, 2012
Cate: ジャーナリズム

附録について(その2)

ステレオサウンド社が出しているHiVi。
先月出た9月号にケーブルメーカー、ゾノトーンのUSGケーブルが附録になっていた。
今月発売のHiVi10月号には、dtsとの共同によるブルーレイディスクが附録になる。

ここまでは知っていた。
昨日驚いたのは、ここで附録がいったん終るのではなく、まだまだ続くということ。
11月号にはまたUSGケーブルが附録になる。
今度はSUPRA製のものだそうだ。

そして1月号、3月号もUSBケーブルが附録になる予定だ、という。
1月号と3月号のUSBケーブルがどのメーカーになるのかは未定のようだ。

附録路線に進むと思われるHiVi。
それにしても……、と思う。
なぜ、ここまでUSBケーブルを立て続けに附録にするのか、と。
これはケーブルメーカーの競争心を煽っているのではないのか。

私がケーブルメーカーの関係者だったとしたら、
HiViの附録用のUSBケーブルには採算度外視で優れたものを提供する。
多少赤字になっても、それはいい広告になるからだ。
それも、9月号よりも11月号に、11月号よりも1月号に、1月号よりも3月号に提供したい、と考える。

HiViの読者の手元には4種類のUSBケーブルが集まることになる。
当然HiViの読者はこれらを比較する。
どれが優れているのか──。

この比較で圧倒的な良さを読者に提示できれば、次の購入に繋がる可能性は高い。
だから最初に附録になったゾノトーンのケーブルよりも、次に附録になるSPURAのケーブルよりも、
負担は大きくなっても、これらよりも高い品質のものを提供する。

読者にとっては、これはありがたいことのようにも思えるだろう。
良質のUSBケーブルも、ケーブル単体を購入するよりも安く手に入れることができるから。

で、ほんとうに読者にとって、これはいいことなのだろうか。
ケーブルメーカーの負担は増える。
それにHiViが附録路線を今後も積極的に行っていくのであれば、
ケーブルメーカーは、以前のものよりももっといいものを……、ということになる。
こんなことがループのように続いていけば、いずれ疲弊していくのではないだろうか。

附録を全面的に否定はしないけれど、
出版社の良心として、たとえばUSBケーブルを附録としたら、
次に別のメーカーのUSBケーブルを附録にするのはある一定の期間をあけるとか、
先に附録としてケーブルを提供したメーカーが不利にならないように、
ケーブルは同時期に提供してもらい、順次附録としていくとか、
そういう配慮なしに附録路線を続けていくことに、編集者はなんの疑問も抱かなくなったのか。
(もしかするとUSBケーブルに関しては、同時期に提供してもらっているということも考えられる。)

編集者が、このような煽る行為をやっていいのだろうか。

Date: 9月 2nd, 2012
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(twitter)

ツイートすることは昨年より少なくなってしまったけれど、
twitterのタイムラインはEchofonというソフトで、ほぼ常時表示している。

最大で140文字のツイートは、
AMラジオのような感じがしてくる。
私がフォローしている人たちは、オーディオの人たちが多いけれど、
まったくオーディオとは関係のない人も多い。
そういう人たちのツイートが流れていく。

フォローしている人たちのすべてのツイートをすべて読むことは、もう無理かもしれない。
読み逃しているツイートも少なくないはずだと思う。
ならばフォローしている人たちを減らせば、それですむことでもないと考えているし、
すべてのツイートを読むことがtwitterの楽しみ方でもないのだから、
いまのようにAMラジオをなかば聞き流すように、読み流していると、
思わぬツイートがひっかかってくる。

そういうツイートが、あまり関係のないことと結びつくことがある。

今日の私のtwitterのタイムラインにひっかかってきたのは、
「好き! すき!! 魔女先生」という、1971年から1972年にかけて放送されたドラマのカラーイラストだった。
このドラマは見たことはない。
私がそのころ住んでいたいなかでは、この番組は放送されていなかったのではないか。

「好き! すき!! 魔女先生」は石ノ森章太郎氏の「千の目先生」が原作であり、
今日、そのカラーイラストをtwitterで見かけた。
スラッとした綺麗な脚の女性のイラストを見ていて、
私が連想していたのはJBLのハークネスの、アルミ製の脚だった。

