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Date: 11月 9th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その2)

試聴は、試聴と呼ばれる取材である。
つまり試聴室は、取材の現場といえる。

そこにいるのは試聴者と試聴のための準備をする者である。
一般的に、試聴者はオーディオ評論家と呼ばれている人たちである。
まれに読者参加ということで、オーディオ評論家以外の人が加わることもあるが、
この人たちはあくまでもアマチュア代表ということだから、
ここでのオーディオ・ジャーナリズムからは除外しておく。

オーディオ評論家は、試聴室で鳴っている音を聴き、メモを取る。
辞書には、記事・制作などの材料となることを,人の話や物事の中から集めること、とあるから、
試聴はまさに取材でもある。

このとき編集者は何をしているのか。
まず試聴のための準備をする。
必要となる器材を集め、アンプやCDプレーヤーといった電子機器であれば、
あらかじめ電源をいれておきウォームアップをさせておく。

試聴が始まれば、試聴対象となるオーディオ機器を試聴室にいれて設置・接続。
それまで聴いていたオーディオ機器を試聴室の外に運び出す。
これを何度もくり返し行う。

場合によっては試聴ディスクのかけかえ、レベルコントロール操作といったオペレーションを行う。
試聴という取材が滞りなく運ぶためである。

ここでの編集者の働きは、どうみても取材とはいえない。
試聴室という現場に編集者もいるわけだが、取材をしているとはいい難い。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: JBL

JBLのユニットのこと(ウーファーについて・その4)

2231Aで採用されたアルミ製のリングを、
マスコントロールリング(Mass Control Ring)を呼ぶのは実に的確といえる。

仮に2230と2231AのMmsがほとんど同じだとしよう。
LE14AのMmsと口径の違いからすると、150gぐらいなのではないだろうか。

LE15A、そのプロ版にあたる2215のMmsはともに97g。
コーン紙そのものはほとんど同じものだとすれば、
2230におけるアクアプラスによる質量増加は約50gで、この50g分がコーン紙全面ほぼ均一に分布している。
2231Aではマスコントロールリングが50g分になり、
こちらはコーン紙とボイスコイルボビンとの接着面のところにある。

2230と2231Aでは質量の分布の仕方が大きく異る。分散と集中である。
このことは仮にMmsが同じだとしても実際の動作では大きく違ってきても不思議ではない。

”JBL 60th Anniversary”には、マスコントロールリングにより、
低域の下限周波数の拡張だけでなく、堅くて軽いコーン紙を使うことで中低域のレスポンスも向上する、とある。

そうだと考えられる。
それにコーン紙とボイスコイルボビンとの接着面にマスコントロールリングがあることで、
この部分の強度はなしにくらべて増しているはず。
とすればボイスコイル(およびボビン)のピストニックモーションがより精確に振動板に伝わる、ともいえる。

Mmsが150gというのは確かに重いと受けとめがちな値だが、
どこに重いと感じさせる部分があるのか(分散か集中か)によって、
重たい振動板イコール中域までレスポンスが伸びない、とは一概にはいえない。

ただマスコントロールリングはアルミ製であるため導電性がある。
このため実際の動作では電磁制動がこの部分で発生する。

もしJBLがマスコントロールリングを他の素材(導電性のないもの)にしていたら、
とどうしても考えてしまう。

Date: 11月 8th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その1)

オーディオにおけるジャーナリズム」という項を立てて、書いてきている。
書きながら、オーディオ雑誌の編集者に対して、ジャーナリズムを求めるのはおかしいのかもしれない。
そうも思うようになっている。

ジャーナリズム(journalism)は
新聞・雑誌・テレビ・ラジオなど時事的な問題の報道・解説を行う組織や人の総体。
また,それを通じて行われる活動。
と辞書には書いてある。

