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Date: 12月 22nd, 2018
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(アンプの脚・その8)

マッキントッシュに憾みがあるわけではないし、
マッキントッシュの製品を貶めたいわけでもない。

むしろ、マッキントッシュの現在の製品は、コストをうまく抑えていると好感を持っているからこそ、
こんなちっぽけな脚によって、なんてもったいないことをしているんだ、と嘆いているわけだ。

オリジナル至上主義者やマッキントッシュの盲目的な信者からは、
脚の貧弱さを認めないか、認めたとしても、
脚を交換することなく、アクセサリー類をうまく使ってなんとかすべきだ──、
という反論がありそうだ。

角を矯めて牛を殺す、という喩えが昔からある。
私は自分のシステムでも、誰かのシステムであっても、
角を矯めて牛を殺す的な鳴らし方はやらない。

これは喫茶茶会記のシステムに関しても、そうである。

いやな音が出る、耳障りな音が出ている。
なんとかしたい、と誰もが思うわけだが、
そこでどうするかは人によって違う。

角を矯めて的なことをは、所詮ごまかしでしかない。
その場を繕っても、それは自分のシステム(音)ではないのか。
そんなことをして、ごく短時間なら自分自身をごまかすこともできようが、
ずっと続けられるものか。

続けられないはずだ。
そこでどうするかも、人によってまた違ってくる。
さらに角を矯めて的なことを重ねるのか。

その先にまっているのは、牛を殺してしまうことである。
そういう音を好む人がいるのも知っている。
意外に少なくないことも感じている。

角を矯めて牛を殺す──、
そういう音が好きな人は、ここを読んでいないであろう、とも思う。

私はそんな音は出したくないから、脚を交換する。

Date: 12月 21st, 2018
Cate: 1年の終りに……

2018年をふりかえって(その4)

今日は21日。あと10日で2018年が終るというのに、
この項は、まだ三本しか書いていない。

この調子だと、2019年になっても「2018年をふりかえって」を書いていることにある。
いくつか書きたいことはあるが、そのいくつかは省略しよう。

どうしても書きたいのは、しつこいといわれても、
やはりメリディアンのULTRA DACのことだ。
ULTRA DACのことは、ここでも書いておきたい。

まだULTRA DACの音を聴いていない人が目の前にいると、
ULTRA DACについて語るにあたって、つい力がはいってしまうようだ。
「ULTRA DACのセールスマンか(笑)」といわれるほどのようだ。

本人としては、淡々と話しているつもりなのに、そうではないようだ。
本人としては、セールスマンのつもりはなく、
ULTRA DACのエヴァンジェリストのつもりでいる。

ULTRA DACについては、書いている途中だ。
来年になっても書いているだろう。
書きたいことは、書くほどに出てくる。

そのULTRA DACの音を、もっと短く表現するならば、
ステレオサウンド 130号、
勝見洋一氏の連載「硝子の視た音」の八回目の最後にあるフェリーニの言葉を引用したい。
     *
 そしてフェリーニ氏は最後に言った。
「記憶のような物語、記憶のような光景、記憶のような音しか映画は必要としていないんだよ。本当だぜ、信じろよ」
     *
再生音とは、決して記録音ではない。
記憶のような音だ、とおもっている。
けれど、記憶そのもの音ではない。
まだ知らぬ世界を聴かせてくれるからだ。

記録音、記録のような音しか求めない人にとって、
ULTRA DACの音は心に響かないことだろう。

けれど記録ではなく記憶。
記憶のような物語、記憶のような情景、記憶のような音を求める音楽の聴き手にとって、
ULTRA DACほど応えてくれるD/Aコンバーターは、いまのところ他にないように思う。

Date: 12月 20th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その9)