ハークネスの脚が、石ノ森章太郎氏のカラーイラストの女性の脚と重なってみえてきた。
ハークネスの脚は、女性の脚だったんだ、と勝手に、いまは思っている。

「千の目先生」は1968年に連載されたマンガ。
ハークネスの登場はもう少し前のことだが、1968年、ハークネスはまだ現役のスピーカーシステムだった。
ハークネスだけではない、このころのJBLのスピーカーには脚がついているものがあった。

脚の形状、材質は違うけれど、あのパラゴンにも脚がある。
メトロゴンにもある。

ハークネスの同じシリーズといえるバロンなどにも、やはり脚がついている。
そういえばQUADのESLにも、木製の脚がついている。

どの脚も下にいくにしたがって細くなる脚である。

脚のあるスピーカーシステムは、ないスピーカーシステムよりも、どこかセクシーに映える。

そういえば──、と思う。
アンプにはゴム脚は以前からついていた。
最近では金属製に変ってきているけれど、スラッとした脚ではない。
ハークネスの脚のようなモノではない。

構造的に、その手の脚を必要としない、といえばそうなだろうが、
かならずしも必要としていないわけでもない、と思う。
ただ脚をつければいいわけではないにしても、
脚の存在によって解決できることがあるような気がしてならない。

Date: 9月 1st, 2012
Cate: 四季

夏の終りに(その3)

ランス・アームストロングは、ロードレーサーとしてはミゲール・インドュラインよりも上なのかもしれない。
速い選手というより、強い選手である。
癌から生還しツール・ド・フランスで7連覇できたのだろう。

たとえアームストロングがドーピングをしていたとしても、
(ドーピングは絶対に許せない、という人もいるけれど)その強さは、私は素直に認める。

アームストロングは強い。
けれど、強いからといって、インドュラインに感じていた「王者」といったものを、
アームストロングからは感じにくい。
ドーピング疑惑があるから、そう感じないわけではない。

1995年のアームストロングのウィニングポーズは、
1997年のマルコ・パンターニのラルプ・デュエズでのステージ優勝のときのウィニングポーズとともに、
私がこれまでみてきたツール・ド・フランスのレースのなかで、
最も強く印象に残っているものだ。

パンターニのウィニングポーズが動だとすれば、
アームストロングの1995年のウィニングポーズは静(せい、ゆえに生なのかもしれない)である。

1999年のツール・ド・フランスをテレビでみていて、
アームストロングの強さには熱いものを感じていた。

にもかかわらず、アームストロングが王者かと問われても、
そうは思えない、と答えざるをえない何かが、心のどこかにひっかかっている。

それはなんだろうか、と思っている。
まだ、はっりきとつかめていない。
ぼんやりとしたままだ。

インドュラインは1964年、アームストロングは1971年生れ。
インドュラインと私はほぼ同世代。
そういうことでもない、と思う。

それでも明らかにインドュラインとアームストロングは、違う。
人はひとりひとり違うから、このふたりが違って当り前──、そんな違いではない。

ツール・ド・フランス総合優勝5回のアンクティル、メルクス、イノー、そしてインドュライン。
私がリアルタイムでみてきた選手は、この中ではインドュラインだけ。
あとの3人についてのエピソードは本で知っているだけである。

この4人も、みな違う。
それでもインドュラインまでは、共通した王者としての「何か」があるようにも感じている。
その「何か」がなんなのかはまだ漠然としたままだけど、
インドュラインとアームストロングの違いにも似た「何か」を、
いまのオーディオ機器(特にスピーカーシステム)に対して感じることがある。

その「何か」がはっきりつかめていないのに、
なぜそんなことがいえる? といわれるだろう。
たしかにそうである。
でも、直感的としてそう感じて、その「何か」がはっきりしないもやもやもまた感じている。

私はインドュラインを王者と思っている。
でも人によってはアームストロングこそ真の王者と思うだろう。

そのことがスピーカー選びに関係している、と結ぶのは、
強引なこじつけでしかないのか……。

Date: 8月 31st, 2012
Cate: 四季

夏の終りに(その2)