ジャーナリスト(journalist)は、記者のことである。
編集者はeditorだ。

記者は自ら現場に赴き取材をし言語化する。
例えばオーディオショウに取材に行き、編集部が原稿を書き記事とすれば、
この場合の編集者は記者でもあったことになる。

だがオーディオショウに行ったけれど、写真を撮ってきただけ。
もしくは専属のカメラマンに写真撮影の指示をしてきただけ。
記事を書くのはオーディオ評論家であれば、この時の編集者は記者といえるのだろうか。

写真に関してはそうとはいえるし、
記事では写真のネームは編集者が書くであろうから、記者ではない、とは言い切れないが、
それでも記者とはとても呼べない。

ではオーディオ雑誌のメインといえる試聴ではどうか。

Date: 11月 8th, 2014
Cate: JBL

JBLのユニットのこと(ウーファーについて・その2)

2230はコーン紙の色からわかるようにアクアプラスが塗布されている。
アクアプラスは石灰を主成分としているときいたことがある。
はっきりとしたことはわからない。
しかも塗り方にノウハウがずいぶんあるようで、JBLのコーン紙の製造が日本でなされていたときも、
アクアプラスの塗布はアメリカで行っていた。

私は2230を搭載した4350は聴いたことはあるけれど、いい音で鳴っていたわけではなかった。
だからなんともいえないのだが、4350がいい音で鳴っているのを聴いたことのある知人によれば、
4350A(2231A搭載)よりも4350の方が、低音の質感は良かった、らしい。

そうかもしれない。
4310、4311も白いコーン紙のウーファーだし、
4345も表からみれば黒いコーン紙だが、
18インチ・ウーファーの2245Hはコーン紙の裏側にアクアプラスが塗布されている。

にも関わらず2230から2231Aになっていったのか。
ステレオサウンド別冊”JBL 60th Anniversary”によれば、
250Hzという低めのクロスオーバー周波数は効果的であるアクアプラスも、
4331、4333のようにミッドバスを持たないシステムの場合、クロスオーバー周波数は高くなる。
4331、4333は800Hzとなっている。

そうなるとアクアプラス塗布のウーファーは振動板が重くなりすぎて、
さらにアクアプラスは一種のダンプ剤でもあるため、中低域より上の帯域でレスポンスが波打つ、
感度の低下が明らかになるから、とある。

2230のmmsがどのくらいなのかはわからない。
ただアクアプラス塗布の14インチ・ウーファーのLE14Aは140gであるから、
2230は140gよりも重たいことだけははっきりしている。

Date: 11月 7th, 2014
Cate: JBL

JBLのユニットのこと(ウーファーについて・その1)

“THIELE SMALL LOW FREQUENCY DRIVER PARAMETERS AND DEFINITIONS”というPDFがある。
JBLのウーファー、フルレンジユニットのティール・スモール・パラメータの一覧表である。

14のパラメータが載っている。
その中に”Mms”がある。Effective moving massのことで、単位はgrams。
振動板の実効質量である。

いくつかのウーファー、フルレンジのMmsを書き出してみる。
LE8Tは16g、D130は60g、130Aは70g、2202Aは50g、
2220Aは70g、2231Aは151g、2235Hは155g、LE15Aは97g。
LE8Tは8インチのフルレンジユニット、2202Aは12インチのウーファー、
あとは15インチ・ウーファーもしくはフルレンジである。
2231Aは4343、4350A、4331、4333などに搭載されている。
2235Hは4344のウーファーである。

2231Aと2235Hは重い。
同じ15インチであっても2220Aは半分以下。

ちなみに18インチのウーファーは2240Hが164g、2245Hが185gで、
2245Hは4345のウーファーでもある。

なぜ2231A、2235Hは重いのかというと、マスコントロールリングを搭載しているからだ。
コーン紙とボイスコイルボビンとの接着面のところにアルミ製のリングを装着している。
エド・メイの考案である。
これにより実効質量が増し、f0は低くなる。低域の下限周波数を拡張できる。

