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Date: 5月 30th, 2021
Cate: レスポンス/パフォーマンス

一年に一度のスピーカーシステム(その10)

スピーカーシステムのレスポンスの良さとパフォーマンスの高さ。
あくまでも感覚的でしかないが、このふたつが両立しているスピーカーシステムは、
そう多くない、と感じている。

一般的にレスポンスに優れているスピーカーシステムは、
優秀なスピーカーシステムとして捉えられている。

優秀であることに異論はない。

ではパフォーマンスとレスポンスは完全に一致しているのかとなると、
これがなかなかに難しいところがあって、それがスピーカーシステムのおもしろさともいえる。

レスポンスの優秀なスピーカーシステムは、打てば響くタイプだと前回書いた。
ではパフォーマンスの高いスピーカーシステムは、どう表現すればいいのだろうか。

スピーカーシステムにおけるレスポンスとパフォーマンスを、
別の言葉におきかえるならば、なんなのかといえば、
レスポンスは文字通りの瞬発力である。

パフォーマンスは持続力もしくは持久力とでもいおうか。
そんなふうにも、私には感じている。

Date: 5月 30th, 2021
Cate: 再生音

続・再生音とは……(その34)

以前書いたことを、ここでもくり返す。

オーディオマニアとして自分を、そして自分の音を大切にすることは、
己を、己の音を甘やかすことではなく、厳しくあることだ。

そうでなければ、繊細な音は、絶対に出せない、と断言できる。

繊細な音を、どうも勘違いしている人が少なからずいる。
キャリアのながい人でも、そういう人がいる。

繊細な音を出すには、音の強さが絶対的に不可欠であることがわかっていない人が、けっこういる。

音のもろさを、繊細な音と勘違いしてはいけない。
力のない、貧弱な音は、はかなげで繊細そうに聴こえても、
あくまでもそう感じてしまうだけであり、そういう音に対して感じてしまう繊細さは、
単にもろくくずれやすい類の音でしかない。

そんな音を、繊細な音と勘違いして愛でたければ、愛でていればいい。
一生勘違いしたままの音を愛でていればいい。

つぼみから花へと変化していくのに必要なのは何なのか。
そのことに気づかぬままでは、いつまでたっても花を咲かすことはできないし、
繊細な音がほんらいはどういう音なのかにも気づかずに終ってしまうことだろう。

Date: 5月 30th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(続・戻っていく感覚)

戻っていく感覚は、ただたんに戻っていくのではなく、
育っていく感覚でもあるわけだ。

Date: 5月 29th, 2021
Cate: ディスク/ブック

MQAで聴きたいアルゲリッチのショパン(その7)

昨年8月に、アルゲリッチの“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”を、
MQAで聴きたい、と書いた。

三ヵ月後、TIDALを始めて、44.1kHzのMQAで“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”を聴いた。

5月21日、e-onkyoで、“THE LEGENDARY 1965 RECORDING”の2021年リマスターの配信が始まった。
MQA Studio(192kHz、24ビット)で聴けるようになった。

いい時代になった、という以上に、楽しい時代になってきた、と感じている。

Date: 5月 29th, 2021
Cate: Digital Integration

Digital Integration(デジタルについて・その11)

5月26日、赤塚りえ子さんのところに持っていたLANケーブルに施した工夫とは、
以前ラインケーブル、スピーカーケーブル、電源コードに、
よく施していたのと基本的に同じである。

私のシステムでは、それ以外にSPDIFケーブルにも施している。

おもしろいもので、その工夫を施すことによる音の変化は、
アナログケーブルだろうとデジタルケーブルだろうと同じ傾向を示す。

(その10)でふれたラインケーブルをデジタルケーブル代りにしたときの音の傾向に、
共通するものがある。

それも私のところのシステムでだけ、そんなふうに変化するのではなく、
赤塚さんのシステムでも同じように変化する。

LANケーブルに関しては、赤塚さんのところ以外では試していないが、
どこのシステムであっても変化の傾向は変らないはずだ。

この現象(現象といっていいだろう)が何を意味しているのか。
それを考えると非常に興味深いし、
今回の工夫をさらに徹底すれば、とも考えているが、
それをやるとなると、かなり手間がかかるので保留中。