ヨハン・ブリュイネールは1999年にアメリカの自転車チーム、USポスタルの監督となる。
このチームには、癌から復帰したランス・アームストロングがいた。

アームストロングはこの年のツール・ド・フランスで初の総合優勝、
この後2005年まで総合優勝を続けている。7連覇である。

アームストロング以前、総合優勝は5回が最高であったし、
インドュラインですら6回目の総合優勝は無理だった。

1996年はオリンピック・イヤーということもあり、
ツール・ド・フランスは通常よりも早く開催された。
そのためもあってのことだろうが、例年にない悪天候が重なり山岳ステージでは積雪によるコース短縮があったほど。
暑くなればなるほど強さを増していく、と言われているインドュラインにとって、
予想外の寒さにより、6連覇確実といわれていたし、
インドュラインの故郷、スペインのバスク地方をとおるコースが、レースの後半に用意されていた。

それまでのインドュラインならば、バスクを通るステージまでに総合優勝を確実なものにしていたはず。
けれど結果は総合11位に終ってしまう。

2004年、やはりオリンピック・イヤーのこの年、
アームストロングは6連覇を達成した。
自転車競技が盛んではないアメリカの選手、ランス・アームストロングによる偉業ともいえる。

アームストロングがドーピングをやっている、というウワサは以前からあった。
これについての詳細は省くが、8月24日、USADA(全米アンチドーピング機関)が、
アームストロングの1998年8月1日以降の記録のすべて抹消する、という宣言を出した。

アームストロングが本当にドーピングをやっていたのかは、はっきりとしない。
これから先もずっとグレーのままだと思う。

私はドーピングを完全悪だと捉えていない。
ドーピングは魔法ではない。
最新のドーピングをやったからといって、
すべての選手がツール・ド・フランスで何度も総合優勝できるわけではない。

ただ思うのは、
1995年の第7ステージで「ベルギーの恥」とまでいわれた卑怯な走りをしたブリュイネールのもとで、
アームストロングのドーピング疑惑は起っている。
アームストロングは、1995年のブリュイネールの走りを「クレバーな走り」だといっている。
所属するチーム監督のことをあからさまに批判する選手はいないだろうが、
それでもまったく否定せずに「クレバーな走り」といってしまうアームストロングに、
どこかなじめないものを、すこし感じていた。

アームストロングがチーム・モトローラ時代に乗っていた自転車のフレームはエディ・メルクス製だった。
メルクスが現役引退後はじめた会社によるフレームである。

アームストロングは、フレームの”Eddy Merckx”のロゴを指して、「誰なの?」と訊ねている。
アームストロングは1971年生れ、しかもアメリカ生れだし、
もともとはトライアスロンの選手だったから、
1978年に引退したメルクスのことは知らなくても当然といえば当然なのかもしれないが、
ヨーロッパの選手とは違うなにかが、そこにはあるように感じてしまう。

Date: 8月 31st, 2012
Cate: 四季

夏の終りに(その1)

1995年のツール・ド・フランスでの、たしか第18ステージだったと記憶しているが、
この日のゴールでのランス・アームストロングのウィニングポーズは、いまも強く印象に残っている。

アームストロングがステージ優勝をとげた3日前のレースで、
チームメイトのファビオ・カサルテッリがピレネー・ステージでの下りコースで落車。
道路沿いの縁石で頭を強く打ち亡くなるという事故が発生した。

アームストロングは、左右の腕を高く上げ、さらに人さし指で天を指していた。
カサルテッリがステージ優勝をしたいといっていたコースでのウィニングポーズだった。

1995年のツール・ド・フランスは、いくつかのことがあった。
ミゲール・インドュラインが5度目の総合優勝、しかも91年からの5連覇。
過去、総合優勝5回を成し遂げた選手は、
ジャック・アンクティル、エディ・メルクス、ベルナール・イノーだけで、
しかも5連覇はインドュラインだけの偉業であった。

初日のプロローグは雨。
イギリスのクリス・ボードマンが、ロータス製のカーボン・モノコック・フレームのバイクで、
ステージ優勝を狙っていたものの、スタート直後のカーヴでの落車による足首の骨折でリタイア。
前年94年の、やはりプロローグでの圧倒的なボードマンの速さに驚かされていたし、
彼の走りをみたいと思っていただけに、ボードマンのリタイアは残念だった。

