Date: 11月 30th, 2012
Cate: 菅野沖彦
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菅野沖彦氏のスピーカーについて(コメントを読んで)

昨晩書いた「菅野沖彦氏のスピーカーについて(その9)」にコメントがあった。

EddieMunsterさんのコメントは、こうだった。
「JBLとマッキンは同じ穴の狢と感じているのは私だけ^^;」

1行だけのコメントで、EddieMunsterさんがどういう方なのか、私はまったくわからないし、
EddieMunsterさんのコメントにあるJBLとマッキントッシュが指しているのは、
昨晩私が書いたDD55000とXRT18(XRT20)のことなのか、
それとももっと広くJBLのスピーカーシステム、
マッキントッシュのスピーカーシステムすべてを含むのかもわからない。

それにコメントの最後に、顔文字(それも汗を書いている)がついていて、
このコメントを、どう受け取ったらいいものかと、すこし考え込んでしまった。
EddieMunsterさんのコメントを読んでおもったことを書いてみたい。
とりとめのない文章になっていくだろうが……。

「同じ穴の狢」とある。
これの意味は、関係のないようにみえても、実は同類・仲間であること、と辞書には載っているし、
「同じ穴の狢」が使われるときは、いい意味ではなく悪い意味でのことが圧倒的に多い。
なのでEddieMunsterさんも、悪い意味で使われていると仮定して書いていく。

ということは、EddieMunsterさんにとって、
JBLもマッキントッシュのスピーカーも、どうでもいい音のスピーカーということになる。
だとしたら、EddieMunsterさんにとっては、
それが表現(XRTシリーズ)であっても、忠実な変換機(JBLのスピーカー)であっても、
どうでもいい、ということになるのだろう……(ここもはっきりとはわからない)。

EddieMunsterさんにとって、JBL、マッキントッシュよりも、音楽を聴く上でずっと信頼できる、
いい音と思えるスピーカーが、なにかあって、
そのスピーカーとの比較においては、JBLとマッキントッシュも「同じ穴の狢」ということなんだろう、
と勝手に思っている。

そのスピーカーがなんなのかでもわかれば、
EddieMunsterさんが「同じ穴の狢」という表現をつかわれた意図も少しははっきりしてくるのだが、
EddieMunsterさんがどういう人で、どういう音楽を好み、どういう音を鳴らされているのか、
そのために使われているスピーカーがなんなのか、はまったくわからない。

わからないから、もしかするとヨーロッパのスピーカーを愛用されている人もかもしれない、
ハイエンドスピーカーと呼ばれているモデルを使われているのかもしれない、
他にもいくつも考えられるが、考えたところで、何かがいまのところ返ってくるわけではない。

JBLのエンジニアは「忠実な変換機」をつくっている、といっている。
忠実な変換機としてのスピーカーは、技術が進歩していくことによって、
その時点時点では忠実な変換機であっても、
いずれその忠実度は、新しいスピーカーの忠実度よりも劣ることになる。

前の世代が超えられなかった壁を、後の世代にとってはそれは壁ではなくなっている、
そういうことだってある。
けれどスピーカーは、前の世代のものであっても、後の世代のものであって、
いまだ完璧というにはほぼ遠いところにある。

後の世代が出し得ない音を、前の世代はたやすく出していることもある。
そういう例は長くオーディオをやっている人ならば、実感されているはず。
だから、ここではあえて旧い世代とはいわず前の世代としたし、
新しい世代とはせず後の世代とした。

スピーカーがいまの形態(原理、構成など含めて)のままでいるかぎり、
画期的な発明がスピーカーにおいてなされて、スピーカーの能力が飛躍的に向上し、
前の世代のスピーカーだけでなく、
いまの世代のスピーカーをふくめてすべてを旧い世代といってしまう日もいつかはくるだろう。
でもそれまでは、いまあるスピーカーすべて「同じ穴の狢」なのではなかろうか。

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