妄想組合せの楽しみ(JBL D130・その8)
組合せは決った。
いったいどういう音がしてくるのか、
いま中古でここで挙げたコンポーネントを手に入れたとしても、うまいこと鳴ってくれる保証はない。
スピーカーにしろアンプにしろ、どんなモノであれ、長い年月を経ていれば、
どんなに大切に使っていたとしても性能的には劣化している。
そう思いたくなくとも、これは絶対不可避である。
井上先生が以前書かれていた。
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現実に状態の良いシステムを実際に鳴らしてみたとしても、かつて備えていた本来の状態をベースに聴かせた音の再現は完全には不可能であり、例えば、1モデルに1ヵ月の時間を費やしてメインテナンスをしたとしても、絶対年令は、リカバリー不能であろう。逆説的ではあるが、イメージ的に心にわずかばかり残っている、残像を大切に扱い、思い浮かべた印象を文字として表現したほうが、むしろリアルであろうか、とも考えている。
(ステレオサウンド別冊「音の世紀」より)
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その通りだと思う。
「イメージ的に心にわずかばかり残っている、残像」、
これを持っているか持っていないのか──。
JBLのD130を平面バッフルに取りつけて、
できるだけ価格を抑えた組合せは、いったいどんな音を聴かせるのか、よりも、
この組合せで、どのレコードを聴きたいのか。
私が聴きたいと思っているのは、ジャズではなく、
デッカのカートリッジを選んでいるようにクラシックであり、
ストラヴィンスキーによるストラヴィンスキーの「春の祭典」をまっさきに鳴らしてみたい。