他にもいくつか書きたいことはあるけれど、自転車についてのブログでもないので、もうひとつだけにしておく。
第7ステージのことだ。

このステージは、クラシックレースとされているリエージュ〜バストーニュ〜リエージュと同じコースで、
クラシックレースを軽視している、クラシックレースでは勝てない、という批判的な声を打ち消すためなのか、
単独でアタックをしかけて集団を引離してしまう。
このときインドュラインにひとりだけついてこれた選手がいた。
ヨハン・ブリュイネールで、彼はゴール直前までいちどもインドュラインの前を走ることなく、
インドュラインを風除けとして体力を温存するため、ずっと後についていた。

ブリュイネールの行為はルール違反ではない。
けれどロードレースにおいて、
小人数でアタックをしかけたときには交互に先頭交代をしながら、というのが暗黙の了解となっている。

空気抵抗がなければ自転車はずっと楽に走れる。
だから小人数でのアタックではひとりにだけ負担をかけないように先頭を交代しながら走っていく。
ブリュイネール以外にも、後につくだけの選手はいないわけではない。
でも先頭を走る選手が、前に出ろ、という手で合図するし、
そうなると渋々なのかもしれないが、そういう選手でも先頭に出る。

第7ステージのゴールはベルギー。ブリュイネールの母国である。
ゴールにはベルギー国王の姿もあった。
ブリュイネールは、だから、このステージでの優勝を狙っていたのだろう。

ブリュイネールはゴール直前、ここではじめてインドュラインの前に出てステージ優勝をする。
こうなることはブリュイネールが一度も先頭にたたなかったことから予想できたことだった。

このステージでのブリュイネールの走りを、どう判断するのか。
ゴールにはベルギー国王だけでなく、
ベルギーが生んだ史上最強のロードレーサーと呼ばれるエディ・メルクスもいた。

メルクスはブリュイネールの走りに激怒した、と伝えられた。
「ベルギーの恥だ」とブリュイネールのことを呼び、
インドュラインこそ「真の王者」だと褒め称えた。

ブリュイネールがステージ優勝を狙っていること、
そのためぎりぎりまで後についているだけの走りをすることをいちばんわかっていたのは、
つねに先頭をひとりで走っていたインドュラインであり、
彼はいちどもブリュイネールに対して前に出るように促したことはなかった。
ただ黙々と先頭を走り続けていた。
ブリュイネールがゴール直前で彼を追い抜くこともわかっていたはず。

もしかするとインドュラインの実力からするとブリュイネールを最後まで抑えることもできたのかもしれない。
けれど、インドュラインは第7ステージの優勝を逃したことを悔しがってもいなかったし、
ブリュイネールに対し批判的な発言もしなかった。

メルクスが「真の王者」だと呼ぶのもわかる。
フランスのスポーツ・ジャーナリストらはインドュラインのことを「太陽王」と呼んでいた。

Date: 8月 30th, 2012
Cate: 「オーディオ」考

サイボーグ009(「オーディオ」考)

いま書店に並んでいる雑誌penの9月1日号は、「サイボーグ009完全読本」となっている。

サイボーグ009は、石ノ森章太郎氏の代表作のひとつ。
今秋映画も公開される。

サイボーグ009という作品そのものについて語ろう、というつもりではない。
penの、この特集のなかに
「改造人間の紡ぐ言葉に、思わず心が震える。」とタイトルがつけられたページがある。
そのなかに「未来都市編」からの引用で、
004(アルベルト・ハインリヒ)と009(島村ジョー)の対話からなる5コマのシーンが掲載されている。

このふたりの会話だ。
004:
……機械(メカニズム)がしばしば人間をうらぎることは──
……機械(メカニズム)を身体(からだ)に埋めこまれている
──身体(からだ)の半分以上が機械(メカニズム)の……
オレたちが一番よく知っている!?
009:
だけど004(ハインツ)──
その──〝うらぎる〟といういいかたは矛盾してるんじゃないか?
……機械(メカニズム)を人間あつかいしていることになる……!
004:
──そう
その矛盾だ!
──いまいましいことに身体(からだ)の中の機械(メカニズム)たちが……
オレの思い以上に働いてくれている時……
……なんてすばらしいヤツラなんだと──
思わず〝人間的〟に感情移入して讃美したくなる!
009:
……うん!
004:
……だが、それでもやはり
──人間的にあつかうのは……
……まちがっているし──
危険なんだ!