エド・メイは4350の搭載されていた白いウーファー、2230も開発している。
4350に2231Aが搭載されたのが4350Aとなる。

“THIELE SMALL LOW FREQUENCY DRIVER PARAMETERS AND DEFINITIONS”に2230は載っていない。

Date: 11月 7th, 2014
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(なのだろうか)

本だけでなく、DVDやゲームソフトも取り扱っている書店には、
液晶テレビが置いてあり、話題のDVDのデモが映し出されている。
今年は、ここに「アナと雪の女王」がよく映し出されていた。

ほとんどの場合、液晶テレビの前に小さな子供がいた。
じぃーっと「アナと雪の女王」を見ている。
くいいるように見ている。
お母さんもいっしょに見ていることが多い。

もうひとつ「妖怪ウォッチ」のようかい体操第一もよく映し出されていた。
こちらも子供たちがくいいるように見ているところに何度も遭遇している。

そんな子供たちの姿をみていると、
私もこのくらいのころは、こんなふうにテレビをみつめていたのか、と思う。

子供には子供向けのテレビ番組がある。
ずっと昔からある。
世代が違えば見てきた子供向けのテレビ番組は違っている。

人によっては割と早い時期から子供向けの番組は見なくなるだろうし、
ほとんどの人がもう見ていない、となる。

それでも結婚し子供が生まれ、子供がテレビ番組に興味を持ちはじめるころになれば、
子供と一緒に子供向けのテレビ番組を見ることになる。

世代が同じでも、子供といっしょに子供向けのテレビ番組をみるころには、
人によって、その時期は違ってくる。
早く子供が生まれた人、遅くに生れた人とでは10年くらいの開きがあっても不思議ではない。

子供もひとりだけの人もいればふたり、三人という人もいるから、
そうなると、子供向けの番組を二番目の子供、三番目の子供といっしょに見ることになる。

結婚していなかったり子供がいなかったりしたら、
大人になってから子供向けの番組を見ることはないのが、普通ということになるのか。

「子供向けだからなぁ……」という人がいる。
ここでの「子供向けだからなぁ……」には、
「子供だましだからなぁ……」というニュアンスがふくまれていたりする。

だがほんとうに子供だましなのか。
少なくとも「アナと雪の女王」、「妖怪ウォッチ」のようかい体操第一を見ている子供たちの表情をみれば、
子供だましではないことが伝わってくる。

Date: 11月 6th, 2014
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと(抽き出すについて)

瀬川先生は、抽き出す、と書かれることが多かった。
いつごろからそうなのかわからないが、おそらくつステレオサウンド 16号以降ではないか、とみている。

ステレオサウンド 16号のオーディオ巡礼で五味先生が瀬川先生のリスニングルームに行かれた。
こう書かれてあった。
     *
瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではなかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六疂で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。(中略)むかしの貧困時代に、どんなに沁みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。(中略)
ボベスコのヴァイオリンでヘンデルのソナタを私は聴いた。モーツァルトの三番と五番のヴァイオリン協奏曲を聴いた。そしておよそジムラン的でない鳴らせ方を瀬川氏がするのに驚いた。ジムラン的でないとは、奇妙な言い方だが、要するにモノーラル時代の音色を、更にさかのぼってSPで聴きなじんだ音(というより音楽)を、最新のスピーカーとアンプで彼は抽き出そうと努めている。抱きしめてあげたいほどその努力は見ていて切ない。
     *
ここに「抽き出そう」とある。
だからなのではないか。
そうだと私はおもっている。

Date: 11月 5th, 2014
Cate: ステレオサウンド, デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その2)

付加価値ということを頻繁に使われるようになったのはいつごろなのか。
私の周りでは1982年あたりからだった。

ステレオサウンドで働くようになってしばらくして、付加価値ということをよく聞くようになった。
性能的に大差なくなった。他社製品との差別化のために付加価値が必要だ。
そんなふうな使われ方をしていた。

