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Date: 12月 25th, 2016
Cate: 楽しみ方

ある試みと思い出したこと

愛知県にオタイオーディオという販売店があることだけは知っていた。
今日まではただそれだけだった。

facebookに、オタイオーディオのブログ(12月21日分)へのリンクがあった。
この日のタイトルは「オーディオショップOTAIAUDIOがてWBS(ワールドビジネスサテライト)で紹介されます。」。

詳しいことはリンク先のブログを読んでいただくとして、
ホームパーティへ、オーディオ機器一式を持ち込んで試聴会を行っている、ということである。

ここに書かれていることは、ある程度は実感としてわかる。
オーディオマニアではない人の集まりに、きちんとしたシステムを持ち込んで試聴。
その意味はあるのか、と疑問に思う人はいるだろうが、
実際に音を鳴らしてみると、かける音楽にもよるけれど、
きちんとした音が鳴っていれば、ホームパーティに集まった人は耳を傾けるものである。

おもしろい試みであるし、オタイオーディオに対しての印象は大きく変化した。
今日までは、多くのオーディオ店と同じように捉えていたからだ。

こんな試みをやったところで、直接的な販売には結びつかない、
すぐに利益にならない、手間がかかる、という点があることはわかる。
だから、やっても無駄、というオーディオ店もあろう。

それで商売になっていれば、それでもいいだろう。

パーティでの音(オーディオ)について、あることを思い出している。
いまはやっているかどうかわからないが、
B&Oは以前、顧客に定期的に本を配付していた。

B&Oブック(ホワイトブックだったかも)といえる内容の本で、白い表紙なのだそうだ。
Beolab 5を鳴らしている友人がいる。
彼から、この本のことを聞いた。

彼が、印象に残った記事を話してくれた。
ヨーロッパでのパーティのことだ。

そこでのパーティは、ホームパーティといったものではなく、
映画やドラマに登場するようなパーティ、城で開かれるようなパーティで、
Beolb 5でBGMが流された、とのこと。

それまでのパーティでも音楽は、そこそこのシステムでBGMとして鳴らされていた。
でも、それまでは誰一人として、オーディオに関心をもつことはなかった。
それがBeolab 5にしたところ、少なからぬ人が、BGMの音に関心をもち、
パーティの主に、スピーカーについて訊いてきた人が何人もいたそうだ。

それまでのシステムがどの程度だったのかははっきりとしない。
でも、Beolab 5になり、音楽の鳴り方、印象がそれまでとずいぶんと違っていたからこそ、
以前のパーティでは聞き流してしまっていた音楽が、耳に入り、意識が捉え、
心になにがしか響いたからこその「訊ね」のはずだ。

Date: 12月 25th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その9)

ラックスの歴史は長い。
錦水堂ラジオ部として、ラックスは大正14年に発足している。

錦水堂ラジオ部とあるくらいだから、本家の錦水堂があり、
こちらは額縁屋である。

ラックスのアンプと木製ケースについて、何かを語ろうとするときに、
このことは忘れてはいけないように思っている。

少なくとも1970年代までのラックスのアンプは、
錦水堂が額縁屋だったことを感じさせてくれる。

それがいまはどうだろか。
まったく感じられなくなっている。

アンプだけではない。
アナログプレーヤーのPD121もそうだ。
額縁という観点から、もう一度PD121を見直していただきたい。

PD121のキャビネットを囲っているローズウッド。
実はプリント材である。
     *
 例えばラックスの美しいプレイヤーユニットPD121、131の側面には、とても質の良い──北欧製の高
級家具ぐらいでしかお目にかかりにくいような──美事なローズウッドが張ってある……と思いきや、これが実はプリント材なのだ。ラックスの話によると、あの狭い面積であれだけ美しく見えるローズウッドは、もはや天然材の中からは探し出すの容易でない。一品もののような家具なら別だが、量産用としてほ、もう日本に輸入されるローズウッドからは、不可能に近い。そこで、できるだけ質の良いプリント板を探してみた結果、ああなったのだ、という。
 木目の美しさを見せるなら、絶対に天然材を使うべきで、プリント板などというゴマ化しは絶対に認めたくない、という主義の菅野沖彦氏でさえ、これがプリントだとは見破れなかった。
 ある日この話を彼にしたところ、うーん! とうなって、数十秒間絶句していたが、やがて口を開いてのひと言が、またいかにも菅野氏らしかった。
「うーん……信じていた女の過去を突然聞かされたみたいなショックだよ!」
     *
瀬川先生が、以前FM fan連載の「オーディオあとらんだむ」で書かれていた。
知った上で見ても、プリントとは見破り難い。
これは、やはり錦水堂本家が額縁屋だったからなのだろう。

