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Date: 10月 14th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その6)

喫茶茶会記のアルテックならば、そんなことを心配する必要はない。
能率にしても、コーネッタよりも7dBか8dBほど高い。
音量に関しては余裕で鳴らしきってくれる。

それでもコーネッタで鳴らしてよかった、と思うのは、
聴き手としての冒険だけでなく、鳴らし手としての冒険が、
10月7日の夜にはあったからだ。

アルテックを鳴らしても、鳴らし手としての冒険はあっただろうが、
アルテックは喫茶茶会記のスピーカーであって、
コーネッタは私のスピーカーであるということも違う。

それ以上にスピーカーとしての性格が、これほど違うのだから、
鳴らし手としての冒険の意味は違ってくる。

この違いを、こまかく説明しようかなとおもったが、
言葉を尽くしても、こればかりは自分で鳴らしてみないと理解してもらえないような気がする。
それに私の独りよがりな冒険なのかもしれないから、
舌足らずなのはわかっているが、ばっさりと省く。

とにかく10月7日は、野上さんと赤塚さんの選曲で、私は私だけの冒険ができた。
二人には感謝している。

赤塚さんは、
「細胞が生れ変わるようなスゴい音体験だった!!」という感想を、facebookに寄せてくれた。

Date: 10月 14th, 2020
Cate: バッハ, マタイ受難曲

カザルスのマタイ受難曲

カザルスがマタイ受難曲を振ったことは知っていた。
ずいぶん前に知っていたし、聴けないものかと探してもいた。

もう諦めていた。
演奏したからといって、必ずしも録音が残されているとはかぎらないのだから、
録音が存在しないのだろう……、と。

昨晩遅くiPhoneでヤフオク!を眺めていた。
そこに、またしても「お探しの商品からのおすすめ」のところに、
まさかカザルスのマタイ受難曲が表示されるとは、夢にも思わなかった──、
とは、こういう時に使うのだろう。

CDではなく、CD-Rである。
今年出たようである。
商品説明を読むと、音は期待できそうにない。

それでもかまわない。
とにかく聴けるのだ。

即決価格で、落札した。
まだ届いていないけれど、わくわくしている。

「カザルス マタイ」でGoogleで検索すれば、売っているところが表示される。
私が買った値段よりも多少高いけれど、いまのところ入手できるようだ。

Date: 10月 14th, 2020
Cate: audio wednesday

第117回audio wednesdayのお知らせ(Bird 100)

11月4日のaudio wednesdayのテーマは、Bird 100。

チャーリー・パーカー生誕100年だから、このテーマである。
チャーリー・パーカーを中心にかけていくが、四時間チャーリー・パーカーだけなわけでない。
ビリー・ホリディ、チェット・ベイカー、バド・パウエルもかける。

彼らに共通するのがなんであるのかは書かなくてもいいはずだ。
ジャニス・ジョプリンの“Summertime”もかけたいと思っている。

チャーリー・パーカーが中心ではある。
でも、それだけにとどまらずにかけていきたい演奏家として、
クラシックでは、サンソン・フランソワのショパンもかけるつもりでいる。

デカダンス的なピアニストといわれるフランソワ。
フランソワのショパンは、いまどんなふうに評価されているのか。

癖の強い演奏と受け止められているのだろうか。
1980年代の、レコード芸術の名曲・名盤の企画で、
黒田先生はショパンにかんしては、フランソワの演奏をあげられている。

馬鹿のひとつおぼえみたいにフランソワばかり選んでいる──、
と黒田先生自身書かれていたけれど、
フランソワの演奏に、ますます惹かれている、とも書かれていた、と記憶している。

サンソン・フランソワが、どんな人物なのかは、知らない人は検索してみればいい。
Bird 100のテーマとサンソン・フランソワのショパン、
そこに違和感がないはずだ。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 10月 14th, 2020
Cate: ヘッドフォン