編集部の先輩と付加価値とはなんだろう、と話した記憶もある。
とにかく付加価値が必要、そんな感じの空気がこのころからあったように感じている。

付加価値。
生産過程で新たに付け加えられる価値。総生産額から原材料費と機械設備などの減価償却分を差し引いたもので,人件費・利子・利潤に分配される。一国全体の付加価値の合計は生産国民所得となる。
と辞書には書いてある。

だが「差別化のために必要な付加価値」は、辞書通りの意味ではない。
そしてこの付加価値として、デザインがいつしか語られるようになった。

デザインは付加価値だ。
そういう人が少なからずいる。
昔からいる。いまも相変らずいっている人がいる。

しかもそういう人が、オーディオのデザインについての持論を語る。
こんなことがいつまで続いていくのか。
私よりひとまわり以上年上の人たちに、そういう人が少なからずいる。

(失礼ながら)こういう人たちが去ってくれるまで、デザインは付加価値だ、ということが言われつづけていく。

Date: 11月 4th, 2014
Cate: ステレオサウンド, デザイン

「オーディオのデザイン論」を語るために(その1)

ステレオサウンドはあと二年で200号になる。
季刊誌で年四冊出ているから、50年。

このことは素直にたいしたものだと思う。
でも、いま48年、あと二年あるとはいえ、
200号までにステレオサウンドでオーディオのデザイン論が語られるとは思えない。

このオーディオのデザイン論こそが、ステレオサウンドがやってこなかったこと、やり残してきたことだ。
一時期、素人によるデザイン感的な文章が連載となっていた。
デザイン論とはとうてい呼べないものだった。
ほんとうにひどい、と思っていた。

その連載が終了して、デザインについてある人と話していた時に、この記事のことが話題になった。
「ひどい記事だったね」とふたりして口にしていた。

あれを当時の編集部はデザイン論と勘違いしていたのか。
私がいたときも、オーディオのデザイン論についての記事はつくっていない。
だからエラそうなことはいえないといえはそうなるけれど、いまは違うとだけはいえる。

瀬川先生もいなくなられてから、まともにオーディオのデザイン論は語られていない。
川崎先生の連載もわずか五回で終了してしまっている。

このことは以前も書いている。
それでも、またここで書いておきたい。
そのくらいに「オーディオのデザイン論」は大事なことであり、
これを蔑ろしていては、おかしなことになっていく。

すでにおかしなことになっているオーディオ機器もいくつか世に出ている。

200号は50歳である。
50歳は、もういい大人であるはずだ。
オーディオのデザイン論が語れる大人になっていなければならない。
ステレオサウンドはなれるのか(なってほしいのだが……)。

Date: 11月 4th, 2014
Cate: デザイン

恥ずかしいデザイン

オンキョーがほんとうはオンキヨーなのは知っている。
けれどずっと以前のオーディオ雑誌はオンキョーと表記していたし、
オンキヨーの広告でもオンキョーだったのだがら、オンキョーと書く。

オンキョーのオーディオ機器は自家用としたモノはひとつもないし、
オンキョーのオーディオ機器のデザインは決して優れているとは言い難かったが、
それでもプリメインアンプのIntegra A722NIIは、どこか野暮ったさが残っていて、洗練されているとはいえない。
でもそれも愛矯としてみえてくる。おそらくもう少しでいいデザインとなるのかもしれない。

Integra A722NIIは派手な存在のアンプではない。艶やかでもない。地味なアンプである。
それでも印象に残っている、そういうアンプである。
こういうオーディオ機器をオンキョーは、ときどき世に送り出していた。

それまで知らなかったのだが、1982年にCDプレーヤーが登場した時に、
オンキョーが東芝グループに入っていたことを知った。

オンキョーは、国産オーディオメーカーの中でも大手とは当時はいえなかった中堅どころだった。
それがいまでは規模がかなり大きくなっている。
パイオニアの買収でニュースになったときも、あのオンキョーがここまで大きくなったのか、と思っていた。