「レコードうら・おもて」は1986年に出ている。
32年前に読んでいるわけだ。

そのころの私は23歳。
それほどマリア・カラスの録音を聴いていたとはいえなかった。

「レコードうら・おもて」はそんなころ読んでも面白い本だった。
けれど、今日、改めてマリア・カラスの章だけを読みなおして、
こんなにもおもしろい内容だったのか、と驚くとともに、
マリア・カラスの章に書かれいてることに深く頷くばかりだ。

読みながら、まったくそのとおり、そのとおり、心のなかでつぶやいている。
ようするに、「レコードうら・おもて」を最初に読んだ時、
私はマリア・カラスの熱心な聴き手とはいえなかっただけでなく、
マリア・カラスのほんとうのところをどれだけ聴いていたのか、
それすらも疑問であるような未熟な聴き手だったわけだ。

32年のあいだに、どれだけマリア・カラスの録音を聴いてきたかというと、
熱心に聴いてきた時期もあれば、まったく聴かなかった時期もある。
そうやって32年がすぎて、二週間ほど前にメリディアンのULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた。

そして今日「レコードうら・おもて」を読んだ。
ULTRA DACで聴いていなければ、これほど頷かなかったかもしれない。

Date: 12月 20th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その8)

トゥリオ・セラフィンのことばを、三浦淳史氏の文章を読んだ記憶がある──、
そう書いておきながら、今日帰宅してふと書棚のなかの一冊に偶然目が行った。

あっ、これだ、この本だ、と確信をもって手にしたのは、
「レコードうら・おもて(原題:On and Off the Record)」である。
音楽之友社から出ている。
レッグ&シュヴァルツコップ回想録である。

この本に、ローザ・ポンセルの章とマリア・カラスの章がある。
そのどちらにもセラフィンのことばは出てくる。

マリア・カラスの章から引用しておこう。
     *
 自分をごまかしたり早死したりすると、短い時間に流星のように輝かしいキャリアを築いて早々に引退してしまった一人の有名なオペラ歌手に対する判断を誤ることになる。カラスという名前は、文明社会の到る所で日常的に耳にする言葉の一つだ。聴けばすぐそれと分かる声、人を引きつける個性、夥しい数のレコード、そしてひっきりなしに流されるセンセーショナルなニュースやゴシップ欄の話題のお陰で、カラスの名声は絶頂期のカルーソーすら及ばぬほど大きかった。だが、トゥリオ・セラフィンの慎重な判断を持ち出してバランスを取る必要がある。今世紀最高の歌手たちと六十年にわたって仕事をしてきた人の発言である。──「私の長い生涯に、三人の奇蹟に出会った──カルーソー、ポンセルそしてルッフォだ。この三人を除くと、あとは数人の素晴らしい歌手がいた、というにとどまる。」カラスの最も重要な教師であり、父親の役目も果たし、彼女の比類ないキャリアを築き上げたセラフィンであるのに、彼女を三つの奇蹟に入れなかった。カラスは「数人の素晴らしい歌手」の一人だったのだ。セラフィンの言葉は、本人は気付かなかったに違いないが、アーネスト・ニューマンがカラスのコヴェント・ガーデンへのデビューの際に評した言葉を繰り返していたことになる──「彼女は素晴らしい。だが、ポンセルではない。」
     *
だが、それでもマリア・カラスは女神(ディーヴァ)である。
それは「レコードうら・おもて」の目次からもわかる。

 序文 ヘルベルト・フォン・カラヤン
 はじめに エリーザベト・シュヴァルツコップ
 1 ウォルター・レッグ讃/ドール・ソリア
 2 自伝
 3 フィルハーモニー管弦楽団
 4 回転盤の独裁者──スタジオのレッグ/エドワード・グリーンフィールド
 5 ティッタ・ルッフォ
 6 ロッテ・レーマン
 7 ローザ──八十歳の誕生日を迎えたローザに敬意を表して
 8 エリーザベト・シュヴァルツコップ
 9 トマス卿
 10 オットー・クレンペラー
 11 女神──カラスの想い出
 12 アーネストニューマンとフーゴー・ヴォルフ
 13 ヘルベルト・フォン・カラヤン
 14 引退後の日々
 エピローグ