AUSTRIAN AUDIO

ステレオサウンド 75号の特集「実力派コンポーネントの一対比較テスト 2×14」で、
菅野先生がAKGのヘッドフォンK240DFについて書かれている。
     *
 そしてごく最近、オーストリアのAKGから出たK240DFスタジオモニターという、ダイナミック型のヘッドフォンに出合い大いに興味をそそられている。このヘッドフォンは、まさに、私がSRΛブロを活用してきた考え方と共通するコンセプトに立って開発されたものだからである。K240DFのカタログに書かれている内容は、基本的に私のSRΛプロの記事内容に共通するものであるといってよい。ただ、ここでは、これを使って調整するのは、部屋やスピーカーではなく、録音のバランスそのものなのである。つまり、よく整った調整室といえども、現実にその音響特性はまちまちで、同じモニタースピーカーが置かれていてさえ、出る音のバランスが違うことは日常茶飯である。私なども、馴れないスタジオやコントロールルームで録音をする時には、いつもこの問題に悩まされる。便法として、自分の標準とするに足るテープをもっていき、そこのモニターで鳴らして、耳馴らしをするということをすることさえある。さもないと、往々にしてモニタ一にごまかされ、それが極端にアンバランスな場合は、その逆特性のバランスをもった録音をとってしまう危険性もある。
 K240DFは、こうした問題に対処すべく、ヘッドフォンでしかなし得ない標準化に挑戦したもので、IRT(Institute of Radio Technology)の提案によるスタジオ標準モニターヘッドフォンとして、ルームアクースティックの中でのスピーカーの音をも考慮して具体化されたものである。そして、その特性は平均的な部屋の条件までを加味した聴感のパターンに近いカーヴによっているのである。つまり、ただフラットなカーヴをもっているヘッドフォンではない。ダイヤフラムのコントロールから、イアーキヤビティを含めて、IRTの規格に厳格に収ったものだそうだ。そのカーヴは、多くの被験者の耳の中に小型マイクを挿入して測定されたデータをもとに最大公約数的なものとして決定されたものらしい。AKGによれば、このヘッドフォンは〝世界最小の録音調整室〟と呼ばれている。部屋の影響を受けないヘッドフォンだからこそ出来るという点で、私のSRΛプロの使い方と同じコンセプトである。
     *
72号でも菅野先生は、スタックスについて書かれている。
スタックスは、当時の私には、やや高価だった。
それほどヘッドフォンに対しての関心もなかったので、
スタックスのヘッドフォンのシステムに、これだけの金額を出すのであれば、
もっと優先したいモノがあった。

K240DFは安価だった。
三万円しなかったはずだ。

気に入っていた。
ヘッドフォンで聴くことはそんなにしなかったけれど、
K240DFの音を信頼していた。

そのK240DFも人に貸したっきり返ってこなかった。
しょうがないから、また買うか、と思ったときには、K240DFは製造中止になっていた。
K240シリーズは継続されていたけれど、DFの後継機はなかった。

AKGは、K1000も出していた。
ヘッドフォンメーカーとして、AKGというブランドは、私のなかでは確固たる位置にいた。

けれど2017年にハーマンインターナショナルがサムスンに買収されてしまってから、
AKGが変ってしまった、という話をきいた。

そのAKGから独立した人たちが始めたのが、AUSTRIAN AUDIO(オーストリアン・オーディオ)だ。

マイクロフォンとともにヘッドフォンもある。
日本に輸入元もある。MI7という会社だ。

けれどヘッドフォンのページは、いまだ開設されていない。
海外では、今年の春から販売されている。

そのころから、いつ日本でも発売になるんだろう、と思っているのだが、
まだのようである。

ヘッドフォン祭が開催されていたら聴けたであろうに……。

Date: 10月 13th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(カタログ)

ヤフオク!にはカタログも出品されている。
中学、高校のころはカタログを大事に持っていた。

RFエンタープライゼス時代のマークレビンソンのカタログは、ほんとうにそうだった。
LNP2のカタログを手に入れたときは嬉しかったし、
いつかはLNP2……、という憧憬をいだいて眺めていた。

その時代のカタログも、ヤフオク!にはある。
落札しようとはおもわないけれど、こういうカタログだったな、と、
そこでの写真をみると、どういう内容だったのかも、ある程度は思い出せたりする。

あの時代気カタログのすべてそうだったわけではないが、
オーディオの憧れが募ってくる出来のものは、たしかにあった。

いまもカタログはある。
インターナショナルオーディオショウに行けば、各ブースの前で配布している。
それらのカタログをもらってくることはしない。

それでもブースに入り、気になった製品があった場合には、
カタログにも手を伸ばすことはある。
それでも持って帰ることをしないのは、そう思わせてくれないからだ。

安っぽい、とはいわない。
なかには、そういいたくなるカタログもあるけれども。

なんだろう、インターネットが普及して、各社ほとんどウェブサイトで公開している。
情報を得るだけならば、ウェブサイトでことたりる。

カタログは、それ以上のなにかを感じたいのだ。
それが、いまの時代のカタログには、ほぼない。

オーディオショウでは立派なカタログがあったりする。
けれど立派なカタログが、憧れと結びついていくわけでもない。

そういうカタログをつくる余裕が、もうどの会社も失っているかもしれない。

Date: 10月 13th, 2020
Cate: ベートーヴェン

ベートーヴェンの「第九」(2020年・その後)

パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツカンマーフィルハーモニーによる、
12月のベートーヴェンの交響曲全曲演奏は中止である。

予想できていたことだから、そうか、という感想しかない。

パーヴォ・ヤルヴィとドイツカンマーフィルハーモニーによるベートーヴェンは、
十年ほど前に知って、聴いた。

黒田先生がサライに連載されていた「聴く」で、紹介されていたのがきっかけだった。
それで聴きたくなったのだから。

《細部まで精緻でいて、しかもアグレッシヴ(攻撃的とさえいえる積極性)といいたくなるほど、音楽を前進させようとする力に富んでいる》
とあったの憶えている。

そういう「第九」こそ、こういう状況下だから、鳴り響いてほしかった、とおもうだけだ。

Date: 10月 13th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その5)

コーネッタとケイト・ブッシュの相性(その6)」で書いているように、
9月のaudio wednesdayの時に、HPD295Aのマグネットカバーを外している。

今回外していてよかった、と実感したのは、音質面のことよりも、
音量に関することだ。

10月のaudio wednesdayでは、鳴らす曲ほぼすべて、けっこうな音量だった。
鳴らしている本人が、この音量で、
これだけ危なげない音を、タンノイが鳴らすのか、と感心してしまうくらいの音量だった。

おそらくHPD295Aの前のモデル、IIILZだったら、これだけの音量で鳴らすのは無理があったろう。
HPD295Aを搭載していても、小型ブックシェルフのイートンでも、ここまでは鳴らなかったはずだ。

私のところからは、今回はマッキントッシュのパワーメーターが見えなかったが、
見えていた人によると、かなり振れていた、とのこと。

そうだろう。
HPD295Aは、能率が低い。
それでもいまどきのスピーカーとしては、高能率ということになるようだが、
私の世代の感覚では、低能率のスピーカーであり、
どれだけのパワーが必要なのかは、これまで三回鳴らしているので、おおよそはわかる。

しかも、これまでの三回よりも平均音圧は高かったのだから、
そうとうにパワーが入っていたはずだ。

だからこそ、マグネットカバーを外していてよかった。
カバーをつけた状態では、磁気回路の熱がこもるばかりである。
そうなってしまうと、ボイスコイルの温度はさらに上昇することになり、
上昇すれば、それに比例してボイスコイルの直流抵抗が増えていく。

そうなると、よけいにロスが増えてしまい、
どんなにパワーを入力しても、音圧が上昇しにくくなる、という現象がおこる。

四時間、かなりの音量で鳴らしていたのだから、
マグネットカバーがついていたら、途中で音が弛れてきたことだろう。

Date: 10月 13th, 2020
Cate: 菅野沖彦

10月13日(2020年)

二年が経った。
一年前に、一年が経った、と書き出した。

短いようで長く感じた一年だったし、
長かったようで短くも感じた一年が過ぎた──、と書いた。

この一年で、オーディオ業界、オーディオ雑誌は、
何か変ったのかといえば、何も変っていない、といえるし、
変っていないのかといえば、よい方向には変っていない、としかいえない──、とも書いた。

それからさらに一年である。
一年前にはコロナ禍はなかった。
オーディオショウが、ほぼすべて中止になった。

インターナショナルオーディオショウも、である。
インターナショナルオーディオショウの前身、輸入オーディオショウは、
菅野先生の提案から始まっている。

いまでは、そのことを知らないオーディオ関係者も多いことだろう。

来年の10月13日には、三年が経った、との書き出しで、なにかを書くだろう。
四年が経った、五年が経った……、と書いていくはずだ。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: ディスク/ブック

BEETHOVEN · Die Violin-sonaten

ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ十曲。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタほど熱心に聴いてきたとはいえない。

それだから、1998年だったかに出たアンネ=ゾフィー・ムターのそれに関心をもつことはなかった。
ムターの演奏は、レコードよりも先に、
1981年のカラヤン/ベルリン・フィルハーモニーとの公演で聴いている。

東京文化会館で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲だった。
かなり無理してチケットを手に入れた。
S席なんて無理で、A席も当時の私には高くて買えなかった。
B席がやっとだった。

