オーディオにおけるジャーナリズム(特別編・その9)
1981年に菅野先生との対談で語られていることがある。
「ぼくはいま辻説法をしたいような、なんかすごいそういう気持でいっぱいなんです。」
なにを、なのか。
なぜ、なのか。
「実際の音を聴かないで、活字のほうで観念的にものごとを理解するというような現状があるでしょう。これは問題だと思うんですよ。ぼくはほんとうに近ごろ自分でもいらいらしているのは、地方のユーザーの集まりなどに招かれていって、話をしたり、音を鳴らしたりしてきたんだけれども、オーディオってね、やっぱりその場で音を出していかないとわかり合えないものじゃないかという気がするんですよ。オーディオの再生音というのは、おんなじ機械を組み合わせたって、鳴らす人間のちょっとしたコントロールでいかに音が変わるかなんていうのは、もはや活字で説明は不可能なわけ、その場でやってみせると、端的にわかるわけですよ。」
いらいらされていたのは、文章で音を表現することの「もどかしさ」だけからなのだろうか。
辻説法は、瀬川先生の決意だったように思えてならない。