ローゼ・ポンセルのところにないことばが、マリア・カラスのところにはある。
「女神」だ。

Date: 12月 20th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(ベストバイとステレオサウンドのこと)

ベストバイの号しか買わない読者がいる、と書いているところだ。
私がいたころは確かにいた。

いまもそういう読者がいる(と確信している)。
ただ、昔と現在とでは、ベストバイの号しか買わないの意味あいに違いがあるのでは……、
そんなことも思っている。

ベストバイ以外の号で、スピーカーやアンプの総テストをやったりする。
常に総テストなわけではなく、それ以外にも特集の企画を考えて編集する。

読者のなかには、手っ取り早く結果だけを知りたい、とうい人がいる。
ここでの結果とは、結局のところが、どれがイチバンいいのか、ということだ。

ここでのイチバンいい、ということは、世評が一番いいのはどれか、という意味を多分に含んでいる。
総テストの試聴記を丹念に読むのは面倒。
ベストバイの点数の一番多いのが、イチバンいいスピーカーだったり、アンプなのだろう。

そういう考え、受け止め方をする読者が、昔はベストバイの号だけを買っていた。
いまもベストバイの号だけしか買わないという読者の多くは、こういう人たちかもしれない。

けれど、私のように昔のステレオサウンドは熱心に読んできた──、
そういう人たちが、いまはベストバイの号しか買わない読者になってきているような気もしてくる。

ステレオサウンドがつまらなくなった──、
そうおもっている人たちの多くは、何もいわない。
私のようにブログで書くような人は少ない。
編集部に直接何かをいう人も少ない。

そういう多くの人たちは、黙っている。
そしてステレオサウンドをいつのまにか買わなくなっている。

それでもまったく買わない、
オーディオ雑誌をまったく買わない、というのは、ちょっと寂しい。
何か読みたい、とか、今年一年どんな製品が出たのか、
それらを俯瞰的に把握だけしておきたい──、
そういう人にとっては、
以前ステレオサウンドが出していたHI-FI STEREO GUIDEがぴったりなのだが、
こんなに手間のかかる本は、いまのステレオサウンドは出してくれそうにない。

HI-FI STEREO GUIDE的な号としてのベストバイの号だけは買っておこう──、
そういう人がいてもふしぎではない。

つまり一年四冊の(現在の)ステレオサウンドは要らない、
ベストバイの号(グランプリもやっている)だけで事足りる──、
そういう考え、受け止め方をしている読者が、現在のベストバイの号だけを買っている──、
私の憶測である。
けれどそんなに的外れではないはずだ。

Date: 12月 19th, 2018
Cate: MERIDIAN, ULTRA DAC

メリディアン ULTRA DACで、マリア・カラスを聴いた(その7)

いつのころからか、Diva(ディーヴァ)、もしくは歌姫という表現を、
頻繁に見かけるようになった。

この人(歌手)もディーヴァなのか、と思ってしまうほどに、ありふれてしまった。

私はグラシェラ・スサーナの歌が心底好きでも、
グラシェラ・スサーナのことを一度もディーヴァとおもったことはない。

それはディーヴァと呼ばれるにほんとうにふさわしい歌い手を知っているからだ。
マリア・カラスは、ほんとうにディーヴァである。

それでもトゥリオ・セラフィンは、
人生における三つの奇蹟として、カルーソー、ルッフォ、そしてポンセルの名を挙げている。
これも三浦淳史氏の文章で読んだと記憶している。