高価なケーブル、高価すぎるとしか思えないケーブルに手を出すのは、
趣味の世界だし、その人が納得すればいいことなのだから、それはそれでいいのだが、
その前に、自分の手を動かしてみることで見えてくる領域があるというのを知ってほしい。

Date: 5月 28th, 2021
Cate: 原論

オーディオ原論(その2)

その1)は六年前。
タイトルだけ考えついての(その1)だった。

(その1)の冒頭にも書いた。
原論とは、その分野で最も根本的な理論。また,それを論じた著作、のことである。

オーディオの原論とは?
六年経っても、何か書けるようになったわけではない。

原論がわかっていなくても、音を変化させることはできるし、
音を良くしていくこともできる。

ここが問題なのだ。

Date: 5月 28th, 2021
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その28)

その1)は2019年2月に書いている。
ウェスターン・エレクトリックの300Bの再生産がようやく始まる、というニュースがあったからだ。

日本ではエレクトリが扱う、とも書いた。
けれどその後、エレクトリのウェブサイトをときどきチェックしても、
取り扱いブランドにウェスターン・エレクトリックがあらわれることはなかった。

再生産のプランごと消えてしまったのか、と思ってしまうほどだったが、
どうやら再生産が始まったようである。

早ければ、今年の夏ごろには日本にも入ってくる、というようなことをきいた。
やはりエレクトリが扱う予定ともきいている。

Date: 5月 27th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ヤマハ A-S2100を聴いて)

「audio wednesday(番外)」で書いているように、
昨晩は、赤塚りえ子さんのところに行っていた。

赤塚さんのところのアンプは、ヤマハのプリメインアンプ、A-S2100である。
このアンプを選んだ経緯は、
別項「オーディオ機器を選ぶこと(プリメインアンプの場合)」で書いている。

今回もそうだし、前回、前々回のときもそうだったのだが、
ヤマハのA-S2100の実力は、高いと感じているし、感心もしている。

昨晩、一緒に聴いていた写真家の野上真宏さんも、
「ヤマハ、いいアンプだね」といわれていた。

システムをきちんとしていくたびに、その感は強くなる。
特に、昨晩は電源コードを交換した音を聴いて、ますますそう思うようになった。

A-S2100と同クラスのプリメインアンプを比較試聴する機会はないし、
他社製の同クラスのプリメインアンプを単体で聴く機会もほとんどない。

なので、このクラスのプリメインアンプの実力に関しては認識不足といわれれば、
否定しないのだが、ヤマハのアンプの実力をみくびっていたな、と反省もしている。

他社製の同クラスのプリメインアンプも、A-S2100と肩を並べるくらいなのか。
それとも違うのか。

そのへんは、比較試聴の機会のない私にはなんともいえないところなのだが、
日本のオーディオの、これからに期待がもてるだけの音をA-S2100は聴かせてくれている。

Date: 5月 27th, 2021
Cate: audio wednesday

audio wednesday(番外・その1)

昨晩は、赤塚りえ子さんのところのオーディオのセッティングをやっていた。
昨年、赤塚さんがメリディアンの218を導入されてから、
何度か赤塚さんのところに行って、あれこれやってきている。

昨晩やったのは、ラック裏側の配線の整理である。
これまでもずっと気になっていた。
いつかきちんとしたいと思いながらも、かなりめんどうだな、とも思っていた。

これまで赤塚さんのシステムをいじってきて、かなりいい感触をつかんでいたものの、
そろそろ配線を整理しないと、ここのところがネックになってくる。
そうなる前に、ということで、昨晩やってきた。

自分のシステムならば、こういうところは最初のセッティングの段階できちんとするのだが、
横幅二メートルちょっとあるラックには、
オーディオ機器のほかにヴィジュアル機器もあるし、ほかの機器もおさまっている。