Date: 12月 25th, 2016
Cate: きく

似ていると思う感覚の相違(その1)

誰かを見て、あの人に似ている、と思う感覚がある。

海外ドラマ好きの私は、
このドラマの、この人、あの人に似ている(そっくり)と感じることがまあある。

ここでの、この人とは、ドラマの中で演じられている役柄であり、
あの人とは、私の身近にいる人のことである。

つまり役者と身近にいる人が似ている、と感じるのではなく、
役柄と身近にいる人が似ていると感じることがある、ということだ。

でも、このことを周りの人に話しても同意を得られることは、ほとんどない。
先日の忘年会でも、そんな話をしたけれど同意はゼロだった。

いまはiPhoneがあり、私が似ていると思ったこの人(役柄)をすぐに見てもらうことができる。
確認作業はすぐにできる。

それでもほとんどの場合、同意は得られないから、考える。
私が似ていると感じた要素と、他の人が似ていると感じる要素は同じこともあるだろうが、
違っていることもある(こちらの方が多いようだ)。

私がここで「似ているでしょ」と周りの人に同意を求めているのは、
この人とあの人の印象についてであって、
単に顔形が似ている、といったことではない。

人の印象でも、似ているということに関しては、大きく違う。
まして、それが音の印象となるとどうだろうか。

何(誰)を似ていると思っているのか、という感覚は、
そして、その感覚の相違は曖昧のままに、音について語られている。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その9)

昨晩は忘年会だった。
明るいうちからひとつ目の忘年会があり、夜は次の忘年会に移動していた。

20数年ぶりだろうか、始発電車で帰ってきた。
この時期、ブログを書くペースを増しているのは、
大晦日までに7000本目(年に千本)を書くためである。

なので早めに帰宅してブログを書きたい、という気持は強い。
それでもひょこひょこ出掛けていた。
昨晩のブログは、忘年会の最中にiPhoneで書いていた。

昨晩の忘年会は、どちらも、どこかの飲食店に出掛けて、というものではなかった。
最初の忘年会は、
毎月第一水曜日にお世話になっている四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記での、
常連の人たちを集めてものだった。

次に行った忘年会は、とある事務所でのものだった。
そこにはホワイトボードがあり、
途中からホワイトボードにそれぞれがテーマについて書きながらの忘年会になっていた。

いまや連絡ツールはいくつもある。
しかも手軽になっている。
話すこともできれば、文書で、絵文字、写真などで伝えることも手軽にできる。

それでも移動して会って話す。
面倒だな、と思う気持がまったくないわけではない。
上に書いているように、この時期はブログを書く時間を優先したい気持もある。
それに出不精なところもある私であっても、
やっぱり会って話すことは、楽しいと感じる。
会って話してわかることもある。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: audio wednesday

audio wednesday(今後の予定)

2017年のaudio wednesdayも、できるかぎり音を出していきたい。
昨日いわれたのは、ぜひアナログディスク再生をやってほしい、ということだった。

アナログディスク再生、アナログプレーヤーの調整については、やりたいと考えている。
けれど器材あっての音出しであり、最低でもある条件を整えての音出しにしたい──、
とCD以上に考えるのは、アナログディスクには思い入れがあるからだろう。

100%満足できる環境での音出し以外はやらない、なんてことは考えていない。
あくまでも最低限の環境が整えることでできれば、やる予定である。
でも、それが意外とたいへんである。