ポンセルとはソプラノ歌手のローザ・ポンセルのことだ。
マリア・カラスではなかった。

奇蹟といえる三人にはマリア・カラスは含まれていない。
マリア・カラスのことは非常に優れた歌い手の一人──、
そんなふうに記憶している。

ローザ・ポンセルの名を知ったのも、この時だった。
ポンセルのCDが、発売にもなっていた。
聴いたけれど、なにしろ録音が古すぎる。

ポンセルは1920年代から30年代にかけて活躍していた。
なので録音も少ないし、当然古い。

セラフィンのことばを疑うわけではないが、これではポンセルの凄さを、
私は感じとることができなかった。

ローザ・ポンセルこそディーヴァだ、とすれば、
マリア・カラスもディーヴァとは呼べない──、
そんなこともいえるのだろうが、
1963年生れの私にとっては、ポンセルもカラスも録音だけでしか聴けない。

これは私だけではない。
ほとんどの人にとっても同じはず。

ポンセルの実演を聴いたことがある人は、どれだけいるのか。
カラスでさえ、そうである。

ポンセルはほんとうに素晴らしいのであろう。
けれど聴けないことには、もう想像するしかない。
ならば、私にとって、そして私だけでなく多くの人にとって、
マリア・カラスこそディーヴァであろう。

もちろんディーヴァは一人だけなわけではない。
それでせ私にとって、ディーヴァと呼べる最初の歌い手は、
ふりかえってみても、マリア・カラスだった。

Date: 12月 19th, 2018
Cate: audio wednesday

第96回audio wednesdayのお知らせ(マリア・カラスとD731)

二週間前のメリディアンのULTRA DACの余韻がまだ残っているが、
二週間後には2019年最初のaudio wednesdayである。

1月2日。
マリア・カラスだけをかける。
CDプレーヤーは喫茶茶会記常備のMCD350ではなく、
スチューダーのD731で、マリア・カラスだけを聴く回である。

マリア・カラスのEMIのスタジオ録音は持っていく。
それ以外のマリア・カラスのCDはかけるけれど、
マリア・カラス以外のディスクはいっさいかけない。

退屈してしまう人も出てくるかもしれないが、
2019年は、わがままでいようと考えているだけに、
1月のaudio wednesdayは、マリア・カラスだけというわがままをとおす。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 12月 18th, 2018
Cate: 1年の終りに……

2018年をふりかえって(その3)

この一年で大きく変ったのは、
毎月第一水曜日に喫茶茶会記で行っているaudio wednesdayでの音である。

昨年の秋からトゥイーターをJBLの075に変更した。
今年になって、正式に喫茶茶会記導入となった。
それにあわせて075のネットワークも変更している。

1月からはマッキントッシュのMCD350が加わり、
SACDの再生が可能になった。

ネットワークも今回新たに直列型を作った。
以前試用していた直列型ネットワークとは、定数も変更しているし、
結線の仕方も大きく変更している。
実験的要素を含んだモノになっている。

アルテックのホーンにバッフルを加えた。
同時に075と806Aドライバーとを同じ部材に取り付けるようにし、
ユニットはインライン配置にした。

スピーカーのセッティングも、12月から変更している。
いままでのセッティングは、他の人では再現が難しかった。
通常の喫茶茶会記の音とaudio wednesdayでの音との違いは、
どうしても大きくなってしまう。

これをなんとか小さくしたい、とつねづね思っていた。
バッフルをつけたのも、ひとつにはそのことを考慮して、である。

2016年1月のaudio wednesdayから音を鳴らすようになった。
その前、2015年の12月に実験的に鳴らしていた。

その時の音は、常連のHさんと私だけが聴いている。
メリディアンのULTRA DACを迎えての12月のaudio wednesdayの音を聴いて、
Hさんがいわれた。
「最初の音とはまるで別物」と。

今年一年の変化も、かなり大きい。

Date: 12月 18th, 2018
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のこと(ステレオサウンド、アナログ)

12月にはいり11日にステレオサウンド、15日にアナログの最新号が発売になった。

主だったオーディオ関係の雑誌すべてに菅野先生の追悼記事が載ったことになる。
11月に発売されたステレオ、レコード芸術、オーディオアクセサリー、
どれがよかったかなどというようなことではない。