ステージからは遠い。
そのせいもあったとは思うのだが、きれいとは感じても、
ベートーヴェンの音楽とは感じなかった。

そのことが強く印象にあって、ムターに、その後関心を持たなくなった。
そのこともあったから、よけいにムターのヴァイオリン・ソナタを聴きたいとは思わなかった。

数ヵ月前に手にした吉田秀和氏の「ベートーヴェン」。
ここにムターのヴァイオリン・ソナタがとりあげられている。
読んでいて、ムターの、この録音を聴きたくなった。
     *
 ムターは、かつてカラヤンの下でやった協奏曲の中に象徴される美しく甘いベートーヴェンの像に逆らって、別のベートーヴェンを提出する。それは新しいベートーヴェン像を築くというだけでなく、かつての自分のアンティテーゼを提出することでもある。つまり、ここでは一人の音楽家がベートーヴェンの追求を通じて、新しい自己の確立を計っているのである。
     *
ここを読んだだけでも、聴きたくなった。
さっそく買おう、と思ってタワーレコードに注文したけれど、
入手できませんでした、という返事が数週間後に届いた。

新品での入手は、もうできないようだ。
中古で手に入れるしかない。
といっても、すんなり見つかるのが、今の時代である。

私の感想は、特にいいだろう。
吉田秀和氏の「ベートーヴェン」にあるとおりだった。

1981年、ムターをドイツ人とはまったく感じなかった。
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでのムターは、はっきりとドイツ人である。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: ロマン

好きという感情の表現(その6)

昨晩、「戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その16)」で、
冒険と逃避は違う、と書いた。

レコード(録音物)を携えて旅に出たとしても、冒険と逃避は違う。
それに井の中の蛙を決め込んでいる人もいるけれど、これも逃避である。

逃避している人(オーディオマニア)が、
オーディオに関心をもってもらおうとして、
「オーディオは素晴らしい」、
「いい音で音楽を聴くことを体験してみて」とか、いったところで、
相手のこころに届くのだろうか。

音楽好きの人は多い。
その何分の一かでも、いい音で聴くことに目覚めてくれれば、
オーディオの世界は活性化する──、
そう考えている人は、オーディオ業界の人のなかにも、
オーディオマニアのなかにも少なからずいる。

どうすれば、そういう人が振り向いてくれるのかを、SNSに書く人もいる。
それらのなかには、音楽好きの女性にオーディオに関心を持ってもらいたい──、
というのもけっこう多い。

気持はわかる。
私も20代のころは、そんなことを考えていたし、
その後も、なぜ、女性の音楽好きはオーディオに関心を持たないのか、ということで、
仲間内で意見を交わしたこともある。

オーディオマニア(男)は、そこでオーディオの素晴らしさ、
いい音で音楽を聴くことの素晴らしさを訴えているだけではないのだろうか。
さらにはオーディオの知識や持っているオーディオ機器をひけらかすだけかもしれない。

そんなことよりも、
オーディオが好き、という感情をストレートに相手に伝えたほうがいいように思うようになった。

ここで男は──、とか、女は──、といったことを書くと、
そんなことはない、個人差のほうが大きい、とかいわれそうだし、
そうだと思うところは私にもあるのだが、
それでも好きという感情をストレートに伝えることが上手なのは、女性であると感じている。

私自身もオーディオが好きという感情を、どれだけ相手に伝えてきたのだろうか。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと(2021年・その1)

五味先生が亡くなられて、今年で40年が経った。
来年は生誕100年である。

Date: 10月 12th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その10)

中学、高校の吹奏楽のコンクールが、
コロナ禍によりビデオ審査になった、ということを知った。

それぞれの学校が、それぞれの場所で、それぞれの器材を使って録画するのだろう。

これはもう録画のクォリティが、ピンからキリまで生じることになるのではないのか。
私立の学校で、吹奏楽で名が知られているところだと、
録画にもたっぷりの予算が割り当てられても不思議ではない。

プロが使う録画、録音器材、そしてプロの人たちによって、
それこそ照明を含めて、高いクォリティのものをつくりあげるだろう。

公立の学校となると、
へたするとスマートフォンの録画機能を使って、ということになるかもしれない。

そうやってつくられたものが提出され、審査する側は、そのことについてどう配慮するのだろうか。
それに器材があって技術があれば、演奏のこまかなところも修整できる。

録画による審査はしかたないことだとわかっているが、
このあたりのことに関して、録画、録音器材を指定したところで、
それらの器材を持っているところもあるし、新たに購入しなければならないところ、
その予算がないところなどがあろう。