でも、とにかく、まずアナログディスクで音を出しましょうよ。
と昨晩いわれた。

いいわけがましいことをいいながらの音出しはやりたくないが、
そういう声がつよくあったのだから、
早いうちに一度、アナログディスク再生をやるつもりでいる。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その8)

先日のKK適塾の二回目、澄川伸一氏の話に比率の美しさがあった。
私がここ数年のラックスのアンプに感じているのは、その逆、
比率の醜さである。

ラックスのいうところの伝統のデザインを継承している機種に、
特にいえることであり、それは最新機種のLX380だけでなく、
それ以前に出ている、昔ながらのラックス・デザインのアンプにもいえる。

ひとつひとつ機種名は挙げない。
昔からのラックスのアンプを知っている人ならば、
どれらのアンプのことを言っているのかはすぐにわかってもらえよう。

だから、ここでは代表してLX380について書いていく。
LX380は管球式プリメインアンプである。

LX380を構成する部品で背の高いものといえば、出力管とトランスになる。
出力管に何を採用するかで、アンプの高さはある程度決ってくる。

出力管を水平配置にしないかぎり、管球式プリメインアンプは厚みのあるものになってしまう。
けれどLX380を見て感じるのは、プロポーションの圧倒的な悪さである。
比率の醜さといってもいい。

なぜ、ここまでずんぐりむっくりにしたのだろうか。
あえて、こういう比率にしているのか。

ラックスのウェブサイトでLX380のページには、
「伝統的なノブのレイアウトと木箱ケース」とある。

揚げ足取りみたいになるが、伝統的なデザイン、とは書いてない。
あくまでも伝統的なノブのレイアウトである。

LX380のプロポーションの悪さは、ラックスも認識しているのか、と思いたくなる。
認識しているからこそ、伝統的デザインではなく、伝統的なノブのレイアウトにしているのか。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: 世代
1 msg

世代とオーディオ(スピーカーとヘッドフォン・その1)

ヘッドフォン、イヤフォン市場は活況のように見える。
ヘッドフォン祭に行くけば、若い人たちが多い。
家電量販店でもヘッドフォン、イヤフォンのコーナーは広かったりする。

このことについてよくいわれるのが、
ヘッドフォン、イヤフォンで音楽を聴いている人たちの一部でもいいから、
スピーカーで音を聴くことに目覚めてくれれば……、といったようなこと。

若い人たちは、スピーカーではなくヘッドフォン、イヤフォンで聴く、とはいわれている。
スピーカーは置き場所を必要とするし、住宅状況からいってもスピーカーを買う人は少なくなっている。
──そんなふうにいわれているけれど、そうなのだろうか。

私が若かったころも、住宅状況はよくなかった。
若者の独り暮しで、広い部屋に住んでいるのは、私のまわりにはいなかった。
さほど、この点に関しては変わらないのではないだろうか。

なのになぜ、いまはスピーカーで音楽を聴く人が減っているのか。
いくつかの理由があるはずだが、そのひとつに、
スピーカーの音が嫌いな人たちが増えてきたためではないか、と思っている。

好きな音楽をいい音で聴きたい。
そういう人は今も昔もいる。
けれどいまはスピーカーの音が嫌い、という人たちの割合が増えてきたのかもしれない。

スピーカーの音を嫌う人は、昔もいた。
昔からスピーカーではなく、ヘッドフォンだけ、というマニアがいた。
でも少数派のように見えた(実際そうたったと思う)。

このスピーカーの音を嫌う人たちの存在が顕在化したのは、
1980年代にはいり、いわゆるプレナー型スピーカーがいくつか登場したからだろう。

スピーカーの音が嫌いでも、いい音で聴きたい。
スピーカーの音が好きで、いい音で聴きたい。
どちらもいるわけだ。

私ははっきりとスピーカーの音が好きで、である。

ほんとうにスピーカーの音を嫌う人たちが増えているのかどうかは、まだはっきりしたわけではない。
でもそうであったとしたら……。
その人たちはスピーカーで聴くようには、まずならないのではないか。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その3)

