野上眞宏 写真展「BLUE:Tokyo 1968-1972」(詳細)
野上眞宏さんの写真展「BLUE:Tokyo 1968-1972」の詳細が、
BIOTOPのサイトで公開されている。
野上さんのインタヴューも公開されている。
写真を始めたきっかけ、そして再開したきっかけ、
はっぴいえんどの結成などについて語られている。
インタヴューの中に、六本木のハンバーガーインのことも出てくる。
そうか、野上さんも行かれていたのか(私もステレオサウンド時代に何度か行っている)。
野上眞宏さんの写真展「BLUE:Tokyo 1968-1972」の詳細が、
BIOTOPのサイトで公開されている。
野上さんのインタヴューも公開されている。
写真を始めたきっかけ、そして再開したきっかけ、
はっぴいえんどの結成などについて語られている。
インタヴューの中に、六本木のハンバーガーインのことも出てくる。
そうか、野上さんも行かれていたのか(私もステレオサウンド時代に何度か行っている)。
瀬川先生は、ネットワークについて、こんなことを書かれている。
*
LCネットワークひとつとりあげてみても、こうした多くの問題が現実にたくさん待ち受けているのだ。それらをひとつひとつ正しく解決するためには、相当に高度の理論を身につけた上で、周波数特性やインピーダンス特性や位相特性や、さらに音響エネルギー特性など、多くの項目にわたる精密な測定設備をもたなくてはとうてい無理だ。測定器ばかりでなく無響室や残響室が必要で、つまたは個人の力ではとうてい無理、という結論になる。
だからスピーカーなどアマチュアがいじるな……などと単純かつ乱暴な結論を言いたいのではない。全くその逆を私は言いたい。
測定設備を持たないアマチュアでも、基本的な原則を一応守った上で、長い年月をかけて聴きながら、少しずつカットアンドトライしてまとめ上げたスピーカーシステムから、現実に素晴らしい音が再生されるのを、私は過去にも現在にも、多くの例で知っている。大切なことは、理論値を実現させることではなく、自分であれこれと計画を立て、実行に移し、年月をかけ模索しながら、自分独自の音の世界を築きあげること、ではないか。自分の努力で完成させたスピーカーシステム(に限らず再生装置ぜんたい)こそ、既製品では得られないかけがえのない満足感を与えてくれるのではないか。そのためにこそ、目先の一面のみの理論にとらわれたり迷わされたりせず、失敗を怖れず、まず実行してみるところにこそ、価値がある。ハイテクニックシリーズの刊行の真の意図もそこにある。……などとステレオサウンド編集部の代弁みたいになってしまったが、ともかく私の言いたかったのは、理論を一面からだけとらえる愚かさを避け、現実をしっかり踏まえた上で、自分の耳を研ぎ澄まして、自分ひとりのための良い音を目ざして、大胆にスピーカーシステムにトライしよう、ということだ。
*
マルチウェイにすると、どうしてもネットワークが介在し、
そのことによる問題が生じてくる。
マルチウェイなどにせずに、フルレンジでやっていれば……、という意見もある。
確かにフルレンジならば、ネットワークは要らない。
要らない存在に頭を悩ます必要はない。
フルレンジにはフルレンジの良さがあり、
マルチウェイにはマルチウェイならではの世界があって、
優劣をつける必要はない、と私は考えている。
マルチウェイでも、LCネットワークではなしにマルチアンプシステムにすれば……、という声もある。
確かにマルチアンプシステムは、LCネットワークに起因する問題は、ほぼ解消する。
けれどだからといって理想のシステムかというと、必ずしもそうとは言い切れないし、
すべての人にとってそうだともいえないのが、マルチアンプである。
スピーカー(システム)は、ある種のからくり(ギミック)である。
LCネットワークは、その仕掛けのひとつであり、要ともいえよう。
ボリュウムは、いつもの「THE DIALOGUE」の音量よりも絞っていた。
といってもほんのわずかなのだが、それでも絞っていたのだから、
わずかとはいえ、スピーカーからの音量は厳密には下っているのに、
聴感上はむしろ少し大きく聴こえてきた。
直列型の場合、並列型とは違い、
配線上、ウーファーとトゥイーター、どちらを上にするのか下にするのか、でも、
音は違ってくる。
スピーカーの教科書的な書籍で、直列型ネットワークの回路図を載せている例でも、
ウーファーが上の例もあれば、トゥイーターが上の例もある。
何度か試して結果からいえば、ウーファーを下側にしたほうがいい。