それでもいいたいのは、前回も書いているのと同じことである。
オーディオアクセサリー掲載の追悼記事だけは読んでほしい。

Date: 12月 17th, 2018
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その3)

別項『「新しいオーディオ評論」(その12)』で、
 ①替えの利かない〝有能〟
 ②替えの利く〝有能〟
 ③替えの利かない〝無能〟
 ④替えの利く〝無能〟
と書いた。

これを正方形の四つのマス目に並べる。
 ②①
 ④③
こんなふうになる。

上段の①と②は有能、下段の③と④は無能、
左側の①と③は替えの利かない、右側の②と④は替えの利く、となる。

替えの利く利かないは、別の言葉にすれば、特別と普通である。
①と③が特別、②と④が普通。

こう考えたとき、(その2)で書いているフツーが何を指しているのかがわかった。

フツーにかわいい、とか、フツーにおいしい、とか、
そんな表現を聞くようになった。

なぜおいしい、かわいいにフツーをつけるのかが理解に苦しむところだった。
けれど替えの利く利かないをここにあてはめると、
フツーにおいしい、とか、フツーにかわいいなどは、
いわゆる替えの利くおいしさ、かわいらしさということなのだろう。

フツーに、という表現を使っている人たちが、そこまで意識しているのかどうかはわからないが、
無意識に、そういうことだ、と感じとっているのだとしたら、
この「フツーに」はなかなかどころか、そうとうに興味深い。

Date: 12月 17th, 2018
Cate:

日本の歌、日本語の歌(その6)

「愛の讃歌」という歌がある。
エディット・ピアフの歌である。

日本でもよく歌われる。
日本人歌手によって日本語の歌詞で歌われている。

私はグラシェラ・スサーナの歌で「愛の讃歌」を聴いた。
その後である、日本人の歌手による「愛の讃歌」を聴いたのは。

「愛の讃歌」は、いわゆる大御所といわれる歌手の人たちも歌っている。
当然、グラシェラ・スサーナよりも流暢な日本語で歌っている。

それらのいくつかは聴いている。
上手い、とはもちろん思うし、日本語も問題はない。
グラシェラ・スサーナ、ホセ・カレーラスの日本語の歌がダメな人たちは、
この人たちの「愛の讃歌」を高く評価するだろう。

けれど、私の耳にはグラシェラ・スサーナの「愛の讃歌」ほどには、心に響かない。
上手いなぁ、でいつも終ってしまう。

三浦淳史氏の「20世紀の名演奏家」にジネット・ヌヴーの章がある。
     *
 翌年、ヌヴーはウィーンで催された国際コンクールに参加したが、第4位にとどまった。お金の工面をしてウィーンまで出向いた母と娘にとっては大きな失望だった。ところが、彼女の演奏に感銘した審査員の一人が、名刺の裏に「ベルリンに来られたら、お嬢さんのヴァイオリン教育を私が責任をもって、無償でやらせてもらいます」としるして、ホテルに届けさせた。その人の名は、当時ヨーロッパ随一のヴァイオリン教師として知られていたカール・フレッシュだった。
 すぐベルリンに行くことは、家計が許さなかった。2年後にフレッシュ宅を訪ねたヌヴーに向かって、フレッシュはこういった。「お嬢ちゃん、君は天賦の才能に恵まれている。私にできることは、純粋に技巧上のアドヴァイスをしてあげるだけだ」
     *
おそらくカール・フレッシュのそれまでの教え子たちは、
技巧上的にはヌヴーよりも優れていたのだろう。
コンクールに出場する人たちも、またそうなのだろう。
だからそのころのヌヴーは、ウィーンでの国際コンクールで四位に終ってしまったのだろう。