アメリカの音楽産業を描いたドラマは、もうひとつある。
Empire 成功の代償」である。

現在のアメリカの音楽産業が描かれている。
ここに登場するレコード会社の社内にも、オーディオ機器はもちろんある。

1970年代ではデモ音源はテープだった。
カセットテープかオープンリールテープ。
レコード会社の社員の机にはカセットデッキがある。

いまはテープによる持ち込みはない。
USBメモリーかCD-R。
レコード会社の社員の机からテープデッキはなくなり、パソコンが置かれている。

1970年代の「VINYL ─ヴァイナル─」と現在の「Empire 成功の代償」のあいだは40年。
この比較をしながら、ふたつのドラマを見ていくのも、オーディオマニアとしては楽しい。

Date: 12月 24th, 2016
Cate: 1年の終りに……, デザイン

2016年をふりかえって(その5)

2016年夏あたりから、2020年の東京オリンピック/パラリンピックのエンブレムが、
街中で見かけるようになった。

学校にも、スーパーにも、企業のピルでも、
いろんなところで、ようやく決ったエンブレムが飾られている。

大きなサイズのものである。
オリンピックとパラリンピック、ふたつのエンブレムが飾られているから、
見ていて、最初に選ばれた(といえるのだろうか)佐野研二郎氏のエンブレムでなくてよかった、
と心底思った。

頭の中で、例のエンブレムが飾られているところを想像したからである。
あのエンブレムが、このサイズで街のいろんなところに飾られたとしたら……。

この東京オリンピック/パラリンピックのエンブレムの件では、
デザイナー、デザインに対しての誤解が生れ、広まったといえる。

しかもエンブレム問題に留まらず、
その後も、いわゆるパクリがインターネットで指摘される事態となった。

そして今年11月には、東京デザインウィークでの事故(事件)が起った。

デザイナーと呼ばれる、呼ばれたい、ごく一部の人たちの起したことが、
デザイン、デザイナーをより誤解させ、貶める。

こんなことをやらかしてしまう人たちをデザイナーと呼んでいいのだろうか、という疑問がある。
でも、世の中ではデザイナーと呼ばれている。

ならば本来の意味でのデザイナーと呼ばれるにふさわしい人をなんと呼べばいいのだろうか。
心あるデザイナーの中には、デザイナーという呼称を拒否したいと思う人もいよう。

デザイン(design)に現在進行形のingをつけると、
このブログにも使っているdesigningになり、過去形をつけるとdesignedである。

いまのごく一部のデザイナーと呼ばれていても、
デザイナーとは到底呼んではいけない人たちがやらかしたこと、やらかしていることによって、
designにつくのは、ingでもedでもなく、deadなのかもしれない。

design + dead = designdead

Date: 12月 23rd, 2016
Cate: 基本, 音楽の理解

それぞれのインテリジェンス(その1)

それぞれのインテリジェンス。
そのことを考えるきっかけがあった。

私のインテリジェンスは何かとなると、
音楽の理解であり、
ここでの音楽とは、ベートーヴェンの音楽であり、
バッハであり、ブラームスでもワーグナーの音楽、
つまりはドイツ音楽の理解こそが、そうである。

Date: 12月 22nd, 2016
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その19)

音における化粧について考えていると、
ミニマルなシステムは、音の化粧を受け入れるのか受け入れないのか、
音の化粧を求めるのか求めないのか──。

ソナス・ファベールのMinima AmatorとCHORDのHUGOのミニマルな組合せ。
スピーカーをロジャースのLS3/5A(15Ω版)にした場合の組合せは、
ミニマルなのかどうかを考えていると、
Minima AmatorとLS3/5Aの違いは、音の化粧にも関係してくることに気づく。

Date: 12月 22nd, 2016
Cate: 映画

映画、ドラマでのオーディオの扱われ方(その2)

VINYL ─ヴァイナル─」というアメリカのドラマがある。
マーティン・スコセッシとミック・ジャガーが手を組んで、
1970年代のアメリカの音楽シーンを描いた、というふれこみのドラマである。