さらに今回試した配線方法では、それまでの配線とは違ってきて、
ある一点で三本の配線を集中させるようにしている。
本来ならば従来の配線での直列型ネットワークの音を聴いた後で、
新しい配線での直列型ネットワークにすべきなのだが、
並列型ネットワークの音を聴いていて、それがひとつの比較の基準になっているともいえ、
時間も都合も考えて、やってはいない。
このへんによる音の違いは、直列型ネットワークに興味を持った人が、
実際に自身で試して、自身の耳で確認したらいいことでもある。
三本の配線を集中させた一点は、もう一箇所、別のところでも動作する。
試していないが、音は変ってくるはずだ。
これに関しては、audio wednesdayで、黙って実験してみようと思っている。
ここまで読まれた方の中には、直列型の方がいいのか、と思われるかもしれない。
確かに6dBスロープで、2ウェイという限られた枠内では、好結果が得られた。
これが3ウェイ、4ウェイ、
さらには12dBスロープとなってくるとどうなるのかは、試してないのでなんともいえない。
それに並列型だから、やれることもある。
だから決めつけはしない。
それでも、自作スピーカーで自作ネットワークで鳴らされている方は、
一度直列型ネットワークに興味をもってほしい、と思う。
ラックスは、オーディオ機器のデザインに、
少なくとも高い関心をもっていた会社だった、はずだ。
もちろんすべてのデザインが優れていたとはいわないが、
デザインに無関心な会社ではなかった。
けれど1980年のCL34、同時期に出てきたアナログプレーヤーのPD555などに、
首を傾げたくなるところが見受けられるようになってきた。
CL34について、この項で以前書いている。
PD555は、それ以前の製品PD444とよく似た外観である。
PD444がダイレクトドライヴ型に対し、PD555はベルトドライヴになっているし、
バキューム機構も搭載している。
これらの違いが関係してのことだろうが、PD555を正面からみると、
臓物(モーターなど)がキャビネット下部に丸見えになっている。
トーンアーム取付ベースに、オーバーハング修整用の目盛りをつけるなどして、
こまかなところに配慮しているだけに、よけいに上記のちぐはぐさが目につく。
PD444と似た外観にする必要はなかったのではないか。
デザインを新たにして、臓物が露出しないようにしておくべきだったのに、なぜかやっていない。
1980年頃のことだというのは、承知している。
そのころのデザイナーは、いまのラックスにはいないはずだし、
ラックスという会社もいろいろあって、いまに至っている。
なのに、こういうところだけは引き継がれているように感じる。
同じコンデンサーとコイルを使って並列型から直列型へと変更する。
二年前に試したときよりも、直列型の音の印象がいい。
それに音量がわずかとはいえ増したよう聴こえる。
二年前の直列型とは、配線の仕方を変更している。
スピーカーケーブルは同じカナレのスターカッド型を使っている。
音量が増したように聴こえるのは、音のピントが以前よりも合っているからかもしれない。
二年前の音だし、アンプも二年前とは違っているし、CDプレーヤーも違う。
それでも並列型と直列型の比較をして、直列型の音を私はとる。
厳密な意味では、並列型と直列型の正しい比較試聴とはいえない面もある。
本来ならば並列型であっても直列型であっても、
微調整をしていき最適化していったうえで比較試聴であるべき、とは思っている。
とはいえ、それだけの時間をかけてやれるのは自分のシステムにおいてであって、
こういう場での実験としての音出しでは、そこまでは無理である。
なので細部の比較ではなく、素姓の比較といえる聴き方だ。
ただ最初から今回の直列型がうまく鳴ったわけではない。
試したことのない配線ということもあって、こちらの頭がすこしこんがらがった。
そのため手間どった。
そのあいだアンプの電源は落したままである。
その影響が、直列型ネットワークにした際にモロに音に出てきた。
音場があまり拡がらないのだ。
常連のHさんは不思議がって、珍しく席を移動して音を確認されていた。
私は待つしかないことがわかっていたので、アンプが目覚めてくれるのを待っていた。
それまで鳴らしていたわけだから、それほど時間は必要としない。
数分経ったころから、音は拡がりはじめた。
アンプがきちんと目覚めたな、と思えたところで、「THE DIALOGUE」を鳴らす。