ここが、他の教え子たちとヌヴーはまるで違うということでもある。

カール・フレッシュのことばは、演奏の本質をついている。
演奏は歌とおきかえられる。

Date: 12月 16th, 2018
Cate: 真空管アンプ, 訃報

佐久間駿氏のこと

12月13日に、佐久間駿氏が亡くなられたことを、今日の午後知った。

佐久間駿(すすむ)氏のことを知らない人もいるだろう。
ステレオサウンドだけを読んでいる人は知らないはずだし、
他のオーディオ雑誌を読んでいても、無線と実験を読んでいなければ知らなくても当然かもしれない。

私が無線と実験を読みはじめたのは、確か1977年。
そのころ既に佐久間駿氏は無線と実験にアンプ記事を書かれていた、と記憶している。

私は伊藤先生の真空管アンプに、とにかく魅了されてきた。
伊藤先生のアンプの世界と、佐久間駿氏のアンプの世界はかなり違う。

伊藤先生のアンプも伊藤アンプと呼ばれているように、
佐久間駿氏のアンプも佐久間式アンプと呼ばれ知られていた。

無線と実験では半導体のDCアンプは金田明彦氏の記事があり、
真空管は佐久間駿氏の記事が、その両極のようにあった。

どちらもわが道をゆくアンプであるが、その道は違う。
それでも読み物として、私は金田明彦氏の文章も佐久間駿氏の文章は、
高校生のときぐらいまでは必ず読んでいた。

佐久間駿氏は千葉県の館山市にコンコルドというレストランをやられていた。
そこに行けば、佐久間式アンプの音が聴けることも早くから知っていた。
けれど、いままで行かなかった。

数年前に、誰かから体調を崩れされているようだ、と聞いてはいた。
伊藤先生のアンプが、タブローといえるとすれば、
佐久間駿氏のアンプは、そういう世界ではまったくなかった。

佐久間駿氏のアンプはなんといったらいいのだろうか。
エチュード的といえなくもないが、それだけではない。
不思議なアンプである。

何をもって佐久間式というのか。
それすらはっきりと書けないけれど、
佐久間式アンプは見れば、それとわかる。

行っておけばよかった……、と、ここにも後悔がある。

房日新聞というサイトがある。
佐久間駿氏のこと、コンコルドのこと、佐久間式アンプのことが記事になっている。

Date: 12月 16th, 2018
Cate: 1年の終りに……

2018年をふりかえって(その2)

今年は、手を動かした一年でもあった。
自分のオーディオではないけれど、スピーカーの自作、
パワーアンプの改良、それから喫茶茶会記のスピーカーにバッフルを用意したりと、
ハンダゴテもよく握ったし、木工の工具もよく使った。

これが自分のシステムだと面倒臭いという気持が先にあったりする。
逆ではないか、と思われそうだが、
自分のシステムだと、ここをこういうふうにすれば、こんなふうな変化をするであろう──、
そういう予測だけで満足してしまうところが、実はある。

ところが、誰かのシステムだとそういうわけにはいかない。
いい音を期待している人が、すぐそばにいるわけだから、
面倒臭いという気持は、ほとんど起きない。

実際に作業を始めると、予想以上に面倒なことがあったりする。
そこでも自分のシステムだったら、キリのよいところで中断するということもあるが、
誰かのシステムだから、ここでせそうそうわけにはいかない。

こういう時は、モノーラルならば片チャンネルで済むのに……、と思いながら、
作業を進めていく。

わかっていてもやってしまうのが、パーツの大きさを都合のいいように捉えてしまうことだ。
実際は大きいのに、ここに入るだろう、このパーツを簡単に置き換えられるだろう、と甘い予想をする。
予想は外れることは、ある程度わかっている。

少しばかり無理があるか、と思いながらも、そこでやめるわけにもいかず作業をする。
もっと小さなサイズであれば、こんな苦労はしなくも済むけれど、
使いたいパーツ以外は、交換しようとは思わない。