オンキョーは生きのびている。
そのオンキョーのグループ会社であるオンキヨーマーケティングジャパンが、
Deff Soundのヘッドフォンアンプを取り扱う。
DDA-LA20RCである。

オンキヨーマーケティングジャパンはモノを売るのが業務なのだろう。
だから売れるものであればなんでも売るのだろうか。

DDA-LA20RCはひと目見て、B&OのMP3プレーヤーBeoSound 2のパクリである。
しかもパクリという劣化コピーでしかない。

BeoSound 2はもう10数年前の製品であり、いまは製造中止になっている。
知らない人もいるかもしれない。
だからといって、ここまでパクったモノを、
Integra A722NII、それにGranScepter GS1を作っていた会社(子会社)が売るのか、と寂しい気持になる。

DDA-LA20RCは恥ずかしいデザインである。
恥ずかしいデザインは、もうデザインとは呼べない。
そんなモノを売るのも恥ずかしい行為ではないのか。

Integra A722NII、GranScepter GS1を作っていた会社は、私にとってはオンキョーである。
DDA-LA20RCを売るのはオンキヨーである。
オンキョーとオンキヨーは、もう違う会社なのだ、と自分で自分を納得させるしかない。

戻っていく感覚(ネオ・ファウスト)

手塚治虫の未完の作品のひとつが「ネオ・ファウスト」。
タイトルからわかるようにゲーテの「ファウスト」を題材としていて、
手塚治虫は三度「ファウスト」を作品化している。

第一作は1949年(1950年かもしれない)に「ファウスト」というタイトルで不二書房から出ている。
第二作は1971年に「百物語」のタイトルで、少年ジャンプでの連載が開始。
第三作の「ネオ・ファウスト」は1988年1月から朝日ジャーナルでの連載が始まっている。
ゲーテの「ファウスト」は第一部が1808年、第二部がゲーテの死後の1883年に発表されている。

「ファウスト」の第一部から「ネオ・ファウスト」の連載開始までの180年。
科学技術はおそろしく進歩していった。
手塚治虫の「ファウスト」から「ネオ・ファウスト」までの39年でも、大きく進歩している。

だからこそ手塚治虫は「ネオ・ファウスト」を描いたような気がしてならない。

ゲーテの「ファウスト」の時代、ホムンクルスは錬金術による人造人間だったのが、
「ネオ・ファウスト」ではバイオテクノロジーが生み出す人造人間となっている。

ゲーテの「ファウスト」ではホムンクルスの登場は少ない。第二部に登場してエーゲ海であっけなく消える。
「ネオ・ファウスト」の第二部にホムンクルスは登場する予定だった。
だが手塚治虫の死で第二部は二話で未完となってしまう。
ホムンクルスはまだ登場せずに、だ。

手塚治虫の死後に出た関連書籍を読むと、ホムンクルスは最後まで登場する構想だったことがわかる。
重要な存在としてのホムンクルスであるところが、ゲーテの「ファウスト」と違ってくるところであり、
これこそが180年のあいだに進歩した科学技術があるからだ、と思う。

「ネオ・ファウスト」がどう話が展開して、どういう終りになるのかまったく想像はつかない。
けれど、倫理について語られるものがあった、と思う。

「ネオ・ファウスト」のホムンクルスは地球を破壊していく。
バイオテクノロジーに対する不安、拒絶反応が「ネオ・ファウスト」の大きなテーマ、ということだ。

21世紀を目前にしていた時代に、手塚治虫がどう倫理を描いていくのかを読みたかった。

Date: 11月 3rd, 2014
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その14)