黙っていたけれど、実はいつもよりほんの少しだけボリュウムは絞っていた。
直列型ネットワークは、2016年に数回試している。
並列型6dBスロープと直列型6dBスロープの比較も行っている。
なのでコイズミ無線の12dBスロープネットワークから、
いきなり直列型6dBスロープにしてみてもよかったし、その方が手間も省けるが、
やはり確認の意味をこめて並列型6dBスロープの音も出すことにした。
私の中にある6dBスロープのネットワークらしい音がしてくる。
この音は、ひとつの標準になりうる音だと思っている。
自作スピーカーであれば、なんらかの形でネットワークも自作しなければならない。
計算通りに作って、それでうまくいくという保証はどこにもない。
カットアンドトライをくり返しやっていくしかない。
その場合、泥沼にハマってしまわぬように、リファレンスとなるネットワークをひとつ作っておいたほうがいい。
なにも最高のモノである必要はない。
私なら、しっかり巻かれた空芯コイルとASCのコンデンサーの、
並列型6dBスロープを基準(リファレンス)とする。
ネットワークをいじっているといろいろと思いつくことが出てくるだろう。
あれをやってみたら、あれに交換してみたら、といろいろと出てくるはずだ。
試していくのは実におもしろい。
目的の音に近づいたかと思うと、遠ざかっていることもある。
判断に迷うことだってある。
そういうときに基準となるネットワークがあれば、
その音と常に比較することで、方向の修正ができよう。
6dBスロープで2ウェイなら、片チャンネルあたりコンデンサーとコイルがひとつずつで済む。
実際にはコンデンサーの容量を調整するために、
いくつかのコンデンサーを並列接続することになるが、
12dBや、それ以上の高次のスロープとは違い、部品は最低限でいいということは、
部品配置に特に頭を悩ます必要もない。
いろいろ試したあとで6dBスロープに戻ってきてしまうことだってある。
そのときでも、クロスオーバー周波数のカットアンドトライをすることになる。
基準があれば、その判断もしやすくなるし、しっかりしたものになる。
今回も並列型6dBスロープの音を聴いた後に、
直列型、それも以前試したのとは違う配線による直列型ネットワークに移って、
ひとつ確認できたことがあった。
海外オーディオブランドが日本に輸入されることになったとき、
輸入元がどこなのかは、そのブランドイメージに少なからぬ影響を与える。
長いこと輸入されていて、ブランドイメージができあがっているところならばいいが、
日本に初めて輸入されるブランドだと、輸入元がどこなのかによって、
その時点でブランドイメージが少しばかりとはいえ、決ってしまう──、
というか、その輸入元のイメージによって染まってしまうところがある。
おもしろそうなブランドが輸入されることになっても、
輸入元によっては「なんだ、あそこなのか……」と思うわけだ。
それで聴く気が失せるほどではないにしても、
音を聴いて、それがいいモノであればあるほど、
別の輸入元だったら、もっと良かったのに……、とやはり思う。
つい最近もあった。
どのブランドなのか、どの輸入元なのか、
具体的なことは書かないが、好ましからぬウワサを聞く人が関係している輸入元の扱い、
たったそれだけのことではあっても、たったそれだけのことと無視できるわけでもない。
LEONARD BERNSTEIN’S CONCERT FOR PEACE。
手塚治虫の「雨のコンダクター」で描かれている二人の指揮者のひとり、
バーンスタインによるハイドンの「戦時のミサ」。
1973年1月19日、ワシントン大聖堂でのベトナム反戦コンサートで、
バーンスタインは「戦時のミサ」を振っている。
数年前に出ているバーンスタインのハイドン集(12枚組)に、
「戦時のミサ」が収められているのは知っていた。
1月19日の演奏ではなく、翌20日に同じ場所での録音である。
12枚で、当時の売価は2000円くらいだった。
なぜか買わなかった。
安すぎると思ったことも関係している。
それだけが理由ではないのだろうが、なぜか買う気になれなかった。
いつか聴きたい、と思いながらも、なぜか買わない。
バーンスタインはフィリップスにも「戦時のミサ」を残している。
フィリップス盤もながらく廃盤だったはずだ。
先週末、新宿のタワーレコードをなんとはなしに見ていたら、
SACDのコーナーに、バーンスタインの「戦時のミサ」が置いてあった。
DUTTONから、2017年11月に出ていた、ようだ。