それらは一度おさまっているわけではないから、配線はどうしてもぐちゃぐちゃになる。
ぐちゃぐちゃになればなるほど、きちんとするのはめんどうになる。

昨晩はいくつか準備していった。
その一つを使って配線を整理した。
こちらの予想以上にさまざまな配線が絡みあっていた。
けっこうな時間がかかった。

とにかく、整理が終った状態の音を聴く。
音出しはroon。
前回来た時に聴いている、グレン・グールドのブラームスの間奏曲集が、
私のiPhoneのroonの画面に表示された。

なのでそのまま聴いた。
ずいぶん違う。
グールドの、例の椅子の軋み音も、よく聴こえる。

赤塚さんは毎日聴いている音なのだから、
ふだん聴いていない音楽であっても、その違いに敏感だ。
音の気配に敏感なのかもしれない。

別の曲にする。
アバドとポリーニのバルトークのピアノ協奏曲。

この曲の二回目で、LANケーブルを交換する。
オーディオ用ではない。
一般的なLANケーブルに私が少し手を加えたモノ。

ここでの違いは大きかったし、
配線を整理したおかげで、よりその違いははっきりと出ていた。

次に、218からヤマハのプリメインアンプ間のケーブルを、
これまた私が作ったケーブル(別項「結線というテーマ」で触れたモノ)にする。

そのあとに、ヤマハの電源コードも交換した。

これらの音の変化を聴いてもらった。
電源コードの段階では、AC極性による音の変化も聴いてもらった。

ひとつひとつのステップの音を変化を聴いてもらうことをやっていて、
そういえば今日(5月26日)は水曜日だ、これもaudio wednesdayだな、
そんなことを思っていた。

Date: 5月 26th, 2021
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(iPhoneとミニマルなシステム・その2)

その1)でふれているミニマルなシステムは、もっとミニマルになっている。
(その1)は、いまから約一年半ほど前。

iPhone 8とメリディアンの218、それにスタックスのコンデンサー型ヘッドフォン。
いまはiPhone 12 Pro、HiByのFC3にヘッドフォン。

iPhone 8のころは、218と接続するためには、
Lightning-USBカメラアダプタ、USBケーブル、D/Dコンバーター(FX-AUDIOのFX-D03J+)、
SPDIFケーブルを介して、だった。

iPhone 12 Proのいまは、Lightning-USBカメラアダプタは不要になり、
FC3購入時にオプションで選択したLightningケーブルがあるだけだ。

ミニマルといえばミニマルだ。
けれど、どちらがシンプルなのかと考えると、
よりミニマルだからよりシンプルとはいえない。

iPhone 8のころはTIDALは使っていなかった。
e-onkyoで購入したアルバムをiPhone 8にダウンロードして聴いていた。

iPhone 12 Proのいまは、e-onkyoで購入したアルバムも聴くけれど、
それ以上にTIDALで聴くことが、とにかく多い。

つまりiPhone 8のころは、聴く時にはインターネットに接続している必要はなかった。
実際、機内モードにしたほうが音は良かった。

iPhoen 12 ProでTIDALとなると、インターネットは不可欠である。
TIDALのサーバーはアメリカにあるのだろう。

インターネットに接続しなければTIDALで音楽を聴くことはできない。

Date: 5月 25th, 2021
Cate: ショウ雑感

2021年ショウ雑感(その17)

インターナショナルオーディオショウは開催されるわけだが、
具体的な詳細はまだ発表になっていない。

アメリカの日本への渡航中止勧告。
インターナショナルオーディオショウは半年ほど先のことだから、
その時どうなっているのかはなんともいえないが、
海外メーカーの人たちのショウへの参加は、例年よりもかなり減るかもしれない。

Date: 5月 25th, 2021
Cate: チューナー・デザイン

20年目のiPod(チューナー・デザイン考)

2001年に登場したiPodは、クリックホイールだった。
クリックホイールは、2014年のiPod classicの販売終了とともに終了した。

別項で書いているように、夜おそく音楽を聴く時は、
iPhoneとヘッドフォンの組合せが多くなった。

iPhoneだからクリックホイールはない。
iPhoneの操作に、大きな不満はないけれど、
別項の「チューナー・デザイン考」を書いていると、
クリックホイールだったら、どんな感じだろうか、とふと思ったりするし、
クリックホイールは、チューナーの選局ダイアルだな、とも思う。