1973年からドラマは始まる。
私がこれまで見てきたドラマの中で、もっともオーディオ機器が登場する。

レコード会社の社内にもオーディオ機器はある。
役員室にもオーディオが置かれている。
放送局が登場するシーンもある。

このターンテーブルとトーンアームの組合せなのか、と、
アメリカとは思えない組合せが意外に感じられたり、
オープンリールデッキとカセットデッキが両方ともあったりするのは、
1970年代という時代でくるものである。

ナカミチの700が、けっこうはっきり映るシーンもある。
700といえば、1973年に出たばかりのモデルのはずだ。

とにかくいろんなオーディオ機器が登場して、
それだけにオーディオマニアには楽しい、といえる。

Date: 12月 22nd, 2016
Cate: audio wednesday

第72回audio wednesdayのお知らせ(セッティングとチューニングの境界)

以前、プロのメイク(化粧)を見たことがある。
メイク前の顔とメイクをほどこされた顔の違いは、
女の顔は化粧で変る、ということをほんとうに実感できた。

そのメイクの人の素顔も見たことがある。
なるほど、プロは自分の顔も正確に把握しているからこそ、
これだけのメイクができるのだな、とも感心していた。

こんなことを書いているのは、ある種のアクセサリーによる音の変化は、
化粧に近いものがあると感じているからだ。
アクセサリーそのものにも、そういう傾向をもつモノがあるが、
使い手側も、そういう意図で、種々のアクセサリーを使っているふうにも感じることがある。

化粧の腕がよければ、女性の顔は美しくなる。
化粧とはよくいったもので、化けている。
化けているわけだから、化粧を落とせば、元の顔に戻る。

こういうようなアクセサリーの使い方、
アクセサリーに頼った、いわゆるチューニングは、
別のところにあるチューニングを、私は本来のチューニングと考えている。

化粧の前にやることはある。
その段階でのセッティングとチューニング。
だから私が考えるチューニングと、一部のオーディオマニアにとってのチューニングは、
同じ言葉であっても、ずいぶんと異なりもする。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 22nd, 2016
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その13)

オーディオの想像力の欠如がしたままでは、たがやせない。
たがやすことができなければサイクルも生れない。

Date: 12月 22nd, 2016
Cate: 川崎和男

KK適塾(二回目)

KK適塾二回目の講師は、澄川伸一氏と原雄司氏。
川崎先生を含めて講師は三人となると、
いつもと同じ時間であっても、短く感じてしまう。

タイムテーブル通りに進むことは大事であっても、
ひとりひとりの時間が短い。
三人ゆえの話も聞けたのだから……、と思っているけれど、それでも……、と感じる。

感じるといえば、今回はじめて感じたことがもうひとつある。
澄川伸一氏のプレゼンテーションで、はじめに三分ほどの動画が、
スクリーンに映し出された。

澄川氏がこれまでデザインされた作品が映し出された。
音楽も流れている。

そこでの音楽の選曲はよかった。
よかっただけに、そして映し出される澄川氏の作品が素晴らしいだけに、
その音の質が気になった。

作品、曲に対して、音が劣っている。
たいていのところで、音はないがしろにされている。
2015年度のKK塾、今年度のKK適塾、
会場は同じだから、そこで鳴る音がどの程度なのかはわかっている。

それまでも音は悪いな、と思うことはあったが、そこまでだった。
でも今回は、音の質。
ここでの質とは(しつ)であり(たち)でもあり、
特に質(たち)がスクリーンに映し出されている作品と曲にそぐわなすぎていた。

BGM(ここではBGMといっていいだろうかとも思う)の有無、
あるならばどういう曲なのかによって、スクリーンに映し出されるものの印象は、
大きく影響を受ける。

でもそこでの音の質(しつとたち)も同じに、影響を与える。
むしろ私の耳には、質(たち)のそぐわなさが気になりすぎた。

これからのプレゼンテーションにおける音の質(しつとたち)について、
これからのKK適塾がどう答(音)を提示してくれるのかが楽しみである。