この登場を、待っていたのだろうか──、と自分でも思ってしまった。
約一年前に、モノ・マガジン(2017年2月16日号)が、
オーディオを特集していることを書いている。
いま書店に並んでいるモノ・マガジン(5月16日号)も、
特集の一本はオーディオである。
表紙には、「趣味な男の4大特集! コーヒー、オーディオ、文房具、ロレックス」とある。
コーヒー、オーディオ、文房具ときて腕時計ではなく、ロレックスとあるのが、
別格扱いですごい、と思うのだが、このことには触れない。
とにかくオーディオがコーヒー、文房具、ロレックスに交じっている。
書店で手にとって見た(ようするに立ち読みだ)。
買う気にはならなかったけど、モノ・マガジン的取り上げ方ではある。
もう少しボリュウムのある記事だったら……、
もう少しつっこんだ内容だったら……、
そんなふうに感じるけれども、
オーディオがこうして取り上げられていると、つい手にとってみたくなるし、
オーディオマニアのひとりとして嬉しい。
それにしても、ほんとうにブームなのだろうか。
先日、ヘッドフォンで比較試聴する機会があった。
ヘッドフォンの比較試聴ではない。
いわゆるPCオーディオ(それにしても他にいい表現はないのか)での、
再生ソフトによる音の違いを、ヘッドフォンで比較試聴した。
差はある。
ここで書きたいのは、再生ソフトによる音の違いについてではなく、
ヘッドフォンでの比較試聴について、である。
ヘッドフォンゆえによくわかる違いもあるのだろうが、
ふだんヘッドフォンを聴かない私は、
ヘッドフォンゆえによくわからない違いがあることの方が気になってきた。
ヘッドフォンで聴きながら、ここはスピーカーで聴いたら、こんな感じになって、
もっと違いがはっきりでるんじゃないのか、とか、
ヘッドフォンで聴いているがゆえに、微妙なところで、もどかしさを感じたりもした。
このへんは慣れなのだろう、とは思うが、
それでもどこまでいってもスピーカーとヘッドフォンは、はっきりと違う。
スピーカーはステレオフォニックであり、ヘッドフォンはバイノーラルである。
この決定的な違いが、比較試聴に及ぼす影響は小さくはない。
いいヘッドフォン(イヤフォン)を求めて、
ヘッドフォン(イヤフォン)の比較試聴をするのに、もどかしさはまったく感じない。
だが、ヘッドフォン(イヤフォン)で、比較試聴をするとなると、
ヘッドフォン慣れしていない私は、少しばかりを時間を必要とすることになるだろう。
ということはこれまでずっとヘッドフォン(イヤフォン)で聴いてきている人が、
逆の立場におかれたら、どう感じるのだろうか。
つまりスピーカーでの比較試聴をやってもらったら、
違いがわかりにくい、ということになるのか。
数週間前に山下書店の渋谷店が閉店になることを書いたばかりなのに、
今日は、六本木の青山ブックセンターが閉店になる、というニュースだ。
最後に六本木の青山ブックセンターに行ったのは、一年近く前。
それも青山ブックセンターが目的ではなく、
ほかの用で六本木に行ったついでに寄っただけなのだから、
6月25日に閉店する、というニュースを知っても、とても残念だ、という気持があるわけではない。
それに青山本店は今後も営業していくのだから。
それなのにこんなことを書いているのは、
今回のニュースで初めて知ったのだが、
青山ブックセンターの六本木店がオープンしたのは1980年。
AXISビルが1981年で、WAVEが1983年にオープンしている。
私がステレオサウンドで働くようになったのが1982年1月。
それ以前の六本木を知っているわけではない。
私が知っている六本木は、1982年からの六本木である。
このころ六本木は少し変っていったのではないだろうか。
いまは、すごく変っているけれど。
青山ブックセンター、AXIS、WAVE。
この三つは、六本木で働きはじめた田舎出身の私には、
六本木を象徴する存在のようでもあった。
最初にWAVEが消えていった。
もうじき青山ブックセンターも消える。
だから、ちょっとだけ寂しい気持はある。
だからといって、23時すぎまでの約四時間、
そういう音をずっと鳴らしているわけでは、もちろんない。
しばらく鳴らしていて、どうにかスピーカーが目覚めてきたかな、と感じてから、
チューニングを開始する。
それまで鳴らしているときにも、まったくいじらないわけではない。
でも、それは私にとってはセッティングであって、チューニングという意識はない。
とことん調整したいと思うのであれば、ある一曲を何度も何度もくり返し鳴らす(聴く)。