もう頼まれてもやらない、と思いながら作業を終えて音を出す。
予想が外れることはない。
それでも音が鳴ってくるまでは、どきどきするものだ。
これで鳴ってきた音は、以前とたいして変らなかったら……、
それどころか悪くなっていたら……、
そんな心配がまったくないわけではない。

このどきどき感は、実際に手を動かしたからのものである。
今年は、だから楽しかった。

Date: 12月 16th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その17)

いまは冬号がそうだが、以前は夏号がベストバイの特集号だった。
冬号でも夏号でも、どちらでもいいのだが、
その当時でもベストバイの特集号は売れていた。

買わないという読者がいたにも関らず売れていた。
つまりベストバイの特集号だけ買う人が大勢いるということである。

ステレオサウンドにいたとき、編集部の先輩が話してくれたことがある。
ベストバイを始めた理由について、である。

ベストバイの最初は35号(1975年夏)である。
ベストバイの原形といえるいえる特集は、
さらに一年前の31号の「オーディオ機器の魅力をさぐる」といえる。

ベストバイもそうだが、31号の特集も試聴取材はない。
つまりスピーカーやアンプの総テストは編集部の体力的負担がけっこう大きい。
総テストばかりをやっていると、編集者の体力がもたない、
編集者を肉体的に休ませようということで生れたのが、ベストバイという企画ということだった。

こればかりが理由のすべてではないだろうが、なるほどなぁ、と納得したものだった。
別の時にきいた話では、チューナー特集の号は売れなかったそうだ。
24号(1972年秋)、32号(1974年秋)の二冊である。

この二冊を読めば、試聴・取材がどれだけ大変だったかは、
ステレオサウンドの編集経験者であれば容易に想像できよう。

大変だったからといって、その苦労が売行きとして報われるとは限らない。
その反対で、編集者の苦労は少なくとも、ベストバイの特集号は売れるわけだ。

ベストバイが定番の特集企画となったことに納得しながらも、同時に疑問もあった。
41号からステレオサウンドを買いはじめた私は、一号も欠かすことなく買った。
特集がなんであれ、ステレオサウンドは毎号買おうと決めていたし、
中学、高校時代は小遣いをなんとかやりくりしながら、買っていた。

そんな私には、特集記事によって買ったり買わなかったりする読者の存在が理解できなかった。
それでも、これが現実であり、年に四冊しか出ないステレオサウンドでも、号によって売行きが変動する。

Date: 12月 15th, 2018
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その16)

ステレオサウンドにいたころ、オーディオ業界関係者、
それから訳知り顔のオーディオマニアからよくいわれていたことがある。
「ステレオサウンドは、あれだけ広告が入っているから、一冊も売れなくても黒字なんでしょ」と。

いまでも数年に一度くらい、同じことを聞くことがある。
こんなことをいってくる人は、楽な商売していますね──、
そんなことをいいたいようだった。

巻末の広告索引のページをみれば、どれだけの広告が載っているのかわかる。
十年前、二十年前のステレオサウンドと比較してみると、
広告量のどんなふうに変化していったのかもすぐにわかる。

確かに減っている。
それでも他のオーディオ雑誌の広告索引と見較べると、
ステレオサウンドはダントツに多いのはひと目でわかる。

本が売れなくても、広告だけで黒字。
広告料がどのくらいなのかは調べればすぐにわかるから計算してみれば、
一号あたりの広告収入のおおよその目安はつく。

でも、そんなことを計算したところで、実際のところ、
本が一冊も売れなかったら、広告は入らなくなる。

ある程度の部数売れているから広告も入るのである。
こんな当り前のことをいまさらながら書いているのは、
雑誌にとって、ある一定以上の読者数は絶対的に必要である。

いま書店には冬号が並んでいる。
冬号とは、つまりステレオサウンドグランプリとベストバイの特集号であり、
賞の特集号である。

この冬号だけ特別定価でいつもより高い。
冬号は売れる。

売れるけれど、冬号だけは買わない、という読者が昔はいた。
いまはどうなのだろうか。