JBLの4343が一本560000円だった時期とPM510の登場には半年ほどの間があるというものの、
ほぼ同価格帯のスピーカーシステムとして見られていたことだろう。
そうなると、4343は15インチ・ウーファー、10インチ・ミッドバス、ホーン型のミッドハイとトゥイーター、
しかもマグネットはすべてアルニコ。
PM510は12インチ・ウーファーとソフトドーム型トゥイーター。マグネットはフェライト。
こんなふうに書いてしまうと、4343とPM510はスピーカーとしてのポテンシャルに大きな違いあるように感じる。

実際に大きな違いがあった。
ステレオサウンド 56号の組合せの特集で、瀬川先生がこう書かれている。
     *
 だが、ここにもっと欲ばった要求をしてみる。クラシックも好き、ジャズやロックも気が向けばよく聴く。ニューミュージックも、ときに艶歌も聴く。たまにはストリングス・ムードなどのイージー・リスニングも……。そういう聴き方だから、レコードの録音も新旧、内外、多岐に亘り、しかも再生するときの音量も、深夜はひっそりと、またあるときは目の前でピアノやドラムスが直接鳴るのを聴くような音量まで要求する──としたら?
 これは決して架空の設定ではない。私自身がそうだし、音楽を妙に差別しないで本当に好きで楽しむ人なら、そう特殊な要求とはいえない。だとしたら、どういうスピーカーがあるのか。
 再生能力の可能性の、こんにち考えられる範囲でできるだけ広いスピーカーを選ぶしかない。となると、これが最上ではないが、といってこれ以外に具体的に何があるかと考えてみると、結局、これしかないという意味で、やはりJBL♯4343あたりに落ちつくのではないだろうか。
     *
音とは正直な面があり、広範囲の要求をすれば、
PM510よりも4343に可能性がある、といえる。

PM510よりもすべての点で4343が優っているわけではなくとも、
瀬川先生も書かれているように「再生能力の可能性」ということでは、はっきりとした違いがある。

このことを承知のうえで、私はPM510を買った。
4343も欲しかったスピーカーである。

瀬川先生はKEFのLS5/1AとJBLの4341(のちに4343にされている)を鳴らされていた。
これを目標としていた。
どちらを先に手に入れるか。
迷うことなくPM510だった。

なぜか。
4343よりもPM510のほうが、私ひとりのために鳴ってくれる実感を強く感じたからだ。

Date: 11月 3rd, 2014
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その13)

ハイエンドオーディオショウでLS3/5Aでの鳴らし方、
個人宅でのいくつかのLS3/5Aの鳴らし方、
これらを聴くたびに、私がBBCモニターに感じている良さは違うだけでなく、
個人的なところにつよく関係している良さであることを確認していたように思う。

BBCモニターは万能なスピーカーシステムでは決してない。
欠点も少なくない。
なのに、私の場合、これまで挙げてきたBBCモニターで聴くと、ほとんどストレスを感じない。

ジャズを眼前に鳴っているようには絶対に鳴らないスピーカーである。
PM510はジャズ好きの人が「低音がぶよぶよじゃないか」といっているくらいだから、
強烈な音のエネルギーを浴びるような聴き方にはまったく向いていない。

それではジャズがまったく聴けないのか、というと、そうでもない。
確かに眼前で鳴っている感じはしないし、強い衝撃的な音でもPM510はそのまま出してくることはない。

その意味で不満を感じる人がいるけれど、
そういった音を直接的に表現しないだけで、
聴き手には、いま鳴っている音はその種の音だということは伝えてくれる。
だから、私はPM510でもジャズを聴いていける。

このことにストレスを感じてしまう人もいれば、
私のようにストレスを感じることなく聴ける人もいる。
多くを要求しようとするとBBCモニターのスピーカーには不満が少しずつ生じてくることだろう。

それでも人は多くを求めたくなる。
私だってそうである。
PM510は一本440000円した。

このときJBLの4343はフェライト仕様のBタイプになり、価格も変った。
サテングレー仕上げが720000円、ウォールナット仕上げが730000円(その後600000円、630000円になる)、
アルニコ仕様の4343は、その半年前までは560000円と580000円だった。