私一人ならば、二時間でも三時間でも、同じ曲だけをひたすら聴いて調整していく。
でも、こんなことをやると、多くの人は飽きてしまったり、しんどい、と感じるようだ。
でも、一度、そういうこともやってみたい、とは考えている。
常連の人のなかには、宮﨑マジックという人もいれば、
tweakだ、といってくれる人もいる。
最初に鳴ってきた音がどんなであれ、時間内にまとめていく。
そうでなければ、常連の人たちが毎回来てくれるわけがない。
なんらかの発見が、それぞれの人にきっとあるわけで、
だからこそ毎回来てくれている、と私は勝手に思っている。
ただし、その発見は最後までいてくれて(聴いてくれて)の結果である。
途中で帰られるのは、その人の自由であり、
そのことについて何もいわない。
けれど短い時間で帰ってしまえば、何の発見もなしになることだけは、はっきりといえる。
audio wednesdayの音出しは、オーディオ店の試聴とも、
オーディオショウでの各ブースでの試聴とも、その点では違う。
このことの理解なしにaudio wednesdayに来られても、つまらないだけかもしれない。
数日前、実に興味深い記事があった。
『このセレブたち15人の写真は、実は「本物」ではない』、
リンク先の記事をぜひ読んでほしい。
読むのが面倒という人でも、そこの写真だけは見てほしい。
マダム・タッソー館の蝋人形を撮影した写真が、15枚公開されている。
黙って見せられたら、本人を撮影した写真だ、と誰もが思うであろう。
マダム・タッソー館の蝋人形の実物を見たことはない。
間近で見れば、どれほど本人に似せてつくられていても、なんらの違和感を覚えるであろうが、
そこに写真が介在することで、まず見分けがつかなくなるとは、
こちらの想像をこえていた。
この項で書いてきた造花を蝋人形に、
絵を写真に置き換えた実例が、すでにあったわけだ。
ここでのテーマとは直接な関係はない、と思われるだろうが、
私としては、必ずしもそうとは思っていないので、この項で書くことにした。
5月19日(土)から5月30日(水)まで、
BIOTOP(ビオトープ)で、野上眞宏さんの写真展が開催される。
東京だけでなく、6月15日(金)から6月26日(火)までは大阪のBIOTOPでも開催される。
「BLUE:Tokyo 1968-1972」のBLUEは、
野上さんの愛聴盤であるジョニ・ミッチェルのアルバム名からとられている、とのこと。
日本語の青春の「青」と、英語のblueがもつ憂鬱の意味を合せての「BLUE:Tokyo 1968-1972」である。
6月1日には、「BLUE:Tokyo 1968-1972」の写真集も刊行される。
そういう状況での音出しだから、耳障りなだけの音、
ひとことで表現するならばそんな音がしてくることがある。
そんなときどうするか。
適当にごまかす方向に逃げるのか。
もろもろのアラが気にならないように、音量もグンと下げて、
アンプやCDプレーヤー、さらにはケーブルも交換して──、というやり方もある。
けれど喫茶茶会記はオーディオ店でもオーディオ雑誌の試聴室でもないから、
アンプやCDプレーヤー(最近はCDプレーヤーは選べるようになった)、
ケーブルの選択肢はほとんどない。
それに音量を、耳障りにならないくらいまで下げて鳴らしていては、
いつまで経っても、その状態から抜け出した音を出せない。
耳障りな音がどんなにしようと、音量を上げる。
音量を上げても耳障りにならないようなソースをかけるのではなく、
あえて、反対の傾向にある音楽を鳴らす。
そうやってスピーカーを、すこしでも短い時間で目覚めさせたいからである。
そんな鳴らし方をしていると、長島先生と同じことをやっている、
と自分でも思っている。
──そんな言い訳めいたことは書くくらいなら、
前日からきちんとセッティングしろ、とか、もっと早い時間からやれば、といわれても、
それがやれれば私としても助かるわけだが、現実にはスケジュールの都合で無理。
今回も前回も、16時ごろまで何かのリハーサルが入っていて、
早くに着いたからといって、即セッティングにかかれるわけではない。
なので書いておく。
audio wednesdayは19時開始だが、場合によっては耳障りな音を、
大音量で鳴らしている。
最初から、整った、耳障りな音がまったくしない、そんな音を聴きたい方、
いわば音の美食家には、聴くに耐えぬ音を聴かせることになる。
けれど、そんな音を23時すぎまで聴かせているわけではない。