(その6)で触れたAudio Renaissance Onlineという、
オンラインのオーディオショウに、同じことはいえる。

どんなふうに行うのかは知らないが、
出展社が一箇所に集まって、というわけではなく、
それぞれの出展社が、それぞれの場所からのストリーミングのはずだ。

オンラインのオーディオショウに出展するところは、
オーディオメーカー、輸入元なのだから、そこでの器材がスマートフォンということはない。

それでも部屋が違う、マイクロフォンを始めとする器材が違う。
同じ器材だとしても、マイクロフォンの位置は、出展社に対して指定されているとは思えない。

おそらく出展社まかせなのだろう。
こういうことを含めてのオンラインのオーディオショウとしても、
最低限のリファレンスは決めた方がいい。

今年は、まずやることが優先されているのはわかっている。
それでも送り出し側、受け手側、それぞれのリファレンスを有耶無耶にしたままでは、
お祭りのままで終ってしまうことになりかねない。

Date: 10月 11th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(music wednesdayでの音・その4)

コーネッタは、ずっと以前に聴いている。
それだけでなくタンノイのスピーカーは、かなりの数聴いている。
タンノイに関するいろんな文章も読んでいる。

そうやって、タンノイのスピーカーというものに対するイメージが、
なんとなくではあっても私の中にあった。

ほとんどのオーディオマニアがそうであろう、と思う。
そのイメージは人それぞれであるから、
共通するところもあれば、そうでないところもある。

そういうイメージがあるからこそ、最初に鳴らす曲を選ぶ(選べる)わけだ。
そして、その時鳴ってきた音から、次にかける曲を選んでいく。

「コーネッタとケイト・ブッシュの相性」で書いているように、
コーネッタがそれほどうまくケイト・ブッシュが鳴ってくれるとは期待していなかった。
けれど鳴らしてみると、そうではなかった。

それどころか発見があった。
とはいえ思い切って、最初からケイト・ブッシュを鳴らしたわけではない。
コーネッタから鳴ってくる音を慎重に聴きながらのケイト・ブッシュだった。

音が鳴ってくると、すっかり忘れてしまうことであっても、
曲を選ぶ際には、さまざまな知識が頭を擡げてくることがある。

選曲の段階で、完全に頭をカラッポにすることは、いまはまだできないでいる。
けれど、今回のmusic wednesdayでは、私の選曲は一曲もない。

すべて、野上さんと赤塚さんの選曲である。
野上さんと赤塚さんが、私と同じようなオーディオマニアであれば、
その選曲は読めるところもある。

けれど違う。特に赤塚さんは違う。
コーネッタがどういうスピーカーなのか、タンノイがどうなのかは、
赤塚さんの頭のなかにはなかったはずだ。

それでも、最初に「EDMとか、大丈夫ですか」といわれた。
選曲に遠慮はなくしてほしかったので、大丈夫と答えた。

Date: 10月 11th, 2020
Cate: 戻っていく感覚

戻っていく感覚(「風見鶏の示す道を」その16)

その1)から六年。
書きたかった結論は、冒険と逃避は違う、ということだけだ。

黒田先生の「風見鶏の示す道を」には、
駅が登場してくる。
幻想の駅である。

駅だから人がいる。
駅員と乗客がいる。

駅員と乗客は、こんな会話をしている。

「ぼくはどの汽車にのったらいいのでしょう?」
「どの汽車って、どちらにいらっしゃるんですか?」
「どちらといわれても……」

どこに行きたいのか掴めずにいる乗客(旅人)は、
レコード(録音物)だけを持っている。

そのレコードは、いうまでもなく旅人が、聴きたい音楽であるわけだが、
この項で書いてきたのは、その「聴きたい音楽」をつくってきたのは、
なんだったのか、であり、
聴きたい、と思っている(思い込んでいる)だけの音楽なのかもしれない。

嫌いな音を極力排除して、
そんな音の世界でうまく鳴る音楽だけを聴いてきた旅人が携えるレコードと、
「風見鶏の示す道を」の旅人が携えるレコードを、同じには捉えられない。

前者は逃避でしかない。
本人は、冒険だ、と思っていたとしてもだ。

Date: 10月 11th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その15)

メリディアンの218はプリント基板一枚に、
ほぼすべてのパーツが取り付けられている。

コネクターもそうである。
このコネクターは、さらにリアパネルにタッピングビスで固定されている。
プリント基板はシャーシーの底板にビス三本で固定されている。

これらのビスはすべて鉄製である。
これらのビスをステンレス製に交換する。

そんなことで、どれだけ音が変化するのか、といえば、
手を加えてきた218では、決して小さくない。

まったく手を加えていない218で、ビスだけを交換しても、その違いは小さいだろう。
けれど、version 9まであれこれやってきて、それからのビス交換である。

あっ、と驚くほどの違いではないが、
だからといって、元の鉄製のビスに戻そうとは思わない。