Date: 5月 25th, 2021
Cate: 欲する

新月に出逢う(その6)

新月だった2月12日に出逢ったEleanorは大きいといっても、
等身大ではない。

等身大ではなかったからこそ、
もしEleanorが等身大だったら──、ということをふと想像してみる。

実際にそういうモノはないのだけれど、一目惚れしたであろうか、とおもう。
どきっ、としたであろう。
それでも欲しい、とまでは思わなかったような気がする。

等身大の、有名人にそっくりの人形といえば、蝋人形がよく知られている。
蝋人形も、いうまでもなく人形である。

蝋人形を見たことがある。
売られているわけではないこともあってなのだが、欲しい、と思ったことはない。

それは蝋人形が、実在の人物そっくりにつくろうとしているからなのかもしれない。
だから、蝋人形は等身大である。

こんなことを考えていると、人間の剥製は人形といえるのかにいきつく。
もしかすると、世界のどこかには人間の剥製が存在しいてるのかもしれないが、
私は見たことがない。

剥製といえば、動物の剥製を何度かみたことがあるくらいだ。
動物の剥製は、等身大であるし、
動物の皮を剥いで、綿などの芯を入れてつくるのだから、
そっくりということでは蝋人形以上なのだが、
剥製を人形として捉える人は、あまりいないのではないだろうか。

こんなことを考えていたら、そういえば、と思い出したのが、
菅野先生の「ぬいぐるみ」(「音の素描」所収)である。

Date: 5月 24th, 2021
Cate: 「オーディオ」考

巧言令色鮮矣仁とオーディオ(その3)

先週の金曜日、ある人のお宅で四人集まっての軽い飲み会だった。
四人とも音楽好きで、音に関心をもつ。
オーディオ歴はそれぞれだが、四人ともオーディオ好きといっていい。

音楽、音、オーディオのことを中心に、五時間ほどいろんなことを話していた。
楽しかったわけだが、
帰り道、こんなに楽しかったのはどうしてなのか、とふと考えていた。

こまかな理由はいくつかあるように思うけれど、
いちばん大きいのは、巧言令色鮮矣仁とは無縁だったから、と私は思っている。

Date: 5月 23rd, 2021
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その17)

ステレオサウンド 52号の巻頭に、瀬川先生が、こう書かれている。
     *
 新型のプリアンプML6Lは、ことしの3月、レビンソンが発表のため来日した際、わたくしの家に持ってきて三日ほど借りて聴くことができたが、LNP2Lの最新型と比較してもなお、歴然と差の聴きとれるいっそう透明な音質に魅了された。ついさっき、LNP(初期の製品)を聴いてはじめてJBLの音が曇っていると感じたことを書いたが、このあいだまで比較の対象のなかったLNPの音の透明感さえ、ML6のあとで聴くと曇って聴こえるのだから、アンプの音というものはおそろしい。もうこれ以上透明な音などありえないのではないかと思っているのに、それ以上の音を聴いてみると、いままで信じていた音にまだ上のあることがわかる。それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる。これがアンプの音のおもしろいところだと思う。
     *
オーディオマニアとしての「純度」も、アンプの透明度と同じなのかもしれない。

オーディオマニアとしての「純度」を高めてきた──、
そう信じている人でも、なにかのきっかけでもっと上の「純度」があることを知るかもしれない。

アンプの場合、それ以上の透明度をもつアンプを聴くことで、そのことがわかる。
けれど、オーディオマニアとして「純度」ともなると、アンプの比較のようにはいかない。

《それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる》、
これはそのとおりである。

いままでの聴いてきた音とのつきあいは長い。
長いからこそ、すべてを知り尽くしている、と聴き手をそう思い込ませるかもしれない。

でも現実には、それよりも一つ先の段階へと進んで、
やっと一つ前の段階の音を理解できるところがあるのがオーディオだ。

ならば、オーディオマニアとして、一つ先の段階へと進んでこそ、
一つ前の段階となる「純度」を理解できることになる。

ここのところがアンプと違い、微妙なところである。