004と009がいう機械とは、彼らの身体の中に埋めこまれたメカニズムのことである。
だが、この機械は、そのままオーディオに置き換えても成り立つ。
そう考えた時、オーディオマニアの身体にオーディオというメカニズムが埋めこまれているわけではない。
けれど、コンサートで生の音楽を聴くことよりも、
オーディオというメカニズムを通して音楽を聴くことに時間も情熱も費やしている、ということは、
オーディオは外在化した身体の機械(メカニズム)──、
そう受け止めることができることに気がつき、
飛躍しすぎといわれようが004のことばが、ぐっと重みをまして感じられる。

penの次号は9月1日に発売になるので、
9月1日号に興味をもたれた方は、購入はお早めに。

Date: 8月 30th, 2012
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(その12)

1970年代も終り近くになったころ、
日本のオーディオメーカーは、コンデンサーや抵抗、ケーブルといった部品(受動素子)による音の変化を認め、
積極的に「音の良い部品」を選び採用することから一歩進んで、
部品メーカーと共同であったり、または自社開発で、オーディオ専用部品を開発するようになっていた。

こまかくあげていけばいくつもあるけれど、
私と同年代、または上の世代の方ならば一度は耳にされている部品としては、
オーレックスが全面的に採用したΛコンデンサーがあり、
パイオニアが、独自の無帰還アンプのZ1シリーズに採用したガラスケース入りの電解コンデンサーがある。

Λコンデンサーは当時のオーディオ雑誌に試聴記事が載っていたくらいだから、
一般市販もされたのではないだろうか。
当時は私はまだ上京していなかったから見かけることはなかったけれど、
秋葉原では流通していたのだろうか……。
ガラスケース入りの電解コンデンサーは、市販されなかったはず。

オーレックスとパイオニアだけ例に挙げたが、
各社それぞれ積極的にオーディオ専用部品を開発していた、と思う。

そのころ高校生だった私は、素直にすごいことだと受け止めていた。
それらの部品がほんとうに優れた音質を実現してくれるのにどれだけ役立っているのかはなんともいえないけれど、
そこには他社との差別化という理由もあるだろうが、
各メーカーの意気込みも感じられるのだから、オーディオはある時代、ベンチャービジネス的だったようにも思う。

いまでもこれらの部品がさらなる改良を加えられていたら……、と思うこともある。
けれどこれらのオーディオ専用部品の大半は消えていってしまった。

もちろんなんらかのかたちで、それらの部品開発がもたらしたものが、
現行の部品に活かさされているのだろうとは思っても、一抹の淋しさは否定できない。

そう、これらのオーディオ専用部品は消えていった……。
ということは、これらのオーディオ専用部品を積極的に採用したアンプをいま修理しようとしたとき、
しかもそれらの部品が不良となった故障の場合、
どのメーカーも、これらオーディオ専用部品をストックはしていない、と思われる。

Date: 8月 29th, 2012
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(その11)

海外製のオーディオ機器となると、
輸入商社が変ることにって修理、メンテナンスに関しての状況も大きく変ることもある。
良くなることもあればそうでないこともあるし、ほとんど変らないこともある。

それに輸入商社がなくなることもある。
その会社がなくなってしまったら、そのブランドの取扱いをやめることがある。
ある一定期間は取扱いをやめたあとでも修理に応じてくれるところがほとんどであるが、
それもそう長期間続けてくれるものではない。

修理、メンテナンスに関しては、国産メーカーならばここならば大丈夫、とか、
あそこはあまり良くない、とか、
海外ブランドに関しても、どこがいい、とか、一概にはいえない。

私自身は、といえば、以前はまったく修理、メンテナンスのことなど考慮せずにオーディオ機器を選んでいた。
とにかく音が良いこと、デザインが優れていること、
手もとにおいて愛着がわいてくるモノであることだけで、オーディオ機器を選んでいた。

多少動作が不安定とウワサされるモノであっても、
ほんとうにその音(性能)が、そのときの自分に必要と感じるのであれば、選んでいた。

いまはどうか、というと、そうは変っていない。
故障したら、なんとかなるだろう、なんとかならなかったら、自分でなんとかするしかない、ぐらいの気持でいる。

でも、ときどき、「これって、どう思います?」と訊かれることがある。
この場合の「これ」は、ある特定のブランドであったり、型番であったりする。

このとき、どう答えるかが、私の場合、昔と今とではすこしだけ違ってきているところがあり、
それは修理、メンテナンスに関することである。