Date: 11月 2nd, 2014
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その12)

LS3/5Aはもともと大きな音で鳴らせるスピーカーではなかった。
ウーファーは10cm口径。
昔のステレオサウンド別冊HI-FI STEREO GUIDEを見れば、
このユニット(B110)はウーファーのところではなくスコーカーのところに掲載されている。

しかも以前はアナログディスクで鳴らされることがもっぱらだった。
低域共振の問題をうまく処理しておかなければLS3/5Aのようなスピーカーを鳴らすのは難しい。
ウーファーが余計な信号で揺すられてしまえば、そのだけパワーは入れられなくなる。

CDにはそういった問題はなかった。
低域共振の問題から解放されたLS3/5Aは、意外にもパワーが入れられる。
そうなるとLS3/5Aのセッティングも、以前とは違ったものになってきた。

LS3/5Aを持っている人は割と多い。
そういうところで何度か聴いている。
私がそうやって聴いたLS3/5Aの持主はメインスピーカーは別にもっていて、
あくまでもLS3/5Aはサブ的な使い方(鳴らし方)だった。

ただ皆2mから3mくらい離れたところに置いて鳴らしていた。
そうやって鳴らされるLS3/5Aの音を聴くたびに、
この人もLS3/5Aはいいスピーカーだ、といっているけれど、
私が感じている良さとこの人が感じている良さは、かなり違うようだ、と思っていた。

CDのおかげでパワーの心配をする必要はなくなったけれど、
それでもLS3/5Aはぐっと近づいて聴いてこそ魅力的な世界を展開してくれる。
私が理想とするLS3/5Aのセッティングは一辺が1mの正三角形の頂点にスピーカーと聴き手の頭がくる配置である。

ここまで近づいた時にLS3/5Aの音はある種の密度の高さがあり、
このスピーカーがなぜこれほど高い評価を得てきたのかが瞬時に理解できるはずだ。

Date: 11月 2nd, 2014
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その11)

BBCのライセンスが与えられていることをあらわすLSナンバーのつくスピーカーシステム。
現在入手できるのは、ロジャース・ブランドのLS3/5A。
これには通常のヴァージョンの他に、65th Anniversary Editionもある。
それからLS5/9。こちらも型番の末尾に”65th Anniversary Edition”がつく。

ロジャースといっても、以前の体制とは違っていて、いまでは中国で製造されている、ときく。
とはいえ写真で見ても、販売店に並んでいるモノを見ても、少なくとも見た目の雰囲気は、
昔のロジャースのLS3/5Aそのものに感じられる。

同様に中国で生産されていると言われているのが、チャートウェル・ブランドのLS3/5Aだ。

これらとは異りイギリスで製造されているのが、
スターリング・プロードキャストのLS3/5a V2とLS3/6。
それにグラハムオーディオのLS5/9である。

これらの中で、スターリング・プロードキャストのLS3/5a V2の音は、
ハイエンドオーディオショウでたまたま入ったブースで鳴っていた。

LS3/5a V2の真横にもスピーカーシステムが置いてあったし、後にも複数のスピーカーシステムが並べてあったが、
鳴っていた音を聴いて、LS3/5a V2が鳴っていることはすぐにわかった。

これはきちんと聴いておきたいと思い、いちばん前の席がひとつ空いているのを見つけ坐った。
でもすぐにスピーカーが他の機種に切り替えられてしまった。

じっくりとは聴けなかった。一曲のみである。
しかも聴いたことのディスクではあった。

ただ音量が少しばかりLS3/5aには大きすぎていた。
女性ヴォーカルのCDだったが、そこでの張った声がヒステリックになりかけていた。
あきらかにLS3/5aというスピーカーに要求する音量をこえたところで鳴らしているからである。